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素晴らしき親孝行

 皇帝は国を統べる者と思われがちだが、それは一面的な物の見方でしかない。

 政務や軍事、さらには個人の武の鍛錬まで。国を安寧に統治していくためには、常人には務まらない激務を日々こなしていかねばならない。


 つまり皇帝とは、誰よりも国への奉仕を要求される労働のしもべでもあるのだ。


「お父様の生活ははっきりいって過酷よ。朝から晩まで働きづくめで、個人の鍛錬にも手を抜けない。そのせいか、毎日の暴飲暴食も凄まじいものがあるわ」


 軍議室で作戦会議を続行しながら、二朱が皇帝の生活習慣について分析を始める。


 確かに父の飲み食いの勢いは人間離れしている。

 宴席においては豚一頭を楽々と平らげ、酒もタライで何杯も飲み干す。


「だけどよ、食欲があるのはいいことじゃねえの? 酒も百薬の長っていうぜ」


 と、兄弟の中でもっとも皇帝に食生活が近い一虎が異論を挟んだ。


「ただ単に大喰らいでも滋養は付かないわよ。程度ってものがあるでしょ。酒も飲みすぎは肝をやられるしね」

「それに兄上とは事情も違うでしょう。兄上はいつも飲んだ挙句に好きなだけ爆睡していますが、父上は睡眠時間も限られています。ロクに休めもせずに暴飲暴食というのは身体に毒でしかありません」


 二朱と三龍が立て続けにそれを論破する。

 それを傍で聞きながら、既に俺は問題の本質を見抜いていた。


「要するに……働くのは命を縮めるってことだな。あの無双を誇る親父ですら労働の脅威には勝てないんだ。とても俺たちが戦える戦場じゃない」


 三人の兄姉たちも重々しく同意の頷きを見せた。

 俺は目頭を熱くしながら拳を握る。


「というわけで、十分に感謝しながら親父には長生きしてもらおう。策はあるんだよな姉上?」

「もちろん。そう難しい話じゃないわ」


 自信ありげに言って二朱は人差し指を立てる。


「仕事の疲れ。暴飲暴食。睡眠不足。最大の問題のこの三点を潰しましょう」



―――――――――――……



「親父。ちょっと肩を揉ませてくれねえか」


 切り込み隊長は一虎だった。

 政務室で山積みの書類と格闘していた皇帝の元を訪れ、疲労を少しでも解消すべく肩揉みを申し出たのだ。


 俺を含む他の三人は、政務室の入口付近に潜んでその様子を窺っている。


「……なんの魂胆だ?」

「へっ、わざわざ言わせねえでくれよ親父。オレが親孝行しちゃ悪いかよ?」


 照れ臭そうに言う一虎。

 率直にいってかなり気持ち悪い。早くも不安がよぎってくる。


「なあ姉上。最初が一虎で本当によかったのか? あんな気持ち悪い言動、ぶん殴られて終わりじゃないのか?」

「心配いらないわ。お父様はあたし以上に人心を読むことに長けてる。あの馬鹿白髪は単純な分、今は心の底からお父様の健康を願ってるわ。裏表のない誠意が伝わるはずよ。見なさい」


 二朱に促されて皇帝の反応を窺う。

 殴られて終わりかと思ったが、そこには――


「……?」


 頬を引きつらせ、めちゃくちゃ困惑している父の姿があった。

 どうやら姉の目論み通り、一虎の誠意が通じたらしい。


「さあ親父。肩が嫌なら腰でも足裏でも揉むぜ? ちょっとでも疲れを取ってやりてえんだ」

「いや……気持ちだけで十分だ。下がれ」

「何言ってんだ親父。遠慮なんていらねえぜ」

「今は忙しい。必要なときは改めて頼むから、とりあえず下がれ」


 そこで二朱がこつんと壁を叩いた。撤収の合図である。

 僅かな音をしっかりと聞き取った一虎は「分かった。いつでも頼んでくれよ」と言って政務室から去る。


 足音を立てずに四人でその場から離れ、距離を置いたところで一虎が囁く。


「本当に撤収してよかったのかよ? 遠慮されちまったぞ」

「構わないわ。あんまり押しても迷惑だからね。けど、何回かこんな風に申し出ていればいずれお父様も『頼んでみるか』っていう気分になるはずよ。これからも続けなさい」

「おうよ」


 さて、と二朱が手を叩く。


「次はあたしの番ね。準備してくるから、お父様の動きを見張っててね。予定外の動きがあったら伝えに来て」


 そう言って一人、通路の向こうに走り去って行く二朱。それを見届ける男三人の中で、俺はまた若干の不安を感じる。


「なあ虎兄、龍兄。姉上の担当が一番不安なんだけど、どう思う?」

「知らね」

「不安ではありますが僕らにはどうしようもありません。成功を祈りましょう」


 しばし待っていると、皇帝が政務室から動いた。

 昼前に道場に移動して汗を流すのはいつもどおりの習慣だ。ここで皇帝が練習用の丸太を叩き折る轟音は、宮廷中に昼時を伝える合図になっている。


 普段の父はこの鍛錬が済んだ後に、道場の中で食事を済ませるが――


「待たせたわね」


 遠くから道場の様子を窺っていた俺たちの元に二朱が戻ってきた。


「姉上、どうだった?」

「あたしが失敗するはずないでしょ。まあ見てなさい」


 そのとき、宮廷の方から道場に向かって使用人たちが卓と膳を運び始めた。

 器に山盛りになった料理が運ばれているのはいつもと同じ光景であるが、一点だけ違うのはその献立だ。


 とにかく肉、肉、肉――という通常の食事と違って、今日は器の中に野菜も加えた品が目立つ。香りからして米飯には麦も混ざっているようだ。


「よかった、ひどいゲテモノじゃなさそうだな……」

「ちょっとあんた。あたしの腕前を疑ってたわけ? あたしほどの才人が料理くらいできないわけないでしょ」


 俺を含めた男三人は密かに安堵する。

 二朱の担当とは、食生活の改善である。皇帝に健康的な食事を供するため、わざわざ自ら厨房に走っていたのだ。


 正直なところ、この性悪な姉が手料理を振る舞うなどと言い出したときは止めるべきか迷ったが、結果的にそう悪いものではないようである。


「しかし大丈夫でしょうか。父上の好みから外れてしまうと、厨房の使用人たちの責任になってしまうのでは?」

「ああ大丈夫よ。あたしの名前出していいって言ったから」

「なら安心です」


 ほっと胸をなでおろす風の三龍。

 普段こんな気遣いのできるやつではない。たぶん厨房で働いている使用人の中に気に入っている女性でもいるのだろう。


 四人揃って道場の壁際までひっそりと移動する。壁に耳を付けて中の様子を窺うと、会話の声が聞こえてきた。


『ん? 今日は菜物が多いな。飯も麦か?』

『はい。第二皇子の二朱様が厨房に来られまして、ぜひ自ら作りたいと……』

『二朱が?』


 ここで俺は指で壁を一突き。小さい穴を開けて内部を覗く。横を見れば兄たちも同じように穴を開けている。


 料理を並べられた皇帝は、毒物を前にしたかのような顔を浮かべていた。


「何かしらあの顔、失礼ね。ちゃんと味も良く作ってあげたのに」


 確かに漂ってくる香りも悪いものではない。

 と、たっぷり数分は逡巡した様子を見せてから、皇帝がようやく箸を動かした。


『……美味い。美味いが……うむ……』


 言葉とは裏腹に顔色が優れない。

 やはり日頃からの疲労がたまって食欲不振に陥っているのだろうか。好物の肉以外はあまり受け付けない、とか。


「やはりここは僕の出番のようですね」


 三龍がすっと立ち上がった。


「見る限り、父上には休息が足りていないようです。仮眠でも取ってもらって――」

「おいお前たち。何をしている?」


 いきなり声をかけられてぎょっとする。

 気づけば、一瞬のうちに覗き穴の正面まで皇帝が移動してきていた。気配は消していたつもりだが、やはり欺けなかったらしい。

 べきりと壁板を腕力で剥がした皇帝が、じろりとこちらの四人を睨みつけてくる。


「さっきから妙なことを続けているようだが、また悪だくみか?」

「ちょうどよかったです父上。お疲れのようですし、少し休まれてはいかがでしょう? 僕が南方より取り寄せた秘蔵の薬香がありまして、入眠作用が抜群なのです。ぜひ使ってみていただきたい」

「む……?」


 反撃とばかりに三龍が動いた。

 彼もまた純粋な馬鹿である。その眼には、父の長寿を祈るまっすぐな気持ちしか込められてはいない。


 その圧倒的な誠意の前に、皇帝が気圧された。

 どんな強敵に相対しても退くということを知らなかった父が、じわりと引き下がったのだ。


 それを好機と見て俺も便乗する。


「そうだ親父。子が父の健康を祈って何がおかしいんだ? 俺たちはみんな、あんたに長生きして欲しいんだ!」


 四人同時に揃って頷く。

 俺たち四人が、ここまで褒められた理由のために一致団結したことがあっただろうか。

 自分たちの親孝行っぷりに思わず目頭が熱くなるのを感じた。



 しかし、気付けば皇帝は踵を返して使用人たちの方に向かっていた。

 そして息が詰まりそうなほど重々しい声で一言。



「――すまん。死ぬほど気分が悪くなってきたから今日はもう休む」


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