誰もが望む未来
角川スニーカー文庫より書籍化&コミカライズ決定いたしました!
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たいていのことは時の流れが解決する。
先日、働くか働かないかでいろいろと揉め、最終的にはなぜか俺から逃げていってしまった月天丸だが、丸々一か月も経った今ではすっかり元通りの仲睦まじい兄妹である。
以前に約束した「定期的な宮廷への顔見せ」も、反故にすることなくしっかり守ってくれている。
――だんっ! と。
なんとなく気配を感じていたら案の定、俺の居宅の戸口に矢が突き立った。
「おっ、今週もちゃんと来てくれたか月天丸。茶でも飲んでいくか?」
「それ以上近寄るな。あと一歩でもこっちに近づいてきたら逃げるからな私は」
居間から立って戸口から外を眺めてみれば、近くの庭木の陰に隠れて弓を構えている月天丸の姿がある。いつもの定期的な顔見せではあるが、なぜか最近は訪問の合図に矢を放ってきて、遠くから姿を見せてくるだけのことが多い。
「その調子だと元気みたいだな。よかったよかった。弓矢の腕も毎回どんどん上手くなってるし……ところでなんで近づいたらダメなんだ?」
「うるさい黙れ私の口から説明させるな」
月天丸は二の矢をつがえて最大限の警戒をこちらに発してきている。
それほどまでに、近くで姿を見せたくない理由といえば……
「なあ月天丸。もしかして風呂に入れてないのか? 身だしなみとか体臭が気になってるのなら、うちの風呂を貸すぞ。今から沸かしてやろうか?」
「だっ! 誰が貴様んちで風呂なんか入るか! むざむざそんな隙を……っていうか風呂くらいちゃんと入ってるわ! 変な勘繰りをするな!」
ふむ、と俺は顎に拳を添えて考え込む。
俺が接近拒否を喰らうほどに嫌われているという可能性はありえないから、何か複雑な理由があるのだろう。
「分かった。敢えて今は聞かないでおこう。だけど月天丸、もし困ったことがあったらいつでも俺に相談するんだぞ」
「そういう貴様の阿呆さに一番困っているのだがな……」
呆れるようなぼやきを吐いた月天丸だったが、やがて気を取り直したように咳払いする。
「ところで、さっき撃った矢だがな。あれに矢文をくっつけているからあの錬副という老人に渡してくれるか?」
「ん? 錬爺に?」
「ああ。あれは市中警護の長官だったろう?」
確かに錬爺は衛府省の長を務める身である。皇子暗殺未遂の件も真に国を思えばこそという理由で不問とされ、今もその心血を賭して職務に励んでいる。
「別にいいけど、お前が錬爺に用事なんて珍しいな。どんな用事だ? もし市中警備の仕事を紹介してくれとかいう内容なら、錬爺じゃなくて俺に言えばいつでも侍官の仕事を――」
「その件は断固お断りだと言ったはずだ。まあ、ある意味で仕事の話といえば仕事の話だが……ええい説明するのが面倒だ。開いてみろ」
月天丸が掌を振って促したので、俺は戸口から矢を引き抜いて矢文を開く。
そこに書いてあった内容は――
「……不老長寿?」
「ああ。ここ最近、そういう怪しげな御利益を唱える健康法が城下でやたらと流行っているようなのだ。ただの流行り噂ならよいが、どうもキナ臭い気がしてならん。これから私も噂の発信源を調べてみるつもりだが、いちおう市中警護の方にも報せておこうと思ってな」
「ああ、なるほど。確かにそういうのは錬爺の担当だな」
この国の正式な宗教は武神をはじめとした守護神を祀るものとなってはいるが、古来よりの祖霊信仰や自然信仰も根強く、各種の民間伝承も影響力が大きい。
こうした複雑な信仰体系がごちゃ混ぜになって、新奇な風習が流行ることはままある。
かといって、こうした風習をむやみやたらに取り締まるわけではない。
奇妙な流行は放っておいても一過性で終わることが多いうえ、何より民間信仰は古来よりの生活道徳と深く結びついている。
数百年前、古王朝の君主が伝統的な信仰に厳しい弾圧を加えたとき、著しい治安の悪化と人心荒廃が起こり、王朝の終焉に繋がったという話は歴史として有名である。
要するに、放置しておくと国や民に危害が及ぶかどうか――それを踏まえた上で慎重に対処することが求められる繊細な仕事なのだ。
「よし分かった。この矢文はしっかり錬爺に渡しておく」
そしてこういう繊細な仕事というのは、俺が最も忌避するものである。
俺は矢文を素早く降りたたみ、それ以上の深入りを拒否する。あとは錬爺に丸投げすればいいだけの話だ。
「貴様ならそういう態度を取ると思っていたよ。じゃ、任せたぞ。たぶん何事もない噂とは思うがな……」
それだけ言い残すと、月天丸は素早い身のこなしで木の陰から走り去って行った。
形式上は俺就きの女官ということになっているので正門を堂々とくぐることもできるだろうに、わざわざ塀を跳び越えて宮廷の外に出ていくあたりが強情である。
――それはともかく、急ぎこの矢文を錬爺に渡さねば。
こんな面倒くさい仕事の案件をいつまでも手元に置いておく気にはなれない。
不老不死などといういかにも陳腐な御利益を謳うあたりからして、よくある事実無根の噂話と同列のものとは思うが、念のため深入りは避けておきたい。
俺は矢文を握りしめながらぞくりと震える。
もしも皇帝になってしまったら、こんな仕事を毎日山のようにこなさねばならないのだ。考えただけで千の敵を相手にするよりも寒気がする。
「よくあの筋肉親父に務まるよな……」
刀槍を振るって戦場を駆ける姿が似合う皇帝も、年中のほとんどは璽印を握って公文書と格闘している。決して性分に合っている仕事ではないだろうに、よくやるものだ。
次期皇帝を月天丸に任せるとしても、彼女はまだいろいろと不安だから現皇帝にはできるだけ長く頑張ってもらいたい――
「……ん?」
そう思ったとき、俺はまた手の中の矢文を開いていた。
『不老不死』
その言葉が改めて俺の目に入ってくる。
そしてふと、俺の脳裏にある発想が思い浮かんできた。
「待てよ。あの親父が永遠に死なずに働き続けてくれれば……誰も皇帝の地位を継がなくて済むんじゃないか?」
それは考えうる限り、最高の未来であるように思えた。




