(8)
⒏
「やはり何度思い返してみても、塩加減を少々誤ったのが最も原因として疑わしい点ということでしょうか……」
工房の入り口まで来ても、ララは昼食の弁当の一人反省会議を続けていた。
「塩加減であの色にはならんでしょ……」
「何か?」
「……なんでもないです」
ララの料理に関してはもっと根本的な問題なような気がするんだけど。
鍵を開けて工房の中へ入ると、昨日のように天井に設置された鉱石の様なものが淡い光を灯して薄暗い室内を照らしだした。
「ここに入ると勝手に明かりがつくのか、やっぱり」
「建屋自体の構造部品に大気中の微細な魔力を吸収する素材が使われているのだと、静が言っていました。ですから、このくらいの光を灯す程度であれば可能なようです」
「へぇ……凄いんだな」
「尤も、私の身体を稼働状態で維持する程のものではないので、その点についてはあくまで生活の補助的なレベルのようですが」
「それでも、役に立つって言うのは、それだけで充分凄いことだよ。普及すれば、電気だっていらなくなるかもしれないだろう?」
「稀少な鉱石のうえに加工にも高度な魔術による調整を必要とするので、一般に広まる事はないだろうと言う話でした」
「そうなんだ……」
魔術というものがずっと昔から連綿と続いてきた技術であると言う割に日陰の存在であることには、一般に普及させるにはそれを再現するための条件が厳しすぎたと言うのがあるのかもしれない。
手間とコストの他に才能まで影響してくるとなれば、科学技術の方がメジャー化するのは至極当然だったのだろう。
そんな日の当たらない世界で類稀な才能を開花させ、こんな人間と見紛うような精巧な魔導人形を僕と同じくらいの歳で作りあげた婆ちゃんは、どうしてそれを子供にも孫にも継承することをしなかったのだろうか。
偶々遺産のリストを見た僕がここへ来ることが無かったら、ここはずっとそのままだったかもしれないのに。
「昇さん」
部屋の奥を物色していたララが、僕を呼んだ。
「何か、見つけたの?」
「ええ。これです」
ララが木製の箱を開けて、中のものを取り出した。
「これって……宝石?」
赤・青・緑・白・紫。
五色の宝石が、ララの手の中に並んでいた。
「静が作った、戦闘用の魔術兵装です」
「これが、君の武器ってこと?」
「正確には武器を精製・使用するための術式が圧縮されています。これを取り込むことで、有事の際に自由に使用する事ができるようになります。尤も、私の体内に蓄蔵された魔力と使用者の魔力の合計に左右されますので、出力も稼働時間もかつて使っていた頃よりは落ちますが」
「何か、ごめん」
「……何か昇さんは今、私に対して悪いことをしたのでしょうか?」
「え、いや……だって僕じゃなくて婆ちゃんだったら、ララは本来の力をちゃんと発揮できたって事だろう?」
「それは昇さんの行動に起因しません。謝罪すると言う行為は、過失があった時にするもののはずです」
「いや……まあ……うん。そう、なんだけど」
「……?」
「あ、いや、大丈夫。気にしないで」
「……そうですか」
大丈夫。
何がどう大丈夫なのだろう。
この心の中のもやもやした物は、一体何なんだろう。
「昇さん」
「え? あ、何?」
「これを」
そう言ってララが、宝石と同じ箱の中に入っていたレポートを手渡してくる。
「これは……?」
「静が残した、兵装の起動承認術式が記されているようです」
「起動……承認……?」
「私は魔導人形です。魔術を介して作られたものである以上、何らかの魔術的要因を受けて制御を失う可能性がないとも限りません。そのため危険度の高い兵装は、使用者の声紋による起動承認を経て初めて使用可能になります」
「へえ……凄いんだなほんと……って、でも僕は魔術の訓練なんて本格的に受けたこと無いんだけど」
「これ自体は声紋と魔力波長の照合が主目的ですので、大量の魔力を必要としません。それに、現に昇さんは私の再起動をしているのですから、最低限必要な力はお持ちなのです」
「そう……なんだ」
「では、声紋の登録と埋め込みをお願いします」
ララはそう言うと持っていた五色の宝石も僕に手渡して自分の着ている給仕服に手をやると、丁度腹部のあたりだけが掻き消えてその下の肌が顕になった。
「ちょ、ちょっと⁉」
思わず声を上げて目を逸らしてしまった。
「何か問題でも」
「問題しかないよ!」
魔導人形とは言われても、年頃の女性の外観を持つ、人間と見分けのつかない白い肌は視覚的に刺激が強過ぎる。
「私の起動印に、昇さんの声紋を記憶させながらその宝石を吸収させなければ、兵装は機能しません」
「……!」
起動印……確かにララの腹部には魔術刻印があった。
あれに、この宝石を……?
「……こ……このへん……?」
宝石の一つを手に取って、顔を背けたままララの方へ突き出してみたものの、
「昇さん。魔力消費が軽い術式とは言え、精神集中無くては術式は発動しません。真面目にやってください」
普通に怒られてしまった。
「ああもう、わかった、わかりましたよ!」
意を決して向き直ると、ララと思い切り視線が交差してしまう。
「っ……。そ……それで、どうしたらいいの」
「レポートに五色の宝石に対応した文言が記してあります。それを詠唱しながら、宝石を起動印に押し当てて下さい」
言われて慌ててレポートをめくると、確かに宝石一つ一つの解説の中に、起動用の詠唱内容が記してあった。
「……これか。思ったより長くなくて助かるよ」
「では、改めて、宜しくお願いします」
「う、うん」
二、三度読み返してから宝石の一つを手に取り、深呼吸を何度もし、再びララの起動印へと視線を移す。
絹のような白い肌に血のような赤を湛えた刻印が浮き出ているのを見て、思わず息を呑んでしまう。
「じゃ、じゃあ……いきます」
「はい」
再度深く息を吐き、気持ちを宝石へと向け、記されていた文言を口にする。
『――疎は焔、疎は剣、疎は勇気。邪なるを焼き払い、斬り払い、道を拓くもの――』
呼び声に応えるように、赤の宝石に光が灯る。
それをおそるおそる起動印に触れさせると、まるで液体の中に沈み込むように、ララの身体の中へと埋没し始めた。
「――んっ……」
「……⁉」
突然ララが小さく声を漏らしたので思わず顔を見ると、これまで常に表情を変えることが無かったララが、何だか困ったような顔をしていた。
「な……何かまずかった……?」
「いえ、その……少々、くすぐったいもので」
「……!」
自分の顔が一瞬で熱くなっていくのがわかった。
……婆ちゃん、このへんの調整は何とかならんかったのか。
「……続けてください」
「は、はいっ」
ララに促され、慌てて僕は術式を再開した。
その後。
五色の宝石全ての起動認証用の術式埋設を続行したのだけれど。
事あるごとにララの漏らす声が僕の集中力を途切れさせ、全ての術式を終える頃には結構な時刻になっていた。
「……これで、全ての兵装が使用可能になりました」
「お……お疲れ様です……」
何だか僕もすっかり気疲れしてしまい、床に寝転んでぐったりしてしまっていた。
「あの……ララ」
「はい」
ララの声の調子は普段通りの落ち着いたものに戻っていたけれど、
「婆ちゃんの時も、その……さっきみたいな感じだったわけ……? 婆ちゃん、そういうの改善とか調整とかしなかったのかな……」
「いえ……その、静の時は特に何も感じなかったので。……私にも原因はよくわかりません」
「え」
驚いた僕が起き上がりララの方へ向き直ると、机の上の書籍に被せてあった大きな布を頭から被せられてしまった。
「うわっぷ! ど、どうしたの⁉」
「申し訳ありませんが、もうしばらくそのままでお願いします」
「へ……?」
「……私が落ち着くのに、少々時間を要しますので」
「………………はい」
予想もしないララの言葉に、僕は布をかぶったままその後しばらく悶々とした時間を過ごす事になったのである。