はらはらと桜のように涙散り……
社交界で〝あやかしのお頭〟と呼ばれる山上家の当主に嫁いだまりあ。
しかしながら、結婚した装二郎は当主ではなく、当主の双子の弟だった。
そんなことなどどうでもいい。大事なのは、装二郎がまりあを見染め、妻にしようと思ったこと。ただ一点のみ。
装二郎はそれでも、まりあを兄であり、山上家の真なる当主である装一郎の妻にしようと望んでいた。
まりあも負けない。なんとしてでも、装二郎の妻であり続けよう。
そんな強い思いが叶い、まりあは装二郎の正式な婚約者となった。
ただ、結婚は、装一郎の婚姻が済んだあとである。
それを聞いたときは、軽く絶望しかけた。
まだ、結婚できないのかと。
「まさか、装二郎様がまた、ご当主様の花嫁を探すのではありませんよね?」
まりあと装二郎が出会ったときのように、夜会に花嫁を探しに行く様子を想像する。なんだかとてつもなく嫌な気持ちになった。
それが〝嫉妬〟であるということに、まりあはまだ気づいていない。
「いやいや、もう僕は装一郎の〝予備〟ではないから、花嫁捜しはしないよ」
その話を聞いて、まりあはホッと胸をなで下ろす。胸の中にあった不可解なモヤモヤも、消えてなくなった。
「そうそう。話は変わるんだけれど、明日、本家に行ってくるから」
「呼び出しを受けましたの?」
「うん、まあね。〝桜陶会〟といって、年に一度山上家の親戚や関係者が招かれる、花見みたいな催しなんだけれど」
山上家の関係者まで招かれる催しなのに、まりあは行かなくていいようだ。
いつもならどうしてと聞けるのに、今日は言葉がでてこない。
絞り出すように、「そうですか」と言葉を返し、部屋から出て行った。
部屋に戻った途端、ポロリと涙が零れる。
傍に侍っていたコハルや、清白がまりあを心配そうに見上げていた。部屋で待っていたたぬきやきつね達も、わらわら集まってまりあを励ますように身を寄せる。
正式な婚約者になれたので、以前よりもずっと装二郎に近づけると思っていた。
しかしながらまりあが一歩接近すると、装二郎は一歩後退しているような関係に思えてならない。
どうしたら、装二郎が頼ってくれるような、片時も傍に置いてくれる女性になれるのか。
考えても、言葉はでてこなかった。
翌日、装二郎は朝から本家へ出かけた。
いつもなら見送りをするのに、今日は体が動かなかった。
置いていかれたことへの、抗議だったのかもしれない。装二郎が出かけたあとでまりあは気づく。
まったくかわいげがない。我ながら、思ってしまう。
気落ちしていたまりあに、ウメコがやってきてそっと囁く。
『奥様、落ち込んでいるときは、縦笛を鼻で吹くといいらしいですよ』
「ウメコ、あなたはまた、そんな嘘を言って……」
しかしながら面白い嘘だったので、まりあは少しだけ元気が出た。
このままではいけない。周囲に心配をかけてしまう。
まりあは落ち込む素振りを止めて、背筋をピンと伸ばした。
もちろん、強がりである。
夕方、装二郎が帰宅したので、玄関まで顔を見に行く。
装二郎はバツの悪そうな表情でいた。まりあを残して、桜陶会に行ったことへの罪悪感があったのだろう。
「まりあ、ただいま」
「おかえりなさいませ」
言い訳をするように、装二郎はボソボソ白状する。
実は、桜陶会に招待されたのは、初めてだったらしい。
自分の立ち位置がよくわからないので、まりあを連れて行きたくなかった、と。
「その、ごめん」
「いいえ、どうかお気になさらず」
土産だと、装二郎が包みを差し出す。まりあは礼を言い、受け取った。
開封を待たずに、装二郎は風呂場へ直行した。
仲直りの暇も与えてくれないらしい。
部屋に戻り、まりあは包みを開く。
鼈甲でできた、美しい櫛であった。
品物をあげるから、許せという意味が込められているのか。
そういう意図で贈られた物ならば、ぜんぜん嬉しくない。
鼈甲に、大粒の涙が落ちる。
それを見たウメコが、慌てて駆け寄ってきた。
『まりあ様、どうかなさったのですか!?』
「悲しくて……」
『贈り物が、お気に召さなかったのです?』
「いいえ……」
もしも頼りになる婚約者だったら、まりあを同行させていたのだろう。
装二郎にとって、まりあは取るに足らない存在なのだ。
震える声で、ウメコに零す。
『いやいや、そんなわけありませんよ!』
「どうしてわかりますの?」
『わかりますとも! こちらの櫛を見れば』
「櫛?」
『はい。通常、櫛の贈り物は禁忌とされております』
「どうしてですの?」
『〝苦〟と〝死〟を連想する、縁起が悪い品だからです』
しかしながら、将来を誓った者に対しては、そうではないという。
『〝苦しみ〟も〝幸せ〟も、分かち合おう。そんな意味があるのですよ!』
「そう、でしたの?」
『ええ。わかりにくい、旦那様の思いです』
櫛に込められた気持ちなんて、気づくわけがなかった。
これ以上、嬉しい贈り物はない。まりあは笑顔で、櫛を胸に抱いた。
まりあは風呂から上がってきた装二郎を問い詰める。
「装二郎様、贈り物は大変うれしかったのですが、もっとわかりやすく、気持ちを伝えていただきたいです」
「いや、なんていうか、気づいてくれたら幸運だな、くらいにしか思っていなくて」
「わたくしは、装二郎様の想いのすべてを、知りたいのです」
「そ、そうだったんだ」
改めて、まりあは背筋を伸ばし、感謝の気持ちを伝える。
「櫛、本当にありがとうございました。装二郎様がわたくしと同じ気持ちであることがわかって、嬉しく思います」
「うん。僕も、喜んでくれて嬉しい」
装二郎はまりあを抱きしめる。耳元で、「ごめんね」と囁いた。
「桜陶会なんだけれど、前に藤が、親戚の女性陣にいじめられたって言っていたから、まりあが酷い目に遭わないか心配だったんだ」
「そう、でしたのね」
しかしながら、思っていたいじめではなかったという。
「藤があまりにも生意気だったから、親戚の女性陣が教育しているだけだったらしい」
「まあ!」
来年は一緒に行こう。
そんな言葉に、まりあは微笑みながら頷いたのだった。