国が滅び、わたくしが拐われた日
「なんだい?二人で僕の悪口でも言っているのかな?」
リビングでおしゃべりを楽しんでいた姉妹の元に柔らかな栗色の髪をした少年が従者を従え、微笑みながら近付いて来た。
マーガレットは表情をパッと明るくし、アイリスの方に顔を向けた。
「噂をすれば…ほら、アイリスの大好きなカミル王子様よ。…って、あらあら照れちゃって。」
アイリスは真っ赤になった顔を強く抱きしめた人形で隠し、モジモジと恥ずかしそうに消え入りそうな小声で呟く。
「…か、カミル様…ようこそ…」
カミル王子とマーガレット王女が、物陰に隠れたがる小動物みたいな様子のアイリスを見て微笑んだ。
「あら、カミル様…髪に木の葉が付いてますわ。」
マーガレットはカミル王子の髪に手を伸ばし髪に付いた葉を取ると、手ぐしでカミル王子の髪を梳かした。
そして互いの顔を見て微笑み合う。
まるで恋人同士のような雰囲気を醸し出す二人に、アイリスはチクリとした胸の痛みを感じた。
「お姉様とカミル王子様は、とても仲がよろしいのですね…。」
「あらやだ、もしかして嫉妬しちゃった?
違うのよアイリス、わたくしたち同じ年でしょう?
幼馴染みだから、兄妹みたいなものなのよ!」
「そうだよアイリス。
マーガレットとは、長い付き合いがあるから砕けたやり取りをしてしまうけど、僕の愛する許婚者は君なんだ。
嫉妬されたのは嬉しいけどね。」
二人はアイリスを可愛い妹に接するようになだめた。
だがアイリスの沈んだ表情はすぐには戻らず、マーガレットは咄嗟に話題を変える。
「そう言えばカミル様、なぜ木の葉を頭に乗せてましたの?木登りでも、なさいました?」
アイリスはマーガレットが口にした『木登り』という単語に思わず目を輝かせた。
どの様な行為かは知っているが、それを見た事もしたという人とも会った事が無い。
以前から話を聞きたいと思っていたのだ。
「まさか僕がそんな事をするわけ無いだろう。
多分、庭を歩いていた時に木の葉が頭に落ちたんだ。」
カミルの答えはあまりにも当然であり、アイリスは何だかガッカリしてしまった。
アイリスにとって『木登り』はちょっとした冒険のような物に思え、その冒険譚を聞きたかったのだ。
姉妹の会話に王子が加わり、他愛もないいつものおしゃべりが始まる。
いつもならば楽しく感じる、このひとときが、一瞬でも冒険譚を期待してしまったアイリスにはつまらなく感じてしまう。
この時のアイリスはどこか上の空で、二人の話を聞いているふりをしていた。
王子を招いての夕食が終わり少し歓談したのち、アイリスは先に休むと自室に向かった。
王子は今夜、ファルナウス城に泊まっていくとの事。
後のアイリスの王配である将来を確約されているカミル王子は、もう何度もファルナウス城に泊まりに来ており珍しい事では無かったが、アイリスは何か言い知れぬ胸騒ぎを感じていた。
「カミル様がお城に滞在なさる事は珍しくはないし、いつもなら明日もお顔を見られる事を嬉しく感じるのだけれど…。わたくしったら、イヤね…。」
そんなにも木登りの話を聞けなかった事が不満だったのかしらと思わず自嘲してしまう。
少し早いがベッドに入ろうかとアイリスが寝衣の上に羽織ったガウンを脱ぎかけた時、城内がバタバタと慌ただしくなった。
いつもは静かな夜の王城、しかも王族の居城区域。
夜にこんなに大勢が走る音など響くはずもなく━━
アイリスの私室のドアがノックもせずにバンッと乱暴に開き、兵士が侍女を連れて部屋に入って来た。
「アイリス様、敵襲です!
今すぐ、お逃げください!」
驚く間もなく兵士にそう告げられ、兵士が連れて来た侍女がアイリスを案内するべく手を取る。
私室前の廊下には、見た事も無い黒の鎧を身に着けた兵士が大勢おり、虚を突かれたファルナウス城の兵士たちは簡単に制圧されていっていた。
「まっ…待ってお父様やお姉様は…!!
お父様!!!」
アイリスは侍女の手を振り払い、国王の私室に向かった。
アイリスが国王の私室に到着しドアを開けると、そこには激しく狼狽する父王の姿があった。
「マーガレット!マーガレットはどこだ!
私のマーガレット!」
アイリスはマーガレットの名を呼びながら激しく取り乱す父の姿を見て、声を掛けるのを一瞬ためらった。
「…………お父様、ご無事ですか…?」
「あっ…アイリスか!マーガレットはどこに居る!
マーガレットは無事なのか!?」
声を掛けられアイリスが部屋に居る事に気付いた国王はアイリスの肩に手を置きマーガレットの名を出した。
国王の口からアイリスを心配する言葉が一切無かった事に、鼻の奥がツンと痛くなり涙が込み上げそうになったがアイリスは耐えた。
今は泣いている場合ではない。
「お姉様はきっとお逃げになって無事ですわ。
お父様、わたくし達も早く逃げましょう!」
アイリスは肩に置かれた父王の手を引いてドアに近付いたが、そのアイリスの身体がフワリと掬い上げられるように引き寄せられた。
━━━━えっ?だ、誰!?━━━━
「これは噂の通り、人形のように可愛らしい姫君だ。」
アイリスは黒い鎧に身を包んだ長身の騎士に腕を回され、抱き寄せられるように腕に囚われてしまった。
アイリスは恐る恐ると視線を上に向け、自分を囚えた男の顔を見る。
それは大きな体躯を黒い鎧に包み、厳めしい顔をした『悪魔の騎士』と呼ぶに相応しいほど恐ろしい風貌をした男だった。
歳は四十歳を越えた父王と同じ位だろうか。
優しさの欠片も無いような険しい面持ちの男に、アイリスはカタカタと恐怖に震え声も出せなくなった。
「が、ガデュリオン皇帝!
これは一体、何の真似だ!正式な前触れも無く城に攻め込んで来るなど!」
━━ガデュリオン皇帝…?それが、この恐ろしい姿の男性の名前なの…?
ガデュリオン…戦ばかりする、とても恐ろしい国だと聞いていたわ━━
「うるさい、吠えるな。
俺は何度もお前らに使いを寄越していた。
だが能天気なお前らは聞く耳を持たず何もしなかった。
今日でこの国は終わりだ。」
ガデュリオン皇帝が剣の刃をファルナウス国王に突き付けた。
国王は「ヒィッ」と声を上げ床に尻をつき、ずって後ろに下がる。
「おっお待ちください!皇帝陛下っ!
どうか、父を…殺さないで!
わたくしはどうなっても良いから父だけは…!」
ガデュリオン皇帝の左腕に囚われたままアイリスが皇帝に懇願する。
ガデュリオン皇帝は幼いアイリスが、震えながらも自身を顧みずに気丈に父の生命を請う姿を見て剣を下ろした。
「フフフ…素晴らしい娘ではないか。
ならば父の生命と引き換えに、お前を戦利品として我が城に持ち帰ろう。
俺が、お前をたっぷりと可愛がってやる。」
口角を上げニヤリと笑む皇帝は軽々とアイリスを担ぎ上げ、荷物のように肩に乗せた。
「キャッ…!」
「俺は先に行く。後は任せた。」
そして数人の黒い兵士を残し国王の私室を出ると、城の出口に向かって歩き始める。
ガデュリオン皇帝の大きな肩に乗せられたアイリスは廊下を歩いて行く皇帝の背中側から、騒然となった城内を見続けた。
夜の廊下は暗く見えにくく、怪我人や死んだ者がどれだけ居るのか分からない。
ファルナウス城の兵士たちは黒い兵士たちに完全に制圧され降伏したのか、みな大人しく抵抗の術を失っているようだ。
被害の規模は結局分からず、城を制圧した多くの敵兵たちがどこから現れたのかも分からない。
国王の私室から城のエントランスに到着し、城の大扉を開き外に出ようとしたガデュリオン皇帝の背後に、剣を手にしたカミル王子と、マーガレットが共に現れた。
「アイリスをかえして!!」
「お姉様!カミル王子様っ!」
ガデュリオン皇帝の肩に担がれたままのアイリスが二人に呼びかける。
「おのれ!僕の許婚者を離せっ!」
カミル王子は剣を構えてガデュリオン皇帝に向かって来たが、近くにいた黒い鎧の兵士に剣を弾かれた上に簡単に床に押さえ付けられてしまった。
マーガレットが慌てたようにカミル王子に駆け寄り、マーガレットも黒い兵士に腕を囚われた。
「ああっ!カミル王子様っ!お姉様!
お願いです陛下!二人に乱暴はしないで!」
アイリスはガデュリオン皇帝の甲冑の背中を叩き、カミル王子と姉への乱暴をやめるように頼んだ。
床に押さえ付けられているカミル王子は、涙を流しながらアイリスの方に手を伸ばす。
「アイリス!アイリス!必ず!僕が必ず!
愛しい君を救い出すから!待っていてくれ!」
「アイリス!わたくしも…わたくしも!カミル王子と一緒に大事な妹のあなたを助けに行くから!
だから待っていて!!」
「カミル王子様っ…マーガレットお姉様…」
アイリスの目から、こらえていた涙がブワッと溢れ出した。
これが…この瞬間が愛する二人との別れの時なのだとアイリスは理解した。
もし……再び出会えたとしても、今までのような仲に戻る事は出来ない。
自分はきっと、ガデュリオン皇帝に穢されてしまう。
キズ物となれば王子との婚姻など出来るハズもない。
大好きなカミル王子と結ばれる、幸せな未来は完全に閉ざされた。
アイリスはこの先に待つ不幸な未来を憂いて涙を流し続けた。
「……………くだらん茶番だな。」
この時の皇帝の呟きは、アイリスには聞こえてなかった。




