相野さんの異変
―――ジリリリリリリr………
――はっ!?
――どうなった!?
死んでは……ない?防ぎきれたのか!?ミオとベルの2人は!?
――くそっ!!仕事かっ!!そんなもんっ…………!!
……いっそ……仕事は休むべきか……?
いや、でもこちらの世界にはこちらの日常がある……。
――くそっ!!
……もう一度寝るというわけにも……いかないか……。
心配でイライラしながら支度をする。
朝食は簡単に食パンだけを食べる。
食パンをかじる口にも力が入り、ガツガツと乱暴に食事を終える。
食べた事によって、少し落ち着く。
今は、あちら側の事を考えてもどうしようもない。
考えないようにして家を出ることにした。
「……おはようございまーす。」
職場に着き、他の従業員たちに対して、形だけの挨拶をする。
「――あ、瀬濃さんじゃないすかぁ。おはざーっす。」
「おはざーす。」
ニヤニヤとしながら挨拶を返してくる二人がいた。
「ああ……おはようございます。」
「瀬濃さん、聞きましたよぉ。なんかぁ、瀬濃さんがストーカーとかいうの誤解だったらしいじゃないすかぁ。」
なんだ?今更そんな話か……。
そういえば、こいつらと話すのもだいぶ久しぶりだったな……。
何でこいつらはこのタイミングでそんなことで声を掛けてきたんだ?
妙な違和感を感じ不思議に思う。
「ああ、そうですよ。」
俺の返答を聞くと、ケラケラと笑いながら去っていく。
嫌な予感がした。
ふと、遠目に相野さんが見える。
「――おはようございます。」
頭をぺこりと下げ、他の従業員に挨拶をしているようだった。
今日も礼儀正しく、可愛い。
だが、挨拶をされたその従業員は、挨拶を返すどころか相野さんを睨み付け、ふいと顔を逸らし去って行ってしまう。
相野さんは、寂しそうな表情をしていた。
俺に声を掛けてきた二人も相野さんとすれ違う。
それに気付いた相野さんは、二人にも挨拶をしていた。
だが、その二人も自分たちの会話に夢中だったのか、相野さんに返事を返すことはなかった。
相野さんは思い悩むような顔をしている……。
相野さんとパチッと目が合う。
挨拶のために近付く。
「――おはようございます!」
挨拶をする相野さんは、今日も可愛い。
「相野さん。おはよ――。」
途中まで言って、誰かに背中を引っ張られた。
振り向くと、うしろには初さんがいた。
どうやら、初さんがうしろから俺の服を引っ張ったようだ。
「――ああ、初さん。おはよう。」
「あ、あの……。」
初さんが相野さんには聞こえないような小声で話し掛けてくる。
「……ん?どうした?」
思わず、俺も小声で返事をする。
「……ちょっと……いいですか……?」
そう小声で語りかけながら俺を引っ張っていく。
「あ、ああ……。――えっと、相野さん。ごめん。なんか初さんが用があるらしくて……。」
俺は初さんに返事をし、相野さんにも声を掛ける。
「――あ、はい。分かりました。」
相野さんの返事を聞きながら初さんに引っ張られ、相野さんから離れる。
「――ちょっと瀬濃さん!知らないんですか?」
初さんは周りの様子を確認し、小声でありながらも少し強めの口調で言う。
「……なにをだ……?」
俺には何のことだかさっぱりだった……。
「……知らなかったんですね……。なんか相野さん、皆さんの悪口を言って回ってるらしいですよ……?」
……以前の噂の件だろうか?
「いや、だからそれは誤解で、もう解決してるはずだろ?」
「……?何言ってるんですか?今日の話ですよ?」
「……今日の……話?」
確かに、あの件はまだ初さんがくる前の話だ。
知っているわけがない……。
いや、知っていたとしても、すでに解決したあとだ……。
今更になってしつこく話すやつもいないだろう……。
「はい。なんか……相野さんは、陰で皆さんのことを馬鹿にしているみたいで……。本人のいないところで、使えないだとか、役立たずだとか、気持ち悪いとか言っているみたいで……。」
「……なんだそれ……?」
確かに、前に噂になったものとは違う。
加えて、あの相野さんがそんな風に人を蔑むことを言うとは思えなかった。
「――と、とにかく!相野さんには話し掛けない方がいいですよ?皆さんもそうしてますし……私、瀬濃さんが悪口を言われるのはすっごく嫌です!それじゃ、気を付けてくださいね!」
初さんはそう言ってその場を去っていく。
凄まじく違和感を感じたが、今は仕事を始めるとしよう。
俺の今日の仕事は、主にレジ打ちだった。
相野さんと一緒にできればよかったのだが、残念ながら相野さんは在庫の管理を任されていた。
レジ打ちの対応をしながらも、相野さんの姿を目で追ってしまう。
相野さんは黙々と仕事を進めていたが、分からないことがあったようでベテランの従業員に確認をしに行っていた。
だが、その従業員は返答をする様子もなく、まるで相野さんが見えていないかのように仕事を続けている。
相野さんはおろおろと困っている様子で、他の従業員を見つけてそちらにも確認していたが、同じように無視されていた。
俺はすぐに助けに行くためレジを離れようとしたが、レジに人が並び始める。
一人目の対応をしていると、次々と人が並んでくる。
そうしている間に、相野さんは聞くことを諦めたようで、どうにか自分で解決しようと頑張っていた。
レジを打ちながら遠目に見ていたが、どうやら在庫の置き場所に関して迷っていたようで、どうにか自分で考えて置き場所を替えていた。
そうだ。
それで合ってる。
レジの対応をしている間に、相野さんは自分で解決できたようだ。
良かった。
そうこうしている間に、午前中の仕事が終わり、休憩の時間になる。
すると、相野さんが近付いてきた。
「――あ、瀬濃さん!あの……よければなんですけど……一緒に……お昼、食べませんか?」
なんという嬉しい申し出だろう。
きっと相野さんは寂しかっただろうし、話したいこともあるだろう。
もちろん肯定の返事をして同席する。
……普段の俺だったら、そうしただろう。
むしろ、そうした方がよかったかもしれない……。
だが、今日は他にやらなければならないことがある。
「……ごめん。今日は他に用事があって……。」
「そう……ですか……。」
酷い落ち込みようだ……。
今すぐにでも撤回して、同席したいところだ。
「……えっと……もし用事が早く終わったら……急いで行くよ。」
「――本当……ですか?」
相野さんは嬉しそうにしつつも申し訳なさそうに聞き返してくる。
「ああ。ただ、多分長引くと思うから、あんまり期待しないでくれ。」
「……わかりました。」
少し無理に笑ったような顔で、寂しそうに笑い返してくる。
ごめん……。
さて……それじゃあ……。
「――あ!瀬濃さん!私と一緒にご飯食べましょ!待っててくれたんですよね?」
相野さんが去って行くのを見計らったようなタイミングで、今度は初さんが声を掛けてくる。
「えっと……ごめん。悪いけど、一人で食べてくれ。ちょっと用事があるんだ。」
「え……?でも、今……い、いえ、分かりました。じゃあ、仕方ないですね!」
初さんは、不満そうな顔をしていたが諦めてくれたようだ。
さて、じゃあ今度こそ。
俺は、店長を探し始めた。
店長は、なかなか見つからなかった……。
初めに行ったのは……タバコを吸う人だと聞いていたので、俺はタバコの臭いも煙も大嫌いだが、喫煙所を探した。
あるいは、休憩が取れておらず、接客や在庫管理をしているかもしれないと思い、店内も探した。
休憩に入っていない従業員にも聞いてみたが、つい先ほど休憩には入っているとのことだった。更衣室やトイレも探したが、見つからなかった……。
諦めかけたところに、ビニール袋を持った店長が歩いてくるのが見えた。
なるほど……外に買いに行っていたのか……。
普段は用意してある弁当を食べていたようだったのだが、こういう時に限ってこれだ……。
俺はさっそく、話し掛けるため店長に近付く。
「――あの、店長、ちょっといいですか?」
ここまで言って気付く。
探すことに夢中で考えていなかったが、なんと聞けばいいのだろう?
「――ん?どうした?」
「……あ、あの……いえ……。」
「用事がないなら行くぞ。」
休憩も決して長くはない。
待とうとはせず、すぐに切り上げようとする。
「……あの、相野さんに関してなんですが、なんかみんなに無視されているようで……。」
俺は、意を決して聞くことにした。
「そうなのか。何も知らないぞ。」
店長はそう答える。
だが、これは明らかにとぼけているといった顔だ。
「……相野さんが、なんで無視されているか知りませんか?」
「……さぁ?知らないな。」
完全にとぼけている。
確かに、店長という役職上、ベラベラと話すわけにはいかないのだろう。
だが、俺もあっさり引くわけにはいかない。
「本当ですか?それらしいことも知りませんか?」
念を押して、もう一度聞いてみる。
「知らないな。知っていても話せることはない。」
どうやら、知ってはいるらしい。
だが、これ以上は話すつもりがないのも分かる。
「……そうですか……わかりました。休憩中すみませんでした。」
役に立たないななどと思いつつも、これもこの人の仕事なので仕方ないと諦めることにする。
「おう。」
俺は、諦めてその場を立ち去る。
休憩時間ももう終わりだ。
午後の仕事に備える。
午後は、午前と違う仕事で、新しい商品の搬入作業だった。
相野さんはレジ打ちだった。
休憩を終え、持ち場に向かう際に、寂しそうにとぼとぼと歩いている相野さんを見つける。
「――あ、相野さん。やっぱり間に合わなくて……ごめん。」
「――あ、いえ、大丈夫ですよ。」
下を向いていた相野さんは顔を上げ、寂しそうな表情で作り笑いを浮かべてそう答える。
短いやり取りを済ませ、搬入作業のため倉庫に向かう。
倉庫には、すでに他の従業員が何人か待機していた。
その中には、朝声を掛けてきた二人もいる。
――そうだ。
あの二人に事情を聞けば、何か分かるかもしれない。
話し掛けるのは嫌だが……やむを得ないだろう。
「お疲れ様です。」
「ああ、瀬濃さん。おつでーす。」
ダラダラしやがって……。
だが、今は堪える。
できるだけ自然に切り出すように意識する。
「そういえば、朝、なんで誤解だったなんて話をしてきたんですか?」
少しきつい言い方になってしまっただろうか。
「なんすか?急に。気になりますか?」
「ま、まぁ、他人事ってわけでもないですしね。」
「へぇ……いや、なんかぁ、相野さんって、実は陰でみんなの悪口を言ってるらしいんっすよねぇ。」
それは聞いた。
「……そうなんですか?知りませんでした。」
「そうなんすかぁ?みんな言ってますよ?瀬濃さんだけ知らないとかウケるわぁ。」
交互にしゃべっていた二人はケラケラと笑う。
イラつくが、ここは我慢だ。
「なんで急にそんな話になったんですかね?」
「さぁ?わかんないっすね。僕は、初さんから聞いただけなんでぇ。」
「初さんから?」
「えー!マジかよ!俺も初ちゃんから聞いたぜ?」
そう言って二人は、再びケラケラと笑いだす。
「――そうなの?私も初ちゃんから聞いたわよ?」
話を聞いていたのだろう。
別の年配女性従業員も教えてくれる。
なるほど……なんとなく話が見えてきた気がする……。
だが、ここは……。
「――え?そうなんですか?」
「そうよぉ。あんな可愛い子が言うんだもの。信じちゃうわよねぇ。」
「なるほど……。確かに相野さんと初さん、最近ちょっとぶつかっちゃったみたいで、それで何か勘違いしたのかもしれませんね。」
俺は相野さんだけでなく、初さんが悪者にならないように気を付けて言葉を返した。
「あら?そうなの?でも、火の無い所に煙は立たないって言うしねぇ……。」
年配の女性従業員は、疑わしい様子だった。
「まぁ、確かにそうですよね……。」
俺は、当たり障りのない言葉を返した。
その後は搬入作業を完了させ、あっという間に帰宅の時間になる。
相野さんの姿もあったが、酷く沈んでいる様子だ……。
午後の仕事中も無視され続けていたのであろうことは、それを見るだけで明らかだった。
「お疲れ様でーす。」
周りの従業員に声を掛けながら、俺も帰りの支度をする。
相野さんも挨拶をしている様子だったが、それに応えるものは誰もいなかった。
「――相野さん。お疲れ様。」
「――あ、はい。お疲れ様です。」
寂しそうな表情で作り笑いを浮かべ、返事をしてくれる。
「お疲れ様。またね。」
「あ、はい。」
少しだけ、相野さんのトーンが上がっていた。
帰り道、相野さんの件をどう解決しようか考えながら俺は帰宅した。
風呂も食事も済ませ、寝る支度をする。
まったく……あちらでもこちらでも問題事ばかりだ……。
考えることが多すぎて頭が爆発しそうだ……。
眠りに就くまではずっと相野さんのことを考えていたが、いつの間にか眠りに落ちる。




