同じはずの“昨日”
ポータルの光が、ゆっくりと消えていく。
足元の感覚が切り替わる。
湿った空気。石の匂い。
ダンジョンの中。
「よし、いつも通りいくよー」
メアの明るい声。
その横で、リオが軽く頷く。
「桜、準備いい?」
――その言い方。
私は一瞬、引っかかった。
“準備いい?”じゃなくて
“いつも通り”って、なに?
「……うん」
とりあえず頷く。
けど、頭の奥に昨日のノートがちらついている。
――「次は絶対、忘れるな」
忘れてる。
たぶん今も。
なのに、体は問題なく動く。
「行こっか、桜」
リオが微笑む。
あの顔だ。
優しいのに、
どこかだけ、届いてない感じの笑い方。
なにそれ。
なんでそんな顔するの。
「……ねぇ」
思わず声が出た。
「なに?」
リオが振り返る。
その瞬間、言葉が詰まる。
なに聞こうとしてたんだっけ。
――いや、違う。
聞きたいことは、はっきりしてる。
「私たちってさ」
口に出した瞬間、頭がズキッと痛む。
まただ。
このラインを越えようとすると、必ず来る。
「……っ」
視界が少し歪む。
「桜?」
リオが一歩近づく。
距離が近い。
自然すぎる距離。
「……なんでもない」
また、それを言う。
自分でもわかる。
逃げてる。
でも――
なにから逃げてるのかがわからない。
*
戦闘は、やっぱり問題なかった。
身体は勝手に動く。
避ける。斬る。終わる。
簡単すぎる。
「桜、ナイス」
リオの声。
私は振り返る。
その瞬間――
既視感。
この光景、知ってる。
何回も見たことある。
「……ねぇ」
また口が動く。
「昨日さ」
言いかけて、止まる。
昨日?
……昨日って、なに?
「……なに?」
リオが静かに聞き返す。
その目。
確認してる。
間違いなく。
「……いや、なんでもない」
まただ。
同じこと言ってる。
同じ流れ。
同じ言葉。
――同じ?
背筋が冷える。
「……ねぇ」
今度は、逃げない。
「これ、前にもやってない?」
空気が止まる。
メアが「え?」って顔をする。
でも――
リオだけは。
ほんの一瞬だけ。
目を伏せた。
「……どういう意味?」
すぐに、いつもの声に戻る。
でももう遅い。
見た。
確実に見た。
「さっきの会話」
「“なんでもない”ってやつ」
「……それ、前にも言った気がする」
言葉にするたび、
頭の奥がチリチリする。
でも止まらない。
止めたくない。
「それに」
ノートのことは言わない。
でも。
「……あんたさ」
リオを見る。
まっすぐ。
逃げずに。
「なんでそんな顔してるの?」
一瞬、沈黙。
風も音も止まったみたいに静かになる。
リオが、ゆっくりと息を吐く。
――その仕草が、やけに“慣れてる”。
「どんな顔?」
少しだけ笑う。
でもそれは。
さっきまでの笑顔と、違う。
「……なんかさ」
言葉を探す。
うまく言えない。
でも――
「知ってる人の顔」
それを言った瞬間。
リオの表情が、ほんの少しだけ崩れた。
一瞬だけ。
すぐに戻る。
でももう遅い。
見たから。
確実に。
「……そっか」
リオが、小さく呟く。
その声は、少しだけ低かった。
「今回は、そこまで来たんだ」
――は?
「なにそれ」
メアが戸惑う。
私はそれどころじゃない。
「“今回は”ってなに」
一歩、詰める。
逃がさない。
逃げない。
「……ねぇ」
「知ってるの?」
「私のこと」
沈黙。
リオは、少しだけ目を細める。
困ったように。
それでもどこか、諦めたように。
そして――
ゆっくりと、口を開く。
「……桜」
名前を呼ばれる。
その声だけで、胸がぎゅっとなる。
なんで?
なんでそんな声で呼ぶの?
「聞くの、やめといた方がいいよ」
静かに言う。
優しく。
でも、はっきりと。
「なんで」
即答する。
もう止まれない。
「だって」
リオが、少しだけ笑う。
今度はちゃんと。
でも――
少しだけ、寂しそうに。
「どうせ、また忘れるから」
――。
その言葉が、真っ直ぐ刺さる。
冗談じゃない。
軽くもない。
ただの事実みたいに、言われた。
「……は?」
理解が追いつかない。
「忘れるって」
「なにを」
聞いた瞬間。
頭が、ズキンと痛む。
今までで一番強い。
視界が揺れる。
足元がぐらつく。
「……っ」
倒れそうになる。
その瞬間、支えられる。
リオの手。
温かい。
近い。
近すぎる。
「だから言ったでしょ」
耳元で、静かな声。
「聞かない方がいいって」
そのまま、少しだけ距離を取る。
でも手は離さない。
「……ねぇ、桜」
呼ばれる。
優しく。
いつもみたいに。
でも今は違う。
「今回は」
一瞬、言葉を選ぶ間。
そして。
「どこまで覚えていられるかな」
その言葉と同時に――
視界が、真っ白に飛んだ。
*
――気づけば、私は立っていた。
石壁。湿った空気。
ダンジョンの中。
「さくらぁ、今日はベースでお願いね」
知らない声。
なのに、身体は動く。
「きてる」
口が勝手に動く。
――あれ?
なんか、今。
なにか大事なことを、
「行こっか、桜」
振り返る。
そこに、リオがいる。
優しく笑ってる。
「……うん」
なぜか、少しだけ安心する。
理由はわからないけど。
ただ――
胸の奥に、ほんの少しだけ。
“怖い”が残っていた。




