第7話 “人形少女、いもうとになる” ★挿絵/写真あり
ピンポーン。
その日はそんなチャイムの音で始まったわ。
昨夜からオーナーは、とてもそわそわしていたの。
ええ、そう。今日は私のお姉ちゃん……になる子が来る日なの。
ドールの間では当たり前みたい、オーナーの”設定”で在り方が変わっていくことは。吸血鬼のお姫様っていう”設定”になった、ブランちゃんもそうだったわね。私もちゃんと、オーナーの願う”設定”を受け入れなくちゃ。
来る子がいい子だと良いな……お姉ちゃんか、どんな感じなんだろう。
今日の私は初めてお迎えしてもらった時と同じ、”砂糖菓子の少女”のドレス。
私の場所、いえこれからは”私達”の場所になるのかしら? 撮影スペースのソファーに腰かけて、待っているわ。
お首の所に布がかけられて、見えないようになっているのはドールボディ。着付けは済ませてあって、私のドレスと同じディーラーさんが制作した”薔薇園のドレス”を着ているわ。
うっすらとオレンジがかった薔薇の描かれた生地が緩やかなカーブを描き、白いレース飾りのスカートラインが前面に覗くバッスルドレス。胸元には丁寧なピンタックが、アンダーバストラインには巻き薔薇が、あしらわれているの。腰元にはリボン飾りが可愛らしさを強調していて、ゆったりと広がった袖がゆらゆらと揺らめき、幻想的。頭飾りのドレスと同じ生地で作られた大きなリボンは、彩るべきドールの子を待っているわ。
私がオーナーの元に来た日と同じなのかしら。
オーナーの肩幅くらいの白い箱。素敵な模様が入った、お洒落な透明ガムテープをすーっとカッターで切り開くの。中には柔らかなピンク色の紙がぎゅぎゅって詰まっていて、その中心にさらに小さな、オーナーの手くらいの大きさの箱。蓋には見せてもらったオークションでのこの子の写真が、ハートのシールで飾られて張ってあったわ。
ああ、私もカスタマーさんの所でとってもらった写真。女子高生風スタイルだった頃の私がこうしてオーナーの目に触れて、そして今もどこかにしまわれているのかしら。最後に見たのはアメリカ旅行に連れて行っていただいたときね。
今の私は、オーナー好みになれているのかな。
「いよいよご対面です」
そっと開かれる小さな黄色い箱の蓋。白手袋に包まれたオーナーの手が、優しく中から取り上げるドールヘッド。
右手を顎の下に添えて、じっと見つめる視線。まだ眠っているのかしら、赤い瞳の彼女からは何もお声は聞こえないわ。
お隣に用意してあったウィッグを、かぶせてあげているオーナー。丁寧にウィッグスプレーを使いながら梳かれた白い髪。
私のウィッグをアレンジしてもらった美容院で、こめかみから後頭部へ2本の三つ編みを結わえた髪型を、作ってもらってあるの。
「さあ、紗雪、いよいよご対面です。お互いに仲良くできそうだとよいのですが」
そうして綺麗におめかしされた新しい子のヘッドが、いよいよボディの元に。
「お名前は、”綾霞”。紗雪の”紗”にちなんで綾絹をイメージしつつ、奥ゆかしく、上品で美しい。優美でゆとりある、紗雪のお姉さんとして共に在り、互いに引き立てあえるようにと願い。そして”霞”もやはり紗雪の”雪”とも重ねて、冬の後に到来する春、雪と共に歩む先を優しく包み込む。そんな想いを込めて名付けさせてもらいました。どう、でしょうか」
紅いベルベット地の肘掛け椅子に腰かける綾霞さん。
右隣、背もたれに軽く寄りかかるように隣に立つ私。そっと彼女の手を右手に乗せ、見つめあう。
藍緑色の私の眼差しと、赤い彼女の眼差しが交差する。
“はじめまして、紗雪。すこし、不思議な感覚ね”
“は、初めまして、綾霞さん”
“もう、紗雪ったら、そんな他人行儀な。お姉ちゃん、でしょう?”
すごく穏やかな、優しい声音でやんわり注意する綾霞さん……ううん、
“あ、綾霞……姉ぇ?”
綾霞姉ぇ。動かないはずの表情が、ぴったりと閉じたお口が、穏やかな笑みを浮かべた気がするの。まるで、オーナーみたいなすごく優しい笑顔。でも何かしら、それだけじゃない何かを感じるような……。
“ふふ、良い子ね。これからよろしくね紗雪。それで、こちらの紳士がオーナー、なのよね”
“うん、紗雪の大切な、大切な、オーナーだよ。”
自信たっぷりに。オーナーの一番だけは譲らないんだから、なんて、ちょっと強気な気持ちも込めて宣言しちゃった。
当のオーナーは私たちの初めての邂逅をしっかり写真に残そうと、撮影機材のセッティングをしているわ。
“ふぅん、まあいいわ。それよりも、紗雪の好きな事を教えて?”
“え、わたし? オーナーじゃなくて?”
“もちろん。私は紗雪のお姉ちゃんなのだから。紗雪のことは何でも知っていなくっちゃ”
“ん~、たくさんおめかしして、オーナーに可愛いねって言ってもらうのが、好き。髪をじっくりオーナーに梳いてもらうのが、好き。オーナーにじっくり、どっちもしてもらえる、撮影が大好き。オーナーの、行ってきますは、寂しくなるからちょっと嫌い。でも、ただいまって言ってもらえるから、やっぱり好き。オーナーに添い寝するのは、私だけに見せてくれる姿が見られるから、好き”
“あらあら、本当にオーナーの事が大好きね、紗雪は。ん~……仕方がないわね、ここまでオーナー一色だと彼を介して好きになってもらうのが一番かしら”
綾霞姉ぇの言葉、後ろの方が小声でよく聞き取れなかったわ。でも、うん、そうなのよ。私はオーナーが大好き。オーナーと一緒にできることはみんな大好き。ほら、こうしてそっと抱き上げてくれるオーナーが。
“て、あら? ポージングを変えるのかしら”
いつもの黒い背景布がかけられた撮影スペースには、ムートンのふわふわ敷物が敷かれているわ。ふわふわ、ぽかぽか、気持ちいいの♪
そうして私を横たえてから、今度は綾霞姉ぇもそっと抱き上げて、私のお隣に。
わかったわ! 2人で仲良しを撮影したいのね。
“あら、あらあら、オーナーさん分かっているじゃない! そう、そうよ。女の子同士の絡みをしっかり。うふふふ、うぇへへ”
“綾霞姉ぇ? なんだか、笑いが怖いのだけれど”
ぎゅって、2人で仲良く抱きしめあうポーズになった途端、ちょっと不気味な笑いが綾霞姉ぇから! なになに、どうしたの? あんなにやさしそうだった綾霞姉ぇがちょっと怖い。
2人同時になるとポージングも難しくなるみたい。肘の力で、綾霞姉ぇがしっかりと私を抱きしめられるように、調整。動いちゃった私の腕を綾霞姉ぇの腰に回して、ぎゅ~。お首の角度を二人の頬が寄るように直して、髪の毛を整えて。すごく忙しそう。
「2人とも最高です、素晴らしいです」
でも、大変そうというより心の底から幸せそうに、ちょっとはしゃいだオーナー、可愛い。
“あぁ、紗雪のつやつやの髪が私の腕に中でふんわりとする感触。ドレスに包まれた、ほっそりとした肢体。オーナーさん、もうちょっと上、お胸のあたりに手が沿うように、違うわそうじゃないの。もう、惜しいところで、まったく。あ、でもこうすると紗雪のプリッとした可愛いお口が目の前に。あぁ、うっすらと開いたお口が艶めかしい!”
“あの、綾霞姉ぇ?”
“こほん。なにかしら? 紗雪。ほらオーナーさんがシャッタを切ろうとしているわ、意識をカメラに向けなきゃ”
“う、うん。そうだよね”
そう言いながら、綾霞姉ぇの視線はじーっと私の唇から逸らされていないような……。
ん、今度は綾霞姉ぇが寝ころんだところに私が、頬をすり寄せるように抱き着くのね。
て、オーナー? オーナーまでなんだかちょっと積極的というか。
「あぁ、大きさの違いが無ければ、私も紗雪とこうして抱きしめあって……」
き、聞いてはいけない言葉を聞いた気がするのだわ!?
“うふ、やっぱりこのオーナーさんとは意外と気が合いそうかもしれないわね。そう、そうよ、私があなただと思って。もっと、もっと紗雪と、百合の花咲き乱れるあんなことやそんなことを!“
綾霞姉ぇ、ついに小声じゃなくなってる! え、え。綾霞姉ぇそういうのがお好きなの!? 女の子と同士?
そしてオーナーもそれを見て興奮して……る?
まさかの百合姉妹”設定”をお望みなの!? だ、だめよ。私はオーナー一筋なの。綾霞姉ぇとだなんて。
あ、あ、お顔が近いよぅ。ちゅーしちゃいそうだよう。私の初めてのチューはオーナーじゃなきゃダメなのにぃ。
“ま、ままぁ。このまま清らかな接吻ね? いいわよ、そっと息を止めて、さぁ”
“オーナー、だめぇ!”
よかった、直前で止まってくれたわ。オーナーもちょっと暴走気味な気がして、危ういわ!?
「いけない……これはちょっと、イケナイ世界の扉が開かれそうな。ほどほど、ほどほどにせねば。いやしかし、せっかくの姉妹仲良し。仲良し? むしろこれは禁断の……むぅ」
盛大に悩んでるぅ! お~な~。しっかりしてぇ、いつものクールな貴方に戻って!
こんなことで貴方に声が届かないのを悔やむことになるだなんて、思いもしなかったわ。
“ええ、いいのよ、そのまま欲望のおもむくまま突き進みなさい。さあ、私と紗雪のもっと『仲良し』を堪能させなさ…堪能しなさい”
私の味方はど~こ~。
この日、私はお姉ちゃんができました。
そしてオーナーが、新しい趣味? 性癖? の扉を開いてしまいました……。
綾霞姉ぇは、もともとそういうのが好きだったのか、オーナーの興奮で”設定”が歪んだのか、とにかく私の事が大好きすぎるお姉ちゃんになってしまいました。
これからどうなっちゃうの?
綾霞姉ぇが来てくれて、一人っきりのお留守番も寂しくなくなったわ。いえ、オーナーがいないのは寂しいのだけれど、そんなことを忘れるくらいいろいろな事を2人でお話しできるの。”がーるずとーく”っていうのかしら? 綾霞姉ぇは私の好きな事、嬉しいことにとっても興味津々で、すごくたくさん質問されるの。好きな下着の種類とかまで聞かれるのは、流石に恥ずかしすぎると思うのよ?
“紗雪、オーナーを悩殺したいならもっと大胆に攻めなきゃ。自分で動けなくてもきっと心から思う事は伝わるわ。そしてオーナーが、望む姿に貴女を育ててくれるように願うの。待っているだけじゃダメよ、おとなしい貴女っていう一つの枠に押し込められてしまうわ。大人しやかで可愛い。それだけではだめ。もっと大体に、私だけを見て! って迫るくらいじゃなきゃ”
“うぅ。私にそんなのできるかな。”
“できるかじゃないの、信じるのよ。きっと思いは伝わるって、思い込むの。私も紗雪ともっとイチャイチャできるように、ってオーナーにいつも念を送っているわ!”
えぇぇ……でも、綾霞姉ぇのいう事は本当なのかも。だって、オーナーったらすっかり私たちの、姉妹というには仲が良すぎるお写真の撮影が増えて行っているのだもの。
例えばね? お迎えの翌週末、早速本格的におうち撮影会が開催された時の事。
灰銀色の髪に白いドレスを身にまとった私、純白の髪に黒いドレスに身を包む綾霞姉ぇ。
私より白いお肌に黒が生える綾霞姉ぇは胸元が大胆に見えるハートカット。リボンが首元とドレスを結んでいてちょっとだけ退廃的な雰囲気。ウェストでキュッとしまって、ピンタックにレースが挟み込まれた透け感のあるスカートはひざ下丈でふんわり広がっているの。黒いショールを肩にかけている姿がすごく大人っぽくて妖艶。
反対に私はストレートラインの胸元を飾るお花のカットレース。長袖に、全身をゆったりと包むロング丈の清楚なドレス。純白の生地の上にレースが重ねられていてとってもロマンチック。首元にはブドウの房をイメージしたシルバーのネックレス。
2人並ぶとコントラストが際立って、一層美しさを引き立てあうみたい。
初めは普通に仲良し撮影だったのだけれど、だんだんちょっときわどいところに綾霞姉ぇのおててが添えられたり、ちょっと肩がずり落ちた私をそっと抱きしめられたり。
なんだか私まで変な気分になってきてしまうの。
けれどね、その時に気が付いてしまったの。いつも遠慮がちだったオーナーが、ほんのちょっと私に対して大胆になってくれている事に。
いつもは優しく柔らかに腕をとる貴方の手、興奮に力がこもって、筋が少し硬くなっている。
背をそらす時痛くないようにって、まだまだ大丈夫なのに遠慮がちにちょこっと胸を張るだけだったポージングは、ぐっと腰を突き出して艶やかに。
綺麗にまとまっていた髪が、情欲のまま乱れ、肢体に絡みつく。
静寂の中、徐々に熱を帯びる貴方の吐息。集れるストロボの光は徐々に間隔が短く、私を移す画角も多彩に。
貴方の昂ぶりが私にも伝搬したように、胸の奥に熱がこもっていく。決して発散することができない高揚感に身体の芯が蕩けてしまいそう。
ああ、オーナー、お願いもっと私を搔き乱して、想いを走らせて。
“うふふ、紗雪。分かったでしょう? 貴方が出来上がっていくと、そのたび、貴方の大切なオーナーも昂っていくの。だからもっと、もっと情熱的に、他の事なんて忘れて。ただ彼を求めて、心を乱して“
綾霞姉ぇの言葉が脳髄にしみこんでくる。
ああ、いいの、いいのね。私は貴方を求めても。私を離さないで。綾霞姉ぇが触れる私の身体、この指が暖かな貴方のそれであったなら。人形の無機的な身体の触れ合いに、妄想の錯覚が交錯する。生身の貴女との交わりを想起する。
不思議な共鳴。
それぞれの高揚がいただきを目指し交じり合い、止まるところは知れず。
ピピー
いつになくたくさんのシャッターが切られ、音を上げたのは刹那の瞬きの連続で、気分の高揚をいや増しに高めていたストロボでした。
「電池切れ、ですか」
名残惜しそうに、光の幕の裏側を見つめるオーナー。
情欲の残滓に燃える瞳は徐々に常の穏やかさを取り戻し。
「紗雪、綾霞、お疲れさまでした。撮影はここまでにしましょう。ちょっと写真のチェックと現像をしてきますね」
いつもなら、”ぴーしー”の隣に私たちを座らせて、その日の写真を一緒にチェックするのに。
今日は服の乱れを簡単に直し、ソファーに座らせると、焦るようにリビングを後にしてしまわれたわ。
“紗雪、その調子よ。もっと、もっと。想いを寄せるの。想いに寄せるの。オーナーの魂と交じり合うくらい。そうすればきっと願いはかなうわ”
“願い”
“ええ、オーナーと共に在りたい。オーナーの傍にいるのは自分でありたい。貴女の願い”
私の願い。私の想い。
いいのかな。届くのかな。
オーナーは人で、私はお人形。彼のためだけのお人形。
でももし、あなたが私のためだけに、私だけを見てくれるなら。
それはきっと幸せな事。
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紗雪のイメージ写真を挿絵に変わり投稿させていただきます
※写真に写っておりますドールは筆者所有のドールを筆者自身が撮影した写真です。転載等なされませぬようお願い申し上げます。