没落華族令嬢は、両親の想いを知る
一年間、契約をしようと、装二郎から提案を受ける。
「契約って、なんですの?」
「君が、山上家に適応できるかどうかの契約だよ」
あやかしを匿う家は、普通ではない。
一年間、その環境の中でまりあが暮らしていけるのか、確かめたいのだという。
「もしも、適応できなかったら?」
「住まいを、本邸から別邸に移す。それから、妾を家に置くことを許してほしい。後継者を残すのは、当主の役割のひとつなんだ」
「婚姻を解消するわけではありませんの?」
「もちろん。没落した久我家の娘を、たった一年で離縁状を突きつけたとなれば、山上家の名が廃ってしまう」
いいことばかりを話すわけではない。きちんと、自身の保身についても正直に告げてくれる。まりあは装二郎に対して、ほんの少しではあるが好感を抱いた。
「契約期間中は、本当の夫婦になるつもりはない」
「しかし先ほど、わたくしに触れたいとおっしゃりませんでした?」
「あ、おっしゃった気がする。参ったな……」
装二郎はゴホンと咳払いし、言い直した。
「契約期間中は、君に触れるかもしれないが、子どもの誕生に至る行為はしない」
「それは、どうして?」
契約期間を終えて、適性がなくとも婚姻関係は続く。
別に、子どもがいても問題はないのではないか。まりあは問いかける。
「我が家が欲しているのは、強い遺伝子なんだ」
「強い、遺伝子?」
「ああ。何事にも屈しない、不屈の精神」
山上家に身を置いていたら、想定外の事件に巻き込まれる可能性がある。そういうときに、動揺するような後継者はいらないと装二郎は言った。
「親の気性は、子に引き継ぐ場合が多い。それに、子は親の背中を見て育つと言うからね。さきほどの、君の反射神経は、素晴らしいものだった」
「わたくしの、反射神経?」
「そう。僕を見て逃げ出した、咄嗟の判断。それから、抱擁したあとの強烈な平手打ち。このふたつは、大変すばらしいものだよ。通常、弱い者は、不測の事態に対応できないんだ。もしも何かあったときに、反射的に動けなかったら、どうなると思う?」
「あなたが残忍な殺人鬼であったならば、わたくしは殺されていたでしょう」
「大正解! 君は本当にすばらしい」
まりあは自分を守ることに対する反応が、たいそう優れていると装二郎は評する。
男性の抱擁を振り払えるほど力があるのも、頼もしいと。
学習院時代、握力が五十もあるのを、まりあはひっそり気にしていた。男に匹敵――いいや、それ以上の力だと先生から言われてしまったのだ。
なるべく隠して生きよう。そう思っていたのに、役立ってしまった。
人生、何が起こるかわからないと、しみじみ思ってしまう。
「まあ、そんな感じで、山上家は強い花嫁を欲していた、というわけ。見たところ、君は適性が大いにありそうだけれど、一族の決まりでは一年適性を見なければならない。悪いけれど、付き合ってもらうよ」
「ええ、わかりました」
利害の一致により、まりあは装二郎と結婚という契約を交わす。
これからどうなるのか、まったく想像もつかなかった。
◇◇◇
後日――装二郎はまりあが両親と暮らすあばら屋を訪問したいという。
中心街にある喫茶店で、と提案したものの、装二郎があばら屋を見たいと笑顔で言ってきたのだ。
失礼な男だと憤慨したものの、久我家の状況を理解してもらうのに説明はいらないだろうと判断した。
夜会から一週間後――装二郎は帝都の老舗和菓子店のぼたもちを手にやってくる。
くたびれた着物姿のまりあを見ても、驚かなかった。
先日会ったときよりも、ぼんやりしているように見える。
今にも眠ってしまいそうだった。
劣化した畳四枚半の部屋に、ちゃぶ台が置かれただけの貧相な部屋。そこで、結婚についての話が取り交わされる。
装二郎はあばら屋の内装に奇異の目を向けることなく、襤褸の座布団の上にすとんと座り込んだ。
「やや、装二郎君といったか。よく来てくれた」
「お招きにあずかり、光栄です」
彼は欠伸をしつつ「二段目は大判小判が入っております」などと言って土産を差し出すものだから、すぐにまりあは突き返した。
装二郎はのんきに笑いながら、「冗談だよ」とのたまう。
まったく冗談に聞こえないので、まりあはおおいに腹を立てた。
「こういうときは、お主も悪よの~と言って、受けとるんだよ」
「なんですの、それは?」
「将軍商家物語ですかな?」
「お義父様、大正解です!」
将軍商家物語――市井の悪を将軍が商人に扮して捕まえる、帝都で流行っている時代小説らしい。まりあは読んだことがないので、反応できなかったのだ。
まりあの父親は装二郎と同じくらい、否、それ以上ののんき者なのだ。その隣で、母は「ふふふ」とおっとり微笑んでいる。
まりあひとりだけ、ピリピリしていた。
建て付けの悪い障子が、ガタガタと音を鳴らしながら開く。
無償で久我家に通ってくれる召し使い、アンナが珈琲を運んできてくれた。
それは、まりあが無造作に自生する蒲公英から作ったものであった。
装二郎はにこやかに、蒲公英珈琲を飲む。口に含んだ瞬間咽せていたが、一瞬首を傾げただけで味には追求しなかった。
彼との結婚について、まりあの両親は喜んでいた。
山上家が名家だから、というよりはまりあが不自由ない生活を送れることを喜んでくれているようだ。
この辺は、似た者親子だったわけである。
「というわけで、結納金はいりません。彼女が身一つで嫁いでくれたらなと思っています」
あとは、両親が頷くだけ。そう思っていたが、まりあの父親は想定外の反応を示す。
「いいえ、そういうわけにはいきません。まりあは私達の大事な娘です。何も持たせずに、お預けするわけにはいかないのです」
そう言いながら、ちゃぶ台の下から風呂敷の包みを取り出す。
そこには、五本もの金塊が包まれていた。
まりあは大きな瞳が零れるのではと思うくらい、目を見開いてしまった。
「お、お父様、こちらは?」
「お祖父様が、何かあったときのためにって、山に埋めていたんだ。浪漫だよねえ」
この金塊があれば、あばら屋暮らしなんてしなくてもよかったのだ。
「どうしてこんなものを、隠し持っていたのです!?」
「まりあの結納金にしようと思っていたんだよ。没落した家の娘でいい。そういう、気骨がある男性がやってきたら、渡そうと話し合っていたんだ」
「そんな……!」
幸せにおなり、と父は言う。母も、大きく頷いていた。
まりあの眦からは、ずっと我慢していた涙が零れる。
「まりあにはずっと、世界一幸せな花嫁になってほしいと思っていたんだ」
「わたくしは、お父様とお母様にも、幸せに、なってもらいたいのに」
「大丈夫。私達はね、まりあがどこにいても、元気でいてくれたら、いつだって幸せなんだよ」
「そんな……!」
金塊を自分達の生活を整えるために使わなかったまりあの両親は、装二郎の支援にも頷かなかった。
「今、お豆腐屋さんで働いていてね、大豆を洗っているんだよ。毎日豆腐を貰えるし、親方には怒鳴られているけれど、いい職場なんだ」
妻ひとりならば、十分に養える。いつか、アンナに給料を渡すのが夢だと語っていた。
「装二郎さん、まりあを、お願いします。一見して頑固に見えますが、情に脆く、優しい娘なんです」
差し出された金塊を、装二郎は恭しく手にする。
まりあの両親の気持ちごと、受け取ったのだろう。
今、この瞬間、嫁ぐことに対しての悲しさを、寂しさをまりあは覚えたのだった。