第6話 “人形少女、さみしい”
とっても楽しかったアメリカ旅行から2か月たった11月初旬。あれからずっと、ものすごくお忙しそうで、土日も平日みたいに毎週お仕事に出てしまって、帰宅も午前0時過ぎ。そんな生活が続いていたわ。撮影も週に1回できるか、できないか。それでも、ちゃんと毎日私をお寝間着に着替えさせて、枕元で寝かせてくれるの。”紗雪だけが、私の癒しですよ”なんて仰って。
そんな多忙なオーナーが、今日は少し早く帰ってこられたの。”紗雪、ただいま”っていつものように声をかけてくれたその手には、大きめの紙袋が一つ。何かしら?
「もう数十年、お祝いなどした事もされた事もなかったのですが、実は今日が誕生日というものでして。紗雪は日付をカスタマーさんの元で生まれた日か、お迎えの日かで悩んでいますが、いづれでも6月ですね」
まあ、まぁまぁまぁ! なんて素敵な日なの? オーナーのお誕生日! それは盛大にお祝いしなくっちゃ。
で、でも私、何もしてあげられない……。
お歌を歌ってあげることも、おめでとうって頭をなでなでしてあげることも、ぎゅって抱きしめてあげることも。
あるいは、ほっぺに、ちゅってしてあげたいのだって、オーナーがそのように私を動かしてくれないとできないのだわ。
どうしよう……。
「紗雪がいてくれるので、こんな私でもちょっとお祝いの真似事など、してみてもいいかなと思い立ち。さ、こちらへ来てもらえますか?」
私のために用意してくれたスペース、お気に入りの紅いベルベット生地の張られた椅子から私を抱き上げると、普段は私が乗れないダイニングテーブルへ。小さなハートの飾りに囲まれて、可愛らしいハートのクッションが置かれているわ。
今日の私は白くてふわふわのドレス姿。赤いリボンがハイウェストの切り替えに縫い込まれているのがワンポイント。
胸元にはカットレースで装飾が施されて、肩はスケスケの生地と、無地の生地がストライブにはぎ合わされたパフスリーブ。
手首の関節をしっかりと隠してくれるおリボンの布飾り。
ボンネット、があまりお好きではないみたいなオーナーは、ドレス付属のカチューシャ風にできるリボンを頭に飾ってくれているわ。
うん、お祝いするのにも大丈夫。私ちゃんと可愛い、よね?
「人によっては、お供えみたいと忌避されるようですが、せっかくなら同じケーキをと思いまして」
そしてそして、ちゃんと苺のショートケーキを私の前にも♪ オーナーと同じ大きさのお店のケーキよ。
確かに食べることはできないけれど、オーナーと一緒のケーキだからこそ嬉しいの。ちゃんと一緒にお祝いできているって実感できるもの。それにね? オーナーは知らないけれど、感覚を借りてお味もわかるのよ。
大きな苺に真っ白なクリームが、白いドレスに赤いおリボンとお揃いみたいで嬉しくなっちゃう。
「今紅茶を淹れてきますので、少し待っていてくださいね」
そうしていつものシェルフから、お気に入りの黒い缶に入ったお紅茶を丁寧に淹れるの。
なんと! これもね、ちゃんと私にも淹れてくださったの。それも、しっかり私サイズのティーセットに入れてくださったのよ!
さらにさらに今日は特別、セットのドールサイズなティーポットにはお代わりのお紅茶。
お砂糖入れには甘くて白い、粉砂糖たっぷり。
「有名な人間サイズの陶器メーカーさんが、デザインそのままにミニチュアの食器も作っていましてね。アニバーサリー記念等で売っているのです。先日仕事帰りに買ってきましてね。これから、ティータイムの撮影にも使えますよ」
嬉しい、嬉しいのだわ! これでオーナーのお気に入りのお紅茶を一緒に飲めるのね。
お仕事の最中とか、オーナーはよくお紅茶を淹れているの。さすがにティーカップではなくて、マグカップに入れてこられることが多いけれど。
さあ、用意ができたらお祝いね!
って、あれ、あれれ……?
「では、いただきましょう」
お歌や、蝋燭をふーってしたりは? 私に微笑みかけてくれるのは嬉しいけれど、なんだかそれでは寂しいのよ?
オーナーのお誕生日、華やかにお祝いしなくちゃだめよ。
もう、仕方が無いわね。私が心の中でお歌を歌ってあげる。貴女に聞こえないとわかっていても、いいの。私の気持ちだから。
“ハッピバースデートゥーユー”
灰銀色の髪を揺らして、頭をゆぅらりゆらり、曲に合わせて楽しく揺らして。
とびっきりの笑顔を浮かべているつもりで。
“ハッピバースデー、ディア、ナオ~”
そっとフォークで切り分けたケーキを、お口に運ぶ貴方。いつも頑張っていて偉いねって頭をなでなでしてあげるつもりで。
“ハッピバースデートゥーユー”
お誕生日おめでとう! オーナー♪ これからも2人、幸せでいましょうね。
ああ、やっぱり、ちゅってほっぺに、口づけをしてあげたいわ。
「なんだか、紗雪とこうしていると、本当にお祝いしてくれているように感じます。ありがとう」
うふふ、みたいじゃなくって、本当にお祝いして差し上げているのよ。
なんてもどかしい、でも、なんて幸せな時間なのかしら。貴方のお口に入る甘いケーキのお味が、至福の悦びと相まって私に満ちてくるわ。
そんな幸せから僅か数日後。
それにしても、オーナー、遅いな……。
普段ならリビングの時計が23時を過ぎればそろそろ帰ってくるかな? ってそわそわしだす時間。
ここ最近の多忙を極める貴方でも、0時過ぎには帰ってきてくださっていたわ。
なのに、3時になってもオーナーが帰ってこない。
私が大嫌いな出張っていうのがあって帰れない時は、いつもちゃんと教えてくれるのに。
4時……。5時……。
朝になってもオーナーは帰ってこなかった。
普段ならオーナーがお休みなさいしてくれた後と、日中一人で寂しくてどうしようもない時間は眠って過ごす私。
だけれど、今日ばかりはなんだか嫌な気持ちが押し寄せてくるの。だから眠らずに、じーっと玄関の扉に意識を集中して待ったわ。
扉の外から少し音がするたびに、オーナーが帰ってきたのかしら!? ってそわそわして。でも、玄関扉が開くことは無かったの。
23時……。3時……。
夜になってもやっぱりオーナーが帰ってこない。
4時……。5時……。
また1日が過ぎてしまったわ。
ねぇ、オーナー。何がどうなっているの、私不安で不安でたまらないわ。お願い、早くお声を聴かせて。
“紗雪、ただいま”って。いつもみたいに穏やかなお声で私の耳をくすぐって。
また、朝日が昇った。
オーナーのいない朝なんていらない。あっちへ行って頂戴。
私に眠りはいらないから、いつまでだって待てる。ずっとずっと。
藍緑色の瞳が陽光を照り返しても、オレンジに染まったお日様が私を黄昏色に染めても。
いつもは気にならない、静かな時計のチクタクという音が、すごく癇に障る。
幽体離脱して、オーナーのお傍に行けたならどれだけよかったか。でも、私が自由でいられるのはオーナーが傍にいてくれる時だけ。ただ、ただ、待つしかない。
この動けない人形の身体が忌々しい……!
こんな時でも、涙の一筋も流すことができない、この身が恨めしい!
今すぐあなたの元へ飛んでいきたい!
20時……。
トン、トトン、トン。
音。
玄関扉の外から音がするわ。この2日間で聞いたことがない音。今まで一度も聞いたことがない音。
でも、オーナーの足音とも違う? なぁに、この音は。
ト、ドン。
扉に何かがぶつかった。
嫌、こわい、オーナー助け……だ、だめよ、私がしっかりしなくちゃ、オーナーがいないお家を守るのは私。
私がちゃんとお家を守っていないと、オーナーはきっと帰ってきてくれない。だから、何があっても私はしっかりしなくっちゃ。
でも。
ただのお人形の私に何ができるの? 指一つ自分で動かせない、こんな私に。
カチャカチャ。
音がする、扉から。
ギィ。
ぐっと扉が開く。
ト、トトン。
イヤ、イヤヨ。黒い影が玄関からヨタリ、ヨタリ。
「紗雪」
え……?
「紗雪、ごめんなさい」
おーなー? オーナーのお声!? まさかお化け、幻聴?
ふぅーって、重い溜息が聞こえる。
リビングに、トン、トトン、不思議な、何かが床にぶつかる音を引き連れて。
お出かけ前につけっぱなしにしてくれているリビングの灯りの元へ、入って来たのはオーナーでした。
よかった、よかった! 帰ってきてくれた!
でも、そのお姿はどういう事? いったい何があったというの。
不思議な音の正体は、脇の下に抱えて、歩みを進めるたびに床につく松葉杖の音。
左足を固める白いギプス、包帯で吊った左腕。頭には痛々しい包帯。
いったい何があったというの!?
「客先から戻る途中、地下鉄の階段で転落してしまいまして。いや、お恥ずかしい。腕と足は幸い骨は折れておらず、ねん挫で済みました。ただ、頭を打ってしまい。血も出たので検査入院という事になったのです。連絡もできず一人にしてしまってごめんなさい」
そんなことは良いのよ! それよりご無事なの? 頭って、お人形の命と同じ、人間にとっても大事な場所でしょう?
歩くのもつらそうなのに、私の前まで、トン、トトンって、松葉づえをつきながらいらしてくださる貴方。
「この腕と足なので、しばらくは一緒に眠ったり、お着換えしてあげることができそうにありません。本当に、申し訳ありません。お部屋にお運びするのも、万が一があっては怖いので。体の自由がある程度戻るまで、ここでお休みしてもらえますか。電気はつけっぱなすようにしますので」
もう、もう、そんなこと。どうでもよいのだってば。
それよりもまさか、そんなお身体でお仕事は無いわよね? 治るまでずっとお家にいられるのでしょう?
「では、今日はもうおやすみなさい」
トン、トトン。
ベッドルームへゆっくり向かう貴方。私はただその背中を見守る事しかできなかったの。
意識だけお部屋についていくことも、もちろん考えたわ。でも、オーナーはここで待っていてって言ったの。
だから、貴方が治るまで、ここで待つわ。
帰ってきてくださったのだもの。それくらいなんてことないのよ。
貴方がいない間、たった2日。でも、それだけで私の心は千々に乱れてしまったの。
あと1日でも長く、独りぼっちだったなら。きっと私は私でいられなかった。
気が狂いそうな静寂に、耐えきれなかった。
ああ、私はなんて弱いの。なんて貴方に依存しているの。
でも許して、私はドール、貴方無しではいられない。
ねえ、ちょっと聞いてよ。あんまりなのよ?
あんなお怪我なのに、オーナーは翌朝も、お仕事に出かけて行ったわ。
流石に少し遅め、それでも朝の6時。”正直お休みしたいところではあるのですが、トラブル中のお客様対応でずっと、掛かりっきりでして。流石に抜けるわけにもいかず”
なあに、それ。私が自由に動けたなら、文句を言いに行ってやるのに!
いつもパリッと着こなしているスーツはお召しにならず、シャツにコートを羽織っているだけ。
もうお外は冬なのでしょう? そんな恰好では、お寒いはずよ?
ねえ、どうしてそこまでなさらないといけないの。あんまりよ。
けれど、私がどれだけ憤っても、どれだけ悲しんでも、オーナーの生活は変わらない。変えてあげられない。
私はただのお人形。私はオーナーに愛され、かまってもらわなければ何もしてさしあげられないドール……だから。
慎重だって60㎝しかない、ちっぽけなドール、だから。
そうして1か月が過ぎました。
まだ違和感はあるみたいだけれど、松葉杖も取れて、やっと元気なオーナーが姿を見せてくれたわ。
その間、お声はかけてもらうけれど、お着換えもできなくて。自分では何もできない自分がますます嫌になってしまったの。
「紗雪、一月も一人にしてしまって本当にごめんなさい。食事も外で済ませざるをえませんでしたし、ほとんど会うこともできませんでした。反省です」
どうしてそんなに申し訳なさそうにしてしまうの? 何もしてあげられない私は責められてしかるべきなのに。
「それで、今回の事ではいろいろ考えさせられました。自分の事を満足にこなせなくなるのは、まあ、生涯独身という道を選んだ時点で、覚悟していた事でもあるのです。ですが、紗雪を一人っきりにしてしまう。そしてもし私に万が一などあろうものなら……。そこで」
とっても深刻そうなお顔で私を見つめるオーナー。
なあに? ドキドキしてしまうわ。
「もう一人、家族をお迎えしませんか」
え、え!?
ま、まさか結婚? オーナー、結婚してしまうの? そ、そうなったら私はいらない子!?
うそ、うそよ。
だって今までオーナー、誰かと付き合っている雰囲気も無かったし。
いつの間に……。もしかして、お怪我なさったオーナーを優しく支えてくれた女性がいる、とか?
そんなぁ。
でも、仕方がないのかしら。私では何一つお役に立てなかったのだもの。愛想をつかされても。ううん、そもそもそういう対象として私は見てもられえていないのよ、ね。
「紗雪を生み出してくださったカスタマーさんが、ちょうど同じ原型のヘッドからカスタムした子を出品されていましてね。この子が紗雪の姉妹、う~ん、お姉さんという雰囲気が強くなってしまいそうではあるのですが。かなりお淑やかなお嬢様、紗雪のお姉さまにぴったりな雰囲気で」
……?
私は今何を聞かされているのかしら。
あれ? オーナーが結婚されるから、私が捨てられてしまうというお話のはずよね?
それが、なぁに、私のお姉ちゃん。
さすがに私でも、オーナーがちょっと、何を仰っているのかわからないわ?
「この子なのですが、どうでしょう。初めのうちはお友達がいればと思ったのです。ぬいぐるみや、小さなフェルト人形の子達。もっとこの紗雪の居場所を賑やかに。季節のお花で飾るのはどうか。ですが、それでは対等なお友達とは言えないのではないか。けれど、全然違う子をお迎えするというのは抵抗があり。まして、私としても紗雪が一番愛おしい中、男の子ドールを近づけるのは流石に論外。女の子ドールを増やすにしても、今度は私の愛情が分散してしまうのではと危惧してしまいます。そこで、紗雪のご家族という”設定”であればどうかなと、思い至ったのです。お迎えする子への愛情が紗雪と比べるとどうか、という問題はやはり否めませんが……」
向けられたスマートホンの画面を見つめる私。とってもいろいろ考えてくださったのは、分かるわ。
いろいろと混乱しすぎて頭が追い付かないけれど。
え、ええ。素敵な女性ね。い、いいのではないかしら? お姉さん、うん、お姉さん。
同じカスタマーさんの子という事は確かに姉妹と言えなくもないし?
「今週末がオークションの終了日なので、頑張ってみますね」
少し複雑な気分になりながら、やるぞって、張り切っているオーナーを見守ったの。
お姉さんになる予定の子の落札価格は13万6千円まで上がって、オーナーが、途中何度か諦めようか悩んでいたわ。
そのたびにお隣で見つめる私をみて、”紗雪に家族を、紗雪に家族を”って言いながら応札していたの。
その時にね、私初めて知ったの。私のヘッドの落札価格は3万7千円。
う、うん。お姉ちゃん、私の3倍以上のお値段だよ……。
「カスタマーさんの人気、あっという間に上がってしまっていました。紗雪があの頃にお迎えできていて、本当によかったです」
なんて、心底ほっとしたお顔で私の頭をなでなでしてくださったの。
でもやっぱり、すーっごく、複雑な気分だよぅ。