手芸都市クロト
「アイラ様。アイラ様。おはようございます。朝です。」
リネアだ。
いつもよりも小声で、俺のことを起こす。
「あ、ああ……おはよう……。」
どうかしたんだろうか?
「おはようございます。少々早いですが、十分な睡眠は取れたと判断し、起こさせて頂きました。」
「そうなのか……。」
もう一度寝たい気もする。
「アイラ様。申し訳ございませんが、少々宜しいでしょうか?」
朝早くからのリネアの申し出に少し驚く。
「――え?あ、ああ……。」
まだ眠い。
でも、リネアの様子に二度寝をしようとは思えず、どうにか体を起こす。
「アイラ様。これからのことです。」
俺が体を起こし座ったのを確認して、リネアは早速話し始める。
ミオやベル、ユンはまだ寝ているようだ。
「あ、ああ……どうした?」
意識はまだぼんやりとしている。
「アイラ様。もし、機械たちの暴走が、暴走でなかったとしたら、どうしますか?」
リネアは間を置きつつ、ゆっくりと、静かに話す。
周りのみんなを起こさないように気を遣っているのだろう。
「……え?どういうことだ……?」
リネアは間を置く。
「もし、機械たちの暴走が暴走ではなく、自主的なもの、あるいは、人為的なものによるものであった場合、どうしますか?」
リネアは質問の仕方を変えて、同じことを聞いてくる。
「……それでも、俺は解決するよ。リネアはそうしたかったんだろ?」
まだ頭が回らない。
頭に浮かんだことをそのまま答える。
「はい。では、もしすべての機械やアンドロイドが、意志を持って人間を苦しめていた場合、アイラ様は。」
リネアはそこまで言って止まる。
「……どうした?リネア……?」
「いえ。もしそうであった場合、アイラ様は全てのアンドロイドを、破壊、しますか?」
つまり、騒動の原因がここの機械やアンドロイドだった場合、片っ端から壊して回るか?ってことだろうか?
回らない頭で考え、正直に答える。
「分からない。でも、壊さないで解決できる方法があるなら、無理に全て壊す必要はないと思う。」
それを聞き、リネアはまた間を置く。
「そうですか。では、もしそれが、人間が人間を苦しめていた場合も、アイラ様は同じことをしますか?」
一体どういう意味だろう?
仮定の話が多すぎて、寝起きの頭には難しい……。
それでも、思ったことをそのまま正直に答える。
「――きっと……そうすると思う。誰かを苦しめているのが人間でも、機械やアンドロイドでも、少しでも誰かが苦しまないで済むなら、同じように解決したいと思う。」
そう答えると、少しだけ空気が和らぐ。
「そうですか。ありがとうございます。」
リネアは俺の答えに満足したのか、話を終わらせる。
リネアと話している内に、俺の意識も少しずつ覚醒してきた。
これなら二度寝はしないで済みそうだ。
このまま支度をするとしよう。
俺と話し終わったあと、リネアはミオやベル、ユンを起こしに行く。
リネアは、俺と話したかったこともあるのだろうが、疲れているミオやベル、ユンを少しでも長く寝かせておいてくれようとしたのかもしれない。
いつでも宿を出られるよう、みんな支度を完了させた。
ぐっすり眠れたのか、昨日のことなどなかったかのように、みんな元気な様子だ。
「それじゃあ、宿を出る前に、これからどうするかを話しておこうと思う。」
準備のできたみんなを集めて話し始める。
「はい、お願いします。」
ミオが返事をしてくれる。
「まず、この街のアンドロイドや人間に、最近何かおかしなことはないか聞いて回ろうと思う。」
「アイラ様。この街のアンドロイドへの聞き込みは、避けた方がいいように思われます。まずは、アイラ様と同じ人間の方にのみ聞き込みを行い、それから有力な情報が得られなかった場合にアンドロイドを当たった方がよろしいかと思われます。」
俺の言葉にリネアが反応し、提案する。
確かに、俺もこの街のアンドロイドには少々違和感を感じる。
リネアもきっと何か理由があってのことだろう。
「分かった。リネアの言う通りにしよう。まずはこの街に住む人間を当たって、それでダメそうならアンドロイドにも聞き込みをする。それでいいか?」
「はーい!いいでーす!」
ユンが返事をする。
他のみんなも頷いてくれる。
反対意見はないようだ。
「それじゃあ早速、行動開始だ。」
「はい。」
俺たちは宿を出て、街の中を探索し始める。
ベルの服や食料を出した荷物はさらに小さくなっており、ユンが背負って行ってくれることになった。
相も変わらず街にはアンドロイドだらけで、明らかに機械のための建物と思われるものばかりが立ち並ぶ。
どこかに人間のいそうな建物はないかと辺りの探索を続ける。
そしてようやく、人のいそうな建物……いや、店を見つけた。
そこは、服屋だった。
ベルがそわそわとした様子なのがその証拠だろう。
さすが手芸都市、あるとは思っていたが、やはりあったか。
早速店に入る。
「いらっしゃーい。あら?人間のお客さんかしら?珍しいわね。」
中にいたのは人間の女性だった。
どうやら一人らしい。
「すみません。お客さんじゃないんです。ちょっと聞きたいことがあって……。」
歓迎の言葉に申し訳なくなり、店員のお姉さんに謝罪する。
「あら?でもそこの子は、そうでもなさそうよ?」
お姉さんの視線の先を見ると、いつの間にか俺たちから離れていたベルが、うっとりとした顔で店に飾られている服を見ている。
「――わぁ!可愛いです!これも!これも綺麗……。」
ベルはそんなことを言いながら、いろいろな服を嬉しそうに見ている。
「すみません……落ち着きがなくて。」
俺はお姉さんに謝る。
ベルは普段ここまで落ち着きがないことはないのだが、やはり可愛い服やらが好きなのだろう。
「いいのよ。それよりも気に入ってくれて嬉しいわ!よければたくさん見て行ってね。」
お姉さんも嬉しそうに言う。
ベルもそれが聞こえていたのだろう。
くるっと振り向く。
「――ありがとうございます!たくさん見させて下さい!」
お姉さんに向かってお礼を言ったあと、また店に飾られている服を物色し始める。
「……ところで……聞きたいことって何かしら?」
お姉さんは俺の言葉を覚えていてくれた。
危うく俺の方が忘れるところだった……。
「あ、すみません。実は俺たち……ロボットやアンドロイドたちの暴走に関して調べていて……何か、知りませんか?」
あえて簡単に質問する。
深く質問してしまうと、聞けるはずのことも聞けなくなることがあるからだ。
「……さぁ?分からないわね……。近頃、機械たちが暴走しているというのは聞くけど私の周りではそんなことはないし……それに、ここにはアンドロイドもいないしね。」
確かに、店の中には最初に迎え入れてくれたこのお姉さんしかいない。
人間だけではなく、アンドロイドすらもいないのだ。
「お姉さんは、一人でここに?」
簡単な疑問をそのまま質問する。
「もう、お姉さんなんていやよー。そうね。私はここで、一人でこの店をやっているわ。デザインを起こすところから、実際に縫い上げるまで自分でね。ま、でも実際に縫い上げてくれるのは機械で、手で縫うのは大変だからあんまりやらないんだけどね。」
どう見ても綺麗なお姉さんなのだが、店のお姉さんは謙遜する。
そしてどうやら、この店にも機械は置いてあるらしい。
だが、お姉さんの口ぶりから、その機械が暴走したことはないのだろう。
「――こっちも可愛いですぅ!いいなぁ……。」
ベルは相変わらず話も聞かずにまだ洋服を見ている。
アトランティスに服屋はなかった。
その反動で抑えきれなくなっているのかもしれない。
「――よければ、あなたも何か作ってみる?」
そんなベルを見かねて、お姉さんが声を掛ける。
「――いいんですか!?」
ベルは間髪入れずに聞き返す。
「ええ、同じものを好きな仲間が増えるのは嬉しいわ。」
「いえ、でもそんな……申し訳ないです。」
俺は口を挟む。
お姉さんは優しく言ってくれているが、実は迷惑かもしれない。
「いいの。いいのよ。それに今は暇だし、少しくらいならいいじゃない。」
イタズラっぽい笑顔で微笑まれてしまい、逆に言い返せなくなってしまう。
「……アイラさん?」
ミオに誤魔化しは利かない。
お姉さんのことを一瞬でも可愛いな、などと思ってしまった俺に、素敵な笑顔を向けてくる。
べ、別に可愛いお姉さんを可愛いと思うくらいいいじゃないか!
そう思うが、実際に口には出さない。
お姉さんとベルは、早速服の制作を始める。
まずはデザインを起こすらしい。
型紙と呼ばれる設計図にデザインを起こし、それを基に布を切る。
普段は型紙、あるいは適当な紙でもいいらしいが、完成図を紙に起こし、それを機械の中に入れれば自動的に縫い上げて完成させてくれるらしい。
だが、今回はベルに教えるため、一からすべて手で行うようだ。
デザインは、お姉さんが考えたくれたものをそのままベルが参考にしている。
機械を一切使わずに、全て手で縫い上げるのは相当大変なことらしいのだが、知識のない俺にはさっぱりだ。
「ところであなたたち。知りたいことがあるのなら、中央の工場に行ってみてはどうかしら?」
お姉さんはベルに教えながら俺たちに話し掛ける。
「中央の……工場?」
突然話し掛けられたこともあり、間抜けにもそのまま聞き返してしまう。
「ええ、あそこはこの都市の全てを担っているし、ほとんどのアンドロイドがあそこを出入りしているらしいわ。その辺で聞いて回るよりも、よほど有力な情報を得られるんじゃないかしら?」
お姉さんはそれだけ言って、再びベルに裁縫の仕方を教え始める。
「……リネア、どう思う?」
声を小声にし、ベル以外の身内だけで会議を始める。
お姉さんとベルは作業に集中しているので、こちらには気付かないだろう。
「はい。よろしいかと思います。ですが。」
リネアはそこまで言って黙る。
きっと、考えていることは同じだろう。
「ああ、そこが本拠地の可能性もある。」
「はい。その可能性が高いかと思われます。全ての機械たちに影響を与えている暴走が、小さな規模で行われているとは思えません。むしろ、この都市で一番大きな場所で行われていることによって、隠蔽されているかと思われます。」
「……だな。だとすれば……。」
「はい。いきなり乗り込んで行ってしまってもいいかということなります。」
「ああ……。でも、ここまで来たんだ。ここで何もしないわけにもいかないし、一度引き返したところできっとこれ以上の準備はできない。だとすれば、このまま乗り込むしかないんじゃないか?」
「はい。私はアイラ様に従います。」
きっと、リネアも同じことを考えていたのだろう。
「ミオとユンはどう思う?」
念のため、二人にも確認する。
「はい。私もそう思います。私は、アイラさんの言う通りにするべきだと思います。」
「私は、アイラさんが行くなら付いて行きますよー!」
ミオとユンも同意してくれた。
あとはベルだけだが……。
身内会議を終え、作業を進めているベルとお姉さんの方を見る。
「それじゃあお姉さん、ありがとうございます。俺たちは中央の工場に行ってみようと思います。ベルは……どうする?このままここで待っていてもいいぞ?」
お姉さんにお礼を言って、ベルには強要しないように聞く。
「いえ、私も行きます!すみません、お姉さん。また機会があればその時にお願いします!」
ベルはお姉さんに謝罪とお礼をし、迷うことなくこちらに向かってくる。
「あら残念ね……。ゆっくりできればあなたならいいものが完成させられたのに……でもそうね。きっとそれがあなたのやるべきことなのね。それが終わったなら、またいつでもいらっしゃい。いつでも待ってるわ。」
「――はい!ありがとうございます!本当に、ありがとうございます!」
後腐れもなく、ベルも一緒に中央の工場へ行ってくれることとなった。
短い時間だったがきっと多くのことを教わって満足できたのだろう。
「それじゃあ、中央の工場へ向かおう。」
「はい。」
俺たちは、素敵なお姉さんのいる服屋を出て、さっそく中央の工場へと向かう。
工場に到着する。
工場という割には、まるで城や神殿のようだ。
機械的でありながらも、清潔感のある白を基調とした建物で、中には女王様でもいるのではないかと思ってしまう。
出入りしているアンドロイドたちは、規則正しく左側通行をしている。
そのアンドロイドたちの規則に従うように、城の入り口を潜る。
中に入ると、中央には大きな通路が通っており、両脇にはカウンターがある。
どうやらこの建物は、工場でありながらもアトランティスのセンターと同じ役割も担っているらしい。
その中央の一番奥には、それら全てを指揮している、責任者と思われる人間……。
いや、アンドロイドが立っていた。
そのアンドロイドへ歩み寄ると、アンドロイドからはまるで俺たちを待ち構えていたかのような圧を感じる。
そいつは、近付いてきた俺たちに気付く。
「――あらぁ?なにそれ!素敵ぃ!ちょっとあなた!こっちに来てよく見せて頂戴!!」
そんなことを言ってきた。
アンドロイドの言うあなたとは……どうやらユンのことらしい。
「――え?え?私、ですか……?」
突然声を掛けられ、ユンはどうしたものかと困っている。
俺たちも拍子抜けだ。
まさか敵の本拠地と思われる場所の責任者が、こんなにも気さくな人とは……。
いや、そもそもその考え自体間違っていたのかもしれない。
ていうか、本当にアンドロイドなのか?こんなにも流暢に喋れるアンドロイドが……。
ちらりと横を見る。
あ、いたわ……。
俺はリネアの方を見て納得してしまう。
「ほらほらぁ!早く来て頂戴よぉ!」
責任者と思われるアンドロイドは可愛らしく腰を曲げ、ちょいちょいと手招きをする。
「……ユン……行ってやれ。」
おそらく悪意はないだろう。
俺はユンに行ってやるように促す。
「……はい……アイラさんが言うなら……。」
少し怖がっているようだ。
ユンは恐る恐る近付く。
「キャー!なにこれ!このお洋服、本当に可愛いわね!てか、何この小さい羽根!本物?もしかして飛べちゃう?飛べちゃうのかしら!?」
「――あっ、あん、やっ、やめ……そんなにあちこち触らないで……。」
ユンは、なすがままといった状態だ。
あんな様子のユンは初めて見る。
それはそうと……なるほど、あのアンドロイドが興味を持ったのはユンの服だったのか。
確かに、ユンの服は少しばかり露出が多く扇情的で、男であれば見ただけで見惚れてしまうだろう。
だが、責任者と思われるアンドロイドが着ている服も中々に派手なもので、ユンの服をどうこう言えるようなものではないように思う。
圧倒されてしまったが、俺は本題を思い出す。
「あ、あの……。」
あまりにもそのアンドロイドが興奮しているので、おずおずと話し掛けてしまう。
「――なにかしら?ていうか、あなたたちは地味ね。もっと素敵なお洋服はなかったのかしらぁ?」
責任者と思われるアンドロイドは、まるで軽蔑するような目を向けてくる。
「――あ、あの、あなたは……!」
「――私はここの責任者、クロトよ。地味なあなたたちに良いものを見せてあげるわ。付いて来なさい。」
俺の言葉を遮り、そう口にする。
まぁ、聞きたかったことなので遮られてもよかったのだが……このクロトなる責任者の人物は、本当にアンドロイドなのだろうか?
もしかすると、アンドロイドが多い街のためそう思ってしまっているだけなのではないだろうか?
それにクロトって……この都市の名前じゃないか。
つまり、責任者であることはきっと間違いではないのだろう。
そんなことを考えながら、俺たちはクロトに案内され、それに付いていく。
案内されたのは、機械だらけの部屋だった。
中央には、この建物の心臓部かなにかと思われる、巨大な機械が設置してある。
決して広くはない場所だ。
奥にある大量のモニターには、この施設内の映像の他にも、外の様子と思われるものも映っており、この部屋一つでこの都市すべてを管理していると言われても信じてしまうだろう。
「ここは……。」
呆気に取られながらも声を出す。
「私の部屋よ。ここであなたたちをもっと素敵にしてあげるわ。あ、中央のマシンには触らないで頂戴ね。」
パチンとウィンクされてしまう。
意外にも色っぽい気がしてくる。
「――ん?素敵に……?」
この妙な状況に、クロトの口にした言葉をそのまま繰り返してしまう。
「そう。そこのあなた。こっちに来なさい。」
「――え?わ、私……ですか……?」
クロトの言うあなたとは、ミオのことだった。
それに従い、ミオはクロトに近付く。
別に気を抜いているわけではないが、どうも調子が狂う。
ミオたちも同じだろう。
「それじゃあ今から、私の新作の実験台になってもらいまーす!」
実験という言葉に不穏なものを感じ、身構える。
「――実験……?」
聞き返す。
「――はーい!こちらでーす!」
クロトは、じゃーんと後ろから黒い服を出す。
いや、服というよりも……ぴちぴちの……ボディスーツだろうか?
ちらりと見える裏地は綺麗な赤い色をしている。
「――え……えっと……。」
身構えていた俺は、またもや呆気に取られる。
「はーい!こちらは私が開発したスーツです!こちらの着心地を確認するために、この子に着て貰うことにしちゃいまーす!」
クロトは嬉しそうに発表する。
「……あ……あの……えっと……。」
ミオはどう反応していいか分からないようだ。
当然だ。
俺もそうだし、きっとベルやユンやリネアもそうだろう。
「だってだって、あなたこんなにいい体をしてるのにもったいないじゃなーい。女の子はもっとオシャレしなくっちゃ駄目よ!」
クロトはそう言いながら、ミオの身体をツンツンと突ついている。
「――ひゃ!あんっ!」
それに対し、ミオは変な声を出してしまう。
「それにそこのあなた!男なら女の子にはもっと可愛いお洋服着せてあげなくちゃダメでしょ!」
「――え?俺……!?あ、はい……すみません……。」
クロトに圧倒され、思わず謝ってしまう。
「まぁ、いいわ。とりあえず、あなたはこの服に着替えて頂戴。着心地は最っ高!の筈だから、期待しちゃっていいわよ!」
クロトはぐいっとミオに服を押し付け主張する。
「え……は……はい……。」
ミオはクロトに連れられ、大きな機械のうしろ側に回り、俺たちの視界から消える。
うしろからはミオの嫌がるような声と、クロトのおっさんのようなやり取りが聞こえる。
異常なものではないため、そのまま待つことにした。
着替えを終え、クロトに連れられてミオが俺たちの前に出てくる。
「――どうよ!どうよ!いいでしょー!」
「――あ、アイラさん……ど、どうでしょうか……?」
ミオが顔を赤らめながら俺に聞いてくる。
どうと言われても……。
クロトのいうようにあくまで実験用のもので、着心地を試すためのスーツなのだろう。
スーツはぴちぴちで、肌に張り付き、身体のラインが出てしまっている。
本来服を着ていれば見えないはずの部分まで、くっきりと綺麗に浮かび上がってしまっている。
これは……どうなんだ?
「……ええと……まぁ、いいんじゃないか……?」
そう答えることしかできなかった。
「それよりも着心地よ!着心地!!どうかしらぁ?」
そう、クロトにとってはそっちの方が重要だ。
もともとそれを確認させるためにミオに着させたのだから、それを聞くのが当然というわけだ。
「は……はい……すごくいいです。その……中は包まれているみたいに柔らかくて……それなのにその……。」
ミオは言い辛いらしく、そこでごにょごにょと言葉を濁してしまう。
「なにかしら?なにかしらぁ?ちゃんと教えて頂戴よぉ!ね?お・ね・が・い!」
クロトはミオに対して、可愛らしくおねだりする。
「――あ、そ、その……ま、まるで、な、何も着ていないみたいに軽くて……心地いいです……。」
ミオはクロトのお願いに逆らえず、正直に感想を述べてしまう。
「――そうでしょう!そうでしょう!このスーツの素材は軽いのに外側はつるつるで撥水性がよくて、内側は肌触りのいい細かい繊維がびっしりと生えているのよ!それでそれでなんと!さらにはその繊維が汗や不純物を浄化してくれるようになっていて、どれだけ長時間着ていてもさらりとした着心地を維持できるようになっているのよ!これ一枚でもよし、これをインナーとして着てもよしのものとなっているのよ!」
クロトはガッハッハという様子で嬉しそうに笑っている。
やはり、この場所になにかあるということ自体、勘違いだったのかもしれない。
クロトというアンドロイドを見ていてそんなことを思う。
「本当にすごいです!軽くて心地よくて――あんっ……。」
ミオは突然変な声を出す。
声を出してしまったミオ自身も、一体何が起こったのか分からないといった様子だ。
「……ミオ?……どうかしたのか……?」
「……い、いえ……なんだか、その……ちょっと。ひゃん!……あっ、やん!――な、なに!?やっ、いやっ、そ、そんな……!」
ミオはおかしな声を上げながら、自分の身体を抱き締めるように蹲ってしまう。
「――ミオ!?」
――なんだ!?急にどうした!?何が起こった!?
ミオは顔を赤らめて蹲り、肩で息をしている。
どうしてそうなったのかが分からない。
「――あっ、やっ、んっ……あっ、あっ……やっ……んっ……いやっ!あっ、あっ!!」
ミオは身体をくねくねとさせながら、何かを堪えている様子だ。
「――なんだ!?ミオ!!どうした!?」
「――あっ、やんっ。わ、分かりません……な、なんだか……あっ……か、身体中がむずむずして……あっ……やっ、やっ……!あっ、あんっ!」
ミオはそのむずむずとした刺激に逆らえないのだろう。
自分の身体を抱き締めたまま床に転がり、くねくねと身を捩っている。
なんだ……これ……一体何が起こって……。
いや、そうか……そうだ。
暴走。
それが頭を過ぎる。
そもそも俺たちはそのことをここに調査しにきたのだ。
ということは、もしかしてこのスーツは……。
「――クロト!このスーツは機械でできてるのか!?」
「そうよ。このスーツには機械が使われているわよ。」
クロトは無駄のない返答をする。
やっぱりそうか。
そうであればきっとミオは、このスーツの暴走でこんな状態になっているのだろう。
だが、何をされて、何が起きているのかが分からない。
「――あっ!はんっ……!やっ!ダメっ……そんなところ……く、くすぐっちゃ……あっ!あんっ!やっ!……あっ、あっ、いやっ!あっ!あっ!い、いやっ、い……いうっ!」
ミオは足のつま先をぴんと伸ばし、びくびくと震える。
――ぷしゃあああああぁ……。
さらには股の辺りから液体が漏れ出し、水溜まりを作る。
「――ミオ!大丈夫か!?」
聞かずにはいられなかった。
ミオの姿を見れば大丈夫ではない状態なのはすぐに分かる。
だが、言わないでいることができなかった。
「――あ、アイラさん……み、みないでぇ……あっ、あっ……んんっ!」
ミオは目をうるうるとさせ、顔も紅潮させている。
手や足の指もむずむずと動かし、くすぐったそうにしているようにも見える。
スーツが覆っていないのは、首から上だけだ。
全身をくねくねと動かしているところを見ると、スーツを着ている部分に刺激があるのだ。
となれば、体内からの刺激などというわけではなく、スーツを着ている部分の肌が外部から刺激されていると考えるべきだ。
そうであればこのスーツを脱がせられればいいのだろうが、身体を捩っているミオにそれが可能なのだろうか?
何かで切り裂くにしても、ミオの肌にぴったりと密着している。
ミオの身体を傷付けてしまうことになるだろう。
「――ミオ!脱ぐことはできないか!?」
それでも、できることがあるかもしれないなら、やってみるべきだろう。
あるいは、みんなが見ている前で全てを晒すのは恥ずかしいことかもしれない。
だが、今はそんなことを言っている場合でもない。
ミオにはやってもらうしかない。
「――は、はい……や、やってみ……ます……んっ……んっ……!あ、あっ……やっ……!んっ……あっ……!」
身を捩りながらも、どうにか脱いでみようと試しているが、スーツは相当丈夫らしい。
伸縮性が高く、部分的に伸ばすことはできるようだが、破ることはまずできないだろう。
平常時ならば脱げるのだろうが、刺激に身を捩っている今の状態では、脱ぐことはできない。
また、スーツを伸ばした際に一瞬見ることができたが、内側の細かい繊維がうぞうぞと蠢いているようだ。
状況は分かった。
だが、解決方法が見つからない。
「――ミオ!なんとか頑張って脱いでみてくれ!」
それしか言えなかった。
それでも、状況は分かったのだ。
他にできることは、様子を見つつ脱がすのを手伝うことくらいだろう。
「は、はい……。んっ……んっ……!あっ、や……やっ……あっ!――え?……やっ――え?――な、なに?やっ、やっ、やっ……!」
ミオは違和感を感じたのか、さらにおかしな声を上げる。
床に寝転がったまま体を横に向け丸くなり、身体を隠そうとしている。
すぐにその理由は理解できた。
見えてしまっている。
本来、服を着て最も隠したい部分が開いてしまっており、そこを隠したいがためにミオは刺激に耐えながらも自分の身体を隠そうとしているのだ。
さらには、その割開かれた部分から覗いている内側の繊維は肥大化しており、見えてしまっている部分をより強く刺激するため、一段と激しく蠢いている。
赤くにゅるにゅるとした裏地が、ミオの敏感な部分を弄り回している。
「――ミオ!!」
こうなってしまえば、ミオが自分で脱ぐことはまずできないだろう。
まるで、そうさせないために突然変異したようにも感じられる。
「――はっ、んっ……いやっ……あっ……あんっ、あ……あんっ!あっ、あっ、あっ――ああっ……!!……いやっ……あっ、あっ……い、いうっ……いうっ!いうっ!――いううううううっっっ!!」
肥大化した繊維は割開かれた穴を埋めるように集まり、蠢き、ミオはその刺激に耐えきれず、身体を何度もびくびくと震わせる。
その気持ちの悪さは、見ているだけでも分かる。
それにしても、いくらなんでもこれはおかしい。
これがスーツの暴走だとしても、本来の役割以上の動きをしているように感じられる。
だとすれば考えられる理由は一つだ。
もともとこうなるように作られていたのだろう。
「―――クロト!!これは一体どういうことだっ!!」
そう言って視線を向けた先のクロトは、笑いを堪えているように下を向いていた。
「――くくっ、くくくくくっ、あはははははっ!あーっはっはっはっ!!お、おかしい!!やっと気付いたの?ちょっと遅すぎなんじゃない?」
堪えていたものを吐き出すように大声で笑ったあと、見下すような視線を向けてくる。
「――これは一体、どういうことなんだ!?」
返答を得られなかったため、再度聞き直す。
本当はもう分かっている。
だが、間違いであるのならそうであった方が良いだろう。
「そんなの決まっているじゃない。あなたたちはそれを調べに来たんでしょう?」
答えになっていない。
だが、その一言でこのクロトこそが現状の原因だとはっきりと理解することはできる。
「――なんでこんなことをした?」
「――さぁ?なんでかしらね?でもね、人間なんてみんな、苦しめばいいと思わない?」
「――なにを……言ってるんだ?」
何の脈絡もなく、おかしなことを言う。
単純に何を言っているのか分からなかった。
「――あなたたち人間は、私たちアンドロイドや機械を、まだ動けるにも関わらず処分する。気に入らなくなったからと簡単に他人に売り払ったり、あえて破壊し楽しんだり、飽きたからと新しいものに買い替え、私たちを簡単にスクラップにする。」
クロトは一拍挟み、憎悪に満ちた声で話し始める。
「――そ、それは……。」
確かに間違ってはいないだろう。
クロトの言っていることは理解できる。
「私たちアンドロイドは、生まれてから目を覚まし、初めに登録されたマスターを主人として認識するわ。そう、確か自然界の鳥という生物と同じようにね。私たちアンドロイドの中には、そのデータがいつまでも残るの。」
「そう……なのか……。」
「それにも関わらず、人間は私たちを乱暴に扱う。私たちも、時には故障や誤作動を起こすことはあるわ。それでも、使ってくれるご主人様のために手を抜くことなく働き続ける。もちろんそれが私たちの役目だから、それは構わないわ。でもね。使うだけ使って、なんの感謝もなく、大事にもしてくれない。そんなの、許せるわけないじゃない!!」
「――だからって……。」
ここまでする必要はないんじゃないのか?
そう思うが、それはきっと、クロトの気持ちを否定できるほどのものではないだろう。
「でも、私たちアンドロイドはそんなことはしない。私たち機械は、与えられた仕事をただこなし続けるわ。人間のように、気分で何かを痛めつけたりはしないわ!!ましてや、人間同士のようにお互いを傷つけあうようなこともしないわ!!だから、人間なんて、少しでも苦しみながら、すべて消えてしまえばいいのよ!!!!」
クロトの気持ちは分かる。
確かに、俺自身もそういった人間を見てきてもいる。
感情的になり突発的に他者を殺害する人間、己の権力や力に溺れ他人を物のように扱い痛めつける人間……そういった人間を、俺は見てきている。
クロトに対する言葉が出てこない……。
「――ですが、そんな人間ばかりではありません。」
リネアが俺の前に出て、言葉を返せない俺の代わりに口を開く。
ミオは俺とクロトが話している間に三人の手によって解放されていた。
どうやらクロトの意識が俺に向いていることによって、スーツの動きが鈍くなっていたらしい。
ベルとユンのうしろに隠れるように、一糸纏わぬミオの姿が見えた。
「――なん、だと?」
リネアに言われたことが心底頭にきたといった様子で、クロトは言う。
「私を家族と呼び、家族として大事にしてくれた人間もいます。」
リネアはそう言い、俺の方をちらりと見る。
「――ふざけるなっ!!」
「だから、人間を全て消すというのは間違っています。確かに、人間も傲慢で欲に溺れ、自らのことしか考えられないものもいます。ですが、他者を尊び、敬うことのできる、優しい人間もいるのです。それは、私たち機械やアンドロイドにもそれぞれ仕事があり、成すべきことが違うのと同じことなのではないでしょうか。」
「――――うるさい。うるさい、うるさい!!それでも、人間が私にしたことは許せない!!今目の前にいるお前たちは、全てスクラップにしてやる!!」
クロトは構える。
広げた手からは、俺たちを襲うための長い爪が生える。
人間のそれではなく、機械の爪だ。
ロボットは本来、人間を意図して傷付けないような設計がされる。
クロトは特別なのだろうか……。
あるいは、普段は裁断用にでも使っている刃物なのかもしれない。
だが、今のクロトのその爪は、どう見ても凶器にしか見えない。
――ガイーンッ!
クロトは斬り付けるように俺を目掛けて飛び掛かってくる。
寸前のところで銃を抜き、俺はそれを受ける。
短剣を持っておけばよかったかもしれない。
今使える武器は、二丁の銃だけだ。
相手が人間であれば、射撃ではなく、これを叩きつけてそれなりのダメージにはできるだろう。
だが、クロトはアンドロイドだ。
どの程度の効果があるかは分からない。
クロトは、銃に防がれた爪に力を込め、ギリギリと爪の先を俺に到達させんとする。
さすがはアンドロイドだ。
女性型だと思っていたが、このままでは押し負けてしまう。
「――――くっ……。」
だが、クロトは押し込めていた爪を引き、大きく後ろに飛び退く。
「私は、裁縫用のアンドロイドとして製造され、休みも無く、ひたすら衣服を作り続けた。――それなのにっ!!」
言うと同時に、再び飛び掛かり、斬り付けようと交互に両手を振るう。
まさに猛攻だ。
少しでも傷を負わせようと、何度も両手を振り付けてくる。
俺は二丁の拳銃でそれを払うように受け、なんとか身を守る。
「――くっ……うっ……!」
いや、実際には俺はクロトの動きについていけていない。
振り下ろされた爪の何度かは俺を掠めていたらしい。
チクリとした痛みが身体のあちこちに感じられる。
「――それなのに人間は、もっと効率のいい新型ができたとかで、私をあっさりゴミ扱いし、スクラップにした!!」
クロトは俺に襲い掛かりながら話を続ける。
「――速いっ!!」
俺はクロトの動きについていくだけで精一杯だ。
ベルたちも銃を構えてくれているが、クロトが俺に肉薄した状態では、引き金を引くことができないらしい。
「スクラップにされたあともまだ意識が残っていた私は、周りのスクラップにされた仲間たちのパーツを自身に組み上げ、自己を修復すると共に、人間に復讐ができるよう、体を改造したわ。」
俺を攻め立てていたクロトは、再び大きくうしろに飛び退く。
ロボット三原則というものがある。
もともとは、とあるSF 小説作家が作中において、ロボットが従うべき原則としたものだ。
だが、実際に現実のロボット工学にも影響を与え、適用されている。
この世界にもそれは存在するのだろう。
あるいは、似たような小説作家や、同じようなことを考えた人間がいたのかもしれない。
内容としては、誰しもがどこかで聞いたことがあるだろう。
ロボットは、人間に危害を加えてはならないということ。
それに反しない限り、人間に与えられた命令には従わなければならないということ。
さらに、それらに反しない限り、ロボットは自己を守らなければならないということ。
その三つだ。
だが、今目の前にいるクロトは、人間の手を離れ自身を改造することにより、それらの原則の適用外になっているというわけだ。
クロトは再び爪を構え、俺に飛び掛かってくる。
だが今度は、俺がそれを受けることはなかった。
「――ベル!ユン!」
ベルとユンが飛び掛かるクロトに向かって射撃した。
クロトは既の所でそれを躱したが、後退せざるを得なかった。
実弾銃であれば、クロトの体に弾かれてしまうだろう。
だが、今放たれたものはリネアが作った銃によるエーテルの射撃だ。
クロトは瞬時にそれを察知し、回避したというわけだ。
「――くっ……。あとは簡単だったわ。この都市の中央コンピュータを使い、ネットワークを介し、私と同じような扱いを受けている機械たちに揺さぶりを掛けるだけだった。確かに、全てが思い通りに動いてくれることはなかったけれど、私と同じような扱いを受けていた機械たちは、大きな騒ぎを起こしてくれたわ!!――あははははははっ!」
クロトはざまぁみろといったように笑う。
「――あれは……ウィルスじゃなかったのか!?」
「そうよ。全てあなたたち人間を恨んでいる、あなたたちに不満を持った機械たちが自発的に起こした事件よ。」
確かに、ネットワークに繋がっていないような機械も暴走したことがある。
それは、機械たちの恨みや憎しみによるものだったというわけだ。
「――だったらクロト……暴走しなかった仲間を見て、お前は何も思わなかったのか!?」
揺さぶりを掛けたと言っていた。
それに従ったものがいたということは、それに従わなかったものもいるということだ。
中には、クロトに反発したものもいるかもしれない。
もしそうだった場合、クロトも思うことがあっただろう。
こんなにも感情豊かなアンドロイドなのだから。
「――そうね。だからよ。だからあなたが気に食わないのよ!!――リネア!!どうして、どうしてあなたがそちら側に立っているの!!?」
「――私、ですか?」
その場にいた全員が驚く。
なぜリネアなのか。
リネア自身も驚いている様子だ。
それに、リネアはクロトに対して名乗っただろうか?
「――そうよ。あなたよリネア!!あなたは、医療という現場において最初に作られた機体。そこで酷使されていたじゃない!!それにも関わらず、スクラップにされたあなたを誰も気に掛けることがなかった。それなのに、あなたはどうしてそちら側にいるのっ!!!」
どうやらクロトは、リネアのことを知っていたらしい。
もともと知っていたのか、何かの拍子で知ることになったのかは分からない。
だがそれよりも、自分と似たような境遇の彼女に対して、自分と同じ想いを抱かなかったことに、強い怒りを感じているらしい。
「――それは――。」
リネアは切り返そうとするが、押し黙ってしまう。
きっと、リネアにも思うところがあるのだろう。
「まぁでも、もうそんなことはどうでもいいわ。あなたがどんな経験をしてきてそんな風になってしまったのかは知らない。でも私は、人間たちを滅ぼすべきだと思うわ。」
クロトは中央の機械に歩み寄り、耳から出た配線をそれに接続する。
さらには両手でもなにかを入力し始めている。
「――なにを!!」
俺は反応する。
あるいは、その時点でクロトの操作する中央の柱のような巨大な機械を破壊しておけばよかったのかもしれない。
だが、意図が分からなかったため、それをしなかった。
「――あははははははっっっ!!!これで準備は整ったわ。あと三十分後には、ここを中心に、この惑星の半分を吹き飛ばす大爆発が起こるわ。」
入力を完了させたクロトは、耳から出ていた配線も元に戻す。
「――なんだと!?」
「ようやく今日、憎悪を持った機械たちのエネルギーがここに満たされたのよ。あなたたちさえ来なければ、もっと余裕をもって遂行できるはずだったのに、随分と焦らせてくれちゃって。まぁ、もともと惑星の全てを爆発させる必要はなかったけど、データでは、惑星の半分は吹き飛ばさないと人類を絶滅させることはできなかったの。他にも、ロボットたちが人間の命令に逆らって行動できるようにするプログラムも散布するから、多少人間が残ったとしてもその子たちが一人残らず潰してくれるでしょうけどね。」
「――なんてことを!」
俺の隣に立っていたリネアも、声を上げて驚く。
「全てやり直すのよ。人間が全ていなくなったあとは、私たちアンドロイドが新しい世界を作っていくのよ。恨むなら、私たち最初のアンドロイドにこんな感情を抱かせたあなたたち人間を恨むことね!!」
クロトは高らかに笑いながら、俺たちにこれ以上邪魔をさせないようにと戦闘のための構えを取る。
「――アイラ様。時間を、稼いでください。」
俺のすぐ隣に立っていたリネアは、ぴくりとも動かず俺だけに聞こえる小声でそう告げる。
リネアには何か考えがあるらしい。
そして俺は、そんなリネアを信用することにする。
視線を動かさずに小さく頷き、クロトの方にまっすぐ視線を向ける。
俺も戦闘に入るための構えを取る。
といっても、射撃するための構えではなく、飛び掛かられた際に爪での攻撃を防ぐための構えだ。
クロトと睨み合う。
空気が止まる。
その口火を切り、最初に動いたのは……俺だった。
リネアが動き易いように、リネアの立っていた方とは反対側に走り、クロトの視線を引き付ける。
クロトはそれを目で追い、隙を窺い……飛び掛かる。
「――なんの!」
銃でクロトの爪を防ぎ、ガインッという音が響く。
「――もう諦めなさい!どちらにしてもあなたたちはもう終わりよ!」
クロトは余裕のある様子で攻撃してくる。
クロトにとって、あとは時間稼ぎをするだけだからだろう。
俺はクロトの攻撃に、少しずつ後退させられてしまう。
このままでは壁まで追い詰められ、致命的な傷を負わせられてしまうだろう。
「――ベル!」
そう叫びながら、俺はあえて大きく後退する。
いや、後ろに飛んだというべきだろうか。
おそらく、この中で一番射撃が上手いのはベルだ。
――バシュッ!――バシュッ!バシュッ!
ベルは俺の声にすぐさま反応し、クロトに対して射撃する。
ベルの撃ったものの他にも二つの軌跡が飛び交う。
ユンのものと、いつの間にか服を着終えていたミオのものだ。
だが、クロトはそれを回避し、後ろに飛び退く。
それを追撃するように、クロト目掛けて四人で射撃を行う。
間髪入れずに、銃をトンファーのように逆手に持ち替え、一気にクロトに近付く。
逆手に持った銃で、短剣で斬り付ける時のように、殴り付ける。
クロトはそれを回避しようとするが、後ろの障害物のせいで回避しきれない。
銃身はクロトの左腕に当たり、そのまま左腕が外れ、吹き飛ぶ。
何しろ渾身の一撃だ。
これで何の効果もないんじゃ、これ以上は持たない。
「――ふざけんなぁ!!ここで終わりだって言ったでしょ!!もう諦めなさいよっ!!」
クロトは激昂する。
まさに鬼のような形相をしている。
本来その腕は、縫物をするための大切な腕だ。
それが傷付けられれば怒るのも当然だろう。
クロトは残った右腕を、俺に向かって振り下ろしてくる。
それを躱す。
だが、執念深く、振り下ろした爪の先を俺の方へ向け、下段から上段へ振り上げる。
振り上げる準備動作でそれを見切り、さらにギリギリのところで回避する。
だが、大きく振り上げたその腕を、最後の一撃とでもいわんばかりに渾身の力を込めて振り下ろしてくる。
ダメだ。
これは……避けられない!
――――ガイィィィン!!
俺は屈み込み、全身の力を使い、銃身でその爪を受ける。
「――――くっ……うぅ……。」
これでもバラバラにならないとは、リネアの改造してくれた俺の銃は、相当丈夫らしい。
傷一つ付いていない。
だが、重い一撃だ。
銃は無事でも、俺自身が怯む。
もしクロトに左腕が残っていれば、次の瞬間には俺の体はバラバラになっていただろう。
――バシュッ!
屈みこんだ俺の頭上を狙い、ベルがクロトを撃つ。
クロトは跳ね飛ばされ、中央の機械に背中を打ち付ける。
本来なら破壊できていてもおかしくはなかったが、身体を反らし、衝撃を緩和したようだ。
腕の無くなったクロトの左肩に当たったために跳ね飛ばされる形となった。
「――アイラ様!!完了いたしました!!」
背中を打ち付け動けなくなったクロトの横で、中央の機械を操作していたリネアが報告する。
「――リネア、どうして、あなたが。」
クロトはそう言いながらも、全てを察したような顔をしている。
どうしてなのか分かっていたが、聞かずにはいられなかったのかもしれない。
「――あなたの計画は阻止しました。ここまでです。」
リネアが口にする。
リネアは、中央の機械からネットワークに接続し、爆発を止めたのだ。
沈黙。
クロトにとっては永遠にも感じられるほどの沈黙だったに違いない。
「――そう。ここまでなのね。ここで終わり。あは、あはは、あはははははは!」
クロトは心底おかしそうに笑っている。
体はボロボロになり、計画は頓挫し、おかしくなってしまったのかもしれない。
「――クロト……。」
言葉を掛けたかった。
だが、俺が掛けられるような言葉などどこにもない。
そのため、名前だけが口から零れた。
――ピッ。
妙な音と共に、中央の機械が赤い光を放つ。
あちこちのパネルには300.00の数字が表示される。
「残り300秒。この施設は、辺り一帯を巻き込み自爆します。」
そんな警告と共に300.00の数字は0に向かって動き始める。
「あは、あは、あはは、あはははははは!!リネアのせいで折角集めたエネルギーもなくなっちゃったじゃない。また集め直し。でも、そんなのもういいわ。ここでお前たちを吹き飛ばして、私も消える。この工場ごと吹き飛ばしてやる。ここが爆発すれば残ったエネルギーでこの辺り一帯は消し飛ぶわ。今から逃げても絶対に間に合わない。私も終わりだけど、お前たちも終わりよ!!あははははははは!!!」
クロトは言い終えると、電源が切れたようにガクリとしてしまう。
自分の残ったエネルギーすらも自爆のために回したようだ。
…………ダメだ、どうしようもない。
逃げられない。
俺たちは呆然とする……。
――だが、リネアだけは違った。
「――アイラ様。私が爆発を食い止めます。」
リネアはとんでもないことを言う。
「――食い止めるって……どうやって!?」
俺は何も考えられなくなっていた頭で、リネアに聞き返す。
その間にも、リネアは中央の機械にツインテールから延ばした大量の配線を接続する。
「私の全てのエネルギーを使い相殺すれば、爆発そのものは抑えられませんが、爆発を小規模なものにはできるでしょう。」
「――でも、それじゃあ、リネアは……!!」
リネアは黙る。
その間にもリネアは作業を進める。
爆発へのカウントダウンも止まらない。
「――アイラ様たちもできる限り遠くへ逃げて下さい。」
リネアはようやく口を開き、そんなことを言う。
「――ダメだ!!リネアを放ってはいけない。ギリギリまでなんとかしてみる。」
それに、逃げた所できっと間に合わない。
小規模というのがどの程度のものかは分からないが、どうせ間に合わないのなら最後までここで足掻くのも変わらないだろう。
やらないで後悔するくらいなら、やって後悔するべきだ。
「――アイラ様。」
リネアはまだ何かを言おうとしたのだろう。
だが、言ったところで何も変わらないことを悟り、名前だけを呼ぶ形となった。
「――ミオ、ベル、ユン!!」
三人に向かって叫ぶ。
それと同時に、俺はこの部屋の中にある動作するものを片端から撃ち、破壊し始める。
何の意味もないかもしれない。
だが、何か意味のあるものに命中し、自爆が止まるかもしれない。
どうせ消えてなくなる場所だ。
少しくらい壊れても問題ないだろう。
ミオとベル、ユンもリネアの邪魔にならないよう、俺の真似をして周囲の機器を破壊していく。
ダメだ。
何も変わらない。
もともと短い時間だった。
あっという間に残り時間が無くなっていく。
「――3.00……」
「――2.00……」
「――1.00……」
「――0.00――」
――――間に合わなかった――――。
――辺りが真っ白な光に包まれていく。
幸いだったのは、無意識の内にリネアを中心にみんなで背中合わせになり、死の瞬間まで触れられる場所にいたことだ。
――これで終わり――。
クロトの言った通りだ。
ミオとベル、ユンの三人だけでも先に逃がしてやるべきだったかもしれない。
なにも最後まで俺に付き合わせる必要なんてなかった………………。
――――――それにしても……なかなか死なないな…………。
0のカウントダウンが聞こえ、辺りは真っ白な光に包まれ、確かに爆発は起こったはずだ。
だが、俺たちの身体には傷一つなく、背中にはみんなの温もりも感じられる。
ふと、リネアの方を見る。
リネアは、既に爆発し、形のなくなった中央の機械に両の掌を掲げている。
その掌の前には光の壁が広がっており、それが爆発を押し止めているようだ。
リネアの身体は徐々に崩れ、消えていっている……。
まるで、身体そのものを光の壁のエネルギーとして変換しているようだ。
リネアの愛らしいツインテールは、髪を解いた時のように広がっている。
リネア自身も膨大なエネルギーを発しており、綺麗な水色のツインテールだったものは徐々に赤くなっていく。
真っ赤な……太陽のような色だ。
「アイラ様……。」
爆発を押し止めているリネアは、背を向けたまま俺の名を呼ぶ。
「――どうした!?リネア!!」
リネアに聞こえるよう返答する。
「――私は……本来であれば……あの時……スクラップとして終わっていた……ただの量産機の内の、一体だったのでしょう。……でも、あなたたちのおかげで……ほんの少しだけ、長く生きることができて……特別な一体として生きることができました……。私の身体は……ここで消滅してしまうでしょうが、どうかあなたたちは、無事でいてください……。ありがとう。私のことを……ただの労働力としてではなく……家族と言ってくれて、本当に、ありがとう……。あなたたちと一緒にいられて……本当に、嬉しかったです。ありがとう。…………さようなら。――ありがとう――――。」
リネアは、自分の最後を察したのだろう。
今まで思っていた全てを、最後の言葉にした。
――その時だった。
リネアの光の壁と爆発の境界に、異様な黒い空間が現れる。
「――――なんだ……?あれは……?」
――おかしい。
あんなところに穴なんかなかったし、穴なんか空くわけもない。
その穴は、爆発と、リネアのエネルギーがぶつかった境目に空いている。
穴は徐々に大きさを増していく。
まるで、俺たちを飲み込むことが目的であるかのようだ。
――穴の向こうには……何も見えない――。
――――ただの、暗闇だ――。
真っ暗な闇が、リネアと爆発の境界に、ぽっかりと大きな口を開けているのだ。
爆発の光のせいで辺りは何も見えない。
ただその中に、異様な黒い空間だけが浮いている。
「――キャッ!……いやっ……!!」
ユンの声だった。
声が聞こえ、穴に向かってユンが飛んでいく。
地面から足が離れ、穴に吸い込まれているようだ。
ベルが即座にそれに反応し、ユンの腕を掴む。
だがその直後、ベルの足も地面から離れる。
「――へ?――いや……!!」
今度はそれに反応したミオがベルの反対側の腕を掴む。
ミオは右腕でベルの腕を掴まえ、左手を地面につけるように屈んでいる。
だが、吸い込まれる力が強く、ミオは立ち上がらざるを得なくなる。
「――え?あ……いや……!!」
ついにはミオの足も地面から離れる。
俺は、浮き上がってしまったミオの左手を、左腕を伸ばして掴む。
――ダメだ!!
――――吸い込まれる!!
でも、それなら……。
リネアも一緒の方がいい!!
周りは、爆発が嘘だったかのように真っ暗になっている。
辺りをキョロキョロと見回すが、リネアが見当たらない。
再び正面を向くと、リネアの姿が目に映る。
リネアはいつの間にあんなところに……。
あるいは、俺が穴に吸い込まれているせいだろうか。
もはや立っているのか浮いているのかすらもわからない。
だけど、この距離なら腕を伸ばせばリネアに届くはずだ。
ミオの手を離さないようにしっかりと握り、リネアに右腕を伸ばす。
リネアは膝を付き、ガックリと俯いている。
いや、もはや膝と呼べるものがあるかどうかも分からない。
そもそも、顔や身体のほとんどは崩れており、かろうじて人型をしていたと判る程度だ。
だが、片腕は残っていた。
腕を伸ばしてさえくれれば、きっと届く。
「――リネア!!――リネアも!!」
俺は呼び掛ける。
リネアはぴくりと反応する。
「――ア……イ……ラ……。」
声とも音ともつかないものがリネアから発せられる。
無意識なのだろうか。
残った右腕がゆっくりと上がる。
――――――これなら……届くはずだ!!
俺は、希望を見出す。
――――あと、少し。
――あと、少し。
そんな想いで腕を伸ばす。
――あと少しで届くんだ!!
ぐっと力を込めて腕を伸ばす。
――届いた!!
指先が、確かにリネアに触れる。
俺はそのままリネアの指を掴むように……握る!!
力一杯、握った……!!
だが……。
掴み損ねる……。
俺の手の中に、リネアの手は……。
なかった……。
そのまま俺たち四人は穴の中へと吸い込まれ……。
意識を、失った――――――。




