契約花嫁は、夫と共に潜入する
動きやすいように、女学生時代の袴を着る。
懐に、呪符を差し込んだ。もちろん、装二郎からもらった銀の鈴を付けるのも忘れない。仕込み刃付きの傘も、持って行く予定だ。
昼間であるが、コハルと清白はまりあに同行するという。
コハルは襟巻きに化け、清白は巾着の中へと潜り込む。
「ふたりとも、ありがとう」
心強い味方とともに、調査に向かった。
街には、〝初売り〟と書かれた赤い幟が上がっている。
多くの人々が商店に押しかけ、品物が入った木箱を抱えていた。
年が変わり、その翌日に初売りが始まるという。
「事を始めるには、年始の二日が縁起がいいって言われているんだよ。だから、商売は今日からのお店が多いみたい」
「そうなのですね」
自分達の問題も、きっといいほうに傾く。
なんたって、今日は事を始めるのに縁起がよい日なのだから。
「人が多いなあ」
そう言って、装二郎はまりあの手を掬うように取った。
簡単に離ればなれにならないよう、指と指の間に手先をすべらせてからぎゅっと握る。
これは、恋人繋ぎと呼ばれるもの。
学習院時代に、同窓生達と盛り上がったことがある。
友達同士で試してみても、ドキドキしたくらいだった。
装二郎相手ならば、平静ではいられない。
「あ、あの、装二郎様、手――」
「て?」
「手は、このように、繋ぐ必要は、あるのかと」
「こっちのほうが、離れないでしょう?」
ただ握っているだけでは、誰かにぶつかったときに離れてしまうかもしれない。だから、このようにして握っているのだという。
「この握り方、嫌?」
「い、嫌ではありませんけれど」
ただ、猛烈に恥ずかしい。それだけだ。
初売りで賑わう大通りを抜け、診療所がある下町を目指す。
まりあの実家があるほうとは、真逆に位置しているらしい。
下町は東西南北と四カ所あるが、場所によっては治安が悪いという。
「今から向かう下町は、治安が悪いところだねえ」
「気を引き締めて、進みます」
「うん、それがいいよ」
装二郎はまりあの手を、力を込めて握る。
何があっても離れないように。
そんな意思を、まりあは感じ取った。
「あ――!」
人々がまばらに通る道に、見知った後ろ姿を発見する。
それは元婚約者、波田野雄一。
「まりあ、知り合い?」
「え、ええ。元婚約者で、今は政府の諜報活動を行う部署にいるらしいです」
「そうなんだ」
向かう先には、あやかし専門の診療所がある。
もしかしたら、彼もまた同じように潜入しようとしているのかもしれない。
「装二郎様、どうします? 一回、出直したほうがよろしいのでは?」
「いや、行こう。もしも向かう先が同じでも、迷い込んだことにすればいいからさ」
調査は今日がいい。
装二郎の勘が、そう訴えているのだという。
「まりあが嫌な予感がするならば、引き返すけれど」
「いいえ、特に何も感じません。行きましょう」
「了解!」
雄一のあとを、つかず離れず。そんな距離で歩く。
別にあとを追っているわけではないが、行き先が一緒になってしまうのだ。
そして――不気味で古めかしい、平屋建ての建物の前にたどり着く。
看板には、〝箭実矢診療所〟と書かれていた。
「ここが、あやかし専門の診療所」
「みたいだね」
雄一は周囲をキョロキョロと見て、誰もいないのを確認すると正面玄関から中へと入っていった。
「彼、本当に諜報員なの? 僕達の尾行まがいの行動に気づかない挙げ句、見られているのにも気づかないなんて」
「わたくしのほうが、上手くやれそうな気がします」
「まりあの気配遮断、すごいよねえ。ちょっとびっくりしちゃった。どこで習ったの?」
「習ったわけではないのですが、武道を習うときに、攻撃の手を読まれないように工夫したものが、装二郎様が気配遮断と呼ぶものなのかなと」
「独学なんだ。すごすぎる」
雄一が診療所の内部へ足を踏み入れてから、三十分ほど経った。出てくる気配はない。
「なんていうかさ、むしろ、僕達をおびき寄せる、罠かもしれないね」
「ああ見えて、わたくし達の尾行に気づいていたと?」
「いや、気づいていないと思う。たぶん、ここと大通りを、何往復もしていたんだと思うよ」
「だとしたら、若干気の毒ですわね」
「そうだね」
ここまできたら、引き下がれない。
装二郎は決意を固める。
「よし。僕達も、中へ入ってみようか」
「はい」
潜入する前に、装二郎は懐から千代紙と貝に封じられた練り墨を取り出す。千代紙の裏に、指先で時間を書き込む。その後、鶴を折った。
「装二郎様、それは?」
「もしも、日が暮れても報告が届かないようであれば、助けてくださいっていう手紙」
羽を広げた鶴を手のひらに載せ、ふっと息を吹きかける。
鶴はパタパタと羽をはためかせ、空高く飛んでいった。
装一郎のもとを目指しているらしい。
続けて取り出したのは、姿隠しの香〝煙霧〟。
気配と姿、声、匂いを遮断する。
「さあまりあ、行こう」
「ええ」
正面玄関から入るのではなく、建て付けの悪い窓から侵入するという。
この辺も、事前に調査していたらしい。
建物を回り込み、路地裏のほうへ入り込む。
窓は外から見ただけでも、歪んでいた。窓枠を掴み、軽く揺らしただけで簡単に開く。
装二郎は窓枠に足をかけて、ひらりと中へ入った。まりあも続こうとしたが、装二郎の腕が伸びる。
まりあの胴を掴んで抱き上げると、軽々と中へ引き入れてくれた。
突然のことだったので、悲鳴をあげそうになった。
気合いで呑み込む。
姿隠しの香の効果があるので、叫びを別に発しても問題ない。けれども、なるべく大きな声は出したくなかったのだ。
診療所の廊下は、薄暗く埃っぽい。天井を見上げたら、クモの巣が張っていた。
衛生状態は、最悪としか言えない。
なぜ、このような場所に怪我人が運びこまれていたのか。意味不明である。
「装二郎様、人の気配は?」
「感じない」
最後に運びこまれたのは、手を引きちぎられた被害者である。
一週間前なので、退院しているはずがない。
ひとまず、廊下をまっすぐに進んでみる。
驚くほど、人の気配はない。
雄一はどこにいったのか。
同じ空間に、いるとは思えなかった。
もしかして、裏口から出て行ったのか。
よくわからない。
途中、僅かに開いていた扉を開き、部屋の中を覗いてみる。
まりあは、口元を押さえ悲鳴を呑み込んだ。
床が、真っ赤に染まっていたのだ。若干の、悪臭も漂っている。
染み込む赤黒いものは、塗料ではないだろう。
寝台には、メスが刺さっていた。
棚は空っぽ。薬品の瓶などが転がっているが、古びていた。
使用済みの注射器が転がっているのも、不気味である。
「装二郎様、こ、ここは、なんですの?」
「ひとまず、まともに機能している診療所でないことは確かだね」
近くに落ちていた注射器には、液体が残っていた。装二郎は手袋を嵌め、拾い上げる。それを、缶の小物入れに入れて懐の中へ忍ばせた。
証拠品として、持ち帰るのだろう。
「もしかしたら、地下部屋があるのかもしれない。探してみよう」




