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キヨ美と僕の一週間

作者: 内角秀人

精力絶倫の男の物語です。

 僕には恋人がいる。名前はキヨ美。愛おしくてたまらない。




 週初めの溌剌とした月曜日。


 キヨ美と僕の一週間が始まる。この日、僕はキヨ美とデートする。


 夕方。仕事を終えると僕はしゃれたダブルのスーツを身にまとい、品川の『京急EXイン』のロビーでキヨ美と待ち合わせ。


 キヨ美もドレスアップした姿で現れる。


「お待たせ」


 化粧も念入りだ。そのせいか、三十分ほど遅刻してくる。でも、そんなことで僕は怒らない。


「やあ、キヨ美。今日も綺麗だね」


 僕は笑顔を見せる。二人で腕組んでフレンチレストラン『ブフドール』へ。


 予約しているので、スムーズに席に案内される。その辺は手抜かりがない。


 キヨ美と付き合いだして、約半年。月曜日の夕方は決まってこのレストランで食事する。まずはワインで乾杯。


 料理はシェフのお任せコース。気が利いているシェフは、毎回毎回僕たちのデートを鮮やかに彩る料理を提供してくれる。


 キヨ美と僕は和やかなムードだ。僕は食事の合間にキヨ美を飽きさせないよう、次々にその時その時の話題を持ち出し、快活にしゃべり続ける。


 キヨ美はある時は聞き耳を立て、ある時は納得したように頷き、またある時はコロコロと笑い声をあげる。その一つ一つの仕草がとてもいじらしく思える。


 料理を食べ終えたキヨ美と僕は、すっかり出来上がっている。でも僕は焦らない。キヨ美の手を取り、ホテル最上階のスカイラウンジ『ブルーパシフィック』へ移動する。


 この店もすでに顔馴染みだ。当然のように夜景が見渡せるボックス席に通される。


 アルコールに弱い体質のキヨ美は烏龍茶、僕はギムレットをオーダーして、本日二度目の乾杯。薄暗い店内では静かな音楽が流され、僕たちのムードをより一層高めてくれる。


「どう? お店の方は上手くいってる?」


 キヨ美が訊く。


「まあね」


 僕の家は目黒区自由が丘にある、祖父の代から続く時計店だ。祖父と父親が死去した今、母親が店長になって店を切り盛りしている。脱サラして間もない僕は修業中の身だ。店はそこそこ繁盛している。従業員は前はいたが、今はいない。母親と僕とで家族経営している。こじんまりとした良店だという自負がある。


「お店では宝石や貴金属も扱っているんでしょ。素敵だわ」


「そうだ。今度キヨ美に指輪をプレゼントするよ。何の宝石がいい? キヨ美は三月生まれだから、誕生石はアクアマリンだよね?」


「そうね。透明感のあるアクアマリンも好きだけど、情熱的な赤いルビーも好きだわ。ブルーサファイアも捨てがたいし…。でも、やっぱり一番好きなのは、ダイヤモンドかしら。へへへへへ」


 キヨ美は照れ臭そうに笑顔を見せた。


「分かった。考えておくよ」


 僕は応じる。


 キヨ美は暗に婚約指輪のことを示唆しているのだろうか。僕は努めて冷静さを保っていた。二人して、飲み物をお代わりする。


 キヨ美は僕との結婚を意識しているのだろうか。


 僕はキヨ美の顔をじっと見つめる。


 自分はどうなのだろうか。心に問いかけてみる。僕は、僕は…。


 そりゃ、僕だってキヨ美と結婚したい。毎日家でキヨ美の笑顔を見ながら、明るく楽しく過ごしたい。


 ただ、一つ難問がある。それはキヨ美がバツイチということだ。おまけに子供が二人もいる。それが僕がキヨ美との結婚に今一つ踏み切れない要因だ。


「相手が一度結婚に失敗していようと、子供が二人いようと関係ないだろう。本人同士、お互いの気持ちが大事だろう。覚悟を決めろよ」


と、人は言う。でも、いざ自分がその場に立たされてみると、そう簡単にはいかないものなのだ。


 僕は一人っ子の長男で、跡を継いで由緒ある時計店を守っていかなければならない立場だ。そして今はまだピンピンしているが、ゆくゆくは母親の面倒も見なければならない。


「誰かいい人が見つかったら、家に連れていらっしゃいよ」


 母親は言う。穏やかで寛容力があり、一人息子のボクには大変甘い母親であるが、いきなりバツイチ、しかもコブ付きのキヨ美を紹介するとびっくり仰天してしまうだろう。そして二人の結婚に大反対するに決まっている。


 知り合ってから今まで、ずっとキヨ美との結婚は夢に描いてきた。しかし、現実はかくも厳しいのだ。


「ロマンチックな夜ね」


 頬を火照らかせて、キヨ美が呟く。僕の方もほろ酔い気分だ。取りあえず今は懸案事項を後回しにして、今宵の情事に興じたいと思う。


 準備は万端整っている。キヨ美と僕はラウンジを出て、あらかじめチェックインしておいた部屋へ向かう。


 部屋に入るやいなや、僕は強くキヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美が好きだ。その気持ちに偽りはない。強く、強く、キヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美と結婚したいと思っている。キヨ美はこんな僕と結婚してくれるだろうか。プロポーズしたら、応じてくれるだろうか。


 まだまだ元気な火曜日。

 夕方。この日もデートで、キヨ美と僕は渋谷ハチ公像前で待ち合わせ。約束時間より三十分遅れてキヨ美はやって来る。


「お待たせ」


 キヨ美は素顔に近いナチュラルメイクだ。服装はカジュアルで、僕もそれに合わせるかのようにラフな格好をしている。


 二人で手をつないでスクランブル交差点を横切り、道玄坂を歩く。心地良い気分だ。


 『TOHOシネマズ』の前で死を止める。


「映画を観よう」


 僕は提案する。


「ええ、いいわ」


 キヨ美も快く承諾する。


「何がいい?」


「そうねえ…」


 僕は冒険アクション物の『ワイルドウォーズ』はどうかと訊くと、キヨ美は恋愛ロマンス物の『ニューヨークの黄昏』がいいと言った。結局僕が折れてキヨ美が観たいと言った映画を鑑賞することにした。


 自動券売機で二人分のチケットを買い求める。ポップコーンとファーストフード、烏龍茶を購入して、当面の空腹を抑えることにした。


 座席に着く。ちょうど始まる時間だった。


 僕は映画が始まる前のちょっとした間が好きだ。これからどんな物語が展開されるのだろうか、ワクワクドキドキする緊張感がたまらない。おまけに今日は隣には愛しのキヨ美が座っている。一人で観るより、胸の鼓動が高鳴っていた。


 映画が始まった。


 僕はずっと左隣りのキヨ美の手を握っていた。映画を観ながら、チラチラとキヨ美の横顔を盗み見る。最高に美しい。キヨ美はそんな僕の様子を知ってか知らずか、一心にスクリーンに没入している。映画は濃厚なラブシーンもあるが、変ないやらしさを感じさせない。僕たちは息を呑んで見つめていた。終盤クライマックスに近づくと、キヨ美の手は汗ばんできた。


 映画が終わった。男の僕でも、それなりに楽しめる内容だった。


 エンドロール後館内に明かりが点くと、キヨ美の頬がほんのり上気しているのが分かった。


「よかったわ、とっても。私も映画のような恋をしてみたいものだわ」


 キヨ美はうっとりとした口調で囁く。


「そう。楽しんでもらえてよかったよ」


 僕はクールに返した。


 映画館を出る。


 キヨ美と僕は道玄坂を左にのぼる。


「次はどこへ行くの?」


 キヨみが訊く。


「映画のラブシーンを再現してみたいな」


 僕は答える。


「そうね…」


 キヨ美は顔を赤らめる。


 二人の足は一致して、円山町のラブホテル街へと向かう。


 本当は今日もシティホテルを利用したかったが、昨日値の張ったデートをしたので少し倹約することにした。


 少し腹が減っている僕たちは、近くのコンビニで食料を買い込み、円山町でいつも利用している『バルーン』にチェックイン。全面鏡張りで、ベッドが回転する部屋を選んだ。


 部屋に入るやいなや、僕はキヨ美を強く抱きしめる。


 僕はキヨ美が好きだ。その気持ちに偽りはない。強く、強く、キヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美と結婚したいと思っている。キヨ美はこんな僕と結婚してくれるだろうか。プロポーズしたら、応じてくれるだろうか。




 安らかな週の真ん中、水曜日。


 夕方。この日のデートは、キヨ美が勤める会社の近くの目黒区柿の木坂交番前で待ち合わせ。そこから少し遠出をするので、僕は社用車という名目の愛車フォルクスワーゲンゴルフに乗って、愛しのキヨ美を待つ。


 約束の時間から三十分遅れて、キヨ美はやって来る。


「お待たせ」


 キヨ美は相変わらず素敵だ。


「今日の先発は石川ね。勝てるかしら」


 フォルクスワーゲンゴルフに乗り込みながら、キヨ美が尋ねてくる。


「さあ、どうだろうか」


 僕は返す。


 この日はナイターで行われるプロ野球観戦に、千葉の海浜幕張まで出かけるのだ。実はキヨ美も僕も大の千葉ロッテマリーンズのファンで、それが縁で知り合ったと言っても過言ではない。


 キヨ美と初めて会ったのは、半年前。野球好きの共通の知人から紹介された。二人とも千葉県民というわけでもないが、同じ野球チームを応援しているということで、初対面から大変気が合った。それからシーズンが始まると、ちょくちょく一緒に球場観戦に誘い、デートを重ねていた。


 キヨ美を助手席に乗せた僕はフォルクスワーゲンゴルフを駆って三軒茶屋から高速に入り、スピードを上げる。渋滞にはそれほど引っかからなかった。『レインボーブリッジ』を渡り、夜の湾岸線を飛ばしに飛ばす。快適なドライブとなった。


 湾岸千葉の出口で高速を降り、目指す『ZOZOマリンスタジアム』まであと少し。幕張のビル街をひたすら走る。


 球場の駐車場はすでにいっぱいなので、少し離れた『幕張メッセ』の駐車場にフォルクスワーゲンゴルフを止める。球場まで二人して早足で歩く。左手にはめていた店の売り物でもあるロレックスの針は、午後七時近くを指している。午後六時十五分開始だから、すでに試合は始まっている。


 球場はライトに照らされて、煌々と輝いていた。


 まだ売り切れていなかった一塁側内野指定席の当日券を二人分購入し、座席に着いた時には、試合は二階の裏を終えたところだった。スタンドは観客で八割方埋まっている。


 今日の対戦相手はオリックスバファローズ。ここまで両チームとも無得点。マリーンズ先発の石川、バファローズ先発の山岡、ともに好投しているようだ。


 イニングの合間に、僕は腹ごしらえの為、売店に弁当を買いに走る。ビールを飲みたい気分だったが、車を運転して来ているので我慢することにした。代わりに烏龍茶を買い求めた。


 夜風に浸りながらの野球観戦。ここ『ZOZOマリンスタジアム』は強風が名物であるが、今夜の風はそんなに強くもなく、非常に気持ちが良かった。やっぱり野球観戦はドーム球場より屋外球場がいい。


 試合は淡々と進んでいる。


 五回裏終了時には、花火が打ち上がった。僕は花火を見つめるキヨ美の横顔に見とれる。花火より綺麗だ、と思う。思わず、キヨ美の手を強く握り締めた。キヨ美も握り返してきた。


 七回表。試合が動いた。安達のタイムリーが出て、バファローズが1点先制。石川が打たれてしまった。


 七回裏が始まる前、反撃を期待してジェット風船を飛ばす。だがチャンスを作ったものの、願い虚しく無得点。キヨ美も僕も溜息を洩らす。


 八回。両チーム、無得点。応援にも力が入ってくる。キヨ美も盛んに声援を送る。


 そしてマリーンズ1点ビハインドのまま、九回裏の攻撃。球場全体のボルテージも高まってきた。


「絶対打ってね。逆転サヨナラよ」


 キヨ美が両手を胸の前で組み、願い事を呟く。僕も期待して見守る。


 この回の先頭は、四番井上。マウンド上には相変わらず山岡が立ち続けている。


 緊迫した局面。井上、粘ってフォアボールを選ぶ。ノーアウト、一塁。一塁側から拍手が起きる。


 しかし、続く角中、三振。代打の福浦、サードフライ。どこかで悲鳴に近い歓声が聞こえてくる。これで、ツーアウト、一塁。


 キヨ美は目を閉じている。逆転を信じ、一心に祈っているようだ。


 バッターは、七番鈴木。キヨ美がお気に入りである選手の一人だ。


「大地、打って。お願い」


 キヨ美が呟く。


 僕も固唾を飲んで試合の行方を見守った。


 初球だった。鈴木が山岡の投げたストレートをジャストミートした。大歓声とともに打球はライトスタンドへ。


 入った! 逆転サヨナラホームラン!


「やった、やった、やった」


 飛び上がって喜ぶキヨ美。僕もだ。劇的な幕切れだ。見ると、キヨ美は涙を流している。よほど興奮したのか、感極まっているようだ。僕たちはしばらくその場を動けなかった。


 キヨ美と僕が駐車場にたどり着いたのは、試合が終了してから一時間近く経ってからだった。


「やったね、大地。凄かったわね」


 キヨ美はまだ興奮冷めやらぬ様子である。


「そうだね。よく打ったね」


 僕もまだ少し興奮していたが、努めて冷静に受けた。フォルクスワーゲンゴルフのアクセルを踏む。


 興奮を静める方法は、一つ。お互いの気持ちを確かめ合うことだ。


 僕はフォルクスワーゲンゴルフを湾岸道路沿いにあるモーテル『アンデルセン』に向ける。横目でキヨ美の顔を盗み見る。キヨ美もまんざらでない様子で、拒んでいない。僕はフォルクスワーゲンゴルフを乗り入れた。


 部屋に入るやいなや、僕はキヨ美を強く抱きしめる。


 僕はキヨ美が好きだ。その気持ちに偽りはない。強く、強く、キヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美と結婚したいと思っている。キヨ美はこんな僕と結婚してくれるだろうか。プロポーズしたら、応じてくれるだろうか。




 ちょっと気怠い木曜日。


 夕方。この日のデートは新宿東口アルタ前で待ち合わせ。日本一の繁華街を抱えるこの付近は、相変わらず人の数が多い。


 キヨ美は仕事帰り。約束時間より三十分遅れて登場。


「お待たせ」


 ワンピースに赤いサンダル姿だ。可愛らしい。


 僕はポロシャツに薄手のジャケットを羽織り、ベージュのスラックスにローファーといういで立ち。なかなか決まっている、と自分では思う。


 二人で手をつなぎ、まずはコンビニに直行。食料を買い求める。


 そこからまたぶらぶら歩き、歌舞伎町へ突入する。目的地は顔なじみの店、『カラオケランド』。この日はカラオケデートだ。


 最大三時間歌い放題飲み放題で二千円弱とは激安。懐事情があまり芳しくない僕にとって、ありがたい店だ。


 入り口でチェックインを済まし、いざ部屋へ。黒を基調とした落ち着いた感じの一室を案内される。広さは八畳余りで、二人だけでは広すぎる気がした。


 とりあえず、キヨ美は烏龍茶、僕はビールを頼む。


 腹ごしらえをする前に、キヨ美は早くもマイクを握りしめている。キヨ美も僕も、歌うのが大好きだ。


 最初の一曲目。キヨ美はAKB48の『会いたかった』を歌う。元気があってノリがいい、オープニングにはふさわしい曲だ。続いて、いきものがかりの『ありがとう』を熱唱する。張りのある高音を利かす。上手い。


「ねえ、食べてないで、あなたも歌ってよ」


 サンドイッチをほおばっている僕に、キヨ美が催促する。


「わ、分かったよ」


「一曲目は、いつものやつね」


「ああ」


 キヨ美はリモコンを操作して、僕の一曲目を選曲する。


 いつもの聞き慣れたイントロが流れてきた。


 僕の一曲目は、SMAPの『頑張りましょう』。僕は立ち上がり、SMAPのメンバーになり切って、シャウトする。僕のレパートリーの中で、最も歌い出しにふさわしい曲だ。キヨ美も手拍子してくれている。ノリは最高だ。よし、と心に決めた。今日はSMAPの曲だけで通してみよう、と。


 キヨ美の三曲目は、aikoの『カブトムシ』。しっとりと歌い上げる。引き続き、松任谷由実『中央フリーウェイ』、西野カナ『トリセツ』、今井美樹『PRIDE』を歌う。


 僕も負けじと、『KANSYAして』、『HeyHeyおおきに毎度あり』、『夜空ノムコウ』を歌う。キヨ美を見つめながら、情感込めて歌う。


 連続してたっぷり歌うと、喉が渇く。僕はビールのお代わりを注文した。キヨ美も二杯目のウーロン茶を頼む。


 二人の歌合戦は、まだまだ続く。


 キヨ美はAKB48グループとモーニング娘。のヒット曲を、それぞれメドレーで歌う。


 僕はSMAP一筋を貫き、『SHAKE』、『セロリ』、そして『世界に一つだけの花』を歌う。


「今日はSMAPしか歌わないのね」


 キヨ美が尋ねる。


「嫌かい?」


 僕は訊き返す。


「ううん。私、SMAP大好き。解散しちゃったけど」


「SMAPの中で、誰が一番好き?」


「稲垣吾郎」


「どうして?」


「私と同じ苗字だから、他人に思えなくて」


 二人、笑い合う。いい雰囲気だ。


 楽しい宴は終わらない。


「隣りに行ってもいいかい?」


 十何曲か歌い合った後、僕が訊く。


「ええ、いいわ」


 キヨ美が答える。


 僕たちは肩を並べて座る。二人を隔てていた距離が縮まり、緊張感が高まる。


「ねえ、デュエットしよ」


 キヨ美が切り出す。


「いいね」


 僕たちは歌う。曲目は、定番の『ロンリーチャップリン』。息ピッタリだ。キヨ美の顔がにわかに上気してくる。


 時間が経つのも忘れて、キヨ美と僕は歌いに歌った。


 残り時間も僅かになって、キヨ美が十八番である松田聖子の『大切なあなた』を歌う。僕はすかさず『らいおんハート』を選曲し、歌う。僕の勝負曲だ。


 キヨ美を見つめ、囁くように歌った。ビールの酔いも手伝って、いい気分だ。アルコールを口にしていないものの、キヨ美も多分同じ気持ちだろう。瞳が潤んでいる。


 歌い終わると、僕はキヨ美の肩を抱き寄せ、キスした。甘くとろけるようなキス。何度も何度も交わす。


「ホテル、行こうか?」


 僕は誘う。


「ううん、いや。ここでしよ」


 キヨ美は顔を赤らめて言う。


「でも…」


 僕は監視カメラを指差す。


「いいの。見せつけてやればいいじゃん」


 笑って言う。


「そうだね」


 僕も同調する。ホテル代を浮かすことができるので、まあ、いいか。


 キヨ美と僕はなるべく監視カメラに映りにくい場所に移動する。


 移動するやいなや、僕は強くキヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美が好きだ。その気持ちに偽りはない。強く、強く、キヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美と結婚したいと思っている。キヨ美はこんな僕と結婚してくれるだろうか。プロポーズしたら、応じてくれるだろうか。




 ウキウキな花の金曜日。


 夕方。この日もデート。キヨ美と僕は人混みでごった返すJR上野駅公園口の改札で待ち合わせ。行き交う人々の顔は、一週間の労働から解放された喜びで満ち溢れている。


 約束から三十分遅れて、キヨ美は現れる。


「お待たせ」


 仕事帰りで、グレーのスーツ姿だ。なかなか様になっている。合わせるかのように、僕もグレーのダブルのスーツを着用してきた。


 二人で腕組んで、上野公園内へ。目的地は『国立西洋美術館』。今、キヨ美が好きな後期印象派と呼ばれる画家の展示会が開催されているのだ。


 この美術館は他の曜日は午後五時半で閉館になるが、金曜日だけは午後八時まで開いている。


 入り口で新聞店からもらった二人分の無料入場券を渡す。本来ならば見栄を張って現金で入場料を支払いたいところだが、軍資金が乏しいので、致し方ない。みみっちいと思われるだろうか。キヨ美は見て見ぬふりをしてくれているようだ。


 館内を進む。


 やや薄暗い照明の下、落ち着いた色調の壁面に等間隔で絵画は展示されている。まずまずの人の入りだが、話し声を立てる者などいない。


 キヨ美と僕は、ゆっくりゆっくり観賞する。


 キヨ美が好きな画家は、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ。ゴーギャンは僕も好きだ。


 ゴーギャンでは、僕は『海辺に立つブルターニュの少女たち』が一番好きだ。キヨ美はタヒチ時代の物ならどれも好きだと言う。人間の生命力があふれ出ているから、というのが理由らしい。


 キヨ美は少女時代、画家になりたかったそうだ。美大を受験しようとまで考えていたが、父親に反対されて泣く泣く諦めたらしい。だが、時々キヨ美は夢を捨てきれていない心情を吐露することがある。


「今からでも遅くないわ。画家を志してみようかしら。だって、ゴーギャンは四十近くから画家になったんだもの」


とか、


「私、結婚したら将来はアトリエのある家に住みたいわ。老後はそこで画を描いて過ごしたいの」


とか、のたまわる。


 アトリエのある家なんて、一体いくらすると思っているのだろう。


 約一時間で鑑賞を終えた。キヨ美のために、パンフレットを購入する。そこは奮発した。


「お腹、空かない?」


と、キヨ美に訊かれたと同時に、僕のお腹がグウッと鳴った。僕たちは声を立てずに笑い合った。


 美術館を出て、アメ横にあるカレー専門店『クラウンエース』に行く。ここも馴染みの店だ。そこでキヨ美はチキンカレーを、僕はカツカレーを食べる。辛い。二人とも、ヒーハー言いながら食べる。烏龍茶も飲んだ。


 腹を満たした後、どのタイミングでホテルに誘おうかと考えていたところ、キヨ美が夜風にあたりたい、と言うので、再び上野公園へ。


 公園内は涼しい。そして、アベックで一杯だ。ほとんどのベンチは占領されている。花金だから、しょうがないか。


 ようやく空いているベンチを見つけ、僕たちは座る。夜風が気持ちいい。キヨ美と僕はしばらく黙ったまま、じっとしていた。


 辺りを見渡すと、どのベンチのどのアベックもいちゃついている。それを見ていると、ムラムラしてきた。負けていられない。


「月がきれいだね」


 僕は囁き、そっとキヨ美の肩を引き寄せる。


 キヨ美は無言のまま、頷く。僕の行動を待っていてくれたようだ。目を閉じる。OKの合図だ。


 僕はキヨ美にキスした。下を深く吸い込む。腔内にカレーの味が広がった。一度話し、呼吸を整えてから再びキスした。


 それでキヨ美の心に火がついたようだ。両手で僕の身体をまさぐる。


 望むところだ。人目が気にならない訳ではないが、暗がりの中、皆やっていることだから構いやしない。ここで済ますことができれば、ホテル代も浮くことだし。


 僕もその気になった。キヨ美の上着を脱がす。僕も脱ぐ。


 脱がすやいなや、僕はキヨ美を強く抱きしめる。


 僕はキヨ美が好きだ。その気持ちに偽りはない。強く、強く、キヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美と結婚したいと思っている。キヨ美はこんな僕と結婚してくれるだろうか。プロポーズしたら、応じてくれるだろうか。




 爽やかな休日の土曜日。


 遅い朝。この日のデートはキヨ美が住む目黒区祐天寺の駅前で待ち合わせ。僕は愛車のフォルクスワーゲンゴルフで出迎える。ドライブデートをするのだ。幸い、天候にも恵まれている。空は雲一つない快晴だ。ガソリンも満タンにしてある。


 約束時間より三十分遅れてキヨ美はやってくる。


「お待たせ」


 キヨ美はノーメイクで登場。トレーナーにジーパンという動きやすい格好をしている。僕もお揃いで買ったトレーナーを身に着けている。


「ごめんね、遅れて。お弁当作るのに手間取っちゃって…。怒ってる?」


 見ると、手にバスケットを提げている。


「怒ってなどないさ。さあ、早く乗って」


 キヨ美を助手席に乗せる。


「ところで、どこに行くの?」


 キヨ美が訊く。


「相模湖辺りはどうだい?」


 僕は訊き返す。


「湖か…。いいわね」


 いざ、出発進行。


 僕はフォルクスワーゲンゴルフを走らせる。駒沢通りから環七、そして甲州街道で左折して、高井戸から中央高速道に入る。道路はそんなに混んでいない。


 キヨ美は少し窓を開け、車内に外の空気を入れる。五月の風が心地よい。


「うわあ、気持ちいいなあ」


 今日のキヨ美は朝からハイテンションだ。そんな姿を僕は微笑ましく見守る。


「こんないい日にドライブなんて、最高だね」


 キヨ美と一緒だからよけい最高だ。口にするとキザすぎると思うので、僕は心の中で呟いた。


「うわあ、凄い。本当にユーミンの歌のとおり、競馬場が見えてきた。ビール工場も!」


 キヨ美は興奮した口調で叫ぶ。今日はいつになく、よくしゃべる。


 僕たちの乗るフォルクスワーゲンゴルフは八王子の料金所まで、ほぼノンストップで駆け抜けた。


「喉、渇かない?」


 キヨ美が訊く。


「ああ、何かある?」


「烏龍茶があるよ。飲む?」


「飲む」


 キヨ美がペットボトルを差し出す。それを受け取り、一口飲んでフォルダーに置いた。キヨ美は烏龍茶が好きだ。いつも好んで飲んでいる。僕も嫌いではない。


 相模湖東出口で、中央高速から降りる。下道をゆっくりゆっくり走る。


「キャッホ! 湖よ、み・ず・う・み!」


 キヨ美は湖の近くまで来ると、幼児のようにはしゃぎまくる。


 さらに進むと、公園が見えてきた。本日の目的地、『相模湖公園』だ。


 地下の駐車場にフォルクスワーゲンゴルフを止めて、階上の芝生広場に出る。


 ちょうどランチタイムだ。僕は車に常備してあるレジャーシートを芝生の上に広げる。


「準備がいいのね」


 キヨ美が笑う。


「こんなこともあろうかと思ってね」


 僕は返す。


「苦労して作ったんだから、味わって食べてね」


「もちろん」


 二人してレジャーシートの上に座り、キヨ美が作ってきたお弁当を食べる。おにぎりがおいしい。唐揚げが最高だ。卵焼きの味が染みる。ウインナーも香ばしい。


 穏やかに晴れ上がった空の下、僕たちは食事と一緒に幸せというやつを噛みしめた。


 食べ終わり満腹になると、眠気が襲ってきた。仰向けになり、横たわる。キヨ美も倣った。二人とも、しばらくウトウトしていた。


「ねえ、もっと湖の近くに行きたいわ」


 キヨ美がそう言うので、僕たちはまずバスケットとレジャーシートを車に置きに行き、それから水辺の広場に向かった。


「綺麗よねえ」


 キヨ美が目を細めて言う。


 僕は湖の景色とキヨ美の横顔に見とれた。湖は美しい。でもキヨ美の方がもっと美しいと思った。都会の喧騒を忘れ、自然の中に身を沈める。心が洗われる気分だった。いろんなことでこせこせするのが馬鹿らしくなってくる。


「ねえ、ボート乗らない?」


 キヨ美が提案する。


「いいねえ」


「いろんなのがあるけど、どのボートにする?」


「手漕ぎボートにしよう」


 僕はオールを器用に操り、ボートを漕ぎ出す。


「かなり揺れるわね、ちょっと怖い」


 キヨ美はボートのへりにしがみついている。


「はは。そんなに怖がらなくても、大丈夫だよ。任せておいて」


 僕は湖の沖合いまでボートを漕ぐ。


「うわあ、水が透き通っているわ」


 キヨ美が感嘆の声を上げる。


「ここに来て、良かっただろう」


 僕が言う。


「本当、そう思う」


 幸せだ。愛しの女性と二人、湖畔でボートに乗っている。邪魔する者などいない。本当に幸せだ。改めて、僕はキヨ美を愛しいと思った。それから僕たちはボートの上で他愛のないことをしゃべり続け、二人だけの世界を堪能した。


 時間が経ち、いつの間にか太陽が傾いていた。風邪も少し強くなってきた。


「もう、戻ろうか」


 僕は湖岸に向かってボートを漕いだ。


「楽しい時間って、あっという間に経つのね」


 キヨ美がしみじみ言う。


 帰りは相模湖インターから高速に乗ることにした。湖に沿って西にフォルクスワーゲンゴルフを走らせる。太陽は依然照り輝いている。キヨ美は橙色の太陽と緑色の湖を交互に見て、うっとりしている。僕は眩しいので、サングラスをかける。


 高速に乗った。今度は太陽を背に向けるので、僕はサングラスを外した。少し走った後、


「ちょっと、止めて」


と、キヨ美が言うので、路肩でフォルクスワーゲンゴルフを止めた。


「どうしたの?」


と、僕が訊くと、いきなり抱きついてきて、キスしてきた。何度も何度も。僕は最初戸惑ったが、それに応えることにした。


「ホテル、行く?」


 僕は誘った。


「いや、それまで待てないわ。ここでしよ」


 今日のキヨ美はやけに積極的だ。でも、そんなキヨ美を僕は嫌いではない。


 僕は楽しむことにした。有り金も底を尽きかけていることだし、こういう場所でのプレイも悪くない。いつ覗かれるか分からないというスリルもあって堪らない。キヨ美は肉感的な若々しい身体を押し付けてくる。僕はトレーナーを脱がせた。自分も脱ぐ。


 脱がすやいなや、僕は強くキヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美が好きだ。その気持ちに偽りはない。強く、強く、キヨ美を抱きしめる。


 僕はキヨ美と結婚したいと思っている。キヨ美はこんな僕と結婚してくれるだろうか。プロポーズしたら、応じてくれるだろうか。




 ゆったりとした休息の日曜日。


 この日はキヨ美とデートしない。


「今日は出かけないのね」


 母親がやんわり訊いてくる。


「ああ。毎日毎日デートデートで、疲れちゃったよ。今日は骨休めの日だ。日曜日で店も忙しいことだし」


 僕は答えた。


「あら。お店の方は気にかけてもらわなくてもいいのよ。あなたが早くいい人を見つけてくれれば、それでいいのだから」


「そう…、ありがとう。そうだ。それから、お母さん。僕の給料少し前借させてくれないかな。手持ちの分が残っていないんだ」


「おや、先週も同じこと言って持っていったくせに、もう使っちゃったの。金遣いが荒いんじゃないの」


「いろいろと大変なんだ」


 毎回毎回のデート代として、何だかんだと出費がかさむ。全く女性と付き合うには、お金がかかってしょうがない。これでも節制している方だ。身を着飾る洋服などもまだローンがかなり残っている。


「いい人がいるんだったら、本当にウチに連れていらっしゃいよ」


「ああ、分かっているよ」


 分かっている。確かに分かっているんだ。僕も早く母親にキヨ美を紹介したいと思っている。僕はキヨ美を愛しているし、結婚するのだったら、キヨ美以外には考えられない。


 だが問題は、どのキヨ美を紹介するかだ。


 僕は机に向かい、紙に書き連ねてみる。


 月曜日のデート相手 中居聖美 バツイチ二児の子持ちの四十四歳。


 火曜日のデート相手 木村清美 映画のような恋愛に憧れるアラフォーの三十九歳。


 水曜日のデート相手 森澄美  千葉ロッテマリーンズファンの三十六歳。


 木曜日のデート相手 稲垣喜代美 カラオケ好きのアラサー、二十九歳。


 金曜日のデート相手 草彅貴与美 画家志望の二十五歳。


 土曜日のデート相手 香取希世美 一番若いムチムチの十九歳。


 みんながみんな魅力的で、誰か一人に絞るのに迷ってしまう。六人と付き合い出して、半年間迷いっ放しだ。


 ただ、いつまでも迷ってばかりいられない。僕もいつまでも若くないし、母親もいい歳だ。早く嫁を貰って安心させたい。


「近いうちに紹介してよ。はい、これ」


 七十四歳の母親浄美が、僕に前借分の給料を渡す。


「ありがとう。なるべく早く紹介できるよう努力するよ」


と言って、五十一歳の息子、僕はお金を受け取る。


 なるべく早く、誰か一人に決めたい。でも誰にしようか。どうする…? とりあえず、僕は次のデートの約束を取り付けるべく、六人全員に連絡を取る。


 さあ、また明日から一週間が始まるぞ。


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