6 学術院潜入、一匹の豚、そしてギャル
『本番はここからだ……帝国学術院ヴェッツシュタール。国内随一の学問と科学の殿堂として、これ以上ない名声を誇る場所だ。整然と設計された庭園、不可能な水の物理法則を再現した噴水のシミュレーション、そして複雑な地下音速鉄道で繋がれた複数の建物群……』
浮遊型バイクが轟音とともにカノンのすぐそばを最高速で駆け抜け、まるで高難度のゲームの障害物回避のように建物の間をなめらかに縫っていった。
『ジャッジメント・ディヴィジョン《審判隊》か……今日は随分と早い。この辺り、俺以外に人影が一つもない』
ジャッジメント・ディヴィジョンとはヴェッツシュタールの警察組織であり、愛国心と実力を兼ね備えた上位生徒のみで構成されている。学術院の敷地内における逮捕・拘留の権限を持ち、行政権を掌握している。立法権を持つ生徒会との間では、司法権を巡る争いが続いているとの情報がシルトにはある。
『なるほど……廊下全体が光浮遊型ホログラム《こうふゆうがたホログラム》で照らされているのか。片側にはリアルタイムの大東方連合大使館の映像、反対側には汎欧州議会の直接中継が流れている』
光浮遊型ホログラム《こうふゆうがたホログラム》とは、ブラックホールに匹敵する圧力で光を閉じ込める小型圧縮特殊ガラス上に浮遊する自由光粒子を応用した技術だ。その開発は、北京埋没都市の大参事官チー・シー《斉希》の身体を研究・解析することによってのみ実現した。製造は大東方連合が独占しており、ここにあるのはドイツとの緊密な関係による贈り物と見て間違いない。
「おや? こんな早い時間に誰かいるとは思いませんでした」
シミュレーションに見入っていたカノンに、一人の男が歩み寄ってきた。主人公より少しだけ背が高く、眼鏡をかけ、おでこに傷跡のある有名なマジシャンを彷彿とさせる独特の髪型をしていた。
「おはようございます。カノンです」
「はじめまして、カノン。私のことはシュヴァインと呼んでください」
『シュヴァイン(豚)?正気か……ともあれ、これは興味深い。レフレクスヴェレ《反射の輪》に全く引っかからなかった』
「あなたのお名前、うちの名簿に記憶がないのですが……もしかして、入学以来一度も規則を破ったことがない優秀な生徒さんですか?」
『そうだよ。どこからどう見ても普通の学生だ。シルトという、ほぼ非合法なギルドのスパイ兼暗殺者兼対敵諜報員なんかじゃ絶対にない』
「急な転入で、今日が初日なんです」
「ああ、そうなんですか?ははは、転入生とは珍しい」
シュヴァインは深い茶色の瞳をカノンに向け、幼なじみのような気安さで背中を叩いた。
「もともとはどちらのご出身ですか?」
「ドイツ生まれです」
「ふむふむ……まあ、私は一目でDNAを解析できる"マイン・ヘルリヒカイト"ではないので。ヴェッツシュタールを楽しんで!」
「ありがとうございます、先輩」
『マイン・ヘルリヒカイト(我が輝き)——絶対に会ってはならない人物の筆頭だ。あいつは一瞥しただけで、相手のことをほぼ全て見通せると言われている。最近誰かを殺していれば気づく。墓を掘ったことがあれば分かる。傷を負っていれば看破する。戦闘員ではないが、俺にとって最も危険な人物かもしれない。……シュヴァインという名前、俺を撹乱するための偽名か?』
カノンは溜息をついてから、指定された教室へと向かった。今日会いたかった人数を大幅に超過している——理想はゼロだったのに、シュヴァイン一人でもう赤字だ。教室の中では、二人の女子生徒が話し込んでいた。
「おはようございます」
「おはよう……って!? やば、リリネット見てこの人、マジ百点満点なんだけど!」
「あぁ? どこのどいつがイケメンだって、このバカイリーナ……はぁ!? て、てめえ!?」
『ああ、なるほど。今日は平和の女神が俺に微笑んでくれない日らしい。また可愛い仮面を被ったゴリラと向き合わされるわけか』




