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妖シリーズ

【コミカライズ】先読み神子の嫁入り〜嫌われ巫女は妖狐に望まれる〜

作者: 関谷 れい

とある長閑な漁師町。


朝まで働く漁師達は眠りにつき、昼はひっそりと落ち着き払った装いのこの町は、何故か今日に限って昼間であっても大層な賑わいを見せていた。


旅路の途中で何度かこの漁師町の宿を利用した旅人が、宿屋の主人に尋ねる。


「今日は随分と町全体が賑わっているようだね、祭りでもあるんかい?」

「いや、祭りという訳ではないんだが……この町の巫女様が、華族様に見初められて嫁ぐってんで、町をあげてのお祝いモードなんさ」

「ほほう、そりゃ目出度いね」


こんな田舎にある漁師町から華族へ嫁ぐなんて、玉の輿もいいところだ。

  

宿屋の主人は深く頷いた。


「我々の誇りさ、キッカ様は」

「しかし、そのキッカ様とやらは何でその華族様へ嫁入りすることになったんだい?」


男の旅はまだまだ続く。

これから先の町で知り合った人達への土産話として、興味深々で尋ねた。


「花魁も顔負けの器量良しとかかい?」

「はっはっは!確かにキッカ様はそんじょそこらの町娘じゃ太刀打ち出来ねぇほどの美人だが、それよりも価値のあるモノをお持ちなんだ」


旅人は首を傾げる。

「なんだ、金持ち同士の結婚か?」


そうであれば、単なる政略結婚だ。

土産話にもならんなと旅人が一気に興味を失いそうになった時、宿屋の主人はニヤリと笑った。


「違ぇよ。キッカ様は吉を占える巫女……『先読みの巫女』の片割れなんさ」

「……吉を占える巫女?」

旅人は再び、身を乗り出した。



***



宿屋の主人の話を要約するとこうだ。


漁業を主な生業とする者で成り立っているこの町を支えるのは、とある神社の占いである。

その神社では、占術で栄えた家系である藤島家が代々神職を担っていた。


今その神社を支えているのは、双子の姉妹である。


吉相を占い、明るい未来を予知する姉のキッカ。

凶相を占い、不幸な未来を予知する妹のキョウカ。



「わしは台帳の都合で読み書き出来るが、二人の名前は吉花と凶花なんだと聞いたことがある」

「成る程」



双子の性格も極端に陰陽で分かれており、村人達は社交的で明るい姉をとても敬い慕っていた。


「いやぁ、妹の方は長い前髪でこう……目を隠しててさ、人と話す時も下を向いて。とにかく陰気なんだわ」

「はぁ」



藤島家が敬わられるといっても、今まではゲン担ぎのようなものだった。気休めともいう。

しかし、海の男は事故に合いやすい為、漁師達も家族も藤島家を代々大事にしてきた。


ところが、この双子が占うようになってから、よりその傾向が強くなった。

というのも……。



「百発百中なわけよ。わかる?絶対に当たる占いな訳」

「そんな馬鹿な」

旅人は笑ったが、宿屋の主人は至って真面目な様相を崩さない。


「……本当かい?」

「おうともよ。ありゃ占いを通り越して予言だと皆言っとる」



占いの能力を開花したのは、キョウカが先だったという。

初めて占ったのが、九年前に起きた双子の両親の事故。

神社の横繋がりで、ある日両親は数日かけて街へ出向かなくてはならなかった。

九歳の双子を連れて行こうかどうか悩んだが、子供達が行っても暇をするだけだと考えた両親は二人を禰宜や権禰宜達に任せて二人だけで出発したという。



「キッカ様はずっと、占術の能力や巫女に憧れておったらしい。世話人達が忙しくしている間に、占いの間という、当時入室禁止にされとった部屋に妹と一緒に入ったらしいんだな」


こっそりその部屋に入ったキョウカは初め普通にしていたらしいが、急にバタンと倒れた。

キッカが慌てて世話人達を呼びに行き、直ぐに戻って来たのだが、その時キョウカの予知……占いの言の葉が紡がれたらしい。


曰く、『両親は帰りの道中で事故によって命を落とす』と。


そして、それは現実のものとなった。


神社を采配するにはまだ小さな双子であるから、神社の運営や行事は禰宜の中から後継者が選ばれた。

そして双子はそれ以来独学で占術を学び、各々能力を磨いて現在に至るのである。



「兎に角、二人の占いは小さなものから大きなものまで当たる。それこそ、天災から赤子の性別までな。以来、先読みの巫女とわが町では呼ばれている訳さ。華族様は何処かでキッカ様の噂を聞きつけたらしく、この度の結婚に至る訳だな」

「へぇ。……あれ?じゃあ、妹のキョウカ様の方はどうなるんだい?町に残るんかい?」

「やぁ、それがな。キッカ様はお優しいから、新居にはキョウカ様も連れて行くと仰られたらしい」

「ほぅ。しかしそれじゃ、この町としちゃ逆に迷惑な話なんじゃないかい?ずっと占術でこの町を支えていた藤島家の跡継ぎがいなくなる訳だろう?」


旅人が不思議そうに尋ねると、宿屋の主人は眉間に皺を寄せた。


「いや、キッカ様ならまだしも……あの薄気味悪いキョウカ様に残られてもなぁ……?町長とその華族の者が話し合いをしたらしいのだが、一年に一度はキッカ様を里帰りさせること、キッカ様のお子が何人か出来たら、そのうちの一人をいずれはこの町の神社を継がせることなんかを盟約したそうだよ」

「ふむ、成る程。……どれ、噂のキッカ様とやらの姿を一目見て、ご利益を頂いてくるとしようかねぇ」

「ああ、我が町の誇り、先読みの巫女様を是非一緒に祝福してきて下せぇ」

その旅人はお勘定を済ませると、宿屋の主人に神社の場所を聞き、そちらに向かって寄り道をした。



***



「キッカ様!キッカ様!お元気で!!」

「また戻って来て下さい、キッカ様!」

町の人々は、キッカが乗っていると思わしき馬車に手を振り、祝いの花弁を宙に舞わせていた。


少し濃いめの化粧を施した巫女が、馬車の中から優雅に手を振る。


「おうおう、確かにこりゃ凄い人気だねぇ」

旅人は人混みより少し離れた高台からその様子を眺めていた。

「……ん?妹は何処だ?」

馬車にはキッカ一人が美しい花嫁衣装を身に纏って乗車しており、他に人影は見当たらない。


町民は誰もキョウカの行方など気にしない中、旅人はその姿を探した。

「……もしかして、あれか?」

キッカの後ろを、二台の荷馬車が追い掛けるようにゆっくりゆっくりゴトゴトと進んでいる。


花嫁道具を運んでいるようだが、薄汚れた和装の女性もその隅で居心地悪そうに乗っていた。

俯くその手の中には何かの動物の毛皮を大事そうに抱えているようだ。


「……何か面白い話が聞けそうだな」

旅人は、町民への別れの挨拶の為に徒歩より遅く進む荷馬車を追い掛けた。



──歩むより遅く進む荷馬車にするりと近付く。

「どうかこれで、私も途中まで乗せてくれませんかね」

旅人がお金をチラつかせて頼むと、御者は荷台をチラリと見てからお金を素早く受け取った。

「……巫女様に見つかったら下りろよ。俺は何も知らん」


ようは、旅人がこっそり荷馬車に乗り込んだように振る舞えということだ。

金は欲しいが、巫女の嫁入り道具を運ぶ馬車に赤の他人を乗せたら怒られるという理解はしているらしい。


「悪いね、迷惑は掛けねぇようにすんからよ」

旅人はそう言って、荷台に乗り込む。

予測通り、道の凸凹は直接お尻や腰に響き、乗り心地なんぞ良い訳がなかった。


「お邪魔するよ」

旅人はそう言って対面に座っている女を盗み見る。

「は、はい」

キョウカと思わしき女はおどおどとして俯き、自分を落ち着けるような仕草で手を動かし膝元の毛皮を撫でた。


毛皮の一部がピクリと動いたのを目にした旅人は、じっとその生き物を眺める。

「……おや、お狐さんかい?」

女の手の中に収まっていたのは毛皮……ではなく本物の狐だったようで、旅人をチラリと一目すると興味を失ったように元のポーズに戻り、女の膝の上に顎を乗せた。


「その狐、随分懐いてるなぁ。飼ってるんかい?」

何か飼っている人間は愛玩動物の話を振られると口を開きやすい。

旅人は話題の糸口を容易に見つけたつもりで声を掛けたが、女は俯いたまま首を横に振る。


「あ、違ったんか、そりゃ失礼」

「……」

女は黙り、俯いた顔を上げようともしない。

旅人が新たな会話の糸口を探していると、ようやくその女が口を開いた。


「友達、なのです。偶に会いに来てくれるのです」

「そうなんか。最後に挨拶が出来て良かったねぇ」

「……そう、ですね」

再び沈黙。


「それにしても、狐がそんなに綺麗な金色の瞳だとは知らなかったなぁ」

「……え?」

初めて、キョウカが旅人をじっと見る気配がした。

とは言っても視線を感じるだけで、その長い前髪に隠れて瞳は見えない。


「……綺麗、ですか?不吉なのではなく?」

「不吉?何を言ってるんだい、キョウカさんは」

「あ、その……」

キョウカはもじもじと再び俯く。

その様子を見ていた旅人は優しい口調で話し出した。



「今回、お姉さんは目出度い話だったなぁ。キョウカさんはお姉さんが嫁いだ先に行って、どうするんだい?」

「私は……お姉様の手伝いが出来ればそれで……」

人と話すことは苦手そうなキョウカだったが、他人を無視する訳ではなく、拙いながらも心を通わせようと努力しているところが見て取れた。

「キョウカさん、お姉さんが乗ってる馬車に刻まれた家紋は、新華族の雲上(うんじょう)家の紋だろう?」

「……はい、そう聞いております」

「雲上家はね、モトを辿れば君達藤島家と同じく神職から派生した家門で、狐を祀っているんだよ」

「そうなのですか?」

キョウカは再び顔を上げ、興味深げに旅人の話に耳を傾ける。


「ああ。だから、雲上家で狐を不吉だなんて言ったらキョウカさんが怒られちまうから、気を付けな」

「いえ、その……私が不吉だと言ったのは、この狐のことではなく……」

「ん?」

旅人の優しい眼差しに勇気付けられたように、キョウカは自分の前髪を掻き分けた。



旅人は目を見張る。

キョウカは狐と同じく、日本人の茶色い瞳とは程遠い、金色の美しい瞳で旅人を不安気に見ていたのである。



「……こりゃあ、おったまげた」


旅人の呟きに肩をびくりと揺らし、キョウカはパッと手を離すと俯く。

その様子に、旅人は慌てて言葉を続けた。


「こんな美しい金色の瞳だなんて、キョウカさんは相当な能力の持ち主という訳だな」

「……?能力の持ち主とは……?私は不吉で無能だと、ずっと言われております」


旅人の賛辞に、キョウカは訝しげに尋ねる。


「いや、まさか」


旅人は肩を竦めると、「いいかい、これはかなり貴重な情報なんだが、キョウカさんだけに教えてあげよう」と前置きし、これからキッカが嫁ぐ予定の雲上家についての情報を話し出した。



***



雲上家は、日本全国に散らばる狐を祀る神社の大元だと言われているが、その祖先は妖狐だったとすら言われている。


「雲上家では金色の瞳に産まれた者が一番妖狐の力を継いだと言われ、時代を捉えて家門を繁栄させると言われてるんさ」

「まぁ……」


自分と同じ色彩でありながら同じ境遇でなくて良かった、とキョウカは微笑んだ。

また一方で、同じ色であるのに落ちこぼれの自分を恥ずかしく思い、申し訳なくなる。


「君達はどうなんだい?キッカさんは吉相が、キョウカさんは凶相が読めると聞いたが」

「……私の力はお姉様の力には遠く及ばず、人の不幸しか占えない私はむしろ人を呪いにかけるようなものなのです……」

キョウカは肩を落としてポツリと答えた。


「キッカさんの力の方が強いとは、どういう意味なんだい?」


キョウカは事情を説明した。

その話に、旅人も狐もじっと耳を傾ける。


キョウカによれば、力を発現したのは九歳の時、姉と一緒に「占いの間」に入った時だった。ここまでは宿屋の主人の説明と同じである。


占いの間には、十歳になるまで入ってはならないと言われたが、二人はもうすぐ十歳になることを理由に、子供の好奇心を擽るその部屋に入ったのだ。


占いの間に入った時、姉が「お父様もお母様も、お土産を沢山買って来て下さるかしら?」と聞いてきたところまでの記憶はあるのだが、キョウカにそれ以降の記憶はない。


気付けば自室に寝かされており、誰の気配もしない屋敷内を歩けば、姉のキッカが憤怒の形相をして廊下の向こうから駆け寄って来ると思いきり頬を叩かれたのだ。


「最初は何が起こったのかはわかりませんでした。けれども、両親は私の占い通り、帰りの道で土砂崩れに巻き込まれて本当に亡くなってしまったのです」

ポタポタ、と涙を流すキョウカの頬を、狐は首をあげて慰めるかのように甜める。


「ふむ。それじゃあ、キョウカさんは占った時のことは覚えてないのかい?」

旅人の問いに、キョウカは頷く。

「はい、覚えてはおりません。ただ、姉が占う時は気絶するようなことはございませんし、きちんと自分の言葉で占いの結果を町の方々へ話すことが出来ます。私は落ちこぼれなので、占いの内容は姉に聞いて貰うしかないのです」

「ちょっと待った待った」

「……はい?」


旅人は、少し考える。


「じゃあ、今までキョウカさんが占った内容は、誰かが伝言してたってことかい?」

「はい。必ず姉が付き添って下さいます」

「他の者は?」

「……占いの部屋は、藤島の者しか入れないことになっております」


双子ですらも、十歳まではその部屋に入ってはいけないと言われて育ってきたのだ。


「姉は、占いの間でなくとも占えるのです。私は必ず占いの間でないと占えません。それに加えて占えるのは凶相のみなので、誰も私に占って欲しいなどと思わないのです」


不自由はないものの両親は金色の瞳を持つキョウカを極力人前に出さないようにしてきたし、その両親が死んでからは姉の指示通り人をこれ以上不快にさせないよう、前にも増して隠れるようにしてキョウカは生きてきた。


「いやぁ、それはどうかなぁ」

旅人は慰める為にキョウカの方に手を伸ばしたが、狐が威嚇をしたので素早く引っ込める。


「……それはどうか、とは……?」

「さっきも言ったが、藤島家は雲上家の分家であるから、金色の瞳は保護されるべき特別な色の筈なんだが。……占える数も、キッカさんの方が多いのかな?」

旅人が尋ねると、キョウカは当然とばかりに頷いた。


「私が占えるのは、一日十件が限度です。そのうち八件は吉相も占えるようにとお姉様が試して下さるのですが、やはりお姉様のようには当たらないみたいで……」

キョウカがそう答えたところで、狐はふわふわの尻尾をびたん!と床に叩き付けた。


「キッカさんは占いの間が必要なくとも、キョウカさんは必要なんだよね?雲上家に行ったらどうするんだい?」

「姉が私の為に、占いの間を用意するよう申し出て下さるそうです。私はそこに住まわせて頂けるということなのですが……」

そう言いながら、何故か気分があまり良くないらしい狐の背中をそっと撫でる。


「……ここの町の人やお姉様に迷惑を掛けるくらいなら、いっそのこと何処か遠くへ行った方がいいのではないか、と思うのです」

それを聞いた狐が、ボワっと毛を逆立てた。

キョウカは驚いて、「どうしたの?」と狐の顔を覗き込んでいる。


「雲上家に行けばキョウカさんもどうしたらいいかわかるだろうさ、きっと」

旅人はにっこり笑った。


ありがとうございます、とキョウカは返事をしながら、それでも心に染み付いた罪悪感(・・・)は拭えなかった。



***



キッカには元々、許嫁がいた。

元々禰宜で、次の宮司となる若者である。


しかし、つい一週間程前にキョウカがした占いにより、二人の婚約は破棄されることとなった。


『……先読みの神子を雲上家に嫁がさなければ、この町は破滅の道へ向かうだろう』

そう、占いの結果が出たからだ。


そして同日、タイミングよく雲上家からも文が届いた。

内容は同じく、『先読みの神子を雲上家に嫁がせるように』というものだった。


「雲上家……ご両親が最後にお会いになられた家門ですね。確か今は、新華族の一門です」

姉の許嫁はその文を見ながら言う。

「雲上家は最近代替わりして、我々と同年代のかなりやり手の容姿端麗な者が後を継いだ筈です」


それを聞いたキッカは、すくっとその場に立ちあがる。その場にいた神社の関係者の視線が集まった。


「……この神社は、皆様にお任せします。雲上家へは、私が参りますわ」

「キッカ!」

「キッカ様!?」

キッカは目元に袖を当て、俯きながら続ける。

「キョウカはあの通り、呪われた子だもの。万が一キョウカを嫁がせれば、きっとこの町に不幸が起きる。それをわかっていて、キョウカを嫁がせる訳にはいかないわ」

「キッカ……」


キッカの許嫁は、「君が犠牲になるなんて……!」と嘆いてキッカをきつく抱き締めた。


「……この町から離れたくはありませんが、妹と町の皆の為、そしてこの神社の為にも、私が嫁ぎたいと思います!」

キッカは声高に宣言して、許嫁との婚約は白紙に戻ったのである。


──私が愛し合う二人を引き裂いてしまった、とキョウカが目に涙を浮かべた時、荷馬車がゴトン、と物凄い衝撃をあげながら停止した。


あたりはもう暗くなっており、宿屋に着いたようだ。


「おっと、見つかる前に降りるとするかな。ではキョウカさん、また明日な」

「え?あっ……」

キョウカが色々世間話をしてくれたお礼を言う前に、その旅人は颯爽と荷馬車から降りて姿を消した。


また明日ということは、また荷馬車に乗り込む予定なのだろう。

一人でいるよりずっと気が紛れて、町の人達のように嫌な顔ひとつされない。

キョウカは明日が少し楽しみになった。


「ちょっとキョウカ、早く荷物運んで頂戴?」

「すみません、お姉様」

キッカに急かされ、立ち上がったキョウカの膝の上から狐が降りる。


「やだキョウカ、またそんな獣連れて来て……汚らしいから同じ宿は使わないて頂戴?」

「はい、お姉様」

「私は宿屋でお夕飯頂くから、貴女はこれで何か食べなさい」

「ありがとうございます」

チャリンと足元に投げられたお金を、キョウカは大事に拾って頭を下げた。


お団子一串なら買えるかもしれない……と思ってから、自分に着いてきてしまった狐の存在を思い出す。


正確な狐の住処はわからないが、縄張りからはとっくに離れてしまった筈だ。

荷台から何度下ろそうとしても頑なに下りようとしなかったので好きにさせたのだが、連れて来てしまった手前、狐が再び山に戻るまではきちんと世話をしなければ、とキョウカは考えていた。


狐がお団子を食べるのは喉に引っ掛かって危ないかもしれない、何なら興味を示すだろう?


キョウカがキッカの部屋に荷物を運び終えると、頃合いを見計らったかのように狐がテクテク街道を歩き出した。


「あっ……!狐さん……!」

山に入っていくところまでは見届けようと狐の後を追い掛けると、狐は他の宿屋の前で立ち止まる。

「……ここに泊りたいの?でもごめんね、私は自由に出来るお金がなくて……」

キョウカが謝った時、宿屋の扉がガラガラと音を立てて開いた。


「お、キョウカさん。今日はここにお泊りかい?」

先程どこかへ消えた旅人である。

「あ、旅人さん。違うのです、その、私はあまり持ち合わせがなくて……」

旅籠ではなく、木賃宿に泊まる予定だと恥ずかしながら伝えれば、旅人は目を輝かせて提案した。


「じゃあ、キョウカさん。私がこの旅籠に泊まる代金を払うから、代わりにキョウカさんの話を……藤島家の話を色々聞かせて貰えないかい?」

「え……っ?」

キョウカは驚くとともに、少しの警戒心が沸く。

もしや、人攫いなどではないだろうか?


「ああごめんよ、私はこういう者なんだ」

旅人は小さな四角い紙をキョウカに手渡す。

旅人の名前と、何やら仰々しいお役目が記載されており、キョウカは目を丸くした。

「兼盛さま……?」

「これは名刺と言ってね、自己紹介に使う紙なんだ」

「そうなんですね。すみません、無知で……」

「いいや。私は単にお役目として全国各地を巡り、巡った先で様々な話を収集する仕事についているだけだから警戒しなくてもいいと言いたかっただけだよ」

「はい」

漸くキョウカは笑顔を見せる。

「さぁ、そうと決まれば一緒に夕餉を頂こうじゃないか」


キョウカが旅人を止めるより早く、旅人はさっさと宿屋の主人を掴まえて何やら話している。

「……仕方ないねぇ。今回だけだよ」

「はいはい」

旅人が上手く主人を言い包めたらしく、キョウカに向かって手招きをした。

「すみません、私はこの子がいるので……」

キョウカが足元に視線を落とすとそこには既に狐の姿はない。


慌てて探そうとするキョウカを兼盛は呼び止める。

「きっと、キョウカさんをこの宿に泊めさせたかったんだよ。明日になったらふらっと現れるかもしれないし、そうでなければ山へ帰ったのかもしれないさ」

「はい……」


野生動物は野生であるべきだ。

キョウカは山で元気に過ごしてくれればそれに越したことはないと思い直し、兼盛と一緒に宿屋の敷居を跨いだ。



***



「へぇ、キョウカさん達はもうすぐで十八なのか」

「はい」

キョウカははにかみながら、美味しいご馳走を少しずつ丁寧に箸で摘んで口に運ぶ。

「そいや、キョウカさんは文字が読めるんだね?」

先程名刺を手にしたキョウカが、問題なく読み上げていたことを思い出して兼盛は尋ねた。

「はい。文字に関しては、早いうちから両親が教えてくれました」

「そうなんだ。……キョウカさんの名前は、どんな字なんだい?」

「こう書きます」

「……成る程ねぇ」


梗華。


「じゃあ、キッカさんの字はこうだ」

「はい、そうです」


桔華。


「母が産気づいた時、桔梗の花が沢山咲いていたそうです」

「ふーん。そりゃ生まれたての赤ん坊に、親が不吉な名前を付けるわけがないわな」

「え?」

「いや、なんでもないよ、こっちの話さ。それにしても、余り箸が進んでないようだが……口に合わなかったのかい?」

兼盛は梗華に笑顔で尋ねた。


「すみません、違うんです。こんなご馳走頂ける機会なんてないので、勿体なくて……」

そう言われて兼盛は視線を食事に移す。

なんてことない、多少豪華な盛り付け方をした普通の食事だ。


「そうかい、ならいいんだ、ゆっくり食べな」

「はい」

梗華は嬉しそうに、ひとつひとつ噛みしめるようにしながら箸を進める。


凶相しか占えない凶花、金色の瞳をした不吉な娘、姉に比べて能力の劣る妹。

「……いちいち悪意を感じるんだよなぁ」

兼盛はボソリと呟いた。



***



「雲上家のお屋敷はもう少しです」

御者にそう言われて、桔華は胸をときめかせる。

田舎の漁師町とは違って、街に入るとハイカラでお洒落な服を着た若者達で溢れていた。

街は活気があり、同じ大通りと言われてもその様相は全く異なる。


この街一番の金持ちの嫁になるのだ、と桔華は笑いが止まらなかった。


両親が死んでからというもの、運は全て自分に味方した。

両親が何を考えて妹をあまり人目につかないようにしたのかはつい最近までわからなかったが、今になってわかるようになった。

金色の瞳を持つ妹の話を雲上家にすれば、雲上家がなぜだか知らないけれど嫁に欲しがることを両親は知っていたからだ。

だから、異性の目に触れないように妹を大事に守っていたのだし、また金色の瞳ということで人々から奇異の目で見られることを避けていた。


両親は、自分と梗華を平等に扱った。

しかし、何となく妹の方を気にしていることはわかった。


単に金色の瞳が珍しいだけの、愚鈍で人の悪意にも気付かない妹が、全てにおいて秀でている自分よりも後継ぎ候補として扱われることは我慢ならなかった。



──だから、両親はバチが当たったのだ。

自分より、妹を気にしたから。


初めて自分達が占いの間に入った時、まさか梗華が占ったなどとわからないまま、禰宜に伝えてしまったことだけは未だに悔やまれる。

自分が占ったことにすれば、梗華の全てを奪えたのに。


梗華は、自分が占った内容を知らないのだ。

だから、吉相を占わせた結果は私の能力だということにした。

馬鹿な妹と漁師町の連中は、桔華が占いの間に入らずとも占え、そして倒れずとも占えると信じ込んでいる。


聞けば、雲上家にも占いの間はあるという。

これからはその間に梗華を閉じ込め、自分の生んだ世継ぎに代替えするまで、精々頑張って貰えばいいのだ。



「到着致しました」

「ええ」


馬車から降りると、立派な門の前で使用人と思わしき者達がズラリと並んでいる。

この者達が皆これから自分に尽くすのだと思えば、当主の顔が多少不細工でも許せる気がした。


「あ、すみません。ありがとうございます」

荷馬車の方を見れば、鈍臭い妹が荷物を運び出す使用人達に頭を下げていた。


荷馬車に乗せたからもっと窶れるかと思ったが、存外に元気なようだ。

町を出て笑顔を見せる余裕すらあるようだが、そんなものまた、いくらでも歪ませてみせる。

簡単なことだ、周りの人間を全て私の味方にして共通の鬱憤晴らしの対象を用意すればいいだけなのだから。


「遠いところお疲れでしょうが、当主様がお待ちです」

「ええ、わかったわ」

桔華が案内人の後をついて行こうとすると、「あちらです」と梗華まで案内を受けている。


「花嫁は私です。ごめんなさい、妹には荷物運びをさせておいて下さらない?」

「当主様から桔華様、梗華様、どちらもお連れするようにと仰せつかっております」

双子の名前まで把握されているのでは、どうしようもない。


今ここで抵抗して余計な反感や疑惑を持たれても面倒だと考えた桔華は、梗華の横に来ると耳元で囁いた。

「お前は余計なことを言わずに、黙っていなさい」

「はい」

変わらない従順な妹の様子に満足して頷き、桔華は自分こそが主役であると信じて疑わずに真っ直ぐで広い廊下をしずしずと進んだ。



***



案内人は部屋の外に待機し、部屋には三人だけ。

室内は純和風で、屏風や障子、そして畳自体とても高価なものだと一目でわかる。

藤島の家の、占いの間を思い出させる作りだ。


「──やぁ、待っていました、私の花嫁」

「只今参上致しました、桔華と申します」

時代錯誤も甚だしく、雲上家の当主は御簾の向こう側で座っていた。


桔華は、眉目秀麗という噂は眉唾ものだったかもしれないと、顔を伏せながら眉を潜める。


「──梗華さん、顔を見せて下さい」

「えっ……」

梗華が後ろで固まったのがわかった。

顔を見せている妹に対して「見せろ」というのは、前髪を退かせと言っているのだ。

「失礼ながら、申し上げます。妹の瞳はこの世のものならざるもので、不吉なのです」

「ほう?というと?」

当主の気を惹くことに成功し、桔華は内心ニンマリとする。


「人とは到底思えぬ、悪魔の色……金色の瞳をしております」

恐怖に畏怖、疑念に懸念を植え付けるように身体と声を震わせ、桔華はそう訴えた。


「ふむ。では、この私をどう思う?」

当主の身体が動いて、御簾をさらりと持ち上げた。

桔華はその美しい容姿を目にして一度頬を染め……それに気付いて、青褪める。


「私も悪魔ということかな?」

「も、申し訳ありませんっ!決して!そんなつもりでは……!!」


なんてことだ、と桔華は焦燥感に駆られた。

まさか、日本で梗華以外にも金色の瞳を持つ者がいたなんて。

どう挽回しよう、と頭を回転させたが、相手はそんな余裕を与えてはくれない。


「悪魔に嫁ぐのは嫌であろう?」

「い、いいえっ……!その、私が嫁がなければ、凶相を避けることが出来なくなってしまう為……!」

出だしは失敗したが、まだまだ挽回は出来る。

占いを気にして、町の為に尽くす巫女という路線であれば、問題はない。


「ああ、そうだったな。『……先読みの神子を雲上家に嫁がさなければ、この町は破滅の道へ向かうだろう』だったか。占ったのは、梗華さんでしたよね」

当主は梗華に話を振る。

当主の興味が妹に移ったことを察した桔華は、美しい自分の顔をパッと顔を上げ、じっと熱い視線を送った。


「妹はまだ巫女としては未熟ですが、凶相のみ必ず当たるのです」

「是非二人の実力を見たいものだな」

当主にそう言われ、桔華はニコリと微笑む。

「はい、是非──」

二人で占いの間に籠もってしまえば、問題はない。

その間に先程の失言に対してどう言い訳をするか、好感度を上げるにはどうしたらいいか考えるだけだ。


「では桔華さん、どうぞ三日後に行われる競売において、どれが一番富を呼ぶか占って下さい」

「え……っ?いえ、占いの間をお借りしないと……!」

当主に促され、桔華は慌てる。


しかし、当主はにっこり笑って言った。

「おかしいな。お前はどこにいても占えると噂を聞いたのだが……しかし、心配ない。ここが占いの間だ。貴女方のいるところに普段は要人が座り、占いを求めに来る」

「……っ!!その、藤島家では伴侶や家族しかその占いを授かる場にいてはならない掟がございまして……」


先程、占いの間に似ていると感じたのは間違いではなかった、と桔華は冷や汗をかきながら、どうにか逃げ道を探りながら言った。

この掟は本当の話で、母が占う時は父しか入室を許されなかったし、他人を部屋に入れないよう幼い頃から躾けられていたのだ。


「ああ、そうだな。では、桔華さんはこれから伴侶となる私の前でも占えないと言うのか」

「いえ、そういう訳では……申し訳ありません、本日は旅の疲れが溜まっておりまして、この状況で占いをしても正確性に欠けるかと思います。後日改めて、占っておきますので」

歯を食いしばりながら、そう口にする。

仕方ない、一旦この場を離れて、後でこっそり妹に占わせるしかない。


「伴侶の前で占えず、鬼だと思っている相手のところになど嫁いでこなければいいと思うぞ?」

「そうは申しましても、占いが……」

「先読みの神子は他にいるではないか。ねぇ、梗華さん?」


急に話を振られ、梗華は身体をびくりと揺らした。


姉から話すことを禁じられているし、振り返った姉が般若の如く睨んでくる。

当主様に失礼があってはならないと思いながらも、姉の機嫌を損ねることもしたくなくて、どうしたら良いのかわからない──俯いた梗華の耳に、当主の声が入り込んだ。


「梗華さん。『どうぞ三日後に行われる競売について、どれが一番富を呼ぶか占って下さい』」


バタリ。

「梗華!」


当主の声を聞いた梗華が、その場に崩れ落ちる。

「当主様、梗華は、梗華は凶相しか……!!」

「『……競売では、十三番が吉を呼ぶ』」

「そうですか。試してみましょう」

「〜〜っっ!!」

桔華は青褪めた。

試されてしまえば、吉相の占いも当たるとバレてしまう。


「では次……『漁業で着手した方が良い技術を占って下さい』」

「『網具の大型化と強度化……冷凍技術……』」

「成る程、つまり遠方への漁業がこれからさかんになるという訳ですか」


当主は満足そうに頷く。

梗華は気を失ったままだが、普段のように辛そうな素振りはみせなかった。

当主はスヤスヤと寝たような状態の梗華に近付くと、その軽い身体をひょいと持ち上げる。



「……その、当主様……」

「それにしても、梗華さんに神が降りる時間が早すぎるな。これでは精神を蝕む。余程過酷な占いを強要されたと見なされるが……桔華さん、覚えはあるか?」


金色の瞳にじっと見つめられ、桔華に寒気が走った。

「い、いいえ……その、本人が、吉相を占う練習がしたいと言うので付き合いはしましたが……」

「成る程。占いの能力がほぼないお前にはわからないかもしれないが、我々にとって占いは神を身体に降ろして未来を予知するようなものだ。だから身体への負担は大きく、必ず一日三回までと決まっている」

桔華はひゅ、と息を呑む。


バレている、と本能的に悟った。

どんなに言葉を重ねても、塗り固めた嘘がポロポロと剥がれ落ちるだけで、目の前の男は騙されてはくれそうにない。

「も、申し訳ありませんでした……!」

桔華が額づいて謝罪をすれば、当主がふと空気を和らげた。

「……さて、お前にはふたつの選択肢を与えよう。ひとつはあの漁師町に戻り、実家を守り立てていくか。もうひとつは、我が家から奉公として公家華族に仕えるか」

「公家華族、ですか……?」

桔華は頭を下げたまま口角を上げる。

「そうだ」


華族の財力を見せつけられて、今更漁師町に戻るなど有り得ない。

何より、梗華が花嫁として選ばれたなんて、桔華のプライドが許さなかった。


「是非、奉公させて下さい」


人に仕えるなんて嫌だが、それも公家華族に近付く手段と考えればまだ許せる。

そうだ、新華族なんかよりも遥かに公家華族の方が血筋が良いではないか。

あわよくば、雲上家にも指図することの出来る立場かもしれないのだ。


必要最低限の荷物しか持たせれなかったが、結果として機嫌よく桔華は雲上家の屋敷を後にした。


「……ああ、あそこは愛妻家で奥方に何かすれば物理的にクビを切られると……伝え忘れてしまったな」

まぁ、雲上家の名前を背負って奉公に出るのだから問題ないだろう、と続けて当主は嗤った。



***



目が覚めると、世界が変わっていた。

花嫁として選ばれたと聞いた時はとても戸惑い辞退を申し出たが、凶相の占いについて言われれば受け入れるしかなかった。


「これから末永くよろしくお願いします、梗華さん」

雲上瀧人うんじょうたきひとと名乗った当主は、自分と同じ金色の瞳を細めて梗華を見る。


容姿端麗で、ひたすら優しくて、どこか懐かしい気配のするその人に、梗華は直ぐに惹かれているのに気付いた。

雲上家の人々も、梗華を敬いこそすれ、虐げるようなことは決してしない。


「瀧人様。……本当に、私で良いのでしょうか?」

梗華が本当は吉凶どちらも占うことが出来ると、瀧人に教えて貰った。お姉さんは勘違いをしていたんだよ、と言われて、ホッとする。


その姉は、新華族はやはり嫌だと雲上家を出て行ったらしい。

姉が自由にしているところを見るのが好きだったから、出て行った先で姉らしく人生を謳歌してくれれば良いと、梗華は心から思った。


「雲上家の人間として言うならば、君の占いの力を人間に託すのは、危険過ぎるのです。君は人間よりも神に近しい存在だから、私の元で保護されるべきだと思います」

瀧人の話は突拍子もなく思えて、梗華は目を瞬かせた。

──人間よりも神に近い?私が?


「そしてこれは雲上家には関係なく、瀧人として言うのですが、初めて会った時から君が好きです。ですから、私の花嫁になってくれませんか?」

瀧人の言葉は梗華の胸にスッと入り込み、目に涙が浮かんだ。


「嬉しい、です。私なんかでよければ……是非、お願い致します」

そう言ってポロポロ涙を流す梗華の頬に手を添え顔を近付けると、瀧人はそっと口吻を落とした。



***



「瀧人、藤島家にお前の嫁が生まれたぞ」

「……私のお嫁さんですか?」

瀧人が五才の時だった。分家である藤島家に、金色の瞳をした女子が生まれたという知らせが届いた。


分家に金色の瞳の子供が生まれたならば、雲上家で保護する。それはしきたりであり、掟であった。

金色の瞳は珍しく、そして力に溢れているので、力のある家門が護らなければ危ないのだ。


「私のように、妖狐になれるのでしょうか?」

「どうだろうな?なれてもなれなくても、大事にするんだぞ」

「はい」


ある日、雲上家のお使いで藤島家の住む町の近くまで来ていた瀧人は、自分の嫁になる相手が気になりこっそりと狐の姿で会いに行った。


「きゃああああ!!汚らしい獣っ!誰か始末して!!」

小さな女の子が悲鳴を上げ、茶碗やら箸やらを投げつけてくる。

雲上家では有り得ないことで、瀧人は人生初めての仕打ちに驚いて逃げ惑っていた。

「お姉様、私がなんとか致しますから他の部屋へお逃げ下さい」


そんな瀧人に手を差し伸べたのが、瀧人の許嫁である梗華だった。

その女の子にそっくりの、金色の瞳をした女の子を見て瀧人の心は落ち着いていく。


桔華が場を離れて二人きりになると、梗華はふわりと笑って座り込んだ。

瀧人と目線の高さを合わせると、相手を驚かせないようにそろそろと小さな手を伸ばす。


「……ごめんね、怖かったよね。山に逃がしてあげるから、どうか信じて頂戴」

瀧人は梗華の両手に擦り寄り、匂いを付ける為に身体を擦り付けた。

可愛くて、優しくて、慈悲深い。

以来、瀧人は何度か人目につかないように梗華に会いに行った。


「私の小さなお友達」

そう言って、梗華は瀧人と屋敷の中でも奥まった小さな庭で一緒に遊んだ。

一度双子の両親には見つかったが、何も言わずにそっとしておいてくれた。

瀧人は、老若男女関わらず、動植物にも優しい梗華に会う度、彼女を気に入りのめり込んでいく自分を自覚していた。

同じ金色の瞳をした唯一の存在が、愛しくて堪らなかった。


雲上家に来た双子の両親が瀧人と面会を果たすと、いずれ梗華を雲上家に引き渡すのは仕方ないが、どうか十八までは藤島家で育てさせてくれないかと懇願してきた。

近頃から結婚適齢期が少し遅くなっていたため瀧人は頷いたが、妖狐らしい独占欲は既に膨れ上がっていた。


両親が亡くなったのと同時に梗華を迎え入れようとしたが、瀧人の従兄弟が後継者争いをする姿勢を見せて、逆に藤島家にいた方がまだ安全という状況に陥った為に、あの時頷いて良かったと瀧人は安堵した。


対立派閥を全て排除しつつ、漸く十八になる梗華を迎える時が来て、待ちきれない瀧人は可愛い花嫁に一足早く会いに行く。


「キッカ様が花嫁に……」

「不吉な妹も一緒に着いて行く……」

「キッカ様の足手まといにならなければいいが……」


漁師町に入ると、町民達の不穏な噂ばかりを耳にし、瀧人は首を捻った。



──あの失礼極まりない我儘な姉も何処かに嫁ぐのか?しかし、梗華が着いて行くとはどういう意味だ?



こちらからは『先読みの神子を雲上家に嫁がせるように』という文を送ったのだから、当然梗華が嫁いでくる筈で、姉は全く関与しないものだと瀧人は思い込んでいた。


しかし、出会った頃の溌剌さを失くして痩せ細り、桔華の使用人であるかのような扱いを受ける梗華を見て、瀧人は驚愕する。


状況を理解する為に、梗華の傍でじっと情報を収集した。

両親が亡くなったのは双子が九歳の時で、どうやら雲上家のことや藤島家と雲上家の関係すら知らないまま育ったらしい。


桔華は妹も町民も上手く欺いて梗華の能力を自分の物だと偽り、金と身分欲しさに雲上家へ嫁ぐつもりのようだった。


一方、差別を受け荷馬車に揺られても文句ひとつ言わない梗華は、すっかり自己肯定感の低い女性に育っていた。



***



「好きです、梗華」

「……わ、私も好きです……」

自己肯定感の低い梗華を、瀧人は念入りに甘やかす。


沢山の愛の言葉を、プレゼントを、慈しみの態度を惜しみなく与えて、耐性のない梗華はまんまと蟻地獄に嵌った蟻のように、瀧人に溺愛という枷で雁字搦めにされていた。


それでも、瀧人が梗華に問えば、こう占うのだ。

「梗華さん、『貴女は一年後も私の隣で幸せですか?』」

「『はい、私は一生、瀧人さんの隣で幸せに笑っています』」



──とある宿場町。

兼盛は、宿屋の主人に多めの金銭を渡しながら尋ねた。

「何か面白い話は仕入れてないかい?」

「いや、特には……ああそうそう、最近公家華族に奉公に来ていた娘がとんでもない事件を起こして、見るも無惨な姿になっちまったなぁ。折角の別嬪さんだったのに」

「ああ、あそこの当主は奥方にしか優しさを持ち合わせてないからな。よし、その話を買わせておくれ」


宿屋の主人はニヤリと笑う。

「悪いが、この話は金では売れねぇな。我々忍びの末裔は、やはり一番値打のあるもんは情報なんさ」

勿体ぶる主人を前に、兼盛は頭をポリポリと掻いた。


「仕方がねぇなぁ。じゃあ私がつい最近立ち寄った漁師町の話なんだが。先読みの神子と呼ばれる美しい女性がいてね、その嫁入りの話なんだが──」

「目出度い話かい?」


兼盛は笑顔で頷いたのだった。










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― 新着の感想 ―
[気になる点] 公家華族の家に奉公に出されていた桔華が見るも無惨な姿になったとか、一体どんな目に遭ったんでしょうね?(´・ω・`) 気になります。 [一言] 兼盛さんの方が雲上家の若当主様お忍びの姿だ…
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