契約花嫁は、山上家のあやかしと出会う
山上家の馬車は外観は地味であったが、内装は絢爛豪華であった。
窓枠や羽目板は金の精緻な細工で縁取られ、革張りの座席に落ち着いた風合いの床が張られており、走っても振動があまり伝わらない。上等な馬車だ。
「あ、そうだ。結婚したんだから、まりあの隣に座ろう」
突然名前を呼び捨てにされて、まりあはギョッとする。
両親に送り出された瞬間から、まりあは装二郎の妻となったのだからおかしな話ではないが。
普段、異性と触れ合うどころか、話すことすらはしたないという教育を受けていたのだ。
夫婦となったからと言って、すぐに受け入れられるものでもない。
装二郎はどっかりと、まりあの隣に座った。
先ほどよりも、白檀の香りを強く感じる。やはり、線香用とは異なる、甘さが強い香りだ。
使用人が服に香でも焚いているのだろうか。趣味がいいと、内心思う。
せっかく夫婦となるのだ。好きな香りについて、把握しておきたい。勇気を振り絞って、聞いてみる。
「あの、あなたのその香り――」
「すう、すう、すう」
「は!?」
我が目を、耳を疑う。
装二郎は、腕を組んで眠っていたのだ。
馬車がガタガタ揺れても、微動だにしない。いったいどういう体の構造をしているのか。
それよりも、花嫁を迎えた瞬間に眠る夫なんているのか。
まりあは昨晩、緊張してあまり眠れなかったというのに……。
自分だけ意識しているようで、馬鹿みたいだと思う。
まりあも腕組みし、装二郎の屋敷に到着するのを待った。
帝都の一等地に位置する山上家の屋敷。
馬車の小さな窓からは、屋敷を囲う塀しか見えない。どこまでもどこまでも、黒い塀が続いている。
馬車が停まったのは、立派な門の前。その瞬間に、装二郎は目を覚ます。
「ん、ついた?」
「みたいですわね」
先に装二郎が下りて、まりあに手を差し伸べてくれた。半分以上目が閉じているこの男の手を取っていいものか、不安になった。
逡巡は一瞬のことで、まりあは腹を括って装二郎の手を握る。
思いの他、力強く引き寄せられて、地面に着地する。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
そのまま手を離さず、門を潜った。
立派な松の木が並び、遠くのほうには離れが見えた。あれは、茶室か。
どこからか鹿威しの音が聞こえたので、池もあるのだろう。
続いて、満開の椿がまりあを迎える。この世のものでないような、見事な椿であった。
しばらく歩くと、豪壮な武家屋敷が見えてきた。
これまで洋館で育ったまりあにとって、初めて足を踏み入れる豪邸である。
「今日からここが、君の家~」
あくび混じりに言うので、気が抜けてしまう。
名家への嫁入りなので、久我家の恥にならないようなふるまいをしなくては。そう思っていたのに、脱力しそうになる。
「――!?」
ふいに、庭のほうから気配を感じて振り返った。
「まりあ、どうしたの?」
「何かが、こちらを見ていたような気がして」
「ああ、鎌鼬じゃないの?」
「か、かまいたち?」
「そう。手が鎌状になった、鼬。うちで、庭師として働いているんだよ」
「あやかしが、庭師?」
「そう。我が家で働いている使用人は全員、あやかしなんだ」
「な、なんですって!?」
人間の召し使いはひとりもいないらしい。
あやかしを匿っているとは聞いていたが、まさか使用人まであやかしとは。
「怪我が治ってからも、住み心地がよくて居着いてしまうんだよね。帝都の夜は危険だから、昔から山上家の者達は許しているんだ」
本当にそれで生活できているのか。問いかけると、装二郎は何も答えずに「ははは」と笑いながら、引き戸を開く。
まりあはごくんと、生唾を呑み込んだ。
ろくろ首、一つ目小僧、口さけ女、火車などなど、世にも恐ろしいあやかしの数々に、出迎えられるのか。
まりあはそう思っていたが――想定外のあやかし達に出迎えられた。
『装二郎様だ~』
『装二郎様、おかえりなさい』
『なさい~』
ふわふわとした毛並みの、狸や狐達が、散り乱れてやってきた。
二十匹以上はいるだろうか。とてもあやかしには見えない。
「みんな、今日は、花嫁を連れ帰ってきたよ」
『花嫁!?』
『奥様!』
『奥様だ!』
「奥様じゃなくて、まりあってお呼びよ」
まだ正式に装二郎の妻となったわけではないので、名前を呼ぶように言ったのだろう。
紹介されたまりあは、戸惑いつつ玄関口を潜った。
『おくさ……まりあ様?』
『まりあ様』
『きれい……!』
狸や狐は好奇心旺盛なのか、まりあの周囲に集まってキラキラとした瞳で見上げていた。
正直な話、あやかしらしくなく、愛嬌のある犬のようだという印象だ。
「彼らはね、化け狸と化け狐なんだよ。化けを得意とするあやかしは、弱い。だから、利用されてしまうんだ」
「強いあやかしが、弱いあやかしを利用するというの?」
「うーん、違うかなー。まあ、その辺の話はのちのちということで」
力を持たないがゆえに、化けの能力で生き延びる。その力を、悪用する存在がいるのだという。
よくよく狸や狐を見たら、爪が欠けていたり、尻尾が半分しかなかったりと、完全な姿ではない。
山上家の屋敷で療養したら、元の姿に戻るという。
彼らを傷つけたのは誰なのか。装二郎はまりあに教えるつもりはないらしい。
契約花嫁なので、山上家が抱える問題のすべてを語るつもりはないのだろう。
わかっていても、なんとなく面白くない。
と、そんなことを考えていたら、遠くからバタバタと足音が聞こえた。
廊下を走ってやってきたのは、七、八歳くらいの子どもと同じような背丈のカワウソだった。
着物にフリル付きの前掛けをかけている。
「あ、あれはなんですの?」
「彼女は、川獺のウメコ」
「ウメコ……」
ウメコは狸や狐をかき分けて、まりあの前にたどり着く。
『どうもはじめまして、わたくしめは、お仕えするウメコでございます』
「ど、どうも初めまして」
ウメコはまりあ付きの召し使いらしい。
『昨日来たばかりの新参者ですが、よろしくお願いいたします』
「嘘だよ。ウメコは千年くらい、山上家に仕えている熟達した召し使いだから」
「そ、そうですの」
「ウメコ、たまに嘘をつくから騙されないでね」
ウメコは片目をパチンと瞑り、『川〝嘘〟なだけに!』などと戯れ言を口にする。
山上家で匿うあやかしの数々は、まったく恐ろしくない、どこか親しみのある存在だった。