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去り際

作者: 雉白書屋

 とある病院のベッドの上にいる男。彼はまさに今、息を引き取ろうとしていた。しかし、さほど恐怖を感じておらず、人生に後悔も抱いていない。その理由は……。


「あなた……」

「父さん……」

「お義父さん」

「おじーちゃん……」


 薄目を開けて見渡すと、自分のそばに家族の姿があった。彼は思う。まさしく大往生。良き人生だった、と。しかし……。


「ん?」


「あ、どうも」


「え、誰だ……?」


 彼は家族の間に見知らぬ男がいることに気づいた。その男はニッコリと微笑み、言った。


「お疲れ様です」


「いや、あんたは……?」


「私は悪魔です」


「悪魔……悪魔!? いや、何を言って……ん? みんなどうして動かないんだ? それに……」


「ええ、そうです。満足に話せる体力もないあなたがこうして会話できるようにしているのも私です。もっとも、この会話は誰にも聞こえませんがね。ご覧のとおり、今は時間を止めていますので」


「そ、そうか。悪魔というのは本当らしいな……。しかし、なんで悪魔がここに……あ、そうか。寿命を伸ばしてやる代わりに、死後に魂をよこせと言うつもりなんだろう? あいにくだったな。おれは人生をやり切ったんだ。今さら死など怖くはないよ」


「いえ、すでに魂をいただく約束をしていますよ。このたびは、そのために伺ったのです」


「は……? 何を言っているんだ? 悪魔と契約した覚えはないぞ」


「本当に覚えていませんか? 二十代の頃、電車の中でのことです」


「…………いや、考えてみたが、本当になんのことかさっぱりだ。人違いじゃないか?」


「あなた、電車の中で急にお腹が痛くなったことがありますよね?」


「え、そりゃまあ、人生に一度や二度そういうことは……」


「ウンコを漏らしそうになり、『ああ、神様どうかどうか、次の駅まで、神様……』と神に祈ったでしょう?」


「あー……あったような」


「それから『なんで、聞いてくれねえんだよ、クソクソクソの神様よぉ。ああ、駄目だ、クソなんて言ってたらホントもう駄目だ。そっちが呼ばれて出てきそうだ』と」


「あー、あったあった! ははは、いやぁ、あのときは冷汗がすごかったなぁ。まだ通勤に慣れてない頃で、緊張もあったんだろうな。うん、懐かしいなぁ……」


「それで『ああもう、紙様、いや神様、いや、悪魔でもいいから助けて』と」


「え、まさかそれで!?」


「はい。私がそっと『お助けしましょうか?』とお声がけすると、あなたは『ああ』とおっしゃいました」


「いや、いやいやいやいや、そんな声を聞いた覚えはないぞ」 


「まあ、蚊の羽音以下の囁きでしたからね」


「ずるいじゃないか。『ああ』というのも返事じゃなくて嘆きだろう」


「でも、漏らさずに済みましたよね?」


「んー、ああ、そういえばそうだ。てっきり峠を越えて治ったのかと思ったが」


「では、確認作業は完了ということで、そろそろ魂のほうを……」


「いや、あんた、暴利だぞ。ウンコ一つで魂を持っていくなんて」


「しかし、私の力がなければ、あなたはあの場で確実に漏らしていましたよ。そして、その後の人生も大きく変わっていました。漏らした場合、あなたはその日、会社を無断欠勤しただけでなく、心を病み、外出することに恐怖を感じるようになり、実家に出戻りすることになっていました」


「おいおい、そんなこと……いや、まあ確かにあり得なくもないか。あの頃は入社したばかりで、いろいろと不安を感じていたからなぁ。しかし、うーん……」


「私が助けたことで、あなたは会社に間に合い、その日の仕事を上司に褒められ、自信がついたあなたは仕事帰りにいつも寄る喫茶店で、当時気になっていた女性の店員に自分から話しかけ、そして後に彼女と結婚することになったのです。そう、あなたの奥さんとね」


「あっ、そうか、確かにあの日だったな……。しかし、まさかウンコ一つで、人生にそこまで影響が……」


「ウンコエフェクトですね」


「は?」


「それはいいとして、そのときに息子さんの魂も頂く約束をしています」


「息子のも!?」


「あと孫も」


「孫のも!?」


「はい、私がそっと『息子さんの魂もいただけますかぁ?』と訊くと、あなたは『頼むからこの腹の中の悪魔をどうにかしてくれぇぇ』と」


「まさか、それを本物の悪魔に頼んでいたとは……」


「それで、私が『お孫さんのもいただいちゃっていいっすか?』と訊くと、あなたは『おおお、もういいいい、頼むぅぅぅ』と」


「何を調子に乗ってくれているんだ。これ、いけんじゃね? じゃないよ。いや、それにしてもあんたひどいぞ。こっちは極限状態だったじゃないか。人の心はないのか?」


「まあ、悪魔ですから」


「ああ、まあ……」


「でも、それであなたの運命は大きく変わったので、さほどひどい契約ではないと思いますよ」


「まあ、あんたの言うことが本当なら確かに……」


「はい、あのとき、あなたは人生の岐路に立っていたのです。クソ漏らし引きこもり無職野郎になるか、円満家庭大往生翁になるかのね」


「えええ、それなら、まあ仕方ないのか……いや、しかし息子たちは驚くだろうな……」


「お前たちはウンコで生まれ、ウンコで終わるのだと、そう伝えてはどうでしょうか。最期の言葉に」


「いろいろと最悪じゃないか」


「さ、お分かりいただけたなら、こちらの書類にサインしていただき、契約完了ということで」


「ああ……ん、サインか。もし、それにサインをしなければどうなるんだ?」


「それは困りますね……契約内容に関して嘘は言えないので申し上げますが、元の状態に戻すことになりますね」


「と、いうことは……」


「ええ、それでどうするんです? そろそろ時間ですよ」


「……ふっ、魂は渡さんよ。本当はあんたも思っているんだろ? この契約は不当だとな」


「そうですか……では」


 悪魔はそう言い、舌打ちするとフッと姿を消した。そして……。


「ん、父さん? なに? ほら、みんな、父さんが何か言いたそうにしてるよ!」

「なんです、お義父さん?」

「ええ、なに? あなた。聞かせて」

「おじーちゃん! ん? なんか臭い……」


「臭聞を遺し旅立ち、足跡に……されど魂、自由なりけり…………」

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