表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/68

8月~解放教室 2

 翌日もグラウンド脇の木陰で私が昼食を摂っていると、


「よぅ」


と言って先生が現れた。



 はっきり言って、期待してた。


 期待してここに来ていた。



「先生、こんにちは」


 私が小さく手を振る。



「今日も暑いなぁ」


と先生が言う。



『暑いなぁ』なんて言いながら先生の笑顔は爽やか。



「ホント暑いね」


「なんでこんな暑いのに南条は外で飯食ってんの?」


「なんでかな?ずっと部屋にいると黴が生えそうな気がするから?」


 私は一口紙パックのジュースを飲む。



「そういう先生こそ暑いのになんで出てきたの?」


「俺も虫干ししたい派なんだよ。


 じゃなくて…」



 そこまで言って先生は手にしていた本を私に差し出す。



「今日は南条にこれ貸そうと思って」


「え…何…?」



 それは中学生向けの職業紹介本だった。



「中学生向けだけど、これなら勉強で忙しくてもさらっと読めるからさ。気に入ったとこだけ読んでもいいし」



 私は先生の手から本を受け取った。

 上端からはところどころ附箋がはみ出している。



「あ、職業ごとにどういう進学先から行けるか書いてあるんだよ。


 南条は文系教科の成績いいだろ?

 文系学部から就職するようなとこピックアップして附箋張ってみた。参考にして?」



 本を開くと附箋の他にも傍線が引かれていたり、「資格試験について~」「就職率高い」等と書かれたメモがあちこちに挟まっていたりした。



「先生、これ…」


「あ、俺去年まで就職活動してたから、多分他の先生より得意なんだよ、こういうの。ここの学校、高卒で就職する子少ないしね」



 私のために…?



 そう思うと、胸に何か詰まったように直ぐに言葉が出ない。



「…ありがとう、ございます」



 やっと出てきた言葉に先生は



「どういたしまして」



と笑って答えて、昨日のように私の隣に座った。



「附箋は一応張ったけどさ、大学、絶対行かなくちゃとかも全然思わなくていい」



 木々を通り抜けてきたわずかな涼風を感じようとするように先生が空を仰ぎながら言う。



「南条は英語も出来るし、国大の模試も良いって言ってたじゃん?

 だから生かしたらいいかなー、と思っただけだけど。


 もっと縛り無しで好きなものを探すとこからやっていいと思うから、進学しなきゃとか思わなくていいと思うんだ。


 なーんて。

 こんなこと言ったのバレたら、進学率上げたい上の先生たちに怒られちゃうかな?」



 先生がいたずらっ子みたいににやっと笑う。


 それから


「まー時間があったらでいいから」


と付け足した。



 それから先生と私はしばらく黙って風に吹かれていた。


 昨日よりは爽やかな風。



 先生と二人。



 心地好い時間。




 グラウンドに何度目かの砂埃が舞った時、不意に先生が腕時計に眼を遣る。



「じゃ俺、そろそろ戻るな」


 先生が立ち上がる。



 ちょっとだけ、行かないで、と思う。



 そんな気持ちがつい表に出てしまって、思わず先生に呼び掛ける。



「先生」



 立ち上がってズボンの後ろをパタパタと叩いていた先生が手を止める。



「あの…今日も私がここにいそうかなと思って、来たの?」



 咄嗟に紡いだ言葉は少したどたどしくなってしまう。



「いそう、って言うか、いるだろ?毎日」



「え?」



 呼び止めてしまった手前なんとなく訊ねた問いだったけど…



 昨日いたから今日もいるかな、ってなんとなく思って本を届けに来てみたわけじゃないの?



「先生、もしかして私が夏休み中毎日ここに来てるの…」



「あ、あぁ…」



 先生は急に気まずそうに言葉に詰まり、鳶色の瞳が泳ぐ。



「…知ってました」



 先生がポロシャツの襟を摘まみ、パタパタと中に風を送る。



「…もういいか?」


「あ、うん…」


「じゃな」



 先生は背中を向けて左手を軽く挙げ、戻って行った。


 私はその後ろ姿を何かふんわりとあったかい幸せな胸の高鳴りと共に見送った。



        *


 その翌日は金曜日だった。


 私はまたいつもの場所に座って昼食を摂っていた。



(今日は先生、来ないかな…?)



 私がいるのを知ってるなら、逆に言うと私に用がなければ来ない、ということ。


 私はお気に入りの板チョコパンを食べ終え、ギラギラ光るグラウンドを眺めていた。



 会いたければ職員室に会いに行けばいいんだけれど。



(だって用事があるんだから…)



 でも。



 出来ればここで会いたい。



 出来れば…



 二人きりで…



(私、何乙女チックなこと考えてんだろ!)


 一人で思って一人で恥ずかしくなる。



 その時、蝉時雨の中に靴音が聞こえた。



 反射的に振り返ると…



「…先生」



 逢いたい気持ちが、聞こえちゃったのかな?



 なんて、ますます乙女な妄想。


 今日の私はいつもの私らしくない…



「今日も登校?感心感心!」



 先生は言って、なんだか当たり前のように私の隣に座る。



「先生、今日は?」



 私に逢いに来た、って…言って欲しい。



 絶対ないけど…



「言ってんじゃん。俺も虫干しが趣味だって。黴生えたくないもんな」


 先生がふふっと可愛く笑う。



 あぁ、やっぱり可愛いな。



 好きだな、この顔…



 そんなことを思って胸を踊らせていると、大事なことを忘れそうになる。



「あっ、そうそう!先生、これ」



 私はバッグの中から昨日の本を取り出し、先生に差し出した。



「え?もしかして、もう読んだの?」


「はい」


「なんだ、ゆっくりで良かったのに」


「先生が附箋張ったり線引いたりしててくれたし、すぐ読めちゃったよ」


「何か気になるとことかあったか?」


「幾つか。考古学者のとことか、あと、こっちも…」


ページをパラパラと捲ってみせる。



「そうか」



 先生は少しだけ私の方に顔を寄せて本を覗き込んだ。


 きめの細かい綺麗な頬と長い睫毛に縁取られた瞳が不意に目の前に現れる。



(ち…近いよ…!)



 先生からしたらきっとなんでもないことなのに、私の心臓は跳ね上がってしまう。



 私は胸のドキドキが止まらないまま先生と本の内容について少しだけ話し、それから改めてお礼を言って先生に本を渡した。



 本を受け取った先生は


「さて、午後も頑張るかー」


と伸びをしてから立ち上がる。



(もう行っちゃうんだ…)



 ちょっと寂しい。



 もう少し、少しでいい。



 一緒にいたいな…



 そんなことを思いながら先生の足元を見るともなく見つめていると、


「なぁ、南条。」


不意に先生が私を呼んだ。



 私が顔を上げると私を見下ろしている先生と眼が合って、思わず胸がきゅんと鳴る。



 そんな私に先生がかけた言葉は




「お前さ、明日空いてるか?」




(空いてるか、って…?)



 言われている意味が分からない。



 スケジュールのこと?



 明日は教室解放も休みだから学校には来ない。

 塾も今週の夏期講習は取ってないし、もちろん遊ぶ予定もない。



「明日は、何も…」


「勉強の予定は?」


「特に決まったものは…」



 私はまだなんだかよく分からないままふるふると首を振る。



「よかったらだけどさ、」


 先生はもう一度しゃがんで私の目線に合わせる。


 その瞳はどこか愉しげに輝いていて…




「明日俺と出掛けない?」




(明日俺と出掛けない?って…?)




「明日俺と図書館行かないか?」




(図書館行かないか?って…?)



 思考が止まってしまったみたいにその意味が全く把握できなくて、私はただ瞬きばかりしてきょとんと先生の顔を見つめる。



「くくっ!」


 真昼の木漏れ日を背負った先生は私を見つめ返して可笑しそうに笑った。



     *   *   *

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ