契約花嫁は、あやかし屋敷に帰宅する
『明日、まりあを迎えにいってもいい? 狐の姿ではなくて、人間の姿で。まりあのお友達にも、ご挨拶をしたいし』
「え、ええ、もちろん」
花乃香に装二郎を紹介する。なんだか気恥ずかしいが、きちんと紹介したい。
また明日、そう言って装二郎と別れた。
ホッと、胸をなで下ろす。
問題はまったく解決していないが、心に火が灯ったようだった。
装二郎と一緒ならば大丈夫。
そう思えてならない。
装二郎と話すことによって、心のモヤモヤが少しだけ解消されたらしい。
布団に入って瞼を閉じたら、眠りの中に呑み込まれた。
翌日――花乃香に家を出ると伝えた。
「そうだろうなと、思っていました。もっといてほしかったのですが、これは私の我が儘ですよね」
「花乃香様……。また、遊びにきますので」
「約束ですよ」
そう言って、花乃香は小指を差し出す。まりあも小指を差し出して、指切りげんまんをした。
それから五分と経たずに、装二郎がやってきた。
色紋付きの着物と羽織姿でやってくる。
夜、しっかり眠ったのか。これまでにないくらい、しゃっきりとしている様子だった。
「どうも、はじめまして」
「まあまあ! 山上家のご当主様に、直々に足を運んでいただけるなんて」
「花乃香様、夫は山上家の当主ではありませんの」
「え?」
驚きの表情を向けたのは、花乃香だけではない。装二郎もだった。
まんまるとした目で、まりあを見つめる。
「夫は、山上装二郎と申します。当主の、双子の弟ですわ」
「あ、そう、でしたのね。そういえば、まりあ様から直接、ご当主様と結婚した、なんて話は聞いておりませんでした。勘違いをしてしまい、失礼を」
しーん、と静まりかえる。若干の、気まずい空気さえ流れていた。
「あー、えっと、なんだかわけありで、すみません」
「いえ、お会いできて、光栄です。まりあ様は結婚後、これまで以上にすてきになっていたものですから、きっと、幸せな結婚生活を送っていたんだろうなと、思っていたのです」
ひと目、装二郎にも会ってみたかったのだと、花乃香は話す。
「こうして並んでいる姿を見ると、とてもお似合いで、すてきなご夫婦だな、と感じました」
「花乃香様、ありがとうございます」
問題は解決していない。
山上家への疑惑も、晴れたわけではなかった。
けれども、まりあは装二郎の手を取って、あやかし達が待つ屋敷に帰る。
まりあはまっすぐ花乃香を見つめ、想いを伝えた。
「花乃香様、合わせ物は離れ者、なんて言葉があります。ご縁があって共に生きる者でも、やがては離ればなれとなってしまう。けれども、夫婦は生涯を共に誓った身です。死以外の、回避できない別れ以外で、離ればなれとなるべきではないと、わたくしは思いました」
相手に不満があって別れるならば、それでもいい。
けれども、まりあは華族に生まれた娘。結婚は、政治的な意味合いも含む。
夫婦の中にある縁は、愛ではない。
けれども、情を以て接したい。夫婦なのだから。
何か問題があれば、自分で解決しようとせずに、夫婦で力を合わせたほうがいい。
だからまりあは、装二郎のもとへ帰る決意を固めたのだ。
「今度はぜひ、おふたりで遊びにきてくださいね。そのときに、夫を紹介できたらよいなと、思っています」
「楽しみにしています」
装二郎はまりあに手を差し伸べる。
そっと、指先を重ねた。
繋いだ手は、二度と離さないようにしよう。
まりあは決意を固めた。
二日ぶりの我が家――なんだか、久しぶりの帰宅のような気がした。
玄関を潜ると、狸や狐だけでなく、ウメコや化け猫もやってきていた。
『うわあああ、まりあ様だー』
『おかえりなさいませ、おかえりなさいませ!』
『もう、帰ってこないものだとばかり!』
どうやら、心配をかけていたらしい。
いつもは遠くから様子を窺う化け猫でさえ、やってくるくらいだ。
手を伸ばして頭を撫でようとしたが、我に返ったのか逃げられてしまった。
残ったあやかしに、まりあは声をかける。
「皆様、心配をかけてしまい、申し訳ありません。ただいま、もどってまいりました」
おかえり、おかえりと口々に言われ、くすぐったい気持ちになった。
ここが、たしかにまりあの家。
そう、実感したのだ。
部屋に戻ると、二日間行動を共にしたコハルと清白を労う。
清白は窓際の、日差しが差し込む場所で日なたぼっこをさせる。コハルは、やわらかな毛並みを櫛で梳った。
ウメコが茶を持ってきてくれる。山茶花を模した和菓子が添えられていた。
『いやはや、まりあ様が戻ってきてくれて、本当によかったです』
「ウメコにも、心配をかけさせてしまいましたね」
『いいえ、いいえ。本当に大変だったのは、旦那様のほうでして』
「装二郎様が?」
『ええ。まりあ様の帰りが遅いと言って屋敷をうろうろ歩き回り、まりあ様からの〝しばらく帰らない〟というお手紙が届いてからは、抜け殻のようになって、食事も喉を通らないようでした。あんな旦那様の姿を見るのは初めてで、わたくし共もどうすればいいものかと』
「そう、でしたのね」
うろたえる装二郎というのが、まったく想像できない。
ただ、黒狐の姿になって現れた装二郎は、涙を流していた。
それほど、彼にとっては一大事だったのだろう。
『本家に報告したあと、まりあ様を連れ帰るように命じられたようですが……』
黒狐の姿になって現れた装二郎は、まりあの前で涙を流し、そのまま帰ってしまった。
『翌日は部屋に閉じこもって、こちらの声かけにもまったく反応されませんでした』
一日半、飲まず食わずだったらしい。
そんな装二郎だったが、二日目の晩は上機嫌で帰ってきたという。
『まりあ様が戻ると聞いて、安心しました』
「ええ」
まさか、食事も喉を通らないほど落ち込んでいたとは。
案外繊細なのだと、新たな一面を知ってしまった。
「わたくしは、もう大丈夫。装二郎様の傍から、離れません」
『それを聞いて、安心しました』
もう、揺るがない。
まりあと装二郎は夫婦として、この家にいる。
何かあれば、ふたりで悩み、考え、行動を起こすのだ。
◇◇◇
夜――まりあは装二郎と同じ白檀の香りをまとって出かける。
今宵も、化け物が暗躍しているのだ。
今日は、陰陽師よりも先に発見できた。
全長三米突ほどの巨大な狼が、千切れた腕を銜えていたのだ。
「香の術――爆煙」
夜闇に漂う煙が、突然爆ぜる。
狼が銜えていた腕が、宙を舞った。
まりあは狼に接近する。
『グルルルルルッ!!』
大きく開いた口に、呪符を投げつける。
「爆ぜろ――熾火」
口の中を焼かれた狼は、苦しみの咆哮をあげた。それでも、戦う姿勢を見せる。鋭い爪で、まりあを踏みつけようとしたが、足下に長い紐が巻きついて行動を制限した。
否、それは紐ではなく蛇。清白だった。
『ガアアアアア!!』
長い尻尾でまりあの体をなぎ倒す。
『きゅんっ!!』
尻餅をついたまりあの、変化が解けた。小さな狐の姿となる。
狼に接近したのはまりあの本体ではない。
コハルが変化したものであった。
背後より接近したまりあが、背中に貼られた呪符を引き剥がす。
狼は大人しくなり、ぺたんと力なく倒れた。
変化が解かれる。狼の化け物へと転じていたのは、狸だったようだ。
震える小さな体を、装二郎が抱き上げる。
「よくやった、まりあ」
「ええ」
まりあが剥がした呪符は、散り散りとなって消えていった。




