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最強魔法師の壁内生活  作者: 雅鳳飛恋
囚われの親子編

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20/29

[8] 勧誘

 四月二日の夕刻――フリージェス区のオーランシグレディという町にある魔法協会支部に向かう女性二人組の魔法師がいた。


 フリージェス区は一枚目の壁であるウォール・ウーノと、二枚目の壁であるウォール・ツヴァイに挟まれた区だ。

 十三区の中で最も南に位置しており、人口も一番多い。


 オーランシグレディは区内で最も大きく、人口の最も多い町でもあり、区内の行政の中心地だ。また、国内で最も人口密度の高い町でもある。


 ウォール・ウーノ、ウォール・ツヴァイ、ウォール・トゥレス、ウォール・クワトロという順に壁が築かれており、壁外へきがいは魔物で溢れているので、必然的に内地へ行けば行くほど安全になる。なので、より内側に行くほど富裕層が暮らしている。

 内地に行くほど物件の価格が上がるからだ。つまり、お金で安全を買うということだ。

 もちろん収入に余裕があっても内地で暮らさない者もいる。


 ウォール・ウーノに接する区は五区あるが、その中でフリージェスが最も人口が多いのは裕福でなくても暮らしやすい環境だからだ。

 ウォール・ウーノ内の五区は最も広大な土地を有している。土地に余裕がある為、五区には様々な特徴がある。

 他の五区はそれぞれ産業があるが、フリージェスにはこれと言ったものはない。


 フリージェスの特徴は目立った産業がない代わりに、生活水準が高くないので暮らしやすいという点だ。移住もしやすく、区自体が内地で暮らせない人々の受け皿になることを政策の一つとしている。


 オーランシグレディは人々が入り乱れて雑多な雰囲気があるが、景観は悪くない。

 建築費を抑える為に高額な石材などは用いず、比較的安価な木材、土、煉瓦などで建てられた建物が多い。

 意匠の凝った建築物は少ないが、その代わりに素朴さがあり安心感を与えてくれる。

 このような工夫があるからこそ物件の価格を抑えられ、裕福ではない者でも暮らせる環境を実現していた。


 閑話休題。


 女性二人組の魔法師は魔法協会支部に入っていく。


「この後はどうする?」

「少し食材の買い出しをしようかな」

「ならそうしましょう」


 茶髪の女性が尋ねると、もう一人の金髪の女性が予定を答える。


 横に並んで会話をしながら歩く二人は、エントランスにある窓口へと向かう。

 いくつかある窓口では魔法協会支部の職員がそれぞれ受付業務を行っている。


 魔法協会では魔法師に対して仕事の斡旋を行っており、内容は様々あるが、二人は今回壁外での仕事を行っていた。


 受付業務を行っている女性職員に仕事完遂の報告を行う。


「ご苦労様でした」


 報告を済ませると受付の女性職員が労いの言葉を掛けてくれる。


「報酬は振り込んでおきますね」


 報酬は預金口座の機能が備わっている身分証――国民証明書の通称――への振り込みで行われることが一般的だ。

 手渡しを選択することもできるが、大半の者は振り込みを希望する傾向にある。


 魔法師は魔法協会に国民証明書で身分を登録しているので、預金口座も登録されている。なので、報酬のやり取りはスムーズに行える環境が整っていた。


「――イングルスさん、お待ちください」


 窓口でのやり取りを終えた二人は立ち去ろうとしたが、受付の職員に呼び止められた。

 既に振り返りかけていた二人は再び職員と向き合う。


「何かありましたか?」


 イングルスと呼ばれた女性が首を傾げる。


「はい。イングルスさんにお客様がいらしています」

「私にですか?」


 イングルスは一層疑問を深める。

 直接自分のもとに来るのではなく、職員を通して訪ねてくるということは面識のない人物だろうか? と彼女は思った。


「そうです。第二応接室にイングルスさんお一人で向かってください」

「わかりました」


 疑問に思いながらも頷くしかなかった。


 来客は第二応接室でイングルスのことを待っているようだ。

 あまり待たせるわけにはいかないので、すぐに向かうことにした。


「というわけなので、ちょっと行ってきます」

「うん。待ってるよ。わたしはお呼びじゃないみたいだし」

「悪い話でなければいいけど」

「そうだね」


 イングルスは連れの女性に声を掛けると、第二応接室へ足を向けた。


「大丈夫かな?」


 去っていく友人の後ろ姿を眺めながら、茶髪の女性は心配で自然と言葉が漏れた。

 友人は色々と大変な状況に身を置いているので心配になる。

 今は何事もないことを祈って友人の帰りを待つことしかできなかった。


 ◇ ◇ ◇


 友人に心配されているイングルスは内心不安になりながら歩を進めていた。

 何かしでかしてしまっただろうか? と色々な可能性が脳裏を掠めていく。

 職員にお客様とは誰なのかと尋ねるのを忘れたことに少し後悔した。


 不安で足取りが重くなっている。

 それでも一歩一歩進んで第二応接室を目指す。


 第二応接室はエントランスからそれほど離れていないので、すぐに辿り着いた。

 イングルスは緊張しながら扉をノックする。


「――どうぞ」


 室内から入室を許可する声が返ってきたので、丁寧に扉を開いて入室する。


 すると、イングルスは中にいた人物と目が合った。

 わざわざソファから立ち上がって出迎えてくれている。


 そして自分が待たせていた相手の胸元にある胸章が視界に入り、魔法師だということがわかった。

 しかし、良く見ると胸章が上級二等魔法師の階級を示していた。

 まさかの大物の登場に驚きながらも慌てて敬礼をし、失礼のないように努める。


「フィローネ・イングルスです。ただいま参上致しました。お待たせして申し訳ありません」

「気にせずに楽にして頂いて構いませんよ」


 イングルス改め――フィローネは自己紹介をし、待たせてしまったことを詫びる。

 上級二等魔法師が楽にして構わないと告げるも、フィローネの肩には力が入っていた。


「まずは座りましょうか、イングルスさんも遠慮せずにお掛けになってください」

「……失礼します」


 着席を促されたフィローネは、上級二等魔法師が腰掛けたのを確認してから自分も恐る恐るソファに腰を下ろした。


「突然呼び出して申し訳ありません」

「いえいえ! こちらこそお待たせして申し訳ありません」


 謝罪されたフィローネは恐縮し、自分こそ待たせて申し訳ないと頭を下げる。

 東方人の影響で謝罪する際は頭を下げる文化が少なからず浸透しているが、そもそも頭を下げる行為は屈服や降参を意味する。

 故に、過度に頭を下げすぎるのは要らぬ誤解を生む恐れがあるので、気をつけなければならない。


「頭を上げてください。ここはお互い様ということにしておきましょう」

「は、はい」


 あまり恐縮しすぎるのは失礼に当たると思い、フィローネは素直に頭を上げた。


「自己紹介がまだでしたね。私はレイチェル・コンスタンティノスです」


 フィローネのことを待っていた上級二等魔法師は――レイチェルであった。


 フィローネは待たせてしまったことを詫びたが、レイチェルはそれほど待っていない。

 事前に調べてフィローネがいつ魔法協会支部に姿を現すのかは見当がついていた。なので、頃合いを見計らって訪れている。


「コンスタンティノスって『聖女』様の……?」

「ええ、そのコンスタンティノスで合っていますよ。私は三女です」

「――!!」


 ただでさえ緊張していたフィローネは、上級二等魔法師という階級に更に緊張し、その上コンスタンティノスの名にも緊張する羽目になった。一瞬眩暈(めまい)がしたのは本人だけの秘密だ。


 対してレイチェルは苦笑していた。

 このようなやり取りが恒例になっていたからだ。

 コンスタンティノスの名を告げる度に行われる問答なので無理もないだろう。


「早速ですが、単刀直入にお伝えしますね」

「は、はい」


 フィローネは何を言われるのか不安で無意識にと唾を飲み込んだ。緊張で背筋が伸びている。


「イングルスさん、あなたをスカウトしに参りました」

「――え」


 予想だにしない言葉に、フィローネは思考が追いつかずポカンと口を開けてしまう。


「私をスカウトですか……?」


 なんとか絞り出した言葉は自分に言い聞かせるようなニュアンスだった。

 自分に言い聞かせることで言葉の意味を理解しようとして、無意識に呟いていたのだ。


「はい。そうです」


 レイチェルが首肯する。


「あの、失礼ですが……いったい何にスカウトされているのでしょうか?」


 スカウトと言われても、何にスカウトされているのかがわからなかった。


「イングルスさんは『守護神ガーディアン』はご存じですか?」

「も、もちろんです! 特級魔法師第一席であらせられる『守護神ガーディアン』様ですよね!?」

「ええ、そうです」


 『守護神ガーディアン』のことを知らない者の方が珍しい。むしろ魔法師ならば知っていて当然だ。

 特級魔法師の中で唯一名前が公表されていないが、雲の上の存在として知るのも烏滸おこがましいと自然と受け入れられている。


「私はその『守護神ガーディアン』が率いる隊の隊員です。いえ、私一人しかいないので、正確にはサポーターになりますね」

「えぇえええ!」


 フィローネはまさか目の前にいるレイチェルが、誰もが憧憬しょうけいを抱く『守護神ガーディアン』の関係者だとは思いもしなかった。

 驚愕して目を見張っている。


 そもそも『守護神ガーディアン』には謎が多い。いや、むしろ謎しかないと言っても過言ではない。

 一般的に知られているのは『守護神ガーディアン』という異名だけだ。なので、部下がいることも当然知られていない。


 フィローネは普通に生活していたら知り得ないことを知った。


「そして本日は、『守護神ガーディアン』の命であなたを我が隊にスカウトしに来たのです」

「は? え?」


 レイチェルがフィローネに会いに来た理由は、ジルヴェスターが率いる隊に加わらないか、と勧誘する為であった。ジルヴェスターがレイチェルにスカウトしに行けと命じていたのだ。


 当のフィローネは状況が理解できていなかった。

 必死に状況を整理して言葉の意味を理解しようと思考を巡らせている。


「えぇええええええええええ!!」


 そしてなんとか状況を理解したフィローネは、驚きのあまりひっくり返りそうになった。

 そんな彼女の反応にレイチェルは苦笑する。


「つ、つまり、『守護神ガーディアン』様が率いる隊の一員になれるということですよね!?」

「その通りです」

「ですよね。すみません……急展開で眩暈めまいがしそうです」


 特級魔法師が率いる部隊の隊員になるのは魔法師なら誰もが憧れることだ。

 憧れの特級魔法師の部下になれるというのは名誉なことであり、ステータスにもなる。


 特級魔法師が率いる部隊に入隊する方法は、特級魔法師自身にスカウトされることだけだ。

 つまり特級魔法師が率いている部隊の隊員は、特級魔法師に認められた精鋭というステータスを得ることができる。

 魔法師として一目置かれるようになり、何よりも特級魔法師に認められたという事実が自信にもなる。


「それにしても、何故私なのでしょうか?」


 フィローネは純粋に疑問を抱いた。


「私は下級三等魔法師の下っ端で、『守護神ガーディアン』様とお会いしたこともないはずですし……」


 特級魔法師が率いる部隊の隊員としては確かに不釣り合いだろう。最低でも中級以上は求められてもおかしくない。

 面識すらないのに何故自分が? と疑問を抱くのはもっともだ。

 何よりも自分では分不相応だとはばかられた。


「何から話しましょうか……」


 レイチェルは顎に手を立てて何から説明したものか、と思考し、少しの間沈黙が場を支配する。

 この沈黙はフィローネにはとても長い時間に感じ、驚きで霧散していた緊張が再び押し寄せてきた。


 そして彼女が居心地の悪さを感じ始めた時、考えが纏まったレイチェルが口を開いた。


「イングルスさんには弟さんがいらっしゃいますよね」

「え? 確かにいますが……」


 何故に今、弟の話が出るのか? と不思議に思う。

 そもそも何故、弟がいることを知っているのかも疑問だった。


「実は昨日さくじつ、弟さんのレアル君からご家族の事情を伺いました」

「――!」


 フィローネの姓がイングルスということから察せられただろうが、彼女はレアルの実姉だ。


 レイチェルがことの経緯を説明する。


 まずはレアルが七賢人のビリー・トーマスの命で暗殺に手を染めたことを伝えた。


「そんな……あの子が……」


 予想だにしないことを告げられて沈痛な面持ちになったフィローネは、両手を口に当てて言葉に詰まった。


 何故暗殺を行うに至ったのか経緯を説明する。

 レアルが暗殺を実行したのは姉を助ける為と、母の負担を軽くする為だ。


 フィローネに迫るビリーの気を自分に向けさせることで母は娘を守っている。

 レアルは自分がビリーにとって都合のいい駒になることで憂さ晴らしをさせつつ、陰謀を企てることに意識が傾くようにして姉の身を守っている。


 フィローネは母が自分の為に献身してくれているのは知っていたが、弟が自分の為にビリーの駒になっていることは知らなかった。

 姉が気兼ねなく安心して暮らせるようにと配慮して、レアルと母はフィローネには内密にしていたのだ。


 そしてレアルがビリーの命で暗殺を行うことになったが、その時に『守護神ガーディアン』が阻止して未遂に終わったと告げる。


「そうでしたか……弟を止めてくださりありがとうございました」


 フィローネは瞳に涙を溜めているが、零れ落ちないように堪えながら頭を下げる。

 自分の為に悪事に手を染めた弟の想いが嬉しくもあり、申し訳なくもあった。

 弟が心身共に疲弊しながらも歯を食いしばって献身してくれていたのかと思うと、心が苦しくなる。


 彼女にとってレアルはかわいい弟だ。弟の為なら自分の身を削る覚悟がある。

 今も必死に魔法師としてお金を稼いでいる。ビリーに借金を返済する為でもあるが、可能な限り弟に不自由させたくない一心で懸命に働いている。それで何度か死に掛けたこともあるくらいだ。


 しかし、それは弟も同じだったのだと理解した。

 レアルも慕っている姉の為に身を粉にしている。


 姉想いの弟と、弟想いの姉。

 二人の間には確固たる姉弟の絆があった。


「私が阻止したわけではありませんよ。なので、代わりに伝えておきます」

「はい。よろしくお願いします」


 レアルの暗殺を阻止したのはレイチェルではなくジルヴェスターだ。


「――それで、弟はどうなるのでしょうか……?」


 フィローネが恐る恐る尋ねる。


 彼女が今、一番気掛かりなのは弟のことだ。

 未遂とはいえ、暗殺に手を染めた。しかも相手は政界の人間だ。

 罪を犯せば裁かれるのは避けられない。


「それなら心配ありませんよ」


 レイチェルが安心させるように優しい口調で答える。


 暗殺対象にされたマーカスには既に話が通っている。

 フェルディナンドを介しているのでジルヴェスターは心配していなかったが、無事レアルの置かれている状況を理解してくれた。むしろ同情し、味方になってくれたほどだ。何よりもビリーの人権を無視した行いに怒りをあらわにしていた。


 マーカスはレアルを訴えることなく、事件をおおやけにするつもりはないようだ。

 これで一先ずレアルが罪に問われることはない。


「良かった……安心しました」


 フィローネはほっと胸を撫で下ろす。

 だが、一安心したことで疑問が浮かび上がった。


「あの、それで、私がスカウトされたこととどう結び付くのでしょうか?」


 弟の事情はわかった。

 自分たちの置かれている境遇をレイチェルたちが知っているのも理解した。

 しかし、それと自分がスカウトされることになんの関係があるのか? と思い至った。


「それも順に説明しますね」

「はい」


 慌てなくてもレイチェルはしっかりと説明するつもりだ。


 まず、時間稼ぎをする為に偽装用の遺体を用意する。

 これは今もフェルディナンドが動いてくれている。


「グランクヴィスト様まで……!!」


 再び大物の名前が登場してフィローネは瞠目する。

 まさか最古参の七賢人であるフェルディナンドまで尽力してくれているとは思いもしなかった。

 自分の想像以上に大事おおごとになっているのだと認識を改め、尽力してくれている人たちに対する感謝の念が堪えなくなる。


 遺体を用意した後、レアルは母を連れてシノノメ家に匿ってもらう。

 シノノメ家は仁義を重んじる気質をしている。彼等だけではなく、東方から逃れてきた民族は総じて仁義に厚く、その気質は末裔にも引き継がれている。


 そしてシノノメ家には手練れの門下生が数多くいる。何よりもシノノメ家の一門は全員師範代相当の実力を有しているので侮れない。

 門下生の中には政財界や魔法師界の中枢で活躍している者もおり、各界への繋がりが強い。

 いざとなったら心強い後ろ盾になってくれるだろう。シノノメ家の令嬢の友人に関わる問題なので尚更だ。


「それは心強いですね。私にもシノノメ家に縁のある知人がいるので安心です」


 シノノメ家の一門に限らず、門下生にも仁義を重んじるように説いている。

 門下生の知人がいるなら、その気質に触れる機会があるだろう。それだけで信頼度に違いが生まれる。


 これでレアルと母の安全は確保できる。

 そこで残る問題はフィローネだけだ。


「いくら七賢人と言っても、特級魔法師の部下には軽率に手出しできませんからね。それが『守護神ガーディアン』の部下ともなれば尚更です」

「なるほど。つまり私をスカウトするのは、『守護神ガーディアン』様の庇護下に置く為というわけですね」

「その通りです」

「合点が行きました」


 フィローネは話を聞いて自分がスカウトされた理由を理解した。そして納得もした。自分の身を守る為にスカウトしてくれたのだと。


 自分の実力が認められたわけではないとわかり少し残念な気持ちになったが、何よりも厚意が嬉しかった。

 良く知りもしない下っ端のことを気に掛けてくれているのだ。それも誰もが憧れる特級魔法師にである。それだけでも望外の喜びだ。


 そして自分がスカウトを受けることで弟の負担を軽減させることができる上に、自分の身まで守ってもらえる。しかも特級魔法師の部下にもなれるのだ。

 何一つとして断る理由がなかった。


「私としてはお受けしたいと思っておりますが、日頃お世話になっている友人に相談する時間を頂けないでしょうか?」


 フィローネには自分の身を案じて自宅に居候させてくれていて、魔法師としても共に活動してくれている友人がいる。

 自分だけ特級魔法師の部下になり、「はい、さようなら」とはいかないだろう。なので、友人にはちゃんと事情を説明しなくてはならない。何よりも恩のある友人には筋を通すべきだ。


「ヘレナ・ブランソンさんですね」

「ご存じでしたか」

「ええ、もちろんです」


 フィローネが世話になっている親友の名は――ヘレナ・ブランソンという。


 ジルヴェスターがレアルからヘレナの名を聞いていたので、事前に知らされていたレイチェルも把握していた。


「構いませんよ。友人に不義理は働けませんからね」

「ありがとうございます」


 友人に事情を説明する時間くらいはある。

 二人でしっかりと話し合うべきだ。


「それともう一つ」

「なんでしょう?」


 首を傾げるフィローネ。


 今回はフィローネをジルヴェスターの部下としてスカウトするだけではなく、もう一つ別の用件があった。


「もしスカウトを受けてくださるのなら、イングルスさんには『守護神ガーディアン』の内弟子になって頂きます」

「……」


 レイチェルと言葉を交わしている内に場の雰囲気に慣れ、緊張が解れてきていたフィローネは、再び思考が停止してしまう。

 それでもレイチェルは構わずに説明を続ける。


「正直、今のイングルスさんでは『守護神ガーディアン』の部下として実力不足なのは否めません」


 下級三等魔法師であるフィローネでは、特級魔法師の部下として活動するには実力が伴わない。

 それはフィローネ自身も理解していることだ。


「そこで、『守護神ガーディアン』が直々にイングルスさんを鍛えます」


 実力が伴わないなら鍛えてしまえばいい。至極単純な結論だ。

 それを特級魔法師第一席であるジルヴェスターが直々に行う。

 自分でやるのが最も効率がいい、というのがジルヴェスターの弁だ。


「そんな! 畏れ多いです!!」


 思考が追い付いたフィローネは慌てて両手を振って恐縮する。


「『守護神ガーディアン』に指導してもらえる人は滅多にいませんし、弟子を取ったことすらありません。非常に貴重で名誉なことなので、この機会をみすみすの逃してしまうのはもったいないと思いますよ」


 ジルヴェスターに限らず、特級魔法師が直接指導を施すことは中々ない。しかも弟子を取るのは更に珍しい。


 積極的に弟子を取る魔法師はいるが、特級魔法師ともなると取る弟子の基準が高くなる。見込みのある者の中でも更に厳選されてしまう。


 故に、恐縮しきりのフィローネにとっては千載一遇のチャンスなのである。

 特級魔法師第一席の弟子は誰もが手にしたいと願う立場なので、余程の事情がない限り断る者はいないだろう。


「外弟子ではなく内弟子なのは、イングルスさんのことを守る上で都合がいいからですね」


 弟子の待遇は二通りある。

 それは内弟子と外弟子だ。


 内弟子は師匠の自宅に住み込むので、指導を受ける機会が増えるのに加え、食住しょくじゅうが保障される。その代わりに師匠の自宅で雑用などをこなさなくてはならない。


 そして、外弟子は通いの弟子だ。

 内弟子と違い指導を受ける機会が減り、食住の保障はされないが、自宅での雑用を免除される。もちろん指導時の雑用は行わなくてはならない。


 師匠によって指導法や課す雑用などには違いがあるので、あくまでも基準だ。


 フィローネを内弟子待遇で迎えるのは、弟子にして鍛えたいのもあるが、最大の理由は守る為だ。

 ジルヴェスターの内弟子として住み込むことで直接見守ることができ、尚且つすぐに駆けつけることが可能なので物理的に守りやすい。


 また、特級魔法師第一席である『守護神ガーディアン』の弟子という肩書があれば、ビリーは軽率に手出しできなくなる。

 弟子に危害を加えて師匠の怒りを買うことになるからだ。しかもその師匠が特級魔法師第一席ともなると、いくら七賢人でも自分の首を絞める結果になりかねない。


「私が『守護神ガーディアン』様のお宅で寝食を共にするなんて……畏れ多くて想像すらできません」


 フィローネは顔を引き攣っている。

 誰もが憧憬しょうけいの念を向ける雲の上の存在と寝食を共にするなど、現実味のない話だろう。


「『守護神ガーディアン』本人は自分でなんでもこなせてしまう人なので、過酷な雑用はさせないでしょうから、そこは安心していいですよ」

「いえ、それは心配していないので大丈夫です」


 レイチェルの言葉に、フィローネは両手を振って慌て気味に答える。


 ジルヴェスターはどのようなことでもそつなくこなす。

 手が足りない時は人を頼るが、自分の手さえ空いていればなんでも自ら行ってしまう。


 内弟子の際、師匠によっては弟子に無体を働くこともしばしばあるので気をつけなければならない。


「強制はしませんが、この話を受けてくれると助かります」


 レイチェルは安心させるように穏和な笑みをフィローネに向ける。


 ジルヴェスターの部下になる件と、内弟子になる件を受けてくれると助かるのは本心だ。


 ジルヴェスターの部下として同僚が増えれば、今まで一人で行っていたことが分担できてレイチェルの負担が減る。内弟子になることで鍛えられ、同僚が優秀になってくれれば更に負担が減る。

 レイチェルにとっては願ったり叶ったりであった。


「私はお受けするつもりです」


 表情を引き締めたフィローネは前向きに検討していた。


「一応、友人に話してからになりますが……」


 ただ、恩のあるヘレナに筋を通してからの話だ。

 心配せずともヘレナなら応援してくれるだろうとフィローネは思っている。


「なので、友人をこの場に呼んでも構わないでしょうか?」

「ええ、もちろん構いませんよ」

「ありがとうございます」


 レイチェルが優しい笑みを浮かべながら頷くと、表情が緩んだフィローネは軽く頭を下げた。


 この場にヘレナを呼び、レイチェルも交えて話をしてしまおうと考えたのだ。

 その方がスムーズに話が進むだろう。


 レイチェルの許可を得たフィローネは、ヘレナに念話テレパシーを飛ばす。

 左手首が一瞬光ったので、腕輪型のMACを用いて魔法を行使したのだと思われる。


 そしてヘレナと一言二言言葉を交わすと、念話テレパシーを解除した。


「すぐに来るそうです」

「では待ちましょうか」


 ヘレナが来るまで少しだけ時間ができたので、フィローネはずっと気になっていたことを尋ねることにした。


「――あの、一つ尋ねてもよろしいでしょうか」

「もちろんです」


 だいぶ場の雰囲気に慣れ、既にレイチェルを相手にしても緊張が和らいでいたフィローネは、自分から声を掛けるのに勇気を少し振り絞るだけで済んだ。


「『守護神ガーディアン』様はどのような御方なのでしょうか? 私たちの為にこれほど尽力してくださるのが不思議でして……」


 彼女の疑問はもっともだろう。

 普通は暗殺未遂を犯すような者と、その家族に手を差し伸べたりはしないだろう。

 相手が家族や友人なら助けようと奔走することはあるかもしれないが、どこの誰とも知れない下っ端の為に尽力してくれるのが不思議でならなかった。

 相手が特級魔法師でなければ何か裏があるのではないか、と勘繰ってしまいかねない。


「そうですね……」


 レイチェルはどう説明するかを思案する。

 視線を少し下げてテーブルに焦点を合わせていたが、思考に耽る時間はあっという間だった。

 すぐに目線をフィローネに戻して口を開く。


「それは本人に会えばわかりますよ」


 一先ずこの場では濁しておくことにした。


 レイチェルがジルヴェスターのことを始終『守護神ガーディアン』と呼んでいたのには理由がある。

 まだフィローネが正式にジルヴェスターの部下になったわけではないからだ。


 ジルヴェスターは特級魔法師として自分の名を公表していない。

 これは本人とフェルディナンドの意向によるものだ。


 つまり、まだ正式にジルヴェスターの部下になっていない者に正体を明かすことはできないということだ。

 先に正体を明かし、後で部下になるのを断られたら機密を漏らしてしまうことになる。


「なるほど。納得しました」


 確かに今の段階では自分に話すことはできないだろうと、説明を聞いたフィローネは得心した。


 その時、扉をノックする音が鳴って室内にこだました。


「ヘレナですね」


 そう呟いたフィローネはソファから立ち上がって扉へ向かう。

 そして出迎える為に扉を開いた。


「――お待たせしました」


 茶髪の女性――ヘレナが入室早々に敬礼する。


 ヘレナは事前に上級二等魔法師であるレイチェルがいることをフィローネに伝えられていたので、失礼があってはいけないと礼節を尽くす。


「さ、まずは腰掛けてください」

「失礼します」


 レイチェルに促されたヘレナは緊張しているのか動作が硬い。


 フィローネとヘレナがソファに腰掛けたところで、レイチェルは改めて自己紹介をする。


 そしてその後は、フィローネにしたような説明をヘレナにも行う。


 話を聞いたヘレナは、驚愕して言葉にならない声を室内に響き渡るほどの声量で発し、更に膝をテーブルにぶつけてしまい悶絶する羽目になった。


 フィローネに最初説明した時よりもヘレナの方が一段と大きなリアクションだったのは、二人の性格の違いが表れた一幕であった。


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