契約花嫁は、事情を聞く
霧深い庭を通り抜け、門の前に待機していた馬車に乗り込む。
すぐに、動き始めた。
「まりあ、すまなかった。君を騙すように、契約を結んでしまって」
「あなたはどうして、慣例通り当主を名乗らず、ご自分の名前をおっしゃったの?」
「うーん。よくわからないんだけれど、たぶん、お役目も忘れるくらい、まりあの強い瞳に、魅入られてしまったんだと思う」
「そ、そうですか」
両親から引き継いだ容姿を褒められたならば、「はいはい」と聞き流すつもりであった。
しかしながら、装二郎はまりあの瞳の強さを褒める。それは、まりあの内側から生じるものであった。
彼はずっと、久我家や取り巻く環境を通してまりあを見ておらず、まりあ自身を見ている。
それは、まりあが心のどこかで、望んでいるものであった。
「そういえばあなた、名乗ったあと、口にしてはいけないことを言ってしまった、みたいなお顔をされていましたね」
「そうそう。名前、言ったらダメだったんだよねえ。今まで、こんなヘマをしたことなんてなかったのに。不思議だ」
装二郎の発言には、不可解な点がいくつかあったのだ。
結婚をどこか他人事のような態度でいたのも、そのうちのひとつだろう。
「早く結婚したいとおっしゃっていたのは?」
「それは本心。だって、まりあみたいな元気なお嬢さんとの結婚なんて、一年間限定とはいえ、楽しいに決まっているじゃない」
「一年後、別の方と結婚すると聞いて、わたくしが納得すると思っていましたの?」
「まあ、うん。その辺は、あまり考えていなかった。でも君は、ご両親の援助をしてほしいって言っていたから、なんとかなるって思っていたんだ」
事態は想定外の方向へと転がる。
まりあの両親は山上家の援助を望まなかった。
装二郎についても、華族令嬢でないまりあと結婚してくれる好青年だと気に入ってくれたのだ。
「もう、どうしようかと悩んだよね」
「わたくしが、真なるご当主様との結婚を、拒絶するとお思いでしたか?」
「それもだけれど、なんていうか、素の状態で他人と接することなんてなかったから」
まりあの両親は装二郎を信用し、娘を送り出す。
彼は自分自身を評価されない人生を、当たり前だと思って歩んできた。
「だから、恥ずかしいというか、照れてしまったというか、なんだろう。くすぐったい気分になったんだよね」
「装二郎様……」
装二郎は予備と呼ばれ、双子の兄の代わりに当主を務めてきた。これまで、どんな気持ちで生きてきたのか。まりあには、想像できない。
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「あやかし達はまりあを気に入るし、まりあもあやかし達を可愛がってくれるし、まりあ自身も可愛いし。僕の目は、確かだったんだって思ったよね。でも、まりあは装一郎の花嫁となる女性。だから、必要以上に近づいてはいけないって、思っていて。夜、働いていたこともあったし、日中はなるべく部屋に引きこもって、まりあと会わないようにしていた」
「そう、でしたのね」
「寝てばかりの、ダメ夫だと思っていた?」
「はい」
正直な回答に、装二郎は笑みを深める。「君はそうでなくては」と嬉しそうに言っていた。
「本家で話を聞いたとき、びっくりしたでしょう?」
「ええ」
「あ、藤が、生意気言ってごめんね」
「藤さん、というのは、夜会にいらした女性ですよね?」
「そうそう」
「あの日、どうして頬を叩かれていましたの?」
自分も装二郎の頬を思いっきり叩いたことは棚に上げ、質問を投げかける。
「ああ、あれは、装一郎に片想いしているみたいで、花嫁として選んでくれって、言ってきたんだ。自己推薦は承っていないから、色仕掛けでもしたら? って返したら、最低という言葉と共に、頬をガツンと叩かれて」
「なるほど」
たしかに、助言の内容は最低である。
ただ、山上家には古くからの慣習があった――当主の花嫁は予備が選ぶ、というものが。
装二郎自身がピンとこなかった相手に対しては、そう言うしかないのだろう。
「それにしても、予備が選んだ花嫁が、継承者との結婚を拒むだなんて、前代未聞だよ」
「これまでの花嫁は、大人しく従っていたのですか?」
「そうだよ。予備は当主のふりをしていたから、知らないまま生涯を終える」
「あの場にいらっしゃった親族の中に、お母様はいらっしゃらなかったのですね」
「うん。基本的に、当主たる夫が死んだら、その妻は地方にある別邸に移るようになっているから」
「そう、でしたのね」
あの場にいた親族達は、一族の中でも強い力を持つ者達らしい。
装一郎に片想いする少女、藤も難しい呪いを操る術者だという。
「これから、どうすればいいものか」
「どうするって、わたくしは、あなたの未来をこじ開けるつもりですが」
「こじ開ける?」
「ええ。予備の方は代々、短命だとおっしゃっていたでしょう? そうならないために、道を探ろうかと」
「無理だよ、まりあ」
「どうして、行動を起こす前から、無理だとおっしゃいますの?」
「それは……」
きっと、装二郎は物心ついたときから、先の短い人生について説き伏せられていたのだろう。
装二郎が納得していても、まりあ自身は納得しない。
「先ほど宣言したとおり、わたくしは、あなたをお守りします」
「君が、僕を?」
「ええ」
「どうして、そこまでしてくれるの? 僕に、肩入れするほど、交流もしていないのに」
「それは、あなたが、わたくしを見つけてくださったから」
「見つけた?」
「出会った日の、夜会の晩。誰も、わたくしを見てはくれなかった。けれど、あなただけは、わたくしを見つけてくれた」
足が速いとか、物怖じしないとか、女性に対してその評価はどうなのか、という内容だったように思える。
それでも、まりあは嬉しかった。
「夜会の晩――没落したわたくしに向ける視線は、冷たかった。嘲笑う人でさえおりました。けれどあなたは、わたくしがどこの誰であろうと気にしていなかった。だからわたくしも、あなたがどこの誰だということは、気にしません。何があっても、装二郎様だけの妻であろうと、思っています」
「まりあ……」
決意は絶対に揺らがない。まりあはまっすぐ、装二郎を見つめた。




