契約花嫁は、暇をもてあます
正直、戸惑う感情が心の大半を占めている。
けれども、笑顔で祝福してくれた両親のためにも、山上家当主の花嫁として立派に役目を勤めあげなければならない。
鼓舞させた意気込みだったが、初っぱなから折れそうになる。
「じゃあ、僕はこれから眠るから」
「はい?」
「何かわからないことがあったら、ウメコに聞いてね」
装二郎はそう言って、ひとり家に上がっていく。灯りのない廊下の闇の中に、呑み込まれていった。
「あの、ウメコ。あの人は、いつもああなの?」
『いえいえ、今日は調子が悪いのでしょう』
絶対に嘘だと、まりあは思った。
◇◇◇
山上家の屋敷は、全体的に暗い。
床や壁が真っ黒だからだろう。窓も少なく、太陽の光はあまり差し込んでこない。そのため、昼間でも薄暗い。
夜を生きるあやかし達が生活しやすいように、このような造りになっているようだ。
案内されたまりあの部屋は、装二郎の私室から遠く離れた位置にあるとウメコは言う。
通常、夫婦の部屋は近くに設計されているものだが。
ここは一風変わったあやかしを匿う山上家。常識は通用しないのだろう。
襖を開くと、異国の文化を取り入れた和洋折衷の内装にまりあは驚く。
床には毛足の長い絨毯が敷かれており、猫脚の円卓と長椅子が中心に置かれていた。
続き部屋となった寝室を覗くと、天蓋付きの寝台が置かれている。
箪笥には、着物だけでなくドレスも収められていた。
まりあが何不自由なく暮らせるように、さまざまな品を用意してくれていたようだ。
周囲にうるさく言われて、嫌々渋々と花嫁を迎えたのかもしれない。
それでも、心配りの数々はたいへん嬉しいものであった。
山上家の花嫁として頑張ろうと、今一度思い直したまりあだった。
それからまりあは、山上家の花嫁として新しい生活を始める。
通常、華族当主の妻となった女性は、社交に勤しむ。まりあの母も、そうだった。
異国風に〝サロン〟と呼ばれる場所に客を招き、紅茶を飲んでいたのだ。
アンナが作る洋菓子を食べながら飲む紅茶は最高だった。今となっては、遠い日の記憶である。
一方で、山上家に社交へ誘う手紙は届けられない。
ウメコに聞いたところ、山上家は社交をほとんどしないと。それは、噂話として囁かれていた。
実際にそうだと知れば、納得するしかないだろう。
嫁いで早々、することがなくなってしまう。
暇をもてあましたまりあは、狸や狐を部屋に招いて遊んであげた。
無邪気なもので、まりあが作った布の鞠を投げると、嬉しそうに追いかけていくのだ。
あやかし達は獣臭さはいっさいなく、頭や首回りに触れるとふかふかとやわらかい手触りであった。
まりあ様、まりあ様と言って懐いてくるので、ついつい可愛がってしまう。
ただ、傷ついた姿を目にすると、いったい誰がこのようなことをと、腹立たしい気持ちになった。
夕食はまりあ一人分だけ、部屋に運ばれてくる。
あやかしは食事を必要としないようで、ひとり寂しく食べるのだ。
装二郎と顔を合わせるのは、朝食の席だけ。
あくびばかりしている夫の前で、黙々と食べるのだ。
「まりあ、不自由はない?」
「ええ、ございません」
「そう」
会話も、毎日一言、二言交わすだけであった。
まりあの両親は仲睦まじいので忘れていたが、華族の夫婦のほとんどは政略結婚。その関係は冷え切ったものが多いという。
装二郎はまりあを気に懸けてくれる。それだけでも、いい夫と言えるのかもしれない。
本邸には、当主とその妻、子どものみ住むという。
子どもは成人したら、家を出て行く決まりがあるらしい。
当主が亡くなったら、次代へ爵位と役目が引き継がれる。
つまり、装二郎の父親は亡くなっているということなのだ。
母親については知らない。相手が話さない限り、聞かないようにしている。
爵位を引き継いでから五年もの間、装二郎はこの暗い屋敷で独り暮らしていたという。
正確にいえば、あやかし達もいたわけだが。
「そういえば、狸や狐達が、君にたいそう懐いているようだね」
「ええ、まあ」
「怖くない?」
「まったく」
「よかった」
装二郎は安堵したように、やわらかく微笑む。
どきんと、胸が大きく跳ねたが――装二郎は「さ、寝よう」と言ったので我に返った。
「あなた、毎日毎日眠いっておっしゃっていますけれど、夜は何をなさっていますの?」
「何って、夜は眠るものでしょう?」
正論であるものの、昼間も寝ている人が言うと説得力がまるでない。
相変わらず、装二郎は寝てばかり。見事な昼あんどんっぷりである。
華族は不労収入で暮らすので、なんら不思議ではない。けれども、昼夜逆転してしまう生活はどうなのかと、まりあは疑問に思ってしまった。
「あ、そうそう。必要な品があったら、御用聞きになんでも頼んでいいから。品物を選びたいのであれば、商人を呼んでもいいし」
「はあ。特に不自由はしておりませんが」
「謙虚だねえ」
謙虚、なのだろうか。よくわからない。
幼少期より、両親が用意したものを受け取り、暮らしてきた。
自分から何か望むことは、めったになかったように思える。
欲がない。
ある日、父親はまりあにそう言った。
それは、褒め言葉ではないなと感じたのを覚えている。
そんなまりあだからこそ、貧乏生活に耐えられたのかもしれない。
「あ、最近は、外で買い物するのが流行っているんだっけ?」
「え? あ、ああ、そう、ですわね」
学習院時代、週に一度あった外出の時間、文具店や菓子店に行き、買い物をするのを同級生は楽しんでいた。
まりあも、楽しかったという記憶が残っている。
「だったら、まりあも出かけてくればいいよ」
一緒には行ってくれないらしい。
百貨店などで、夫婦が仲睦まじい様子で買い物している様子を見かけていたが。
この結婚は、愛がない契約で結ばれたもの。
共に長い時間を過ごさないのは、当たり前なのだろう。
「気を付けて、行ってきてね」
「ええ」
「絶対に、夜になる前には帰ってくるんだよ」
急に、声色が真面目なものとなったのは、まりあは顔をあげた。
装二郎はいつものどこか抜けた表情でなく、ピンと張りつめたような顔でまりあを見つめている。
「夜は、危ないからね。見回りが巡回しているとはいえ、毎晩のように事件は起きているから。まりあは善い娘だから、わかるよね?」
「え、ええ」
「特に、年若い女性が行方不明になっているようだから、明るい時間でも気を付けて」
「わかっております」
そういえばと、まりあは思い出す。
山上家の当主が、迎えた花嫁候補を連れ帰り、血肉を啜っているというもの。
どうしてそのような噂が流れていたのか。
ただ、火のない所に煙は立たぬ、という言葉もある。
「まりあ、どうしたの?」
「あ――いいえ。お言葉、痛み入ります」
契約を結んだ以上、まりあは装二郎の支援なく暮らせない。
詮索するようなことは止めよう。
そう、自らに言い聞かせた。
「あ、そうだ!」
装二郎は懐を探り、何かを取り出す。それを、まりあに差し出した。
「これ、あげる」
「なんですの、これは?」
それは、赤い紐に結ばれた銀色の鈴。
ただの鈴のように見えたが、鳴らしても音が出ない。
まったく重さを感じない、不思議な細工であった。
「それは、邪祓いの鈴だよ。鈴の音は、周囲を浄化する力があるんだ」
「でも、こちらは音が鳴りませんが」
「悪い存在が接近した時だけ、鳴るんだ。これは肌身離さず持ち歩いて、もしも鈴の音が聞こえたら、大人しくしているんだよ」
「わかりました。お心遣い、感謝します」
深く頭を下げ、部屋から辞した。




