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7月~夏合宿 2

  翌日。



 ギラギラと太陽が陽炎を立てる猛暑日。


 夜みんなで花火をすることになったので、後輩たちが撮影をしている間に私と揺花はその買い出しに行った。



 宇都宮は撮影に同行していたので、私は揺花に


「撮影の方に行けば良いのに」


と言ったけど、揺花は笑っているだけだった。



 それ以外は昨日同様私と揺花は特に合宿らしいことをするでもなく夕方になり、食事や入浴を終えた私たちは後輩と共に庭に集まった。


 先生と宇都宮も一緒だ。



 全員が揃ったところで花火大会が始まる。


 手持ち花火が配られ、蝋燭から火を付けると、鮮やかなオレンジ色の光が弾ける。


 それとほぼ同時にあちこちから歓声が上がる。


 私と揺花は一緒に花火の輪の中にいて、紅い炎がパチパチした花火が可愛いと見せ合ったりしてはしゃいだ。



 手元に配られた数本がなくなると


「貰ってくるね!」


と揺花が取りに行った。



「ありがとう」



 答える私の手には今火を付けたばかりの花火が眩しい閃光を放っている。


 眼が眩むようなその光は、まるで夜の中に小さな小さな昼の世界が現れたように、そこだけがとりわけ明るく照らされる。



 私の瞳が小さな美しい世界に奪われていると、やにわに耳心地良い甘い声を聞いた。



「綺麗だね」



 顔を上げると、先生だった。


 先生は私の指の先にある真昼の世界を見つめていた。


 光が反射して映り込み、その整った顔が一層幻想的に見えている。



 私が先生から眼を離せないでいるうちに花火の火は消えてしまい、眼の前が急速に闇になる。



 闇の中で先生は、


「あんまりここだけ明るいんで思わず見に来ちゃった」


とくすりと笑った。


 そして、はっきりとは見えないけれど、いつものように可愛い笑顔でにっこりしたようだった。



「先生もやる?」


 私が訊くと、


「今向こうで打ち上げ並べようと思ってんだ」


と庭の端を指差した。



「私も手伝うよ」


「大してないからいいよ」



 先生は首を振ったけれど、


「二人でやるともっと早いから」


と、先生の先に立ってそこへ向かった。



 打ち上げは本当に少ししかなくて、あっと言う間に並べてしまいそうだ。


 そこに宇都宮が


「もうこっち火付ける?」


と言ってやって来た。



「私がやりますから。


 それより揺花。

 あの子これでホントのホントに部活最後だから、何か言ってあげて下さい」


 私は宇都宮を押しやった。



「そうか?じゃあ頼むな」


 宇都宮はそう言って皆の所に戻っていく。



 再びその場には、先生と私、二人になる。



「…ね、先生」



 私は先生を振り返る。

 振り返りざま、ポニーテールがくるんと振れた。



「一番派手なの最後にしてさ、打ち上げ花火、盛り上げようよ!」



 私の言葉に先生が微笑む。



「どれが派手か分かんなくない?


 ほら、ここに時間は書いてあるから、長めなのを後に集めて一斉に火付けたらどうかな?」



と先生が答える。


 意見は冷静だけれど、その声はとても高揚して聞こえた。



「うん!じゃそれやろう!」



 それから私と先生はどうしたら派手な演出になるかああでもないこうでもないと話しながら花火を並べた。



「南条、それこっち頂戴!」



 暗がりの中、仄かな蝋燭の灯りだけに照らされた先生がこちらに手を伸ばす。


 僅かな灯りの中でも分かる。


 私が先生に出会ってから今まで見た中で一番楽しそうな笑顔なのが。



 流れる汗もそのままに瞳を輝かせる先生の屈託ない様は、本当に『少年』そのものだった。



(先生…可愛い)



 それは決して先生を『可愛い扱い』するわけではなく、純粋に先生という人が『可愛い』と思った。



 男の人、それも歳上の人を『可愛い』と感じたのは初めてだった。


 そしてその『可愛さ』は同時に『愛しさ』だった。


 私の中に閉じ込めてしまいたい、と思った。



 それは、生まれて初めての感情。




 花火を並べ終えた先生が手の甲で額の汗を拭いながら顔を上げる。



「南条」



 鬼ごっこをしている子供のように頬を紅潮させて、先生が私を呼ぶ。



「そろそろやろう!」



 振り向いたその瞳はやはり少年のそれで、そんないつにも増して輝いている先生に私は胸が熱くなるのを止め得なかった。



「はいっ!」




 シュー…パァン!!



 私が予告もなしに花火のひとつに点火すると、その音に皆が空を見上げる。


 それを合図に私と先生は眼を見合せ、頷き合った。

 花火に次々と火を灯す。



 目映い光たちが吹き上がる。

 一度吹き上がった色とりどりの光たちが、今度は煌めきながら地上に滝のように降り注ぐ。

 その真上の夜空には更に光の花が開く。



 私はその光のパレードを見上げることなく黙々と火を点けていく。


 残り2本。


 ライターを花火に捧げたところで、



「熱っ!」



 手の甲に火の粉が跳ねた。



「大丈夫か!?」


 先生の声がすかさず飛んできた。



 かなり痛い。


 けれども、


「平気!とにかく終わらす!」



 痛む手で残りの花火に急いで火を点け、私はライターを置く。


 見ると右手の甲がやはり火傷していて、思ったより大きく赤くなっていた。


 左掌でぎゅっと抑える。



 同時に同じく火を付け終えた先生が



「南条!」



と駆け寄り、私の両手を取った。



(え…?)



 どきん…



「どこだ!?」



 思いのほか大きな先生の掌は、私のそれを包んでしまう。


 熱い掌で私の手を握り、火傷を探す先生。


 思いがけないことに、痛みも忘れ胸が高鳴ってしまう。



「あ!これか」



 右手を握られたまま私は先生の顔をちらっと見た。



 鮮やかな光のシャワーに映し出されて、心惹かれている人に手を握られている、なんて、信じられないシチュエーション。

 その指から掌から伝わってくる熱が私の頬や胸を沸騰させる。



 先生が光の映り込んだ綺麗な眼で私を見る。



(綺麗…)



「これ、冷やした方がいいな。来い」



 そう言って先生は私の手を引く。



 先生に繋がれた手が瞬く光を浴びて輝いている。


 触れたところに全部の触覚が集中する。


 私はまるで夢の中をふわふわ歩いているような気持ちだった。



 光の中を抜けると、二人、闇に包まれた。


 皆私たちが離れたことに気付かず、花火にはしゃいでいる。

 その声が次第に遠くなるに連れ、先生と私、ふたりきりになってしまったことを余計に意識させられる。



 不意に先生が沈んだ声で言う。



「ごめんな。やっぱ南条に手伝わせなきゃ良かった」



 先生の申し訳なさそうな表情に心が痛む。



「ううん、私が勝手にやったから」


「それを監督するのが俺の仕事なのになぁ…」



 建物脇の目立たないところにある流し場で、先生が蛇口を捻る。



 先生はもう一度


「ごめんな…」


と悲しそうな声で言った。



(そんなこと…言わないで?)



 だってすごく楽しかったんだもん…

 すごく楽しそうな先生と一緒にいられて嬉しかったんだもん…


 そんなこと、言わないでよ…



 私の右手を流水に浸そうと、先生が手を握る力を弱める。


 その拍子に、私は先生の手からするりと逃れた。



「あ…」



 そしてその逃れた右手で先生の左腕を掴む。



「南、条?」



 私は少しだけ背伸びして、先生の端正な横顔に囁いた。




「そんなこと気にしないで。



不可抗力なんてよくあることじゃん。



気にしてたらこの仕事やってけないよ?」




「え…」



 驚いて先生は私を見ている。



 至近距離で視線が交わる。


 もう少しだけ背伸びすれば唇も触れてしまいそうな距離。



「南条…?」



 幽かに掠れた先生の声に少し緊張感を感じる。



 困ってる?


 困るかな?


 まぁ困るよね…



 困らせちゃ、いけないよね。



「ね?」


 私は笑って見せ、何もなかったように伸び上がっていた踵を地面に着ける。



 すると突然、先生が右手で私の左肩を掴み、引き寄せた。



(!!)



 いつも華奢に見える先生からは思ってもみないくらいその力は強くて…



 そう言えば学校でパーカーを羽織ってると見えないけれど、ここで半袖のTシャツの袖口から覗く腕は意外と筋肉質なのに気付いてた。



(先生…?)



 水が流れてシンクに弾ける音だけが響く中、私たちは見つめ合っていた。



 真剣な眼差し。


 次第にその距離が少しずつ詰まっている気さえする。


 鳶色の瞳に映る私の瞳までもが見える。



「せんせ…」



 沈黙に堪えきれなくなり、口を開いた時。


 足音が近付いて来るのが聞こえた。



 私たちがどちらからともなく飛び退くのと同時に、


「燃えるゴミの袋どこー?」


と言いながら後輩が顔を出す。



「…南条、早く冷やしとけ。保冷剤持ってくるから」



「…はい」



 私は右手を流れる水に浸して、足早に戻っていく先生の背中を見送る。



 入れ替わりに近付いてきた後輩が、


「先輩どうしたの…って、キャー!手、腫れてるじゃないですかぁ!?」


と声を上げる。




「大丈夫よ。あの…初原先生が…看てくださったから」



 この時、先生の名を口にするのに緊張してしまったのはどうしてだろう─



    *   *   *

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