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辰と刃が物心ついた頃から、何故か周りの大人は2人を避けていた。
両親に聞いたら、自分達が不吉の前兆と言われている双子だからだという答が返ってきた。
しかも2人には人にない力がある。
幼い2人はこれで納得した。
両親は周りの大人の目など物ともせず、いつも笑って2人を育ててくれた。それで充分だった。
10歳のあの日までは。
夏祭りの日。
明日には10歳の誕生日を迎える。
両親に頼み込み、2人は家からかなり遠い、大きな祭りに連れていってもらった。
夜が深くなり、出店が畳まれていく。祭り帰りの人々がちらほらと歩いている大通りの事だった。
突然。本当に突然。
両親の会話が止まった。
一瞬の沈黙が訪れる。
疑問に思い、辰と刃が両親を振り返った。
先程まで仲良く話していた両親が、突然普通ではない声をあげ始めた。
呆然としている辰と刃の前で、道に落ちていた木材やガラクタを拾い上げ、互いに殴りかかり始めたのだ。
2人の子供は何とかして止めようとしたが、両親は既に自分達の知っている人間ではなかった。
いや、人間ですらなかったかもしれない。
ただ目前の相手を殺すことだけに生命を燃やし尽くしている、そう感じた。
2人は周りで見ている大人に助けを求めた。
だが大人は傍観者だった。
それよりひどかったかもしれない。
止めもしない。
殺し合いを始めた夫婦を、ひとつの余興のように楽しんでいた。
囃し立てる者さえいた。
涙で顔がぐちゃぐちゃになっても、それでも子供達は助けを求めた。止めさせようとした。
「鬼の子の育て人だとよ」
鬼の子?
周りで囃し立てる1人が言った言葉が、2人の耳に飛び込んだ。
確かに自分達は人にない力を持っている。
今まで自分と同じような人間にも何度か会った。だが、『鬼の子』という言葉は聞いたことがない。
自分達が悪いのか?
力を持っているだけで、その家族というだけで何故こんな目に遭わされなければならない。
家族を不幸にする、それが鬼なのか……?
人は自分と違う所があれば鬼と呼び排除するのか……
ザーッ
変化は一瞬で起こる。いつもそうだ。
そしてこの時もたった一瞬で全てが終わった。
突然駆け抜けてきた人影が、殺し合っている夫婦を切り捨てた。
2人は何も言えなかった。
ただ腰が抜けたようにその場に座り込み、黒い人影を見上げていた。
「拙者は轟と申す。可哀相に、お前達の両親は気が違ってしまったのだろう。拙者と共に来ぬか?お前達のように力を持つ者がいるぞ」
突然の事に、魂が抜けたようになっている子供達は言われるがままだった。事態に頭がついていかない。
「ついて来い」
それだけ言うと、男は2人に背を向け歩き出した。
慌てて立ち上がり、男の後を追いかける。
刃は振り返り、事の一部始終を見ていた大人達を睨み付けた。2度と忘れないように、脳裏に深く刻みつくように。
◆◇◆◇◆◇
長屋は暗殺者の養成所だった。
当時轟の右腕として、人を操る力に長けた20代の男がいた。力の内容もそうだが、性格も随分といけ好かない男で、事あるごとに2人を『鬼の子』と呼んだ。
2人に初めて仕事が回ってきた時の事だった。
殺せなかった。
相手は2児の父親であり、自分達の父親と重ねてしまった。
仕事の失敗を告げると、轟とその男は烈火の如く怒った。特にその男は、「鬼のくせに…」「いくじなしが…」と散々2人を罵った。
『次に失敗したら覚悟してもらう』
そう言われたのは最初の失敗も含め、3回目の失敗をした後の事だった。
手渡された標的の人相書を見て、刃は顔色を変えた。
それは忘れもしないあの祭りの夜の顔。
どれだけ泣いてもどれだけ請うても助けてくれなかった者の顔だった。
その日……刃は初めて人を殺した。
◆◇◆◇◆◇
……。
沈黙が部屋を支配した。
辰が話を結ぶ。
「君達も見たでしょ。一昨日の満月の夜、刃の姿を」
え?
士度も真理も耳を疑った。
あの凄惨な?あの人間業とは思えない殺し方が?
2人の表情を見て刃が続ける。
「俺の力は身体能力が爆発的に高くなるんだよ。それも満月の日に限り、な」
「刃は……仕事の標的があの祭りの夜にいた人間に限り、完璧に仕事を成功させるようになった」
少し悲しそうな目で辰が言った。
「あぁ成る程。だからあんたら、俺達が『力』を持っているって知ってたのか。何かおかしいと思っていたんだよな」
あの時、士度と真理が力を使った近くに辰もいたのだろう。一部始終を見ていたから、初めて会った辰が自分達の力の事を知っていたのだ。
「でもさぁ…」
士度は以前感じた違和感の答を得たことに一人納得していたが、隣で真理の声がした。
「何か釈然としないんだよ。いくら助けてくれなかったからって……実際に両親を殺したのはあの轟って男だろ。あいつを殺そうとは思わないの?」
割り切れない面持ちで言った真理の顔を見て、刃はフッと笑った。
「人が人を殺すのってさぁ、理屈じゃないだろ? 何かもっとこう…感情的な…さ。例えば道を歩いているとする。目の前に大勢の人間がいて邪魔だ……じゃあ殺そう。この発想、俺は不自然とは思わない」
「な…?! で、でも……」
士度が何か言おうとする。しかし刃は構わす言葉を続ける。
「この国では仇討ちが認められている。仇討ちとそれとどう違う? ちょっと面白いから人を殺すのも、何かを思い余って人を殺すのも同じことじゃないか。コバエを叩く時に何を考える? 復讐か、不都合の排除か、面白いからか、どんな理由があったにせよ手を振り下ろせばひとつの命が消えるんだ。一線がどこかにあるか? 結局生きている者に区別できるのは『殺すか殺さないか』だけだ」
でもそれって単なる論理のすり替えじゃ……真理が言おうとした時、士度が勢いよく立ち上がった。
「あぁ! もうわかんねぇ! 俺そういうの駄目なんだよ。もういい、行くぞ真理」
「あ……」
真理が止める暇も与えず、士度は真理の手を引いて外へ駆け出して行った。
◆◇◆◇◆◇
屋敷から充分離れた河原で、士度はようやく止まった。
「で?」
開口一番真理が聞く。
「あ? 何が?」
「とぼけんなよ。あからさまに連れ出しやがって。お前のペンダントに何か反応があったんだろ」
「気付いてたのか」
そう言いながら懐から紺のペンダントを取り出す。
「反応があったってことは、あいつらが時間移動能力者と接触したってことだ。1日以内には片がつくだろ」
「そうか……挨拶もせずに帰ることになるかな」
「いや、それ位の余裕はあるだろ。それよりさっきの話……」
「あの2人の過去のことか?」
「ああ。真理も気になったか。どうする? あまり面倒事に関わりたくはねぇ」
「でも世話になったし、挨拶がてら……。士度もこのままじゃ寝覚めが悪いだろ?」
緋い緋い
血のような色をした太陽が河原を照らしている。
もうすぐ夕焼けになるだろう。2人の影が長く伸び始めていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
酉の刻。
夜が始まっている。紺より更に青い黒。
闇が屋敷を包み込んでいた。
長屋の皆は出払っている。
しかし一つだけ明かりの灯っている部屋があった。
部屋には3つの人影。
全身黒色の男が、洋服を着た2人に背を向けて書き物をしている。明かりは文机にだけ灯っており、小さな明かりは持ち主の男を照らすだけで精一杯だ。
「何の用だ」
男ーー轟は、振り返らずに背後の2人に問いかけた。
「お別れの挨拶に……。もう帰ることになりまして」
士度が固い声で答えた。
「少々聞きたいことがあるんですよ」
厳しい声で真理が言った。
男の書く手が止まる。真理は続けて言った。
「先程、辰達に昔の話を聞きました。その中で気になる点がありました」
ビクリ
轟の肩が一瞬跳ねた。その反応に士度が目を止める。
「初めて辰と会った時、辰は俺達が能力者だと知っていた」
「それに気が付かなかった私達は只の馬鹿なんだけど……。何で辰は知っていたと思いますか?」
轟は何も言わず、目で真理に続きを促した。
「辰は私達と初対面ではなかった。そう考えるのが妥当です」
「さてここで疑問が生じる。刃は、夏祭りの日にあんたが現れたと話していた。両親が死んだあいつらに、住む場所を提供すると言ったんだろ? 『お前達のように力を持つ者』と」
「おかしな話しもあるもので。あなたにしろ、周りにいた人にしろ、何故か皆あの2人が能力者だと知っていたんですよね? 家から遠い、しかも不特定多数の人がいるはずのお祭りで」
轟は顔色一つ変えない。
いや、いつの間にか体ごとこちらを向いているため、小さな灯が彼の顔に届かないだけだろうか。
「昨日、町で妙な噂を聞いた。例の辻斬りの犠牲者、幕府にたてついてるだけじゃなく、人身売買組織のお偉方だったってな」
轟はふいに口角を吊り上げ笑った。見る者の背筋に虫を這わせるような笑みだった。
「そうか、バレたのか」
事も無げに言う。
「お前らは気付いたんだな。あの2人の両親をああさせたのも、あの時周囲にいた者も、全て俺が仕組んだということに」
何か邪悪なものが、1枚1枚皮を剥がして出てくる……真理はそう感じた。いつの間にか轟の口調も変わっている。士度は刺すような声で言った。
「ああ。俺らの考えが正しければ、あの2人の両親は恐らく本当の親じゃない。人身売買組織の一員だ。だが、何らかの理由で組織を追われることになる。あんたや祭りの日に周りにいた人間は、その組織の仲間だったんじゃないのか?」
「これは私の想像になるけど、辰達の両親の仕事はあの2人を育てることだった……ある程度育てて売るつもりだった。でも、育てているうちに本当の子供のように思えてきてしまった。そして組織を追われることになった」
ゆっくりと轟が立ち上がった。
2人は少し後退りながらも、いつでも交戦できる構えを作る。士度が続けた。
「その頃のあんたの右腕に、人を操る力を持った奴がいたんだよな。そいつがあの日2人の両親を操っていたとしたら辻褄が……」
そこまで言いかけた時、士度の口が止まった。真理も不気味なものでも見るように「それ」を見ていた。
「それ」は笑っていた。
声をあげ、ただ笑い続けていた。そして2人を蛇のような目でじっとりと見た。
「流石だよ、お前ら。よくそこまで気付いたもんだ。だが知らないだろう。何故あの2人のためにこんな手の込んだ事をするのか。そもそも何故あの2人は売られなければならなかったのか」
確かにそうなのだ。それは士度達にもわからなかったことだ。刃は、確かにあの満月の夜に見た姿は常人離れしていたが、力の種類としては珍しい部類ではないし何より彼の場合は制約が多い。
轟は蛇のような目つきのまま、答を話し始めた。
「あいつらは人間ではない」