月天丸は頼りになる
朝一番からの支度だから、決して遅れるな――月天丸はそう言っていた。
しかしその忠告をした当事者がぐうすかと寝息を立てている。
「おい、起きろ月天丸。約束どおり来たぞ」
藁敷きの上で寝そべる月天丸を軽く揺すってみるが、寝返りでこちらの手から逃げるだけで起きる気配はまるでない。かなり熟睡しているようだ。
よく寝るのはいいことだが、こんな空家であまり無防備に熟睡するのは考えものである。最低限の警戒心は持ってもらいたい。
試しに、精神を集中して軽く闘気を放ってみる。
「――っ! 賊かっ!?」
と、いきなり月天丸が跳ね起きて、猫のような動きで天井の梁に駆け上った。腰の短刀にも手を添え、一瞬で寝起きから臨戦態勢である。
「おっ、なんだ。ちゃんと敵には反応できるか。いやあ俺の杞憂だったな。立派立派」
「む……?」
梁の上で歯を剥いていた月天丸は、こちらを視認するや急に瞼を重くする。
「なんだ貴様か……。もう来るなと言っただろう。眠いからもう帰れ……」
ぼてっ、と。そのまま梁の上でナマケモノのごとく再び眠りに就く月天丸。
これには俺も首を傾げる。
「来るな……って、逆だろう? お前が『働かせてやるから絶対に来い』っていうから来たんだぞ」
「だから、そう言えば貴様らは絶対逃げると……」
何やら言いかけるが、続きは「むにゃ」と寝言に混じって聞き取れない。
とりあえず俺はその辺の木箱を踏み台にして、梁の上で器用に眠る月天丸を担いで回収する。
「働く準備で朝市に行くんだろ? このまま運んでくけどいいか?」
「むー……働く……? 朝から……?」
話がいまいち通じていない。
どうやら月天丸は相当に寝起きが悪いらしい。主に夜間の盗みを生業としているから、夜型であることはある程度想像できていたが、まさか梁の上で二度寝するほどの筋金入りだとは。
あの怠惰極まりない一虎ですら、寝起きはここまで悪くない。
「まあ、じきに目が覚めるだろ……」
肩の上に眠った月天丸を乗せたまま、朝市へと歩き始める。
市場に近づくにつれ街の活気は増していく。まだ薄暗い時間だというのに、そこかしこに朝の屋台や物売りの莚が並び、川沿いでは舟から揚げられた魚がせっせと盥で運ばれている。
庶民向けのこうした野良市は、厳密にいうと「どこからどこまでが市場」という境界はない。物売りがある程度以上密集し始めたら、なんとなくそこが市場という雰囲気である。
歩く道の両脇が物売りでひしめき合ってきた頃合いで、俺は肩を揺らす。
「そろそろ起きろ。着いたぞ」
「ぬぅ、だから私は宮廷に住むつもりなどないと……む?」
ぱちりと目を開けた月天丸が、瞼を擦りながら辺りを何度か見回す。
「……どこだここは」
「まだ寝ぼけてるのか? 朝市だよ。仕事の準備をするんだろ?」
「しごと?」
しばらくぼんやりと宙を眺めていた月天丸だったが、ややあって「はっ!」と目を見開いて俺の肩から飛び降りる。
「き、貴様。アレか。仕事というのは、昨日私が言った件か」
「おう。なんか用意してくれるんだろ?」
「ああ、そういえば……うむ……」
様子がおかしい。月天丸の目が泳いでいる。さては――
「もしかして四人揃ってないと駄目な仕事だったのか? 悪いな。他の三人は案の定逃げやがって……そういうことなら仕方ない。俺だけは働く気が存分にあったんだが、頭数が揃わなければどうしようもないな。この件はなかったことにして、一旦解散っていうことでいいな。ああ残念だ、非常に残念だ」
「待て待て待て!」
撤収しかけた俺の背中を月天丸が引っ張った。
「いや、まあ。予想外ではあったが……。そうか、やる気になってくれたか……うむ」
腕組みをして、どこか感慨深げに頷く月天丸。それから上機嫌そうに表情を明るくした。
「正直逃げるものとばかり思っていたが、案外見所があるな貴様。他の奴らよりは少しマシかもしれん」
「だって誰も来なかったらお前がヘソ曲げてまたグレるかもしれないしな。ほら、落書きしたりボヤ騒ぎ起こしたり……」
俺だって好きで働こうとしたわけではない。反抗期の真っただ中にある月天丸を、これ以上非道に傾けさせるわけにはいかないという兄心ゆえの行動である。
と、なぜか月天丸はちょっと顔を赤くして頬を掻いていた。
「ま、まあそうだな……貴様が更生してちゃんと働く気になりさえすれば、私もああいう悪事はせんで済むが……」
「本当か!?」
「かっ、顔を近づけるな! ああ約束する! 貴様が真人間になれば私も行いを改めよう!」
俺は元からこれ以上ないほどの真人間なのだが、月天丸の基準ではまだまだ未熟らしい。求められる倫理の水準が高い。
「ともかく分かった。それで、俺は何をして働けばいいんだ?」
「そうだな。実は私も、まるで何も考えていなかったわけではないのだ。いずれ盗みから足を洗ったら、まっとうに稼ごうと思っていてな。確実に稼げる商売を前々から計画してはいた」
「おお……」
よもや月天丸がそこまでの秘策を抱えていたとは。途中で逃げられなくなるのであまり大がかりな仕事はお断りしたいところだが、それはさておき『確実に稼げる』と豪語する案がいかなるものかは気になる。何かの参考になるかもしれない。
月天丸は自信満々にどんと胸を叩いて、ぐるりと朝の市場を見渡した。
「じゃ、ここからは私の指示に従って動いてもらうぞ。まず必要資材の準備だな。貴様には重いものを頼むか。とりあえず質のよさそうな米をありったけ買って来い」
「ありったけ? どのくらいだ?」
「あるだけだ。大量にあればあるほど儲けがでかくなるからな、俵を十でも二十でも運んで来い。それが終わったら綺麗な真水も必要だ。湧き水をありったけ甕に汲んできてくれ」
もちろんその程度の力仕事は何の苦でもないが――それより重大な問題が一つ。
「待ってくれ。湧き水はともかく、米をそんなに大量に買える金は持ってないぞ。お前だってそんなに溜め込んでないだろ」
「そんなの借りればよいだけではないか?」
俺の脳裏に借金まみれだった二朱の高笑いが蘇る。
「よくないだろう。冷静になれ月天丸。あれだけ姉上の借金を咎めていたじゃないか」
「あのような散財と一緒にするな」
「だけど担保なしで金を貸してくれるのなんて高利貸しくらいだぞ」
「高利貸しでも構わんだろう。こちらは確実に儲けて返すアテがあるのだ。倍にして返せばそれで済む」
何かがおかしい気がする。
月天丸は相変わらず自信に満ち溢れた態度だが、俺はいつにない頼りなさを感じていた。
「……ちょっと聞きたいんだけど、お前って盗み仕事以外にまともに働いたことあるか?」
「ん? ないが、それがどうかしたか」
一気に不穏な空気が漂い始めるが、まだ諦めるのは早い。自身が働いたことがないとはいえ、数々の悪徳商人を成敗してきた月天丸である。
ゆえに彼らの手口や悪行を追跡する技巧も嗜んでいるはずで、商売についてまったくの道理知らずとは思えない。むしろ誰より商いに通じているといって過言ではない。そう信じたい。
「なあ……調達してくる前に聞かせて欲しいんだけど、具体的にどんな商売をするつもりなんだ?」
「ふふっ、聞きたいか。そこまで言うのならば教えてやろう。他言無用だぞ」
月天丸は往来に聞こえぬよう、声を落として囁く。
「塩や酒には重税がかかっているだろう。塩はともかくとして――酒はこっそり造れるし、安く売り捌けば皆から喜ばれると思うのだ。どうだこの妙案は」
その先に待つのは三龍と同じく獄中の末路である。




