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あなたが見た世界の端っこを、掴んで。  作者: 葉方萌生
第1幕 第3章 私だけの居場所
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3-4


芦田さんは、まったく合点のいかない私に、「まあ、そうですよね」というふうに細かい内容を話してくれた。

どうやら、さっきの説明は私が理解できない前提だったらしい。


「この時計は、この書店——桜庭書房に、代々伝わるちょっと特殊な時計なんです。見ての通り、一見すると普通の腕時計なのですが、この時計をつけた人には、ある特殊な能力が芽生えます」


何だろう。先ほどとは打って変わって、落ち着いた口ぶりに丁寧な説明。この人、本当は繊細な人なんだ。ただ最初は私の警戒心を解くために、わざと言葉足らずな説明をした。こんなところだろう。

「能力って?」

「それは、私たちが普通に生活をしていたら絶対に見ることができないものが見えるようになる、という能力です。能力が芽生える、というよりこの時計が、あるものを“見せてくれる”と言う方が正しいかもしれません。時にはテストの答えだったり、好きな人の恋愛感情だったり。時計を着ける人によって、何が見えるかは変わってきます」

「テストの答えに、恋愛感情?」

急には飲み込めない話だし、こうも冷静に説明されても、「はい分かりました」と頷くのが難しい。

「今のは、一例です。別のものが見える可能性もあります」

「たとえばどんな」

「それを、あなたに教えて欲しいのです。『ブラック時計』を着けてみてから」

「そういうことかあ」

なんとなく、分かってきた。

とにかくこの『ブラック時計』にはつけた人に「何かが見えるようになる」という特殊な効果があって、それを私にも実験して欲しいということらしい。

夏休みの自由研究にするならもってこいの話題だけれど、あいにく、三学期が始まったばかり。自由研究にするのは難しそうだ。


「どうでしょう。『ブラック時計』、試してくれますか?」

芦田さんの目。

本物だった。

子供騙しで私に時計をつけることを頼んでいるのではなく、真っ直ぐな目で私を見ていて、本気モードだと分かる。

どうして『ブラック時計』を誰かにつけてもらうことに、これほど必死になるのか不思議だけれど、真面目そうな店員さんだし、三毛猫の雑誌をもらえるならやってみよう。

「分かった。試してみます、その時計」

「本当ですか!」

途端、ほっとしたのか明るい表情になった芦田さんが、すごく印象的だった。

「じゃあ、その本と引き換えに」

「ありがとう」

私は私で、三毛猫雑誌が手に入って嬉しかった。

「何か、見えるようになったらまた教えてくださいね」


そうか。これは実験なのだから、その結果は伝えなくちゃいけないんだ。

分かりました、と頷いてみせると、芦田さんがまた優しい目をして笑ってくれた。最初から表情の少ない人だと思っていたので、こうして微笑んでくれるのは嬉しい。そういえば、学校でクラスメイトから無視されるようになってからというもの、親以外の大人から優しくされることがなくなっていた。担任の石原先生も、見て見ぬふりをする他の2年生の先生たちも、決して私を慰めてはくれない。もっとも、これといって自分から助けを求めようともしていないのだから仕方ない。今、先生たちに優しくされたところで、逆におせっかいだって感じるかもしれない。とてもわがままだけど、中学生なんて皆こんなものだろう。


約束通り、三毛猫雑誌を手に桜庭書房をあとにした。

早くに学校が終わったのに、気付いたらもう午後4時を回っていた。

右腕に提げた雑誌の入った袋と、左腕につけた黒い時計。

腕につけた人に、何かが見えるというブラック時計。

信じていいのか分からないけれど、憂鬱だった日常が、ちょっとは明るくなるかもしれない。


今はまだ、確証はないけれど。

2学期とは違う3学期の始まりだ。

桜庭書房から自宅までの帰り道、曇り空、雲の隙間から、橙色の夕陽が少しずつ顔をのぞかせていた。



◆◇ 


『ブラック時計』をつけ始めてから、一週間が経った。

 時計をもらった日には、どんなすごいものが「見える」ようになるんだろうと、ワクワクもしていた。

 しかしどういうわけか、この一週間、それらしいものは何も見えていなかった。


「吉原さん、なにその時計」

初めて学校に時計をつけていった日、目敏く指摘してきたのは相変わらず、田中理恵だった。私なんかが身につけているものの変化にすぐさま気が付くなんて、皮肉でしかない。きっと、些細なことでも私に言いがかりをつけるきっかけにしたいのだろう。


『ブラック時計』の効果が見られないことだけでもがっかりしているのに、さらにクラスメイトから心ない言葉を頂戴するなんて、ついてない。

理恵が朝から私に絡んでいるのを見て、他のクラスメイトたちも「うわ」とか「ださー」とか、はっきりと聞こえるように、嫌味をのたまう。大事な時には人の話を無視するくせに、指摘されたくないところではわざわざつっかかってくる彼女。

「関係ないじゃん。放っといてよ」

動揺を悟られないように、強気の言葉を返すしかない私。

理恵の背後に、串間悟の頭が見える。少しだけ、私の方へ頭を傾けているけれど、直視はしてこない。理恵のことが気になっているんだろうか。隣の席なんだし、後でゆっくり話せばいい。

吉原加奈の腕時計が格好悪いって。

「理恵、吉原なんかに構ってないでさー、ちょっと来てよ。響子がまた新しいポーチ買ってもらったって」

「え〜また?」

「どれどれ?」と他の女子たちに呼ばれて理恵は私の前から去っていった。


視界から彼女がいなくなったため、自然と前方に座る悟の姿が目に入った。

彼が、私の方をちらりと見て、気まずそうにまた前を向く。なんだろう。普段、悟からはそんなに目立った攻撃や無視を受けてないのに。私に嫌がらせをするのは大抵女子たちで、男子は、例えば理恵が命令したときなんかは、分かりやすく嫌がらせに加担する。でも、そんな中で、悟はいつも困ったような目、時に冷めた目で私たちを見ていた。私を見ているのか、理恵たちを見ているのか、はっきりしないけれど。


そんな彼だけど、直接話したことはほとんどない。

必要最低限の会話はするけれど、休み時間に話したり一緒に遊んだりなんてことは絶対にない。クールで周りの子たちより大人びて見える。もしかしたら私も、悟と同じような部類の人間なのかもしれないけれど。


ふと、先ほど理恵にからかわれる原因になった腕時計の存在を意識する。

もし、この時計の効果が本当ならば、串間悟の本心を見てみたい。

それ以外に、特に見たいものなんかないから。

私はもうほとんど、『ブラック時計』の話を冗談だと思い始めていた。桜庭書房の芦田さんは真面目で嘘なんかつかなそうな人だったのに。こんな子供騙しの実験をして、いったい何が楽しいのだろうか。


効果がないのなら、潔く外してしまおうかとも思った。それなのに、なぜか脳裏に理恵の勝ち誇った表情や、遠くから私を眺める悟の姿が頭をかすめて外すことができない。なんだか、呪いみたいだ。特に害はないみたいけれど、絶対に外すことができない時計。赤い靴を履いた少女のように、私も教室という舞台で、踊り続けなくちゃいけないのかもしれない。

クラスメイトから無視されるのは、私が悪いのだ、きっと。

『ブラック時計』をつけていれば、また誰かに嫌味を言われる呪い。一生無視され続ける呪い。

「はあ」

前途多難。

この時計をつければ、何かが変わるかもしれないなんて少しでも思った自分が恥ずかしい。


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