最終話 僕がいない君の幸せ(side:ジェニング)
「ロージーが…殺人未遂で逮捕された……?」
「はい、奥様を殺害しようとした罪で…」
「な、なんだと!?」
執事から思いもよらない報告を受け、僕は絶句した。
ロージーがフィオーリを殺そうとした!?
なぜそんなことを…!
彼女には言い聞かせていた。
正妻は妻だけだ。
けれど君は、僕の大切な人だと。
君は納得していたはずだろう!? ロージー!
なのになぜ!!
「それから旦那様、奥様から書簡を預かっております」
「フィオーリから!?」
差し出された書簡の封を急いで破り、中を確認するとそこには……
「離縁合意書!?」
既にフィオーリの欄は署名されていた。
そして同封された一枚の便箋には……
「!! ……そ、そんな………」
!!!ズキン!!!
「あ、頭が……っ!」
突然、激しい頭痛が起きた。
頭の中で、次から次へといろいろな声が行き交う。
『なぜ…っ 妻が自殺なんて…っ』
『ロージー・ヨークスに逮捕令状が出ています。奥様を殺害した容疑です』
『ロージーが妻を殺害!? そんなっ 何かの間違いです!』
『ロージー・ヨークスは両親と共謀し、奥様を薬で眠らせ、干潮時の岩場に放置。満潮時には海に飲まれると知っていながら奥様をその場所に運んだ。計画的犯行だと言わざるを得ません』
『あの女が悪いのよ! 愛されているのは私なのに、あの女はとっくに見限られていたのに、いつまでも旦那様に縋りついて…うっとおしかったのよ! 旦那様は私の事が大切だって、可愛いって、いつも言ってたわ! だから旦那様と私の幸せの為に、邪魔なあの女を殺したのよ! それの何が悪いのよおおおお!!』
「…ぅ…あ…ああああああっ!!」
僕は、頭の中の悪夢を振り払うかのように叫んだ。
「旦那様!」
執事が駆け寄る姿が見えた。
気が付くと、僕は自室のベッドの上にいた。
叫んだ後、倒れたのか…
「思い出した……」
前世で妻は愛人に殺された。
当時、彼女の遺体が海に上がったと聞いた時は、自殺だと言われた。
愛人を作り、愛人に感けた僕に絶望し、暗闇の海の中へその身を投じたのだと。
しかしその後の調べで、殺人の可能性が浮上した。
現場はめったに人が行く事のない高台。
その場所に、複数の足跡があった事、現場に妻の靴が並べられていたが、30mの高さから身を投じたはずなのに、遺体の損傷が少ない事など不自然な点が見られたからだ。
真っ先に疑われたのは、愛人を持つ僕と愛人であるロージー。
そして逮捕されたのはロージーだった。
さらにロージーの両親も共犯として逮捕された。
そして、ロージーの家を家宅捜査したところ、睡眠薬の残留物が見つかった。
フィオーリの体内に残された睡眠薬とロージーが持っていた睡眠薬、ロージーの母親が処方された睡眠薬それぞれの成分が一致した。
岩場にあった足跡とロージーと両親の靴跡を調べたところ、靴底の裏模様、摩耗状態ともに一致。
そしてフィオーリが飛び降りたと思われる場所には、彼女の靴跡は一切なかった。
本人が自ら来たのであれば、そんなことはあり得ない。
現状の証拠を突きつけると震えながら供述し始めたのは、男爵である父親。
それに続いて男爵夫人である母親も話し始めたそうだ。
ロージーが伯爵夫人になるために、家族ぐるみでフィオーリを亡きものにしたと。
裁判所の傍聴席にいた僕は、次々に明るみになる真実を突き付けられ愕然とした。
『睡眠薬は、妻が医者に処方してもらい、それを受け取った娘が伯爵夫人の飲み物に混入しました。私と妻で寝ている伯爵夫人を運び、娘の指示通り干潮時に奥様をあの岩場に放置しました』
男爵はそう供述した。
もともと男爵はロージーが提案した殺人計画に協力するつもりはなかったそうだ。
『妻は貧乏男爵家に嫁いだ事を愚痴る毎日でした。
娘は器量がいいので、男爵家よりも遥かに良い家門に嫁がせる事ができると妻は常々考えていました。
娘は貧乏男爵家の令嬢という事で、周りから馬鹿にされていたようです。
それによっていつも高位貴族の正妻に収まる野心を持っていました。
何分器量がいいから、高みを望んでしまったのかもしれません…
さらにオルウェル伯爵様の愛人になった事で、伯爵夫人を殺せば自分が正妻に収まると信じていた娘。
娘が伯爵夫人になれば、陞爵できるかもしれないと希望を持った妻。
それぞれの利害が一致した時に、この計画を止める術が私にはありませんでした…
自分たちの利益しか見ていない二人を見て、協力を拒めば自分も殺されるのではないかと感じ協力せざるを得なかった……』
そう泣きながら、男爵は述べた。
続いて男爵夫人も証言した。
双方の証言に基づいて、主犯は娘であるロージーと確定された。
しかしロージーは最後まで自分の正当性を訴えていた。
『あの女が悪いのよ! 愛されているのは私なのに、あの女はとっくに見限られていたのに、いつまでも旦那様に縋りついて…うっとおしかったのよ! 旦那様は私の事が大切だって、可愛いって、いつも言ってたわ! だから旦那様と私の幸せの為に、邪魔なあの女を殺したのよ! それの何が悪いのよおおおお!!』
眼を血走らせ、唾を飛ばしながら激しく叫ぶロージー。
これが…彼女の本性なのか?
僕を気遣っていた彼女は?
僕にいつも甘えていた彼女は?
僕は彼女の何を見ていたのだろう…
さらに、ロージーがフィオーリから暴力を振るわれた事、暴言を吐かれた事などは全て虚偽だと分かった。
時には自らを傷つけ、自作自演をしていたとか。
あの殴られたように赤くした頬も、あの腕の鞭の痕も、自分でつけたと証言した。
働き者だと思っていた姿も僕の前だけだった。
しょっちゅうサボっては、侍女長や執事に注意されていたらしい。
明るく気遣いが出来る働き者のロージーは、僕の関心を引く為だけのものであり、全てが虚像だった。
裁判所の傍聴席で、突き付けられた事実を目の当たりにし、僕はただただ絶望する
ばかりだった……
フィオーリと出会ったのは13の時。
初めての恋
初めての口付け
初めての夜
僕にとってフィオーリは初めての女性だった。
だけど、フィオーリしか知らなかった僕は、妻以外の女性を知り、ロージーに夢中になった。経験したことがなかった快楽に溺れた。
まさかロージーがフィオーリを殺そうとするなんて、思いもしなかった!
だがどれだけ後悔しても、もう…フィオーリと共に生きる事は叶わない……
フィオーリが亡くなり、僕は酒を浴びるように飲む日々を過ごしていた。
そして後日、ロージー達に判決が下された。
主犯のロージーは極刑。
我が国の執行方法は斬首刑だ。
その状況を想像し、胃が重くなる。
共犯者の父親は強制労働付きの懲役刑が、母親は終身刑が言い渡された。
復讐すべき相手はいなくなった。
『ああ……おまえがいたな』
僕は窓ガラスに映る男に向けて拳を振りかざした。
ガッシャーン!!
血だらけになった手で割れたガラスの破片を掴むと、僕は自分の喉を突いた……
この前世の記憶を思い出したのはつい先ほどの事 —————……
そして、こうして回帰したにも関わらず、僕はまた今世でもロージーと関係を持ち、ロージーはまた妻を殺そうとした。
離縁合意書と一緒に同封されていた便箋。
そこにはたった一言…
『もうあなたを愛することはない』
「フィオーリ…っ!!」
彼女からの最後の手紙を、僕は泣きながら握りしめた。
そして、離縁合意書に署名せざるを得なかった……
◇
後日、今世でのロージーたちへの判決が言い渡された。
ロージーは終身刑。
送還先は離島にあるゲヘナ監獄。
世界で三本の指に入る危険な監獄と言われている。
きっと死ぬよりひどい目に遭うことだろう。
彼女の父親は禁固刑、母親は厳格な修道院へと送られ、死ぬまで解放される事はない。
前世同様、今世でも罪を犯した者たちは法の裁きを受けた。
そして愛人が逮捕された事で、僕を見る世間の目は厳しかった。
実は主犯は僕で、邪魔な正妻を消すために言葉巧みに愛人を利用したのではないか…と吹聴する者がいた。
さらに我が家が経営していた商会は、仕事先から次々と契約解除の申し込みがあった。フィオーリへの巨額な慰謝料も支払わなければならない。
この先、オルウェル伯爵家を保てるのか……不安しかなかった。
けど、それも自身が背負わなければならない贖罪……
前世と違ったのは、フィオーリは殺されなかった事、僕とフィオーリが離縁した事、そして……フィオーリが義兄と婚約した事だ。
フィオーリと義兄が実の兄妹ではない事は、事前に彼女から聞いていた。
遠縁の養子で、4親等以上離れているから法律的にこの婚姻に問題ない。
前々から、僕は義兄の気持ちに気が付いていた。
フィオーリを見る時の愛おし気な瞳。
僕を見る時の激しい嫉妬の瞳。
けれどあの時、フィオーリが選んだのは僕。
どこかで優越感に浸った事を覚えている。
「なのに僕は…っ!」
なぜもっと早くに思い出せなかった!
ロージーと関係を持つ前なら、決して同じ轍は踏まなかった!
けど、僕はまたロージーを愛人にしてしまった…
きっと何度時を戻ろうと、僕は愚かな決断しかしないという神からの啓示なのだろうか?
「そうだ……僕はすでに一度罪を犯している。フィオーリを裏切り、彼女を死なせてしまったという大きな罪…。たとえ過去に戻っても、その咎が消える事は永遠にない…」
だから君と別れた苦しみも、君が他の男のものになった心の痛みも、抱き続けるしかないのだ。
この先もずっと、自分の犯した罪と向き合うために……
「フィオーリ…」
愛しい君
僕がいない世界で、どうか幸せになって―――…
【終】