契約花嫁は、白檀の香りに触れる
帰りに、買い物に行こうと花乃香が誘ってくれた。
まりあが落ち込んでいるので、気を遣ってくれたのだろう。
向かった先は、香と線香、香木の専門店だった。
「私、ここでよくお買い物するんです。優しい香りをかいでいると、気分が落ち着くのですよ」
「そうなのですね」
店内に入ると、さまざまな香りを感じた。
壁一面に抽斗があり、商品が保管されているようだ。
以前、装二郎の調合部屋に案内された日を思い出してしまう。勝手に家を出た罪悪感に襲われ、胸がじくりと痛んだ。
「いらっしゃいませ」
四十代くらいの、着物姿の女性が出迎える。
花乃香の来店は久しぶりだったようで、喜んでいる様子だった。
「私、薔薇の香りが好きで。まりあ様は、どんな香りがお好きですか?」
「わたくしは――」
白檀、と自然と口にしていた。
山上家で邪祓いとして利用され、装二郎が纏っていることが多かった香りである。
店主がいくつか、白檀の香木を出してくれた。
「……あれ?」
どれも、装二郎が纏う白檀の香りとは異なっていた。
まりあが好む香でなかったので、残念に思う。
「どうかなさいましたか?」
「あ、いえ。いつもかいでいるものとは、違ったので」
「白檀といっても、産地によって香りが異なります。どのような香りでしたか?」
「甘さが強かったように思います。しつこくなくて、どこかホッとする香りです」
「甘さが強い白檀ならば思い当たるのですが……」
ふと、思い出す。
その白檀の香りは、装二郎に近寄ったときに感じたものであると。
調合部屋でかいだ白檀の木の香りとは、微妙に異なっているように思えた。
「あの、夫がよく、白檀を焚いた服をまとっていたのですが、香木単品でかいだ香りと違っていたように思います」
「ああ、なるほど! 人がまとう香りならば、その人自体の匂いも含まれますので、香木単品でかいだものとは異なるかと思います」
店主の言葉を聞き、まりあは盛大に照れる。
装二郎の匂いが大好きだと主張したのも同然だ。
「なるほど。でしたら、最高級の異国産の白檀かもしれないですね」
残念ながら、国内にはほとんど入ってこないという。
この店で取り扱ったこともあったが、二十年も前の話だったらしい。
「申し訳ありません」
「いえ。今日は、花乃香様のオススメするお香を、いただこうかなと」
「はい。では、ご用意しますね」
買い物は、思いのほかよい気分転換になった。
落ち込んでいた心は、少しだけ上を向く。
◇◇◇
夜、まりあはひとり考える。
帝国警察を脅迫し、花乃香を誘拐し、雄一から仕事を奪い、久我家を没落へと導いたのは本当に山上家なのか――。
だとしたら、あやかしを匿い、保護していたというのも嘘だろう。
逆に利用するために、屋敷へ集めていたのだ。
そう考えたら、ゾッとしてしまう。
点と線が、どうか山上家のほうに伸びていませんようにと、祈る他ない。
まりあは眠れずに起き上がる。
コハルや清白はぐっすり眠っているようだった。羨ましい限りである。
ふと、昨晩の出来事が甦る。
黒狐が金縛りと共に現れたのだ。
いったい、何をしにきたのか。
涙を流していた。妙に、引っかかる。
不思議と、恐ろしいとは思わなかった。
以前感じたような威圧感を覚えなかったからか。
もしかしたら、今日も来るかもしれない。そう思って、窓に近づいて覗き込む。窓の外は真っ暗で、何も見えない。
窓を開いてみた。冷たい風が部屋に流れ込んでくる。
ガラスを通して覗き込むよりも、外の様子がわかった。
風で揺れる木々と、月のない曇り空、それから雨が降る前の湿気った匂い。
一瞬、目を閉じた瞬間、景色がすべて真っ黒になる。
「え、なんですの!?」
強い風が吹いた。同時に、何か素早いものが横を通り過ぎる。
振り返った先にいたのは、九尾の黒狐。
「あ、あなたは――!」
昨晩同様、黒狐がまりあのもとに訪れた。
敵意はないように思える。
だが、近づこうと一歩接近すると、九本の尻尾をピンと立てた。
まるで、それ以上近づくなと警告しているようだ。
それでも、まりあが足を踏み出したので、風が巻き上がった。
黒狐の術なのか。
ここで、まりあはハッとなる。
風の中に、白檀の香りを感じたのだ。
それは、昼間に行った店でかいだ白檀とは異なる香り。
大変貴重で、国内での取り引きはほとんどないといわれる白檀。
甘さが強く、しつこくなくて、どこかホッとする香り――それは、装二郎だけがまとう匂いだ。
ありえない。
そう思いつつも、震える声で問いかける。
「もしかして、装二郎様?」
黒狐は目を見開いた。明らかに、動揺しているように見える。
「装二郎様、なのですね?」
問いに対する答えはない。ぶるぶると、体を震わせていた。
「昨晩、なぜ、涙を流していたのです? わたくしがいなくて、寂しかったのですか?」
もう一度、まりあは「装二郎様」と名を口にした。
黒狐は否定しない。
間違いないのだろう。
一歩、一歩と黒狐に近づき、顔を覗き込む。
黒狐の瞳は、濡れていた。今にも、涙を流しそうに見えた。
そんな黒狐を、まりあはぎゅっと抱きしめる。
「勝手に家を出て、ごめんなさい」
黒狐はポロポロと、涙を流す。
初めて、心と心が触れ合ったような気がした。




