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あなたが見た世界の端っこを、掴んで。  作者: 葉方萌生
第2幕 第4章 出会い
34/59

4-2


すっかり店員のペースに乗せられているはずの男性だったが、どことなく楽しそうに見えるのは、気のせいだろうか。


彼が椅子に座ったのを確認してから、私はさっとレジ裏の部屋に入った。お店の奥には居間があるのだが、その手前に倉庫がある。ここには、本の在庫やら掃除用具やらをしまっているのだが、家族の私物も一部置いてあった。家の中の収納が足りないのと、亡くなった祖父母の物は分けておきたいという両親の意向があったからだ。


返本期限が切れた本が詰まった段ボール、近日返本予定の本たち、今日入荷したけれど、並べきれなかった在庫の数々をかき分けて、壁沿いに設置した衣装箪笥までたどり着く。

「確かここに、あったはず」

祖父母の遺したものはこの箪笥の中に大抵しまってある。もっとも、滅多に触ることがないため、私にとっては完全にブラックボックスだ。

うっかり身体の一部が当たって大切な物が壊れてしまわないように、恐る恐る箪笥の抽斗をあけていく。


1段目と2段目には、祖母が着ていたと思われる着物がしまってあるだけで、目的のものは見当たらなかった。

3段目、細々とした物品が並んでいる中に、一際古い黒色の箱があった。紙製の箱は、手に取るとざらっとした埃の感触がした。

これだ。

明確な根拠があるわけではないが、今手にしている箱の中に、探している物が入っていることが直感で分かった。

薄暗い倉庫の中、そっと箱を開けてみる。

「あったわ」

黒光りするそれを見て、ビンゴだと思った。

箱を持ったまま、散らかした物をさっと片付けて、店内に戻る。 

レジカウンターの横で、男性は買ったばかりの本を読んでいた。本を読むのは慣れているのか、もう3分の1ページほど読み進めている。


「大変、お待たせしました」

こちらの気まぐれで待たせてしまうことになって本当に申し訳ないという気持ちを込めて詫びたが、彼は

「いえ、ちょうど第一章を読み終えられたので」

と優しく答えてくれた。

仏のようなお客さんだと思う。もっとも、彼のような物腰柔らかな人物だからこそ、私はこうして探し物に専念できたのだ。

「あの、あなたに見てもらいたいものがあるんです」

祖父母の箪笥の中から見つけてきた黒い箱を彼の前に差し出し、「これなんですけれど」と蓋を開けた。

「これは……似ていますね。というか、同じ?」


私が探していたのは、彼の左腕につけられた時計と酷似した腕時計。黒色で、ベルトの部分はよれている。自分で見つけておいてなんだが、ぱっと見、どちらの時計か区別がつかないくらい似通っていることに驚いた。

「全く同じではないみたいですね。メーカーのところを見ると。でも、それ以外はそっくりですよね」

男性は左腕から腕時計を外して、私の箱の中の時計と見比べた。

「本当だ。確かにメーカーは違います。でも、こんなところで父の形見とそっくりの時計が見られるなんて、偶然でもびっくりしました」

「私もです。お客様の時計を見て、見覚えがあるなって。気になって、探してみたんです。そしたら、やっぱりこれでした。この時計、祖父の時計なんです。祖父も、自分の父親から受け継いだらしいのですが」

「そんなに古いものが? よく、これだけ綺麗に保管されていましたね」

そう。この時計は、私の家で大切に受け継いできた時計だった。

その理由は、単に格好良いからだとか、彼のように曽祖父の形見だから、というわけではない。


この時計には、とある力が備わっているからだ。



「信じてもらえないかもしれないのですが、この時計——『ブラック時計』と呼んでいるのですが、ちょっとおかしな時計なんです」

今まで、赤の他人に時計の話なんてしたことはなかった。話したところで、信じてもらえるとは到底思えないから。特に、知り合ったばかりの人にこの話をすれば、桜庭書房の店員は虚言癖がすごいとか、頭がおかしいとか、悪評が立ちかねない。そんなことになれば、ただでさえ厳しい商売状況が余計悪化するだけだ。

「おかしい、というと?」

「時計をつけた人に、“あるもの”が見えるようになる、というものです」

我ながら、とても分かりにくい説明だと思う。けれど、この時計の効果を完結に言い表すと「何かが見えるようになる」。それ以上でもそれ以下でもないのだ。

「なるほど。時計を着けた人にだけ分かる効果が現れる、ということですね」

彼は、物語の中の探偵役のように、ふんふんと頷きながら私の話を聞いていた。

それがあまりにも衝撃で、私は自分の目を疑ってしまう。普通の人なら、こんな話を聞いたところで、およそ信じてくれはしないからだ。信じるか信じないかの前に、目を白黒させて、「この人は大丈夫か」という疑念の眼差しを私に向けてくるだろう。


けれど、目の前のサラリーマンは、いかにも興味ありげに話の続きを待っている。

この人が将来、悪徳商売に引っかからなければいいけれど……。

「そう、ですね。見えるものは、人によって違うそうです。例えば、誰かの心の言葉が見えたり、幽霊が見えたり。あ、これは祖父に聞いた話なんです。私は着けたことがないので」

「人の心や幽霊……それが本当なら、時計を着けて、効果的なこともあれば、見たくないものを見てしまうこともあるということですね。なかなか、面白い」

だんだんと、彼の表情が輝き始める。大きくてレアな虫を捕まえたときの少年の瞳と同じだった。彼にとって、私の話は刺激が強すぎたらしい。


素直に楽しんで聞いてくれている彼の反応に、逆に私の方が圧倒されてしまい、「もっと話してほしい」と目で訴えかけてくる彼に対して、身じろぎしてしまった。

「すみません。まさか、こんなに真剣に聞いてくださるとは思わなくて」

引き気味の私の態度を見てようやく察してくれたのか、彼は「ああ」と手を顔の前で振った。

「こちらこそ、お時間を取ってしまって申し訳ない。だいぶ時間も経ちましたし、続きはまた後日改めて聞きに来ても良いでしょうか」

「もちろんです」

彼の言う通り、本を購入してから2、30分は過ぎていた。特定のお客さんと長く話したことがなかった私としては、信じられない気分だ。

『ブラック時計』について、どれだけ話ができるかはさておき、また来てくれると言ってくれたのは嬉しかった。

「次回来るまでには、この本読んでおきますね」 

左手を軽く挙げ、ひょこっと頭を下げる彼に、私は深くお辞儀をした。

本を読んでこなくたって、来てくれるだけで良いのに。きっと彼は次回また新しい本を買いに来るという意味で言ったのだろう。

「分かりました。今日は、引き留めてごめんなさい。話を聞いてくれてありがとうございました」

とんでもない、というふうに頭を下げる男性。さすが、サラリーマン。品位というものは表情や態度に表れるものだ。

彼を見送るために、私はお店の前まで進んで玄関の扉を開けた。


「あ——」

いつからなのか分からないが、外はしとしとと雨が降っていた。ただでさえ寒いのに、雨のせいで、ひんやりとした空気が頬を撫でた。

「雨、降ってきましたね」

まいったな、傘持ってきてないなあ。

ゴソゴソと鞄を漁りながら、彼はそうひとりごちた。私はすかさず店の奥から、お客さんが忘れて行ったビニール傘を持ってきて、彼に渡した。

「いいんですか」

「はい。いつの忘れ物か分からなくて、ずっとお店に置いておかないといけないのも困っていたんです」

「そうですか。ありがとうございます。こりゃますます、もう一度来なくちゃいけませんね」


笑いながら、男性はビニール傘を受け取る。身なりは立派なサラリーマンなのに、時々少年のようにはにかみ、普通の人が困る出来事を笑って済ませるところが印象的だった。

「傘も、使ってくれた方が嬉しいでしょう」

「確かにそうかもしれませんね」

「私、雨は結構好きなんです。だから、傘を買うときは念入りに考えて選びます。お気に入りのデザインの傘を持ってると、気分が上がると思いませんか」

「ははっ。なるほど、女性は傘にこだわりを持つのか。私も、傘のこだわりじゃないですけど、雨は好きです。雨の日はいつもと違う風景が見られますからね。感傷に浸りたいときなんかも、うってつけです」

「ふふ。面白い考えですね。とくに、後者のほうが」

「でしょう。よく、お前は変人だと言われます」


確かに、彼は変わっているのかもしれない。こんな小さな書店にわざわざビジネス本を買いに来て、店員の気まぐれの話に付き合ってくれさえした。

「あの、もしよければお名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」

不快に思われるかもしれないと思いながら、けれど彼ならあっさり教えてくれるような気もして、思い切って尋ねた。


「芦田です。芦田昴」


「芦田昴さん」


すばる、と心の中で一回唱えてみた。きれいな響き。きらっと光る星たちが浮かんだ。

「素敵な名前ですね」

「ありがとうございます。店員さんは?」

「私は、桜庭恵実といます。“めぐみ”に“みのる”で恵実です」


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