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森羅万象の息吹


 炊き出しは貧民街の河原で、ほぼ毎朝開かれるという。


 兵役や運河の拡張工事などで地方から出てきた男衆が、都の居心地に慣れてしまって宿もないまま延々と不法に居残ることは多い。この一帯の貧民街はそんな者たちが寄り集まって野宿するうちに生まれたものであり――端的にいえばかなりガラが悪い。


 まず血気盛んな若い男どもが中心なので、四六時中あちこちで喧嘩が絶えない。密造酒は蔓延る。徒党を組んで犯罪に手を染める連中もいる。


 皇帝も帰郷事業を進めてはいるが、治安の悪さゆえに市中警備もなかなか手出しできない状態ときている。


「月天丸。お前、こんなところにも出入りしてるのか? 危ないだろ」

「心配はいらん。こういう場所に来るときは極力姿を隠しているし、私を捕らえられるような奴はそんじょそこらにはおらん」


 まあ確かに、月天丸の素早さは俺たちが四人がかりで手を焼くほどである。冷静に考えれば心配の必要はまるでない。

 たとえば二朱が全裸でこの貧民街を練り歩くと宣言しても、兄弟の誰も心配することはないだろう。


 が、それでも月天丸については気遣ってしまう心が先立つのは、やはり兄としての責任感からか。


「まあ、しかしだ。こんな炊き出しがあったのなら、この前宮廷を追い出されたときにも来ればよかったな」

「貴様というやつは……」


 あのときは残飯の在処を巡って一虎と決闘までしたほどだ。

 こんな無料の炊き出しがあると知っていたら、毎朝欠かさず並んだことだろう。働かずに食う飯ほど美味いものはない。


「そうだ。もしこの場で身分がバレたら面倒だから、ここでは俺のことを杜安トアンって呼んでくれ」

「元から貴様を名前で呼んだことはないと思うが……杜安? なんだその名は」

「俺も昔は貧民暮らしだったからな、そのときの名前だよ。今の名前は宮廷に入ってから貰ったんだ」


 月天丸が興味なさそうに「ふーん」と唸る。


 炊き出し予定の河原には、既に多くの人々が集まっていた。貧乏暮らしの中でタダ飯にありつけるとあらば当然のことだろう。


「ところで」

「ん?」

「お前のことはなんて呼べばいい? 月天丸って義賊の通り名だろ? 普段はどう名乗ってるんだ?」

「適当にコロコロ変えてるが……最近は小雀シャンだな。その前は小鼠で、その前は小蜂とか」


 なるほどと俺は頷く。

 法則性があって分かりやすい。素早い小動物になぞらえた名前か。


「じゃあ月天丸。並ぶぞ」

「おい待て。聞いたくせにいきなり呼び名を放棄するな」

「ああ悪い。やっぱ慣れないから普通に呼ぶわ」


 小声で呼べば問題はないだろう。

 そうこうしているうちに、河原に一隻の荷舟が着けてきた。湯気の漏れる大釜を乗っけていることからして、おそらく目当ての炊き出し連中だろう。



「――お待たせしました皆様っ!」


 せいぜい五、六人が乗るほどの小さな舟。

 そこから真っ先に降りてきたのは、全身を孔雀めいた極彩色の色布で覆った――変な奴だった。後に続く連中も、全員が南国の珍獣みたいな色の毛皮を纏っている。


「もう見た目からしてインチキ臭いな」

「……いや待て月天丸。まだ諦めるな。不老長寿の秘法を知ってる連中が、一般人と同じ尺度で生きてるわけがない」

「相変わらず往生際が悪いな貴様」


 常識からかけ離れた技を持つ者が、どうして常人と同じ感性で生きられようか。むしろこれは期待が増したと考えた方がいい。決して希望的観測ではない。


「さあお待ちかね! 本日も皆様の心身に恵みをもたらしましょう! さあ御整列ください!」


 整列というので、普通に炊き出しの行列が始まるのかと思った。

 しかし違った。


 集まる浮浪者たちが、縦横に広がって等間隔に距離を取り始めたのだ。

 それを満足げに眺めつつ、孔雀男が胡散臭い声色で号令を発する。


「はぁ~い。それでは元気に今日も森羅万象の息吹を取り入れましょう。一! 二!」


 そして始まったのは、珍妙な体操である。


 拳法の型の動きと柔軟運動を混ぜたような形か。ただしお世辞にも洗練された動きとはいえず、ぱっと見の印象は「挙動不審のナマケモノ」という感じである。


 俺と月天丸はただ遠目にそれを見て立ち尽くす。


「帰るか。こんなのインチキ以外の何物でもあるまい」

「……いや待った」

「待つも糞もあるか。あれのどこに信憑性がある?」


 この逆境下にあっても、卓越した俺の頭脳は希望を見出していた。


「なんでこの貧民街の荒くれものたちがあんなのに従ってるんだ? 俺がガキのころだったら、あんなダサい体操なんかに付き合わず襲撃して釜を奪う。あとあの無駄に高そうな孔雀っぽい服も奪って毛皮屋に売りさばく」

「貴様というやつは……だがしかし、正論といえば正論だな。襲ってしまうと来なくなるからではないか?」

「いや。こういうガラの悪い区域だと、他人に舐められないってのは結構大事なんだ。よほど食うに困ってるならともかく、見た感じだと普通に働けそうな体格の奴も多い。あんな連中がナマケモノ体操で恥を晒してまで、目先の雑穀飯なんかに執着するとも思えない」


 ふむ、と月天丸が顎に手を添えた。

 河原で体操に励んでいる連中を見れば、決して嫌々やっている感じではない。

 むしろ懸命な表情で号令に従っている者すらいる。


「確かに不可解ではあるな。もう少し様子を見てみるか」


 一連の体操が終わったあと、孔雀男はぱちぱちと手を叩いた。


「いやはや、本日もご苦労様でした! これにて皆様方はまた着実に心身を鍛えられました! それは心ばかりの労いとなりますが、食事の方を――」

「それより早く、またアレやって見せてくれよ!」


 集った男たちの中から次々に「そうだそうだ!」「俺たちゃアレを見に来てんだ!」と声が上がる。


 アレ?

 俺も月天丸も首を傾げる。


「大道芸でもやるのか? 言われてみれば芸人っぽい服装ではあるが……」

「見世物の駄賃としても俺はやりたくないなあの体操」


 男たちの要求を抑えるように孔雀男が手を振る。


「お静かに、お静かに。もちろんでございます。皆様方にこうして秘伝の技を伝授している以上、目指すべきその高みを示すのは私どもの責務であります。そうですね――本日はそこの岩としましょうか」


 そう言って孔雀男が指さしたのは、河原にある岩だった。

 高さは人の背丈ほど。洪水か何かで流れてきたのか、あるいは打ち捨てられた石材か。いずれにせよかなりの大岩だ。


「まずは皆様。めいめいに岩をお確かめください」


 男たちが一斉に岩へと群がり、叩き殴り蹴りと謎の行動を始める。

 もちろん頑強そうな岩が人間の手でどうにかなるわけもなく、傷つくどころか揺れすらしなかった。


「確認は済みましたね? では種も仕掛けもないと見せたところで、範をお見せしましょう」


 孔雀男が大岩に歩み寄る。人垣が割れるようにして道を開く。

 彼は岩の前まで来ると、指の一本だけを岩肌に触れた。


「――破!」


 割れた。

 まるで強靭な楔を打ち込まれたかのように、一瞬にして大岩が真っ二つに割れて倒れたのだ。


 見ていた男たちの間からは歓声が上がり、すげえすげえと囃し立てる声も続く。


「ふん、何かと思えばくだらん。あんなのただの大道芸ではないか。どこぞに仕掛けがあったに決まっている――っておい貴様!」


 一歩引いた位置で事の次第を見守っていた俺たちだったが、辛抱たまらず俺は飛び出した。人混みを掻き分けて割れた岩の元に辿り着く。


 割れた岩の断面には、なんら不自然なところはない。


「おい貴様、いきなりどうした。不老長寿というのを信じ込みたい気持ちは分かるが、こんなのただのインチキ芸で」

「いや違うぞ。これは本当に力で叩き割られてる。割れた音も細工なしの本物だった」

「……何?」


 断面の痕跡もそうだが、割れたときの音が最大の確信だった。

 たとえば粘土なんかで繋いでいた場合と、本当に岩が割れた場合では音の質がまるで違う。


「これは当たりかもしれないぞ。あんな怪しい孔雀男が素手でこんな大岩を叩き砕けるなんて、普通の芸当じゃない。不老長寿っていうのも一気に現実味が出てきた」

「いや待てそう逸るな。そもそもなぜ貴様、そんなに岩が割れるときの音に詳しいのだ」

「一虎の馬鹿が毎日のように修行で砕いてるからな。聞き慣れてる」

「……は?」


 俺は割れた大岩の片割れに手を触れる。岩の質も決して脆いものではない。


「要するに……貴様らは普通にできるのか?」

「ああ楽勝だ。なんならもっと硬い岩でもいける」


 俺がそう言うと、脇から「ほほう?」と挑発するような声が響いた。


「それはそれは、聞き捨てなりませんねえ。これほどの岩を砕く力は、長年の修練を積んだ者だけに与えられるものです。日々努力を欠かさず、地道に森羅万象の息吹を取り入れ続けた者だけに」


 やはり改めて見てもインチキ臭い孔雀男である。

 だが、ペテン抜きで岩を割ったあたり、実際に彼が相当な膂力を秘めているのは間違いない。


「その森羅万象の息吹ってやつ? それが不老長寿の秘訣なのか? すまないけどちょっと俺に教えてくれないか? 親父の健康を祈りたくて……」

「親孝行とは感心です。しかしこれは我々の秘伝ゆえ、誰しもに教えられるわけではありません。選ばれし者だけに伝授されるのです。もっとも、あなたが本当にその大岩を素手で砕けるというなら、森羅万象に愛されし者としての才覚を認めてあげてもよいですが――」


 そういうことなら話が早い。

 俺は深呼吸とともに拳を振りかぶった。


 気付いた月天丸が「よせ阿呆!」と隣で叫ぶが、放った拳の勢いは途中で止められない。



 ――大岩が粉々に砕ける音が河原に響き渡った。


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