結婚という一大事
「貴様……性懲りもなくまた来たのか」
警戒に唸りながら月天丸がこちらを睨んでくる。
近頃の月天丸は気配に敏い。
反抗期をこじらせ家出した月天丸が、都の外れにある空き家に潜伏しているのは数日前から把握していた。
当然、俺も兄として末妹の非行をいつまでも看過できない。実家(宮廷)に連れ戻すべく息を殺して接近を試みたのだが――いざ戸口の前に立ってみれば、既に月天丸はこちらの接近に気付いて屋根の上に登っていた。
屋根の上からこちらを見下ろす月天丸は、草鞋履きに中腰の姿勢。いつでもその場から駆け跳んでどこへなりと逃げられる構えだ。
「おおい、降りてこい月天丸。何の不満があるか知らんが、みんな心配してるぞ。さっさと宮廷に帰ってこい」
「しつこい。いい加減諦めろ。いいか、もう私は金輪際貴様らなぞに捕まらんからな」
「確かにお前の最近の逃げ足の成長っぷりは大したもんだ。俺も兄として嬉しく思う。だけどな、せっかく磨いた力をいつまでも非行なんかで腐らせていいのか? 皇子の責務として、その力は世の民草のために振るうべきじゃないのか?」
「貴様にだけは言われたくないわ」
機嫌を損ねたように唇を曲げた月天丸は、俺が立つ戸口と逆方向に重心をずらした。今にも屋根から跳び下りて逃走するつもりだ。
「待て月天丸。また逃げる前に、俺の話を聞け。今日は大事な用件があってここに来たんだ」
俺は掌を前に突き出して待ったをかける。月天丸はグレかけてこそいるが、その根が誠実であることはよく知っている。
重要な話があると真摯に呼びかければ、必ず耳を傾けてくれるという確信があった。
「大事な用件? どうせまたくだらん企みだろう?」
「違う。この国の未来に関わる一大事だ。よく聞いてくれ」
「知ったものか。そんな一大事に部外者の私を巻き込むな。もう行くからな」
今にも屋根から跳躍をせんとする月天丸に向かって、俺は真摯な態度でゆっくりと告げた。
「部外者なわけあるか。いいかよく聞け月天丸。一大事っていうのはな――結婚の話だ」
謎の狼狽とともに足を滑らせた月天丸が、「べしゃっ」と情けない音を立てて俺の前に落下してきた。
―――――――――――……
「認めん! 絶対に私は認めんからな!」
「そうワガママをいうな月天丸。これはもう決定事項なんだ」
隙だらけに落下してきた月天丸を捕獲し損なう俺ではない。さっそく肩に担いで宮廷に連れ帰ることとしたが、その間も月天丸は延々と抵抗を続けていた。
宮廷の塀を乗り越えて自身の『庭』に降り立った俺は、冷静に説得を試みる。
「月天丸。認めたくない気持ちはよく分かる。だけどそんな駄々を捏ねたって現実は変わらないんだ。諦めて受け容れてくれ」
「き、貴様はそれでいいというのか!? いくら皇位を避けるためとはいえ、私と結――」
「あら、わざわざ連れて来たの?」
月天丸が何やら抗弁しようとしたとき、たまたま二朱が通りがかった。
本来はこの『第四庭』は俺の敷地だが、先日のゴタゴタのせいで二朱は自身の邸宅を全焼させている。そのため、俺の敷地内にあった客舎を貸していたのだ。
「もちろんだ。月天丸にだけ伝えないわけにはいかないだろ。家族なんだから」
「そうかしら? その子にはそこまで関係ない話だと思うけど……」
「か、関係ないわけがあるか! いいか絶対に私は結婚など認めんからな!」
なにしろ現時点でこの騒ぎようである。仮に月天丸抜きでこの話を進めていけば、後でどれだけヘソを曲げられるか分かったものではない。
と、そこで二朱が「ん?」と首を傾げた。
「ねえ四玄。あんた、その子になんて伝えたの?」
「ちゃんと『結婚の話だ』って伝えたぞ」
「ああ、そういうことね……へえ……」
急に二朱が口元に手を添えてニヤニヤとし始めた。この姉は放っておけば美人だが、こうして笑うと性格の悪さがよく滲み出る。
その性悪顔を前にして、肩の上にいた月天丸がぴたりと暴れるのをやめた。
「待て。何か様子がおかしい気がしてきたが……ちゃんと順を追ってもう一度話を聞かせろ」
「だから結婚の話だよ。北方にわりと友好的な騎馬民族がいるんだけど、そこの姫様とうちの皇子の誰かが結婚しないかって話が来てな。いわゆる政略結婚ってやつか」
「政略結婚……?」
月天丸の呟きに俺は頷く。
「ああ。その姫様に婿入りできれば、めでたく皇位継承から一抜けできる。近いうちにその姫様がこの都に来て顔合わせをするんだが、一虎と三龍みたいな国の恥が婿に選ばれるわけないし、消去法でもう俺の勝ちは決まったようなもんだ」
この降って湧いたような好機において、唯一の懸念が月天丸だったのだ。なにしろこの末妹は、優秀な兄である俺のことをよく慕っている。俺が異民族に婿入りするとなれば、兄離れできず反対することは火を見るよりも明らかだった。
それゆえ、しっかりと誠意をもって事情を説明しに向かったわけだ。
「だから、どうか理解してくれ月天丸。俺の結婚を認めたくない気持ちは分かる。だが、これは国にとっても重要な婚儀なんだ。どうか大人になって、婿入りしていく俺の背中を見送ってはくれないか」
しばらく俺に担がれたままじっとしていた月天丸が、静かに身を捻って地面に降りた。
もはや駄々を捏ねて逃げ回ろうとする素振りはない。きっと、断腸の思いで悲しみに耐えてくれているのだ。
――と思いきや、月天丸はいきなり目をギラギラとさせて俺の両肩に手を乗せてきた。
「いいか、絶対に貴様が婿入りしろ。この件については私もいくらでも協力してやる。他の兄どもを蹴落として、何としてでも婿の地位を射止めろ。喜んで背中を見送ってやるから、さっさと婿入りしてどっか行け。分かったな?」
なぜか一瞬で兄離れを終えたらしい月天丸が、興奮気味にぐいぐいと俺の肩を揺らした。




