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1月12日。
今日から中学2年生の3学期が始まる。1年生のときの3学期の始まりの日、担任だった野村先生が「三学期は『行く、逃げる、去る』であっという間に過ぎます。後悔しない1年生最後の学期にしましょう」とありきたりの言葉を投げかけた。それ、小学2年生の時も、6年生の時も聞いたよ。皆、言うことは同じだな、と毎年のように思う。
いつもの通学路。コートを着てマフラーを巻き、手袋をつけても、剥き出しの足が寒い。セーラー服で、ハイソックスが禁止の美山中学の制服はおしゃれとは程遠く田舎臭い制服だ。都会の中学生たちはきっとブレザーを来て、膝上のプリーツスカートを履き、学校の帰りに友達と近くのアイスクリーム屋さんでおしゃべりなんかするんだろうなと思うと、今の自分の姿が惨めに思える。もっとも、美山中学の子たちはみんな同じ格好をしているのだけれど。自分が惨めな姿だと思うのは、こうして3学期の始まりの日に一人憂鬱な気分で登校しているからだ。
長期休み明けの学校がだるいとか、そんな単純な理由からではない。
「おはよう」
「……」
2年3組の教室の扉を開け、最初に目が合ったクラスメイトの桑畑さんに挨拶をした。彼女は3学期初日に普通に登校してきた私の姿を見て、一瞬目を丸くして、さっと視線を逸らした。まさか、登校してくるとは思っていなかったんだろう。私も、思わなかったよ。自分が結構ずぶとく生きられることに。
桑畑さんと挨拶を交わすことは諦めて、自分の席につく。休み明けだと時々どの席が自分の席だったか、忘れることがあるけれど今回は大丈夫。なんてったって、私の席は窓際の一番後ろの席だから。席順は、1ヶ月に一度くじ引きで決められる。去年の12月に私が引いたのは、窓際から二列目の真ん中の席だった。それを譲ってくれたのは、田中理恵という女の子だ。おそらく、真ん中の席の方が、仲の良い友達と席が近いからだろう。特に、理恵のお気に入りの串間悟が窓際の列の真ん中の席だったから。
理恵はクラスの女子の中で中心的な人物。明るくて、自分の考えをはっきりと示すし、容姿もそこそこ。クラスの男子たちも、何かと遊びの話をする時にはまず、理恵に話した。「今度、クラスの皆でプール行くんだけど、女子も一緒にどう?」「え、行く行く!」。理恵が「うん」と言えば、大抵のクラスメイトたちは「私も」「うちも」と後に続いた。その中で手を挙げないのは、単に遊びの予定が合わないという子か、群れるのが嫌いだったり、アクティブな遊びが苦手だったりする数人だけ。そういう子たちはむしろ、自分の信念のもと理恵たちの遊びに参加しないだけだったので、陰で何かを言われることもなかった。
「あの子、また来ないんだ」
そう、裏で囁かれるのは、クラスでたった一人。
私——吉原加奈だけだ。
◆◇
初めてクラスメイトからはっきりと避けられていることを感じたのは、10月に行われた合唱コンクールの練習でのことだった。
私はアルトパートのメンバーとして、合唱に参加していた。曲目は「心の瞳」。バラード調のメロディーで、14歳の私たちにはまだちょっと早い、大人向けの歌詞だと感じていた。
けれど、私はこの「心の瞳」が好きだった。美しいメロディーと歌詞が心にぐっと響く。アルトパートで気持ちよくメロディーを歌えないのは残念だけど、逆にハモリができる心地よさがあった。
「ねえ、アルト、一人だけ声がでかいんだけど、誰?」
指揮者をしていた浦部美雨が、ぶっきらぼうに告げた。
クラス全体での練習をしたのは、まだこのときが始めてだった。
「え? 誰だろう」
アルトパートのパートリーダーだった海堂詩織が、私たちをぐるっと見回して、「あっ」と声を出した。その目が、私の口元を見ている。
「吉原さん」
確かに、アルトパートでパート練習をしている時に、私には自分の声が一番大きく響いているという自覚があった。いや、みんなが小さすぎるのだ。やる気がないのか、パート練習で自分の声だけが大きく聞こえるのは確かに腑に落ちなかった。だって、私は普段の声がとりわけ大きいわけではないのだ。
「他の人の声と調和してなくてキンキンするから、ちょっと抑えて」
浦部さんは、「調和」というもっともらしい言葉を使って、私を牽制した。
気取っているのか恥ずかしいだけなのか、私を覗くアルトのメンバー全員が、全力で声を出していなかった。
それなのに、全力を出していた私が、なぜ注意されるのか。
その瞬間は分からなかったけれど、今なら分かる。
答えは一つしかなかった。
私をクラスでたった一人の敵にすることで、みんなの団結力を高めたかったのだ。
それが浦部さん一人の策略なのか、理恵や他のみんなが企んだことなのかは分からないけれど。結果的に、3組は3位入賞を果たした。正直なところ、私はほっとしていた。自分がクラスメイトの攻撃の対象になったとしても、せめてコンクールで入賞してほしいと願っていたからだ。だってそれぐらいしか、やられっぱなしだった自分を、肯定できる術がないじゃないか。




