第5話 ある女の野心(side:ロージー)
「ロージー、別れてくれ」
「え!?」
「婚約が決まったんだ」
「こ、婚約って……わ、私は? あなた、私とつきあっていたんじゃないの?! 愛してるって言ったじゃない!」
「…僕は伯爵令息だよ? いくらでも条件のいい貴族令嬢との縁談が舞い込むんだ。わざわざ貧乏男爵令嬢と婚約する利益がどこにあるんだい?」
バシ!!!
「クソ男! 絶対許さない!!」
「許さない? 何それ。僕を訴えるつもり? いいよ、できるもんならやってみなよ。弁護士費用って高いんだぜ。貧乏男爵家にその費用が出せるならね」
「!!」
「口も性格も悪かったけど、顔と身体は良かったよ。その身体なら、金になるんじゃないか? はははは!」
「……っ!」
悔しい! 悔しい悔しい悔しい!!
また捨てられた!!
『好きだよ』
『愛してる』
心地よい言葉を囁き、プレゼントを与え、身体を求める。
けれど選ばれるのは私じゃない!
学院にいた時は、いろいろな男が私に言い寄って来た。
けれど、男たちが結婚相手に選んだのは私ではなかった。
下位貴族で、大して広くもない領地を守る男爵家。
どうにか生活はできるけれど、余裕はない。
たまに持参金がなくてもよい…と結婚の打診はあるけど、ほとんどが後妻か曰くつきの独身令息。
私より不器量にも関わらず、同級生たちは次々と良縁に恵まれて行った。
「まだおひとり身なの? 独身を謳歌するのもよろしいですけど、時期を逃すと嫁き遅れますわよ。あ、もう手遅れですわね。ほほほ」
学院を卒業後、街中でご主人と思われる男性と歩いていた元同級生に出くわした。
そしてその彼女が、久しぶりに会った私に言った言葉。
学生時代も仲は良くなかった。
彼女の好きな男が私に言い寄っていたからだ。
大した顔でもスタイルでもなく、子爵令嬢という身分だけが取り柄の女が!
そんな彼女にイラ立ちながら、ふと視線を感じた。
彼女の横に立っている夫だった。
目が合うと、慌てて視線を逸らす。
「…素敵な旦那様ですわね」
そういいながら、私は彼女の夫に愛想を振りまいた。
男は顔を赤らめながら、私の笑みに見惚れる。
「…!! は、早く行きましょう!」
それに気が付いた彼女が、急いでご主人を引っ張って行った。
「ぷっ 何、あれ!」
そうよ。
私は男が見惚れるような女なのよ。
淡いピンク色の髪、金色の瞳、透き通るような肌、ふっくらとした唇。
容姿はそこらへんの平凡な令嬢に引けを取らないわ。
この顔と身体で、あの女の夫よりいい男を虜にしてみせる!
そうしてオルウェル伯爵家で出会った旦那様 ———…
旦那様と奥様に紹介された時に、私に目が釘付けとなっていた旦那様。
今までの男たちと同じだ…と思った。
働き者で明るい侍女を演じれば、好感を持たれる。
涙を流し、弱さを見せれば庇護欲を掻き立てられる。
彼が私に惹かれているのは、すぐに分かった。
夫は、妻の言葉より私の言葉を信用し、二人の仲には不協和音が生じ始めた。
おしどり夫婦が聞いて呆れる。
(そろそろ…かしら)
自分で左腕に鞭の痕を付け、旦那様が執務室から出る頃合いを見計らって廻廊で待っていた。涙を流し、瞳を揺らしながら旦那様に近づく。
旦那様は避けなかった。
そっと唇を重ね、互いを味わう。
――――堕ちた――――
執務室で、私の身体を貪るように抱いた旦那様。
私は旦那様の愛人となり、仕事を辞めた。
用意された家は実家とは比べ物にならないくらい立派なお屋敷だった。
美しい庭園。
煌びやかな装飾品。
豪華なドレスや宝飾の数々。
旦那様は私が望むものを全て与えてくれた。
けど、私が欲しい物はこの程度の物じゃない。
最初は愛人でも構わないわ。
いずれ私が伯爵夫人になるのだから!
芽生えた野心はとめどなく膨らみ続ける。
けれどある日、彼はベッドの中で言った。
「正妻は妻だ。僕は当主として彼女と跡継ぎを作る義務がある。分かってくれるね? けれど、僕の大切な女性は君だよ」
「……ええ……」
彼は妙なところで当主としての矜持を持っていた。
面倒臭い男。
それに……“可愛い“ “大切だ“
旦那様からそんな言葉を腐るほど聞かされたが、“愛している”と言われた事はただの一度もなかった。
……それは、正妻がいるからよ。
いなくなれば、私を妻に迎えてくれるんでしょ?
だから、正妻《あの女》を殺す事にした。
正妻は簡単に私の呼び出しに応じた。
だけど私と旦那様の関係を伝えても、大した反応はなかったわ。
ふん、強がっているのね。
ほどなく薬が効いて、その場に倒れた正妻《女》を、父と母が運び出し、干潮時の岩場へと放置した。
これで私は伯爵夫人になれる!
……そのはずだったのに!!
「捕らえろ!一人も逃すな!」
岩場の影から次々と警邏隊が現れた。
「な、なによこれ! なんなのよおおおおおおお!!!」