表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の国を追放された令嬢は ――奇跡に頼らない国で生き直します  作者: 小麦


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/2

追放令嬢

大神殿の白い床は、汚れを許さない。

磨かれた石は人の影すら薄く映し、祈りの声だけが高い天井に吸い込まれていく。


ここでは言葉ひとつで、人は“汚れ”になる。

リーゼは幼い頃からそれを知っていた。光属性に生まれた日から、祝福と期待の中で息をする方法だけを教えられてきたから。


「リーゼ・アルトフェルト。前へ」


名を呼ばれ、リーゼは歩み出た。

貴族たちの視線が肌に刺さる。値踏み、警戒、そして――自分が裁かれる側ではないという安堵。

その安堵が一番苦い、と彼女は思う。


玉座に座すのは、ルーメン聖王。

その傍らには白衣を纏った聖女セラフィナが立っていた。癒しの光を宿す存在。民の信仰そのもの。


(……責めたいわけじゃない)


リーゼの胸の奥で生まれた小さな棘を、そっと押し込める。

聖女はただ、役割をまっすぐ生きている。

自分は――役割の“外側”を見てしまった。


高司祭が、柔らかな声で告げた。


「陛下への進言を、改めて述べよ」


リーゼは頷き、帳面を開いた。

手は震えていない。けれど指先が冷たい。身体だけが先に理解している。これから吐く言葉が、戻れない線を越えることを。


「聖域で行われた治癒の記録を、三年分照合しました。聖魔法の効き目そのものではなく、“治り方”に変化が見られます」


ざわり、と空気が揺れる。

怒りの前兆のざわめき。リーゼは息を整え、続けた。


高司祭が眉をわずかに上げる。


「治り方、とは」


「治癒後に残る魔力痕です。傷は塞がっても循環の筋が乱れたままの症例が増えています。偶然ではありません」


貴族席から声が飛んだ。


「聖女様への侮辱だ!」


予想していた。けれど胸が痛むのは止められない。

“侮辱”という言葉は、いつも事実の代わりに投げられる。


リーゼは首を横に振った。できるだけ丁寧に。


「聖女様の責任ではありません。むしろ逆です。聖女様が一身に担う現在の運用が、聖王国全体の歪みになっています」


聖女セラフィナが、かすかに目を見開いた。

敵意ではない。ただ理解できないという戸惑い。

その表情に、リーゼは一瞬だけ言葉を失いかける。


(あなたを守りたいだけなのに)


喉の奥に熱が生まれる。怒りではなく焦りだ。

焦るのは、ここで感情が漏れれば負けるからだ。負ければ言葉が死ぬ。言葉が死ねば未来が死ぬ。


高司祭が言葉を重ねる。


「つまり、お前はこう申すのだな。神の奇跡に、歪みがあると」


「歪みは奇跡ではなく、運用に生まれます」


リーゼは淡々と続けた。淡々とするしかない。


「聖域の循環は外から与えられているように見えますが、実際には内部で回している部分がある。回す以上、反動は蓄積します。蓄積した歪みは、いずれ破断します」


沈黙が落ちた。

それは理解の沈黙ではない。恐れの沈黙だった。

恐れは、祈りより強い。


聖王が、重い声で口を開く。


「リーゼ……それが真実だとしても、民は耐えられぬ。聖女の奇跡が壊れるなどという未来を」


その声は責めていない。

それが、かえって辛かった。

理解されている。だが選ばれない。


「壊れます」


リーゼは言い切った。

言い切った瞬間、胸の奥が静かに痛んだ。

この言葉を口にしたことで、もう戻れないと分かったからだ。


「今なら間に合います。聖女様を唯一にしない体制を整えるべきです。代替の魔法体系、あるいは聖魔法を支える外側の仕組みを」


「冒涜だ」


高司祭の声が冷たくなる。

空気が氷のように硬くなる。大神殿はいつもこうだ。祈りは温かいふりをして、刃になる。


「祝福を分析し、奇跡を仕組みとして語る。それが聖王国の秩序をどう揺るがすか分かっているのか」


「理解しています」


リーゼは嘘をつかなかった。

揺るがす。だから言った。揺るがさなければ、いずれ崩れる。


高司祭が聖王に向き直る。


「陛下。信仰と秩序を守るため、この者を聖都より遠ざけるべきかと。処罰ではありません。隔離です」


追放、という言葉が出る前に、結論は決まっていた。

リーゼは、聖王の肩の落ち方で悟った。


聖王は短く息を吐き、頷く。


「リーゼ・アルトフェルト。聖王国より追放とする」


安堵の気配が広がる。

その安堵が、リーゼの胸を微かに沈ませる。

誰も彼女を殺したいわけではない。ただ、“面倒な未来”を視界から消したいだけだ。


リーゼは跪き、頭を垂れた。


「承りました、陛下」


声は揺れなかった。

だが胸のどこかで、小さく何かが切れた。

期待に応え続けてきた糸がぷつりと断ち切れる音がした。


(……これで、終わる)


悲しいのか悔しいのか、自分でも判別できない。

ただひとつ、呼吸が少しだけ楽になった。

それがいちばん怖い。



追放は、驚くほど静かに行われた。

見世物にしないのは優しさではない。噂が信仰を削るからだ。


聖都の門。夕暮れ。形式だけの護衛。

リーゼの荷は少ない。研究記録と写本、最低限の衣類。

紙束の重みが、彼女の人生そのもののようだった。


出立の直前、兵が一通の封書を差し出した。


「……これも、あなたの荷です」


封蝋は聖王国の印ではない。赤い封蝋に刻まれた紋章も見慣れない。

だが兵の指先が、わずかに慎重になったのが分かった。


宛名。


――リーゼ・アルトフェルト殿。


リーゼは封を切る。中の文は短い。


貴殿の滞在先を用意した。

国境を越え次第、同封の印章を提示せよ。

不自由はさせない。

必要なものは要求しろ。


エルヴィオ・グレイヴァルト

グラウス侯国 辺境伯


感情がない。

慰めも、励ましも、正義もない。

ただの手配の文章――なのに、妙に息がしやすい。期待も謝罪も要求されていないからだ。


(どうして私に)


疑問が湧く。

同時に、誰にも見せたくない小さな安堵も湧く。

行き先がある。それだけで、追放が“放逐”ではなくなる。


封書を折りたたみ、胸元に収める。


そのとき、護送兵の一人が、隣に小さく囁いた。


「……グレイヴァルト辺境伯、だと」


別の兵が、息を呑む音を立てた。


「まさか……《灰銀》の」


それが口にされた瞬間、空気の温度が一段下がったように感じた。


リーゼは何も聞き返さなかった。

理由を聞いても、彼らは噂でしか答えられない。

必要なのは、事実だけだ。


「……行きましょう」


聖王国の門が背後で閉じる。

白い石の都が遠ざかる。


リーゼは振り返らなかった。

振り返れば、切れた糸の端を握り直してしまいそうだったから。


彼女はまだ知らない。

この書簡が“追放者”ではなく、“必要な人間”へ向けて書かれたものだということを。


つづく


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ