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帝都あやかし屋敷の契約花嫁  作者: 江本マシメサ
第一章 没落華族令嬢は、あやかし公爵に見初められる
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没落華族令嬢は、庭で洗濯物をする

 朝――まりあは庭にある井戸の前で洗濯を行う。

 井戸から水をくみ上げ、たらいに移した。

 池の水面は凍っていたが、井戸の水は大丈夫だった。ホッと吐いた息が、白い。

 水に洗濯板と洗濯物を浸し、粉末石鹸を振りかけてごしごし洗う。

 手を動かすたびに、指先が悲鳴を上げていた。関節の部分は、ぱっくりとひび割れている。保湿液を買う余裕なんてないので、いっこうに治らない。

 洗濯は、かつては召し使いの仕事であった。全員解雇したため、自分達でしなければならない。


 幸い、まりあは学習院時代、家事を一通り習った。

 召し使いを侍らすお嬢様達にはまったく必要のない技能だが、慈善活動のさいに家事を覚えていたほうがよいという考えのもと、教育計画に組み込まれていたのだ。


 異国で姫君のように育った母親に洗濯をさせるわけにはいかない。本人はやる気であったものの、まりあの仕事だと主張し毎日行っていた。


 アンナがやってくるのは、三日に一度。彼女は結婚し、家庭のある身である。

 幸い、アンナの夫は医者だ。久我家の者達より、ずっと良い生活をしている。


 まりあの結婚後、アンナが三日分まとめて洗濯してくれるというが、果たして大丈夫なのか。

 結婚する前から、両親の暮らしが心配になった。


 洗った服の水分を絞り、庭先に干す。本日は曇天。一日干していても、乾きそうもない。

 せめて、二枚しかない父親のふんどしだけは乾いてほしい。まりあはささやかな願いを神に祈る。 


 ふと、まりあは気づいた。

 洗濯を行うのが三日に一度になるならば、父のふんどしが足りなくなると。

 ふんどしがなく、ションボリする父親の姿が脳裏に浮かんだ。

 このままではいけない。

 急いで部屋に戻り、浴衣を解いてふんどしをせっせと縫ったのだった。


 夕方、装二郎からの包みが届けられる。中身は今日の新聞だ。

 何か欲しい物はないかと聞かれ、まりあが装二郎が読んだあとの新聞を望んだのだ。

 貧しい久我家には、新聞を取るお金さえない。以前までは、アンナが三日分の新聞を持ってきていたものを読んでいた。

 軒先に座り、新聞を広げる。夕日を灯り代わりに、まりあは新聞を読み始めた。

 一面で報じられていたのは、うら若き女性があやかしに襲われて死亡したという事件であった。

 事件現場は、学習院時代に馬車で毎日通っていた場所である。ゾッとしてしまった。

 指先で文字を追い、最後にため息をひとつ零す。

 結婚をしたら、あやかしと同居しないといけないのだ。果たして、務まるものか。心配になる。

 装二郎曰く、あやかしには善き存在と悪しき存在がいるという。

 それは本当なのか。イマイチ信じられずにいた。

 新聞をめくっていると、一枚の便箋びんせんが差し込まれていた。

 ふわりと、沈丁花じんちょうげの甘い香りが漂う。おそらく、香りを焚きつけてあるのだろう。

 便箋には美しい文字で一言、「会いたい」と書かれてあった。

 見た瞬間、まりあは顔が熱くなっていくのを感じた。冷えきった指先で、頬を冷やす。

 便箋は小さく折り曲げ、帯の中に差し込んだ。

 ぶんぶんと首を振り、脳内で微笑む装二郎を追い出す。

 新聞の頁を捲ったが、以降は沈丁花の香りを感じてしまう。紙に移ったのだろう。

 冷たい風がぴゅうと吹いた瞬間、はたと我に返る。

 装二郎から届く新聞は、父が帰宅していたら先に渡していた。

 今日は偶然帰っていなかったので、まりあが先に読んだのだ。

 装二郎の手紙を、父が読んだら――!?

 ゾッとする。

 明日から何かいらぬものが挟まっていないか確認しなければ。冷や汗を掻くまりあであった。


 ◇◇◇  


 山上家への輿入れは、一か月後となった。

 今すぐにでもと言っていたものの、いろいろと準備があるので難しいと親族から言われてしまったらしい。

 一か月後でも、かなり早いほうだろう。

 通常は幼少時代に婚約を結び、少しずつ少しずつ、嫁入り道具を準備するのだ。

 まりあの父や母が厳選に厳選を重ねて選んだ家具や、着物、装身具などは、すべて取り上げられてしまった。

 中でも着物は、まりあが母と一緒に作った物もある。悔しくてたまらなかったが、状況を受け入れる他ない。


 両親との生活も、あと少し。

 何か親孝行をと思ったものの、一日中家事に追われ、浴衣や着物を解いて繕いものをしていたらすぐに一日が終わってしまう。

 午前中だけでも、喫茶店の女給として働けないか。こっそり面接を受けたものの、久我家の娘だとわかった途端に追い出されてしまった。

 世間では、御上の財産を横領した悪徳華族として名が広がっているのだ。

 いったい誰が、まりあの父親を蹴落とすような真似をしたのか。

 絶対に許せない。怒りがこみ上げる。


 そんなわけで、まりあができる親孝行といったら父に肩揉みをしてあげること。それから、母の背中を流してあげることしかなかった。


 人の良い両親は眦に涙を浮かべ、「まりあはなんて親孝行な娘なんだ」と褒める。

 そのたびに、もっと両親と共に暮らしたいと強く思ってしまう。

 ただ、まりあがいたら経済的負担となるだろう。

 親離れをしなくては。

 けれども、嫁ぐその日までは子どもでいてもいいだろう。

 まりあは両親と過ごす時間を、一秒一秒大事に過ごした。

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