2.スニークスキル
みずきは、不可思議な空間の中をひとり進んでいく。
狂気じみたモノイエローの壁紙が貼られている、果てしなくどこまでも続く空虚な空間だ。
みずきは、ゲームをしていた。
ゲームをするのは一人。
ゲームをしていて寂しさを感じたことなど無かった。
だが、この何もなく、いつまで続くのかも分からない空間の中だ。
抜け出す方法も分からない。
焦燥感とでもいうのだろうか、心がチリチリとひりつくような気がした。
敵が出てくるんじゃないかという恐怖心もあった。
一時間ほど経つと、敵でもいいから出てきて欲しいという思いも起こってくる。
でも、敵が出て来たら、こんな現実感のある状態で戦って勝てるとも思えない。
敵でもいいから出てきて欲しいという気持ち、敵は絶対に出てきてほしくないという気持ち。
相反する二つの気持ちがせめぎ合う。
ただ、時間が経つにつれて、寂しい気持ちが優勢になる。
気が狂いそうなほどの孤独感が襲ってくる。
警戒しながらしばらく歩いていくと、下に降りる階段があった。
生物の息吹が全く感じられない、この空虚な空間から逃れたかった彼女は、迷わず階段を降りていった。
「バックルームでは、階段を見つけることが出来なければ、永遠にそこをさまようことになる。
そんな話を読んだことがある。
どこにつながっているのかは分からないけど、とにかくここから離れないと」
長い長い階段を降りていく。
階段を降りると、そこは薄暗い典型的な地下迷宮だった。
地面は、所々ぬかるんでいる。
「うっわー、このぬかるみを歩く感じ。
ゲームでは音だけだったのに、踏みしめる感覚までリアルだよ。
本当に現実みたい」
さっきのモノイエローの空間はバックルームっぽかったが、ここはいかにもゲームの中のダンジョンみたいだ。
みずきは、ゲームに没入しているだけだと思いたかった。
ゲームなら、ログアウトできれば元の場所、日本に戻れる。
振り返ると、降りてきた階段は無くなっていた。
進むしかない。
「ステータス
インベントリー」
もう一度コマンドを唱えてみたが、何も起きない。
歩いていくと、何かに躓いた
ドテッと膝をついたが、鞘に入った忍者刀を杖代わりにして、すぐに立ち上がる。
ぬかるみの中に岩が突き出ていたようだ。
みずきは、膝を擦りむいていた。
血がにじんでいる。
「ゲームの中の世界みたいなんだけど、こんな擦り傷から血が出るエフェクトなんかありえないよね。
やっぱり、現実なんだろうか?
そう言えば、少しお腹もすいたような」
とりあえず、傷には唾を付けておく。
痛い。
しばらく進むと、なにやら足音が聞こえてくる。
何者かが徘徊しているようだ。
霧が立ち込めて視界が悪いので、徘徊する者が何なのかは分からない。
「ここは、スポットランドの王城の地下迷宮だろうと思う。
あの王城の壁の前から落ちたんだから。
だとしたら、敵は私よりはるかに強いはず。
隠れないと」
GAOの新しいDLCで追加されるクエストの宣伝で、新しいダンジョンの風景が公開されていた。
その中に今の風景に似た場所があった。
限りなく王城の地下迷宮の可能性が高い。
みずきは、ゲームの中では暗殺者だった。
ソロプレイ前提の彼女は、強い敵は隠れてやり過ごすしかなかった。
敵が少なければ、やり過ごした後、後ろから襲い掛かって倒すこともあった。
忍者刀を装備していたが、忍者では無かった。
忍者は上級職で、無課金でプレイ時間がそれほど長くないみずきには手の届かない存在だった。
しかし、ゲーマーとしてのスキルが高いみずきにとっては、暗殺者で十分戦えた。
ここは、薄暗い。
ぬかるんだ地面にニョキニョキと細長い岩が立っている。
隠れる場所には困らない。
近づいてくる者は、敵か味方か分からない。
ここで暗殺者のスキルが使えるかどうかは、生死を分ける大きな問題だ。
みずきは、現実では普通の学生だ。
武器も使えなければ、格闘技の経験もない。
もし、装備だけがゲーム世界のもので、暗殺者のスキルが使えなければ、どんな雑魚敵が相手でも勝てるとは思えない。
ここがスポットランドの王城の地下迷宮なら、現れる敵は強力だ。
レベル20以上の5人パーティーが推奨されている。
みずきは、ゲーム内のレベルは6だ。
そして一人プレイ。
絶体絶命に思えた。
とにかく、岩と岩の間の薄暗がりに隠れる。
隠密のスキルが活きていれば、やり過ごせるはずだ。
ヒタッ、ヒタッ、ヒタッ
じわじわと足音が近づいてくる。
薄暗がりの中、みずきは息を止める。
(絶望的! 私が来てはいけない場所で、絶対に敵わない敵が近づいてくる)
心の中で悲鳴を上げた。
※言葉として口に出した言葉は「」の中に、声に出さずに心の中でつぶやいた言葉は()の中に記しています。
ヒタッ、ヒタッ、ヒタッ
どうやら、隠密のスキルは活きているようだ。
敵は、みずきの前を通り過ぎていく。
そう、敵と思って間違いなさそうだ。
角の生えた鬼だ。
デカい斧を持っている。
あれを振るわれたら、かすっただけでも、みずきの命は無いだろう。
(手を出したら、絶対に負ける。
この現実感。
間違いなく、私は死ぬ。
やり過ごすべきだ)
みずきは、迷う。
このままやり過ごせば助かりそうだ。
だが、鬼は完全に背中を見せている。
先制攻撃が可能なのだ。
この先で別の敵に出会ったとき、戦いの音を聞いて、この鬼が引き返して来たら挟み撃ちにされて、確実に負ける。
ここで倒しておくべきという考えが、頭をもたげた。
(手を出したら、絶対に負ける。
手を出しちゃダメだ。
間違いなく、私は死ぬ。
でも、やりすごせない)
みずきは忍者刀に手をかける。
しかし、思い直す。
多分、みずきの腕力では、オークの固い皮膚は切れない。
中途半端な攻撃は、命取りになりかねない。
攻撃するなら、正攻法は有り得ない。
ベルトのポケットから取り出したクナイを、投げナイフの要領で投げた。
トスッ
鬼の背中にクナイが刺さった。
みずきは、クナイに付けた紐を引っ張って回収する。
鬼は、背中に違和感を感じて振り返る。
あまりダメージを受けていない様子だ。
みずきは、素早く岩の陰に隠れた。
不審に思ったのだろう。
鬼は、Uターンしてみずきのいる方に歩き始めた。
今度は、何かが潜んでいることに警戒している。
みずきは、岩陰で息をひそめる。
ヒタッ、ヒタッ、ヒタッ
みずきは、完全に岩陰に隠れているので、敵の様子は分からない。
岩を通り過ぎて少し進んだと思われるところで、岩陰から顔を出して確かめる。
少し離れているが、また背中を向けている。
(もう手を出しちゃダメだ。
せっかく敵は私に気づいていないんだ。
間違いなく、私は死ぬ。
手を出しちゃダメなんだ)
鬼はキョロキョロしているが、攻撃されたこと自体に気づいていないようだ。
みずきは、ゲーマーだ。
ここで隠れ通そうと思いつつ、胸がワクワクしてしまう。
多分、あのオークは少なく見積もってもレベル20は超えている。
ここがスポットランドの王城の地下迷宮なら、地下一階ですらレベル20以上の5人パーティーが推奨されているからだ。
もし深い階層なら、どれほどのレベルのモンスターなのか、想像もつかない。
そんなすごい敵を、わずかレベル6の彼女が倒すチャンスなのだ。
これが通常のゲームならば、絶対に攻撃する。
こんなチャンスは滅多にないから。
ただ、失敗したら現実に死んでしまうかも知れない。
現実感が強すぎるのだ。
それが、彼女を躊躇させた。
だが、ゲーマーの血が騒ぐ。
トスッ
また、鬼の背中にクナイが刺さった。
(刺さる瞬間に反応が無いのは、痛くないからなのかな?
クナイには強力な毒が塗ってあるのに、効いている様子も無いし)
このまま見つかって、殺されてしまうかも知れないと思うと背筋が寒くなった。
ゲームの中で死んだら現実世界に戻れるんじゃないかという考えも一瞬頭をよぎったが、ここまでの道のりから死んだらお終いだと感じていた。
それに、感覚の現実感から言って、死ぬときには死の苦しみを味わうことになりそうだ。
しかし、今度は背中のクナイが抜けた後から出血している。
ちょっと安心したせいで、さっきより投げる威力が上がったのだろう。
さすがに、今回は痛かったようだ。
背中の傷口をさすりながら振り返って、そこで考え込んでいる。
みずきは、とっさに岩の陰に飛び込んでいた。
ただ、今回はクナイを引っ張り続けられなかった。
地面を引きずると、音がして見つかってしまう。
クナイは、オークの手前5メートルほどの所に落ちている。
もしクナイが見つかったら、ヒモが岩の近くまでのびている。
オークは、落ちているクナイに気づいたようだ。
辺りを見回しながら近づいていって、クナイを拾う。
当然、ヒモの先の岩を注視する。
(ヤバイッ、ここにいるのがバレている)
近づいてくる足音を聞いて、みずきは縮み上がっていた。