三龍、始動
ひとまず、贈り物はいくつかの無難そうな品を購入しておくこととなった。選ばれたのは主に茶葉や酒、香油といった品の類である。実用面を重視する月天丸の案をそのまま採用した形だ。
「よく考えたら、向こうの習俗がどのようなものか分からんからな。化粧筆なんかは悪くなかったが、そもそも使う習慣がなければ無用の代物となってしまう」
宮廷へと戻る道すがら、月天丸は冷静に理屈を述べた。
確かにこれらの品は万国共通で好まれる。市場の商人曰く、北の民との交易でもよく荷動きのある品らしい。選んでおいてまず間違いはない。
だが、贈答品の選定という目的を無事に遂げたにも関わらず、月天丸は唇を尖らせて不満な表情を浮かべたままだった。
「さっきからどうしたんだ? ずいぶん機嫌が悪そうだが」
俺が尋ねると、月天丸はため息混じりの口調で答える。
「贈り物などよりも遥かに重大な問題が見つかったからに決まっているだろう。さっきの品選びのときの、あの女性に対する配慮の欠けた発言はなんだ。あんな口を姫君に利こうものなら、一発で婿選びから除外されるぞ」
「しかしな月天丸。俺としては本当にお前のことを心配したつもりだったんだぞ。身だしなみにも気を使って欲しいし、風邪にも気をつけて欲しいし」
「ああ分かっている。悪意がない分余計タチが悪いのだ。意図的に矯正ができんからな……」
眉根に皺を寄せて瞑目した月天丸は、さきほど買ったばかりの香油の小瓶を手に振ってみせた。
「たとえば貴様、これを姫君に贈るとしたら何という? どうせまた『体臭を隠すのにぴったり』だとか、そんな無神経なことを――」
「『肌身に塗って芳香を楽しめる貴重な油です』とかどうだ?」
カラクリ細工のようにぎこちない動作で月天丸がこちらを向いた。なぜか俺を非難するような目つきをしている。
「おい貴様。なんで今度はごく常識的な台詞なのだ?」
「だって相手は姫様だぞ? わざわざ俺がそんな気を回さなくても、身だしなみには十分注意してるだろう」
「言っておくが、宮廷におらずとも私も普段から水浴びくらいはしているからな。そのへんよく覚えておけ」
とにかく、と月天丸は話題を元に戻す。
「間違っても無礼を働いたりしないよう、貴様ら一同と姫君が会談するときは私も近くで見張っておくことにする。失言しそうな気配を感じたら合図を出してやるから、そのときは思いとどまって言葉を吟味しろ」
「近くで見張るって……お前もれっきとした第五皇子なんだから、一緒に列席するはずだろ?」
「私は皇子扱いを認めたつもりはない。対外的な場で私が皇子として並んだら、完全に立場を認めてしまったことになるだろう。それだけは絶対に駄目だ。侍女なり給仕役なり、私が紛れ込めるような役を用意しておいてくれ。そこから見張る」
そう言って月天丸は念を押すように人差し指を向けてくる。
皇子という地位――ひいては次期皇帝の責務をそこまでして拒絶しようとすることにはあまり感心できなかったが、今は婿入り計画のための貴重な協力者である。兄としての説教は棚上げすることにする。
「分かった、手を回しておく」
「合図を出さんで済むのが一番だがな。とりあえず、姫君が来るまでの間に想定問答を練っておくとしよう。来訪予定はいつだ?」
「もう北の第三関も通過したらしいから、あと何日かで着くはずだ。早ければ明後日にも見えるかもしれん」
「明後日? えらく急な日程ではないか?」
「ああ。親父……皇帝の考えることはよく分からん」
この早さは俺も少し疑問に思った。国同士の政略的な縁談なら、もっと前の段階から探り探りの話がありそうなものだ。
そんな重大案件が藪から棒に持ち上がったのだから、異例の唐突さというほかない。
「まあ、準備期間が短いのは他の兄弟たちも同じだ。それなら、二人がかりで対策を練ってる俺たちに分がある」
「貴様の思慮の浅さが不安ではあるがな……」
そう話しながら、俺たちは宮廷の裏手に回った。公式に顔の割れていない月天丸は、宮廷を表から出入りしたがらない。ゆえに彼女を伴うときは、塀を越えての敷地侵入が常だ。
が、普段は警備の手薄な裏手に珍しく人影があった。きょろきょろと周りを見回して、誰かを探している巨漢は――
「おお、四玄殿! 三龍殿をお見かけしませんでしたか!?」
以前、いろいろあって三龍の世話役に就いた宮中番兵の筋肉坊主だった。
あれからも三龍の担当になろうとする女官が一向に現れないため、彼は今もなおその任を果たし続けている。
「いや、見てないな。どこか散歩でもしてるんじゃないか?」
ちなみに月天丸は宮中番兵である筋肉坊主に目撃されないよう、さっと俺の背後に隠れている。このあたりの身のこなしはさすがだ。
「だといいのですが。今朝から誰も姿を見ていないので、何かあったのではと……」
「龍兄のしぶとさは天下一だ。どうこうできる奴なんていないから安心してくれ」
そう諭すと、筋肉坊主は「言われてみればそうですな」と納得して去って行った。職務意識が高いのは美徳だが、たまには主君を信頼して手を抜くのも仕事のコツだ。
筋肉坊主が去ったところで、月天丸とともに塀を跳んで乗り越える。
「姿が見えんということだったが……三龍とやらも何か企んでいるのかもしれんな」
「大丈夫だ。女性関係については、たとえ龍兄が何をしても逆効果にしかならない。今までの揺るぎない実績がそれを証明してる」
「それはそうだが、動向がまったく知れないのも不気味ではないか?」
改めて言われてみれば、多少はそんな気もしてきた。
数多の女性に敗北を繰り返してきた三龍だが、裏を返せば一番経験を積んでいるということにもなる。たとえば贈り物を用意するにせよ、俺よりもずっと的確な品選びができる能力があるには違いない。
ただ単に、そんな優位性を台無しにするくらい彼自身が気持ち悪いだけなのだ。
万全を期すためには、気持ち悪さを一旦脇に置いて、ほんの少しくらいは動向を確認していて損はないのかもしれない。
「そうだな月天丸。ちょうど三龍も留守にしてるみたいだし、あいつの家に行ってみるか。何か手掛かりでも転がってるかもしれん」
「そうだな。よい贈り物が転がっていれば盗んでもいいしな」
本業に絡めた冗談を飛ばす月天丸。このとき俺たちにはまだ余裕があった。
だが直後、この余裕はすぐに崩れ去ることとなる。
――知る由もなかったのだ。
まさかこのとき、既に三龍が単騎で宮廷を飛び出し、誰よりも早く姫に接触しようと試みていたとは。




