月天丸の罠
俊敏にして強力無比。一虎の突進に対応できる者は、この国中を探し回ってもそう簡単には見つかるまい。
だが、俺はその数少ないうちの一人である。
即座に対応。床が割れんばかりの震脚を踏み込み、突っ込んでくる一虎の勢いに負けぬ膂力を身体の芯に通す。
一虎が繰り出したのは両拳での乱打。応撃として俺が繰り出したのは掌底。双方が空中でぶつかりあって均衡し、そのまま取っ組み合いの姿勢に移る。
「へっ。さすがにやるな四玄。初撃で仕留められるほど甘くねぇか」
「ああ。甘いのはそっちだ虎兄。こうも不用意に突っ込んで来てくれるとはな……」
普段なら一虎と全力でぶつかりあっても、おそらく明確な勝負は付くまい。だが今この場で決闘を展開するとなれば、圧倒的に有利となるのは俺である。
なぜなら――
「月天丸! 俺がこいつを押さえてるうちに殺れ!」
既に月天丸はこちらの陣営。つまり二対一の状況だ。俺が一虎の動きを封じてさえいれば、その隙に背後から月天丸が一虎の首を狙うのは容易い。
「んじゃ、私は先に行っているからな。兄弟仲がいいのは構わんが、遊ぶのはほどほどにしておけ」
が、月天丸は加勢しようとする素振りもなく、戸口で草鞋の紐を結び直していた。
「な、なぜだ月天丸! せっかく一虎を仕留める好機なんだぞ!」
「私がそんな汚い所業に手を貸すわけがあるか。というか冷静に考えろ。婿の座を巡って兄弟間で殺し合うような馬鹿が婿に選ばれると思うか? 破談まっしぐらだろうが」
「……そうなのか?」
俺よりも先に、一虎の方が間抜け面になって拳の力を抜いた。
「そりゃまずいな……。もう三龍と四玄を始末して俺が婿入りってことしか考えてなかった。やべえ、どうする……?」
「清々しいほどに似通った思考だな貴様らは」
ため息をついた月天丸は、俺に向かって急かすように手招きをした。
「ほれ、済んだならさっさと行くぞ。姫君が気に入る贈り物を早く探さねばならん。モタモタしていては目ぼしい品がどこぞの誰かに買われてしまうかもしれんしな」
「あっ、馬鹿」
月天丸が『姫君が気に入る贈り物』という言葉を発した瞬間、一虎が弾かれたように顔を上げた。そして下衆な笑みを浮かべ、素早い身のこなしで破壊した窓から飛び出ていく。
「感謝するぜ! 贈り物か、そりゃあいい案じゃねえか!」
その意気の取り戻しようといったら、水を得た魚のそれである。俺が追い止める暇もなく猛烈な速度で一虎は『庭』の彼方へ走り去っていった。
「おい月天丸、今のはちょっと迂闊だったんじゃないか? よりにもよって競争相手の前でこっちの手の内を漏らしちまうなんて……」
「は。貴様らと一緒にするな。いいか、今のも作戦の一環だ」
「作戦……?」
月天丸は少し得意げな様子になって人差し指を宙に回す。そして少しばかり勿体付けて言った。
「――あの一虎という男がまともな贈り物を選べると思うか?」
あまりに正鵠を射た発言に、俺ははっと息を呑んだ。
「そうか……一虎のことだ。きっと何かロクでもないものを選ぶに決まってる」
「そういうことだ。向こうが酷い贈り物を用意してくれれば、こちらの品もより引き立つというもの。あえて利用させてもらったのだ」
なるほど、と俺は素直に唸る。
だが同時に多少の危機感も抱いていた。
「しかし月天丸。たとえば一虎が毒蛇や毒虫なんかを箱に入れて贈ったら、国際問題になって縁談そのもの取りやめになる可能性もあるんじゃないか?」
「あの阿呆はそんなものを贈る可能性があるのか……?」
「十分にありえる。あれは脳みそまで筋肉の武人だからな。珍しいものならなんでもいいと判断してとんでもないものを選ぶかもしれん」
月天丸は眉間に皺を寄せて考え込み、やがて一虎の走り去って行った方に視線を向けた。
「市場に出る前に少し奴の様子を窺っていくことにするか。あまりに目に余るものを選びそうなら止めんとまずい」
「そうだな。仮に奇跡的にいいものを選んでたとしたら、それの邪魔もしておきたいしな」
「さりげなく性根の腐った発言をするな貴様は」
俺と月天丸は外に出て一虎の足跡を追う。よほどの速さと踏み込みで走ったようで、土が抉られたようにしっかり跡が残っている。
「市場の方角……ではなさそうだな。宮中のどこかに向かっているのか?」
「こっちは宮廷の隅の方だぞ。あるのは――そうか、厩だ」
騎乗兵のための一般馬は都の郊外の牧場で飼われているが、一部の駿馬や良馬は宮中の厩で飼育されている。主には将兵や皇族の愛馬だ。
「まさか馬を贈るつもりか?」
「いいや、それはたぶんない。良馬は大事な兵器でもあるし、何より戦いの相棒だからな。一虎は自分の馬を己の家族同然に大事にしてる」
「貴様らが『家族同然』と言っても説得力に欠けるぞ」
一虎の足跡は予想通りそのまま厩に続いていた。息を潜めて身を低くし、中にいるであろう一虎に気付かれぬよう接近を試みる。
遠目に眺める限り、厩舎に人影はない。だが、併設されている備品庫からガタゴトと何かを漁る音が聞こえた。
「あっちだ」
さすがに本職が義賊だけあって、こういう状況では月天丸も反応が早かった。音を立てぬ足捌きで備品庫に移り、そっと中をのぞき込む。
そこには、馬具の轡や鞍を手に取っては吟味している一虎の姿があった。
その様子を確認し、隣にいた月天丸がふうと息を吐いた。
「なんだ。まともなものを選んでいるではないか。そういえば貴様も馬具とか言っていたな。やはり発想が似るものなのだな」
「妙だ」
確かに俺も最初は適当に馬具を選ぼうとした。しかし、慣れが重要な道具であること。そもそも北方民族は馬でなく雪鹿を駆ること。こうした事実を踏まえ、見直しを考えていたのだ。
一虎は馬鹿だが、そのあたりの兵装にはうるさい男である。そんな男が気安く馬周りの用具を贈ろうとするとは思えない。
「妙? 何がだ?」
「もう少し様子を見た方がいい。きっと一虎は馬具じゃなく、何か別のものを贈る気だ」
「しかしここは馬用の備品庫だろう? 他に何かあるのか?」
疑問とともにしばらく観察を続けていると、やがて絵面に変化が訪れた。
「これだ」といわんばかりの表情で、一対の轡と鞍を選び出した一虎が――おもむろにそれらを、自分の身に装着し始めたのだ。さらにはそこから四つ足を付いて、馬のごとき姿勢になる。
「お、子馬用がぴったりか。よしよし。これでいい贈り物ができるな」
何やら納得しているご様子。
俺と月天丸はごくりと生唾を飲んで、その謎の行動を見守る。
「な、なあ。あの白髪の阿呆はいったい何をしているのだ……? 自分に馬具を付けてぴったりとか言っているが……」
「分からん。だけど、少しだけ推測はできる」
俺は持ち前の頭脳で、残念すぎる兄の奇行にある解釈を付けた。
「相手は騎馬民族だ。だから、自分自身を馬に見立てて贈ろうと……」
「分かった。もうそれ以上はいい」
月天丸は北の空を仰いで瞑目した。その先にいるであろう異国の姫君に何か思うところがあるのかもしれない。
俺もそれに倣って北空に祈りを送った。
――返品は自由だと。




