第4話 “人形少女、いべんとにゆく”
貴方のいない平日は本当につまらないの。
来る日も来る日も、オーナーのことを想いながら、貴方が“行ってきます”したその時のまま、じーっと待ち続ける。
オーナーは私が少しでも寂しくないようにって、窓の見えるリビングに腰かけさせてくれたり、大きなわんわんのぬいぐるみを買ってきて、灯りを付けたままベッドの上で一緒に待たせてくれたわ。
ゴールデンレトリバー? 昔飼っていた犬種だって言ってた。すごく可愛いのだけれど、大きすぎて私が埋もれてしまったら、オーナーはすごく微笑ましそうに、笑っていたわ。よしよしって、私とわんわん、両方の頭を撫でてお仕事に出かけて行ったの。
けれどね、私は不安で不安で、押しつぶされそうなのよ?
もし、このまま戻ってきてくれなかったら。もし、このお部屋ごと私が消えてしまったら。
悪いもしもが、ぐるぐる、ぐるぐる。だから、貴方の”ただいま、紗雪”が聞こえるまで、私は眠るの。
うとうと、うとうと。怖い夢が、悪い想像が、忍び寄ってこないように。
一生懸命意識の瞼をぎゅーって閉じて、待ち続けるの。
「紗雪、ただいま」
そうしたらほら、貴方はすぐに戻ってきてくれる。私の悪い想像なんて吹き飛ばしてくれる。
疲れているはずなのに、スーツをピシリと決めたまま、真っ先に私の所へ顔をみせに来てくれる。
そして私は貴方に届かない声で微笑みかけるのよ、”お帰りなさい、オーナー”って。
「前にお話ししたの、覚えていますか? もうすぐ8月の、大きなメーカー主催ドールイベントがあるのです。入場整理券は今週末の販売なのですが、イベント会場にせっかくなので一緒に行けないかなと、考えています」
ええ、ええ。覚えているわ。でもあの時は危ないから、連れてはいけないかもって。
「いつも平日一人で長時間お待たせしているので、せっかくの祝日のイベントであれば一緒に行きたいなと。ただし、開場直後は大変危ないので、カバンの中から出してあげられるのは午後からになります。それでも、一緒に行きたいですか?」
きっとオーナーの心の裡でも葛藤があるのね。でも、それは迷う事ではないわよ! 私はどんな時でも貴方と一緒にいたいのだから。ほら、連れて行くって決めてくださいな。
「とりあえず、入場整理券販売を勝ち抜かねばなりませんね。ページエラーとの戦いです」
むぅ。残念。まだ迷っていらっしゃるみたい。
でもね、私ももうわかるわ、貴方がこうして迷っているときは、最後に必ず”連れて行く”って心は決まるのよ。
それはそうと、危ないことはしないでね? 戦争はダメよ?
せっかくのお休みの日なのに、オーナーは朝から夕方までずっと”ぴーしー”とにらめっこしていたわ。
私もお隣で見ていたのだけれど、カートっていうのを開こうとすると、真っ白な画面になっちゃうの。
そのたびにオーナーが、頭を抱えていたわ。
やっと
「買えた……長かった」
って、つぶやかれてリビングに私を連れていかれた時には、窓から差し込む日差しはオレンジ色に染まっていたわ。
「あとはこれで、良番が来てくれるとよいのですが……。それによってお買い物の計画も変わりますし」
通販戦争? という激しい戦いを繰り広げたらしいオーナーが途中説明してくれたところによると、入場整理券っていう、誰が先にお買い物ができるか決める券を巡って、争っていたそうなの。無事買えたのだけれど、それが何番なのかは、届くまでわからないのですって。
後日届いたそれは、”ものすごく良い”順番だったそうよ、当日が楽しみね♪ 現金たくさん下ろしておかなくちゃって、少し慌てていたわ。
紗雪です。
今日は楽しみにしていた、”どーるいべんと”の日。
予想通り連れて行ってもらえることになった私。でも、そこには黒くて長いカバンの姿が。
フェイスカバーにお布団サンドイッチの恐怖、再びです。
お出かけはいつもこうです……。ぐにゅにゅ。
連れて行ってもらうためには仕方がないのだけれど、お外の街の様子もオーナーの腕の中で見たいのだわ!
けれども、そうすると、”せけんてい”っていうのにオーナーが殺されちゃうって、私知ってるの。だから、わがままは言えないのだわ。
毎日夜はお寝間着に着替えさせてもらっているので、お出かけ前に今日もドレスを着させてもらいます。
何着もの違うドレスに着せ替えてもらえるので、その日のお洋服がどんなのか、毎日楽しみなの。
白くギャザーの寄った胸元を押し上げる、黒と赤のコントラストが美しいアンダーバストコルセット。
前上がりになったロングトレーンのスカートは、端を豪華なフリルが彩っているわ。
大き目の球が目立つ、ちょっとだけコンプレックスな関節を丁寧に覆い隠してくれる、パフスリーブから手首までのアームカバー。黒のレース刺繍が華やか♪ オーナーは関節も含めてドールの美しさの一部って言ってくれるけれど、やっぱりできれば隠して欲しい、って思ってしまうのは乙女心よね。
大きく広がったスカートの裾は、波打つように脚の前に寄せることもできるみたい。股下からくるぶしにかけて、波うつドレスラインが出来上がって、これも綺麗だわ。チラチラと覗く黒のガーターストッキングがとても艶やかで、オーナーの視線もくぎ付け!
頭飾りのコサージュからは、黒と赤で統一されたドレスの中に蒼の羽飾りがで異彩を放っているの。私のつやつやな灰銀色の髪の中で目を惹きつけること間違いなし。
こんなに素敵な大人のパーティードレスを着させてもらったのだもの、いいわ、ちょっとくらいドールバッグの中でお休みしているのは許してあげる!
なぁに、なんだかとっても騒がしいわ。
すごく高い天井。オーナー、おはよう♪ もう着いたの? いえ、違うわね。先にお買い物を済ませるって言っていたから……。
って、オーナー!? どうしたの、その荷物の量。壁際にしゃがみこんで私をドールバッグから救出する貴方の周り、すごい量の荷物よ? 両手で持ちきれないのではないかしら?
「紗雪、遅くなってごめんなさい。流石10番台、想定以上にお買い物ができてしまいまして。コインロッカーを確保するので、もう少しだけ待っていてください。流石にこの状態では危なくて抱っこしてあげられないので」
え、やぁ。また、ドールバッグのジッパーがジーって、閉められてしまったわ。
くすん。寝ているのもなんだかね。
“なあ、今かわいこちゃんがいなかったか?”
“おう、あのおっさんだろ? ツーテールで可愛かったよな”
“ちらっとしか見えなかったけど、髪型はいけてそうでしたね”
この感じは、ドールの子達ね。男の子達だわ。私の事噂してる!
ちらっと一瞬見えただけのはずなのに、すごく目ざとい。まあ、私の美貌だもの、フェイスカバー越しでも見えちゃうわよね。
“でも、顔が見えなかったからな”
“だなー。期待させといて……ってパターンかもしれないし。あんな大量の荷物抱えて、よたよたしてるおっさんの連れてる子だぜ? 期待外れさ、どうせ”
ちょっとちょっと!? 聞き捨てならないわよ! 何あの失礼な子達、オーナーの事まで。文句言ってやらなきゃ。このピーで、ピピーなピーのピー! 今ならオーナーの背中に揺られているし、幽体離脱で外も見えるのじゃないかしら。
“ん、なんか聞こえたか?”
“さぁなー、人もだけどドールが多すぎて、誰が何言ってるのかちょっと離れたらわからねぇよ”
“それより店番暇ー、モデル暇ー。ちやほやするのは良いけどさ、もう完売してるんだし、いつまで俺ら立ってないといけないわけ?”
“そうか、お前今回が初めてだったな……恐怖はこれからだぞ”
“どういう意味だよ?”
“剥かれるんだ。俺ら。それでな、いじられまくるんだ”
“女子たちにだろ? いいじゃねぇか! 楽しみだぜ!”
“……そう言っていられるのも今の内さ。褌はかされたりな、男同士でキスさせられて写真に残されたり、とにかく遠慮無しにヤラレルンダ、逃げられないんだよ”
“げ……”
ふふん? どうやら女性陣にこの後、いいように弄ばれるみたいね! 良いわよやっちゃって、懲らしめてあげて!
“でもね、それがだんだん気持ちよくなるんだよ”
““……””
あ、なんか一人、目覚めちゃってるのが。まあいいわ、姿を確認する気も失せちゃった。忘れましょ。
お買い物、戦利品っていうらしいわ、を預けたオーナーはすぐに私をドールバッグから救出してくれたわ。
ここでなら、抱っこして歩いてもいいみたい。しっかり左腕に抱きしめて、広い広い会場に繰り出したの。
お家とは比べるのも難しい位広いわ! だって、端っこが見えないのだもの。ビッグサイト? っていうらしいわね。
ディーラーさんっていう、ドール用品を作ってくれる人たちが、机いっぱいに作品を飾って売っているの。
私のドレスを作ってくれたディーラーさんや、私自身を生み出してくれたカスターマーさんも、もしかしたらいるのかな?
横長の机が並ぶ間をゆっくりと歩くオーナーと私。
さっきの失礼な男の子達じゃないけれど、人とドールの声が飛び交いすぎていて、誰が何を言っているのかわからないわね。
でもね、そんな中でもそっと深くて静かな、渋い声で私に語り掛けてくれるオーナーの声だけは聞き逃さないわ。
「紗雪、あちらのアクセサリー等、すごく良さそうに見えるのですがどうですか?」
あのお花のアクセサリーかしら? ドライフラワーで頭飾りや花束を作っていらっしゃるのね。
机の上には宝石箱のように繊細で、色とりどりの花をセンス良くまとめられた髪飾りがたくさん。
ダークな色合いにまとめたのもあれば、白系でまとめられた中に水色のお花がワンポイントになっている作品、パステルカラーのも可愛いわ。
「少しこの子に合わせてみてもいいですか?
なんて、断りを入れて、透明な箱に丁寧に収められた髪飾りを、私の頭の脇に添えてみるオーナー。
「どれもとてもよく似合っていますね。3点ともいただきましょう。それに花束と、花かごも良いですね。
「ネイルハンド。現実ですと仕事の邪魔にならないのかなと、つい別の事が気になってしまう物ですが。ドールの手を飾るなら最高かもしれません。紗雪、見てみましょうね」
今度はたくさんの手、ハンドパーツが並べられているディーラーさん。
きらきらと輝くお星さまがちりばめられたネイル。ピンクにドットや飴玉のデザイン、ポップでキュートなネイル。海の波の音が聞こえてきそうなブルーと白のグラデーションに、貝殻のビーズが可愛いネイル。
綺麗でかわいい、爪を彩る素敵なアイテムがいっぱい。
ハンドパーツの形も様々だから、オーナー、同じネイルで違う形をそろえるべきか、別々の種類でにするか悩んでいるわ。
あ、オーダーもできるって聞いてさらに迷ってる。
「しかし、私にあまりこうしたセンスが無いので、悩みますね」
飾られている中から気に入ったものを数点と、オーダーもしてくれるみたい。
色のサンプルかしら、色とりどりの棒状の何かを見ながら、ディーラーさんと相談しているわ。
「とても良いお買い物ができました。せっかくですから、会場の隅によって、付けてみましょうか」
早速、ネイルハンドに変えてくれるみたい♪ どんなのかな~。
黒と白のモノトーンが交互に配色されたネイル。金のラメでかかる虹、夜空に飛ぶお星さま、きらきら輝くパールカラー。
とってもとってもお洒落だわ♪ それに、いろいろなドレスにも合わせやすそう。
オーナー、いいチョイスよ、ありがとう。えへへ、綺麗なネイルで指先までおしゃれすると、とってもいい気分。
一度知ってしまったら、もう無しではいられないわね。
そうして、オーナー独りで見て回った時には見落としていたり、実施に私に合わせてみたら気に入ったアイテムを購入して回ったの。
後はね、ドールメーカーさんが生み出した、特別なメイクの子達お迎えできるイベントもあったのよ。
ひな壇の上に30人くらいかしら、特別におめかししたドールの子達がいっぱい並んでいるの。皆誇らしげに番号札を付けていてね、手前の箱に“おうぼけん”を、いれるのですって。
あ、メガネのちょっとイケメン風でショートカットの男の子と、ちょい悪でワイルドな男の子、2人のドールが言い争ってるわ。
“ふふ、私の人気が圧倒的ですね”
“何言ってんだ、投票箱を見てみろよ、俺のは2箱目だぜ?”
“ぬ、いつの間に。しかし、言っていられるのも今の内ですよ。それはそうと、どんな方にお迎えされるのでしょうね”
“さあな、スポーツカーでドライブに出かけるような相手ならいいんだがな”
“私は図書室を用意されているような方が”
そうよね、ここの子達は皆、オーナーにお迎えされるのを待っているのだものね。
そっと私の頭をなでなでしながら、並ぶドール達を眺めるオーナー。私の大好きなオーナー。
もしかして気になる子がいたのかしら……。まさか、ね。なんだか胸の奥がチクチクするのよ。
じっくりと一人づつ眺める視線は、うん、女の子ドールにとどまる時間が長いわね?
どんな子が好みなのかな、全然違うタイプだったらどうしよう。
天使風のあの子? 銀髪ストレートヘアに、ヒマティオン風のゆったりとしたドレス。白い翼がまぶしいわ。クールビューティーっていうタイプね。
今度はこっちの子? ほんのりまぁるい、可愛らしいタイプ。茶色に髪をツーテールにして、パンクスタイルの混じったドレスを着ているわ。ちょっとだけ不満そうにも見えるどこか不思議な眼差し。
う、う~ん、どうなのだろう。おとなしめで、理知的な子が好きって思っているのだけれど。すこ~し、隙を見せてあげるようなのもいいのかな。お写真を撮ってくれる時を考えると、意外とちょっぴりえっちなのも、好きよね。でも露骨すぎるのはダメ、ほんのり匂わせたり、エッチなのだけれど隠すべきところは隠して、綺麗な魅せ方、恥ずかしがっているような。そう、そうね、恥じらい。それがきっとオーナーの琴線に触れるのかも。
「やっぱり私には紗雪が一番です」
そう言って、こしょこしょってなでなですると雛壇を後にしたの。もぅ、オーナーったら! 私に惚れ直しちゃったの?
えへへ。私もオーナーが一番よ、出会えた幸運に感謝なのだから。
ステージでのあいさつとか、他にもいろいろな展示を見て回ってから帰ったのだけれど、私はまた、ドールバッグの中。
でもね、なんとなく気になるから寝んねしないで、じーっとお外の様子を聞いていたの。そしたらね、
「この荷物は流石に電車は無理ですね。タクシー、とりましょうか」
ちょっと情けなさそうな、途方に暮れた声でオーナーが言うのが聞こえたわ。
お家に帰って、戦利品をリビングいっぱいに広げるオーナーの幸せそうなことと言ったら。
ソファーに腰かけてみている私まで嬉しくなっちゃう。
そうそう、この前ね、しばらくお茶の箱に白い布だった私専用の場所が、大幅リホームされたの。
事務机? 横に長い大きな机が届いてね、オーナーが一生懸命組み上げてくれたのよ。
さらにさらに! 右半分の後ろには黒い布が下がっているの。私がポージングすると、背後から足元をしっかり覆ってくれる、ちょっと毛羽立った布。光をうまく吸収してくれて、ここで撮った写真は私がとっても引き立って綺麗なのよ。背景布を使った、撮影ブース? っていうらしいわ。
そしてそして、林の樹々みたいににょきにょきって立っている、黒い金属の支柱! ライトスタンドって言って、”しょうめいきぐ”を支える物なのですって。てっぺんには六角形の白い面を私に向ける、ドーム型を横に倒した物がのっかっているの。これはね、”でぃふゅーざー”だって、オーナーが言っていたわ。ピカッって光るんだけど、カスタマーさんの所とか、初めてオーナーが撮影してくれた時みたいにものすご~く、まぶしぃっ! てならないの。
横長な机の左半分は、その時々でいろいろな”せってぃんぐ”をオーナーがしてくれるのよ。
お花が飾られたり、小さなぬいぐるみやフェルトのお人形。これも、ディーラーさんが生み出した子達なんだって。
私とお話はできないのが残念だけれど、この子たち同士ではきっとおしゃべりしているのよ?
猫さん、猫耳猫尻尾の女の子、アリス風? の女の子、妖精さん。いっぱいいっぱいお友達が増えたわ。
そしてね、今日買ってくれた中になんとなんと、職人さん手彫りの素敵な家具があったの!
紅いベルベットの生地に、背が大きく広がった、肘掛け椅子。
透かしの彫刻が美しい蒼色のソファー。
ちゃんと、1/3サイズの私用! 早く腰かけてみたくてたまらないわ♪
他にも私が見ていない間に買ったたくさんのお洋服、アクセサリーに小物類。流石に私も呆れちゃうくらい、いっぱい、いっぱい、出てくるの。
「さすがに買いすぎましたか……しかし、こうしたものは一期一会。その時を逃せば、後悔しても取り返しがつきませんからね」
ちょっと自分でも引いていたわ。
けれどこれもみんな私のため、オーナーの愛の証って思ったら、嬉しくてうれしくて。胸が張り裂けそうになってしまったの。
この週末は、たっぷり撮影会をしてもらったわ!
その分私のあんな姿やこんな姿も、世界に発信されてしまったのだけれども……。
ひな壇の子がつけていたみたいな、白い天使の翼と、黒い堕天使の翼もあったの。ちょっと天使フェチ? の気があるのかしら。ドレス姿で翼を広げた私を、カメラに収めるオーナーの張り切りようはすごかったわ。ポージングもいつもの倍は頑張っていたもの。けれど、あの子に浮気しようとしていたんじゃないってわかって、安心したからいいの。
やっぱり私がオーナーの一番。よね?
見捨てないでね、オーナー……。もう私は貴方なしでは、生きていけないの。