わたくしが憧れた木登りとは?
「姫様が学びたいとおっしゃった事は、どの様な事であっても極力学ばせるようにと陛下のお言葉をいただいております。
以前より、姫様は私に木登りを教えて欲しいとおっしゃっておりましたよね。」
皇帝の側近であり元盗賊のスティングはアイリスの教育係の一人となり、アイリスが興味を持つ事を指南する立場となった。
アイリスがファルナウスから連れ去られてから、はや3ヶ月ほど。
アイリスは屋内では一流の講師による座学やダンス、マナーレッスンを学び、屋外ではスティングから様々な事を野外授業にて貪欲に学ばせられた。
身体の動かし方や体力作りから始まり、自衛術や馬術、サバイバル知識など、およそ王女が持つ事に疑問を感じるような知識に多く触れていった。
ファルナウスにいた頃には興味を持つ事すら許されなかったゆえか、箍が外れたアイリスは好奇心の赴くまま学びを追求する。
そして、ひ弱だったアイリスの身体が丈夫になったと感じたスティングは満を持して、以前よりアイリスに頼まれていた木登りを教える事にした。
ガデュリオン城の広大な敷地内には木々が生い茂る林のような場所がある。
新人兵士が野営を学ぶために使われたりもするこの場に、アイリスとスティングは馬を走らせてやって来た。
スティングの案内で一番太く大きな木の前に来たアイリスとスティングは、馬上から揃って大樹を見上げた。
アイリスは大樹の織り成す枝葉から降って来る、光の粒の様な木漏れ日に目を輝かせた。
━━なんて立派な大きな木…。
この大樹に登る事が出来るようになったら私、高い枝に座って足をぶらぶら揺らしながら果物をかじったりして遠い所を眺めたり…楽しそう。
鳥と同じ景色を見れるのね、なんて素敵なの!━━
馬から降りたスティングを見たアイリスも自分の馬から降りた。
それぞれの馬を休ませておき、二人は大樹の根元に立つ。
スティングはアイリスの手に触れ、そのまま手首を握った。
男性であるスティングが、アイリスの許しも得ず勝手に肌に触れる事すらも、アイリスにはとっては慣れた日常となっていた。
「姫様の体幹もしっかりして来ましたし、太陽を浴びて骨も多少は丈夫になりましたね。」
「ええ私、今ではダンスも休憩を挟まずにぶっ通しで踊り続ける事が出来るようになりましたの。」
アイリスは改めて、自分がファルナウスで「大事」にされ、か弱く知識も少なく、守るべき可愛らしいお姫様として扱われていたのだと知った。
それが庇護欲による愛情だったのか、そう見せかけて抵抗や反抗する手段を奪われていたのかが分からなく、最近になってアイリスは悩むようになっていた。
ガデュリオン国に来てからというもの、アイリスが辛い目に遭う事は一切無いが、あの日からこんにちに至るまでファルナウスの状況を全く教えられていない。
拐われたあの日、ファルナウスではガデュリオン国の侵攻によって、どれほどの人が亡くなったのかも、父王や姉、婚約者がどうなったかも何も知らされてない。
何度か、あの後のファルナウスの事を訊ねようとした事はあったのだが、普段は優しい皇帝もスティングも険しい表情を見せて口をつぐんだ。
まるで「捕虜にそれを聞く資格はない」と言われているようで、アイリスはそれ以上の追及は出来なかった。
もし━━再び父や姉に会えたなら…
自分を人形たちに埋もれさせるように城に閉じ込めていた事が愛情からなのか…そうではなかったのか…聞きたいかも知れない。
アイリスは、大樹に登れるようになったら、遠い祖国に思いを馳せながら遠い景色を眺めよう…と考えたのだが
「さて…ではアイリス姫様の申し出に応じ、今から『逃走と見せかけて敵を欺き身を隠し、奇襲を掛けるための木登り』を教えましょう。」
木登りを習得するための理由が、アイリスが想像した牧歌的なものと違ってかなり不穏だった。
「敵を欺き身を隠し、奇襲を掛けるための木登り。」
「はい、敵を倒す奇襲までがワンセットです。」
奇襲までがワンセットの木登り。
「やり方はコツを掴めば簡単で、近くに木や壁があれば交互に蹴りながら上に登っていきます。
掴める枝があれば掴み、身を隠す時は幹に添うように縦に細くなり…」
「簡単。…簡単…???」
それから数日に渡り、座学の後は木の上に乗る(もはや登るではない気がする)という実践の繰り返しを要求され続けたアイリスは、
「私は一体、何をさせられているのかしら」
などと思いつつも、2ヶ月後には木登りを完全に習得した。
猿のようにスルスルと木を登る自分を想像していたのだが、気が付けば数段ジャンプでかなり高い場所まで行けてしまう技を身に着けてしまった。
ついでに、と壁や他の木などが無い場合にも、とアイリスが想像したような木登りも習得させられてしまったが、ジャンプ力と手指の力がついたせいで、それすらも簡単に出来るようになってしまった。
「…ねぇスティング先生。
私は一体、何になろうとしてるのかしら。」
「いやぁ…正直言って、俺も姫様がここまで飲み込みが早いとは思わなかったが…。
お転婆どころか、どこででも即戦力だ。」
「どこででもって…暗躍者として?
それ、褒め言葉かしら…。」
「姫様には褒め言葉にならないですよね。
申し訳ございません。
ところで姫様は…木登りが出来るようになった事を王女らしからぬ行いだった、と後悔してますか?」
訊ねてきたスティングに対し、アイリスはフルフルと首を横に振った。
「スティング先生には、馬術も体術も教えて貰って…なぜ?と思うのだけれどホントは、すごく楽しいの。
だから、もっと私に色々と教えて下さいませ。」
大樹の高い枝の上、二人は眼下に拡がる景色を見ながら互いを見て微笑んだ。
スティングは今のアイリスにとって、先生であり兄のような者。
頼れる存在のスティングが教えてくれる事ならば何だって覚えたい。
「姫様なら、そう言ってくれると思ってましたよ。
………で、明日からは剣術を教えるつもりですが…よろしいですね?」
「…よ…よろしい…ですょ?」
「私は一体、何になろうとしているのかしら」と悩みつつも、言われるがまま剣術を学び続けたアイリスだったが、半年経った頃には騎士団に入団出来るほどの腕となっていた。
「なぜ!?」自分に対してそう思うが、いや、もはや何も言うまい━━
きっとスティングの教え方が上手すぎるのだ。
アイリスがガデュリオン国に来て一年が経った頃、ガデュリオン皇帝とスティングが、大事な話がある、とアイリスを玉座の間に呼び出した。
このようにかしこまって玉座の間に呼び出されるのは初めての事で、14歳となったアイリスは僅かな不安を胸に玉座の間へと赴く。
「陛下、アイリスただいま参りました。」
カーテシーをしたアイリスが部屋を見渡せば、玉座にはガデュリオン皇帝がおり、その傍らに側近のスティングが立つ。
そして見覚えの無い少年がスティングの隣に立っていた。
小首を傾げるアイリスに皇帝が声を掛けた。
「アイリス、お前の祖国について話したい事がある。」




