誇りを懸けた戦い
「どうせそんなことだろうとは思っていたが、貴様もか! 兄弟揃って食い扶持一つ稼げんとは情けないと思わんのか!?」
「おいおい待ってくれ。オレを四玄みたいな駄目野郎と一緒にすんなよ。こうして飢えてるのには深い事情があんだよ」
地面にごろりと横たわったまま一虎が釈明する。いつになくこけた頬は、その窮状が本物であるということを示している。
しかし月天丸はなおも訝しげな顔である。一虎の阿呆っぷりを存分に知っているからだろう。
「どんな事情だ。話してみろ」
「働くのが想像以上に面倒でな……」
「そうか。勝手に飢えていろ」
食料を求めて亡者のごとく手を伸ばす一虎に対し、月天丸は無情極まりない宣告を下す。いかに慈悲深い義賊といえど、救いようのない愚か者に伸ばす手はないようだ。
我が兄のことながら情けない。俺は見かねてため息を吐き、
「虎兄。働かないのはいいとして、末の妹にたかるなんて恥ずかしいとは思わないのか」
「くっ……そう言われると耳が痛え」
「仮にも第一皇子が弟妹を頼るなんてもっての他だろう。むしろ逆に、弟妹から頼りにされる存在であるべきじゃないのか?」
「ちくしょう。四玄のくせに珍しく正論じゃねえか……」
なおこの間、月天丸は信じがたいものを見る目つきで俺を凝視していた。
「そういうわけで虎兄。頼れる兄貴として、可愛い弟である俺のために働いて今日の飯を奢ってくれ。ついでに酒も用意してくれると助かる」
「ああそうだな。オレも兄としていいとこ見せなきゃ……ん?」
むくりと起き上がった一虎が、獰猛な目つきになって俺を睨む。
「おい。なんでオレがてめえのために働かなきゃいけねえんだ? 危ねえ危ねえ。危うく乗せられちまうとこだったぜ……」
「ちっ、気付いたか。虎兄のくせに」
殺気を漲らせ、拳をバキボキと鳴らして迫ってくる一虎。こうなれば俺も木にしがみついている場合ではない。臨戦態勢で迎え撃つ構えになる。
そのとき。
ぐう、と大音を立てて一虎の腹が鳴った。
その音とともに、一虎は急に気勢を萎えさせる。
「……ああくそ。やめだやめ。てめえと殴り合ったって腹が減るだけで何の足しにもなりゃしねえ。オレはもう昼寝でも……がっ!」
投げやりにそう言って一虎が横になろうとしたので、その背後にとりあえず蹴りを一発入れておいた。
「てめえ四玄! いきなり何しやがる! やめだっつったろうが!」
「おあいにく様だったな虎兄。俺はそこまで腹は減ってないんだ。武人が一度殺気を向けた以上、そう簡単に手打ちにできると思うなよ」
正々堂々とやっても負けるつもりはないが、体力に明らかな優位のあるこの状況は一虎を叩きのめす絶好の機会である。
普段から何かと諍いが絶えない分、ここらでどちらが上かはっきりさせておきたい。
「腹が減ってねえだと……? てめえ、まさか抜け駆けして食料を手に入れてたのか……?」
「貧民暮らしの経験を舐めるなよ。飯屋の残飯の漁り方なら心得てる」
「残飯……! そうか、そんな手があったのか。おい、どこでいい残飯が手に入るんだ?」
「俺に勝てたら教えてやる」
「へっ。上等じゃねえか」
「貴様らよくそこまで躊躇なく落ちぶれられるな……」
俺と一虎が対峙姿勢になる中で、月天丸が哀れみに近い表情を浮かべてこちらを眺めていた。
荒事の雰囲気を感じ取ってか、周囲では早くも野次馬が足を止めつつある。娯楽の少ない市井にあって、他人の喧嘩は愉快な見物である。残飯漁りの縄張り争いと思われているようだが、これが皇子としての誇りをかけた真剣勝負とは誰も想像だにするまい。
互いに隙を晒さぬまま、一歩ずつ間合いを詰めていく。先手の機会を窺い――
「あ~ら喧嘩? いいわねえ派手で! 勝った方には豪華な串焼きでも振る舞ってあげようかしら~?」
そこに均衡を打ち破る野次馬の一声。
串焼きという単語で戦略的な駆け引きが脳みそから吹き飛び、俺と一虎はただ獣の唸り声を上げて衝突する。
目にも止まらぬ乱打の応酬を数合。
観衆からはどよめきが上がり、囃す声はさらに高まる。
「あ~らお二人とも小汚いくせに案外やるわね~! もっと醜く争ってあたしを楽しませなさ~い!」
――……ん?
一虎はまだ目の色を変えて猛攻を仕掛けてきていたが、この二言目の煽り文句で俺は少し冷静になる。
よく耳を傾けてみれば、めちゃくちゃ聞き覚えのある不愉快な声色である。
空腹でキレのない一虎の攻撃を掻い潜り、声の主に振り向く。
そこに立っていたのは、まるで大商家の奥方かのように上等な服を身に纏った二朱だった。
「……姉上?」
「あぁ?」
俺の呟きとともに、一虎も遅れてそれに気が付く。
「あら。気付いちゃった? 惜しいわねえ。せっかく馬鹿同士の愉快な潰し合いが見られると思ったのに」
挑発に乗りやすい一虎が戦意の矛先を二朱に向けようとしたが、それを制するように二朱が指を弾いた。
――放たれたのは、一枚の銅銭である。
一虎は犬のように機敏な仕草で銭に跳びつく。二枚三枚と続けて放たれる銭もすべて回収に走っていく。卓越した武の才能が可能とする無駄のない機敏な動きだったが、人間としては最底辺の動きだった。
喧嘩が興醒めに終わったとみるや、野次馬たちは不満を呟いてぞろぞろと散開していく。
一虎が銭投げに弄ばれている間に、俺は二朱に詰め寄った。
「姉上。その身なりはどうしたんだ? 無一文で放逐されたのに……どこからそんな金を? 真面目に働いたって急にそんな金は稼げないだろう?」
「あんたたちと一緒にしないで欲しいわね。あたしくらいの頭脳があれば、いくらでも金なんて手に入るのよ」
得意げに金飾りのついた扇子を振る二朱。
と、そこで月天丸が俺の脇腹をつんつんと肘で突いてきた。
「ほれ見たか。阿呆の貴様らと違って、姉上殿は立派に稼いでいるではないか。貴様も『自分が一番優秀だ』などと己惚れている暇があったら、あれの半分でも稼いできたらどうだ」
詰るような調子だが、俺は微笑んで首を振る。
「いいや違うぞ月天丸。これは明らかに姉上の失策だ。どんな手で稼いだかは知らないが、この短期間であれだけ儲ければ否応なく次期皇帝としての能力を見込まれてしまう」
俺とて稼ごうと思えば二朱以上に稼ぐことはできる。その自信はある。特に具体的な策はないが、きっとどうにかなる。たぶん。
しかし敢えてそれをしないのは、ひとえに『次期皇帝に推挙されないため』である。
俺という優れた才人が皇帝の座を回避するためには、爪を隠す鷹であり続けなければならないのだ。
「迂闊だったな姉上。これで次期皇帝の座はあんたのものだ」
「甘いわね四玄。あんたが想像できる程度のことを、このあたしが対策してないとでも思った?」
「何だと?」
「真面目に働いて稼げば才能を見込まれる――なら、働かずして金を得ればいいだけじゃない?」
自信ありげな二朱の笑み。いいや、きっと負け惜しみのハッタリに違いない。
「ふ。強がりはよせ姉上。金っていうのは額に汗してコツコツ真面目に稼ぐものだ。何の手間もなしに手に入れられたら苦労しない」
「どうして貴様、他人相手の正論を少しでも自分に向けられんのだ?」
月天丸の小言は笑って受け流す。俺という規格外の存在に、一般的な正論や常識は当てはまらない。
だが、二朱は俺の指摘を受けてなお動じなかった。
そして策士めいた怪しげな笑みを浮かべ、静かにこう告げた。
「金がなければ借りればいいだけの話でしょ?」
俺は雷に撃たれたような衝撃を受けた。




