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3月~冬の終わり2


(どうしよう…)



 答えの見つからない問いに押し潰されるみたいに、3人部屋の病室のベッドのひとつで縮こまって座る。



 出来ることなら悪い夢ならいいのに…



 夕闇迫る病室はその無機質さを一層際立てて、物悲しさを煽る。


 立てた膝に顔を埋めた。

 どうしてあの時避け切れなかったんだろう、どうしてもっと早く家を出なかったんだろう、なんて、今更考えてもしょうがない後悔を一人胸の中で何度も繰り返す。



 頑張ってきたつもりだった。

 きっと夢を叶えるんだって、先生の期待に応えるんだって思ってた。



(でも私は結局、何にもなれなかった…)



 枯れ果てたと思った涙がまた溢れ、膝に掛けた布団のカバーに染みを作る。

 湿って心地悪いそれに顔を埋めると遠くの雑音が遠退いて、病室の寂しいほどの静けさがますます私を孤独にした。




 不意にベッドを囲う象牙色のカーテンがさらりと揺れる音が幽かに聞こえた気がした。



(誰か…通った?)


 顔を上げると同時に



「南条」



「…!」



懐かしい声に胸がぎゅっと掴まれる。



(先生…!)



「南条、入っていいか?」


「……」


「南条?」


「……


 …ごめんなさい」


「え?」


「…ごめんなさい。夢、叶えられなくて…ごめん、な、さ…」


 最後は声が震えて、掠れて消えた。



(先生ごめんなさい…私、最後まで頑張りきれなかった…


 先生はいつだって私を支えてくれたのに、私…私、応えられなかった…)



「…南条入るぞ」


「…あ、駄目…」



 こんなどうしようもなく駄目な私は先生に逢う資格なんてない…



 なのに先生はしゃっとカーテンを捲って私の前に姿を現す。


 優しい微笑みを湛えて。



 私は居たたまれなくて膝の上の掛布団を頭から被った。



「何やってんだ」


 先生はベッドサイドに寄ると笑って言った。


「……」


「怪我はどうだ?」


「……


 …ごめんなさい」


「……」



 布団の中で身を固くする。

 今は逢えない。


 否。もう、逢えない。



 夢を失くした私は先生には見合わない。

 そんな笑顔は私なんかには勿体なさ過ぎる…


 いっそもう早く出て行ってくれたらいい。

 私が泣いて縋ってしまう前に。



「南条」


 先生の声が近付く。


「ッ……」


 緊張で更に全身がきゅっと竦む。



「南条は何を謝ってるの?」


「……」


「南条が俺に謝るなら、謝らなきゃならないのは俺の方だ」



(え…?)



「君は俺が叶えられなかった夢を代わりに叶えてくれようとした?だとしたらそれを押し付けたのは俺だろう?」


「違…っ」


「そんなにまで南条を追い詰めてると思わなかった。申し訳ない」



 先生が頭を下げる気配がした。



「違うよッ!!」


 頭の布団を跳ね除ける。



「違うよ!私が、私がやりたかったの!私が外大に行って、私が言語学の研究をしたいって思ったの!先生は関係ないよ!!」


 先生の栗色の髪に叫ぶように言った。


「だから…だから先生、顔上げて?先生は悪くない…」



 先生がゆっくりと顔を上げる。そして柔らかく微笑んだ。



「そしたら、南条ももう俺に謝らないで」


「……」


「納得いかないって顔してんな」


「……」



 私は優しく細められた先生の瞳を見ていられなくて眼を逸らす。窓から射し込む夕陽がシーツの白に反射して思わず眼を閉じると、睫毛の先に残った雫がはらりと落ちた。



「じゃあ、お前のために勉強を教えたり相談に乗ったりしてきた俺に悪いと思う?」


「……」


 答えられなくて唇が震える。



 先生はふっと笑うと、ベッドの縁、私の隣に腰掛けた。



「ねぇ南条。どうして俺がお前のために協力してきたか分かる?」


「え…?」


「お前と同じだよ。俺がしたかったからしたの。お前は関係ない」


「…先生」


「誰のためでもない。自分のためにしてきたこと。

 南条だってそうだろ?」


「…ん」


 私はようやくこくりと頷いた。



「自分がやりたいと思って、自分が夢を叶えたくて頑張ってきた。誰にも謝る必要ない」


「…うん」


「ましてや自分の夢が不可抗力とは言え志半ばで倒れて、今一番辛いのは南条でしょ。

 なのに俺に悪いって泣いて、どんだけ優し過ぎなの?」


「あ…」


 私は自分の顔がすっかり泣き腫らしているのを思い出して、慌てて両眼をぐいと手の甲で拭った。



 「だから、ねぇ南条。泣いていいよ。俺のためにとか誰かのためにじゃなくて自分のために泣いていい」



「……!」



 先生の手が私の頬に触れ、親指が涙の跡をそっと辿る。



「今は目一杯泣いて、そしていつか泣き止んだらそれからまた頑張ろう?その時まで俺が全部受け止めるから。


 そして、次に南条がどんな生き方を選んでも俺はまた応援する。そうしたいんだ」



「せん、せ…」



 熱くなった瞳の中に映るもの全てがゆらゆらとぼやけていく。

 先生の顔も白く霞んでいく。涙の欠片が弾けて崩れるまでの間のほんの一瞬、私の大好きなきらきらの笑顔が閃光みたいに鮮やかに見えた。



「せんせ…わたし…」


 先生の首に両腕を絡ませて抱き付いた。先生の首筋はどこからか走ってきたみたいに少し汗に濡れていた。私は構わず顔を埋める。


 先生は私を抱き留めるように背中に腕を回す。「ずっと傍にいるよ」って体現するみたいに。



「先生、私っ…頑張って…頑張ってきたつもり、だったの!なのに…なのに…」


「うん、分かってる。分かってるよ」


 私の声にならない声に先生は何度も頷く。頷く度に背中に回された手に力が籠る。



「せんせ…が、いたから、私、頑張れた…のに…私…」


「うん」


「だか、ら…これからも…傍に…いて…?」


「大丈夫。傍にいるよ」


「ずっと…傍に…いて…」


「ずっといるよ」


「せん、せ…!」



 力いっぱい先生の胸に抱き付く。私の頭の後ろを先生は大きな掌で掻き抱いた。



「ねぇ南条。俺はね、もし南条の夢がもっと違うものだったとしても俺は今ここにいたよ」


 慈しむような優しい声が囁かれる。



「例えば容姿が好みだからとか、地位とか財産とか、それが愛になる?恋に落ちる契機きっかけはそうだとしても、それ以上の何の意味もないだろう?

 それと同じ。お前の追い掛ける夢が俺の追い掛けていたものと同じだからなんて、そんな理由で南条のことを愛したりしない。どうして君を愛するかなんて、本質はそんな単純なものじゃないんだ。


 だから南条の夢がもっと別のものだったとしても、間違いなく俺は君を愛した。君の傍にいたいと願った。


 そしてこれから、君の夢が叶わなかったとしても、夢が違う夢に変わったとしても、俺は君を支えていく。


 なりたい自分になりたい君を、愛している。




 どんな君でも、俺は南条舞奈を愛している」




「先生…!」




 初めから分かりきってた。



『だからさ、俺、南条のそれを一緒に探したいと思う』



 先生は私に自分の叶わなかったルートを代わりに進んで欲しいなんて思ったことはなかった。初めから私に私の本当に生きたい生き方を見つけて、そこへ向かって進んで欲しい、と思ってた。その為にいつも傍にいて、時には手を広げてくれていた。そんなこと今更分かったことでもなくて。



(だから私も今貴方を、愛してる─)



 こんなことになってしまって、ただひたすらいつでも惜しみ無い愛をくれる先生に申し訳ない気持ちには変わらないけれど、こんな風に自己嫌悪に陥って、躓いて倒れて起き上がれなくなってる、そんな私を見せる方が申し訳ない。

 そんな後ろ向きに生きている私を先生は見たい訳じゃない。好きになったわけじゃないから。



『そういう諦めないとこ。オーストラリア訛りに果敢に挑むとことか』


『意外と男前で』


『俺は惚れちゃうけどな?』



(私はもう一度立ち上がれる。


 貴方が、いるから──)




 腕を緩めた先生が私の瞳を覗き込む。そして、少し照れたように苦笑して言った。



「まだ4月にならないのにフライングもいいとこだな、俺」



        *   *   *

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