2月~雪の降る夜に2
普通なら30分くらいの距離なのを、1時間近くかけてようやく大学と夜璃子さんの家の最寄り駅まで辿り着いた。
まだ雪がしんしんと降り続く空はすっかり暗い。
駅前の大型スーパーで晩ごはんを買って、バスに乗る。
「うふふ!」
「何?」
「ふふっ!なんかさぁ…」
「なんだよ?」
「なんか…一緒に住んでるみたいだなって」
「……」
(あ…)
先生から応えがなくて、恥ずかしくなって俯いた。
(言わなきゃ良かった…)
そう思っていると、先生の掌がぽんと私の頭に乗せられる。
「…可愛いな、お前」
薄暗いバスの車内灯の下、ほんのり紅い頬で甘く微笑む先生が言った。
10分程でバスを降りるとふたり手を繋いで雪道をきゅっ、きゅ、と踏みしめて歩く。
「きゃ…」
途中深い雪に足を取られそうになる度、先生がしっかりと手を引いてくれる。
「あそこだよ」
先生が指す建物はレンガ風のタイルが可愛らしい2階建てのアパートだった。
雪の積もった外階段を私が先に、先生が後ろからそっとそっと上る。2階の3軒目が夜璃子さんの部屋らしい。
かじかんだ指で鍵を開ける。
小さな玄関に入ると、留守の部屋の湿った匂いがほんのりした。
ガチャン。
ドアが閉まり真っ暗になる。
「あ、電気…」
手探りで壁際を辿ろうとした時、
「南条…」
掠れた声で呼ばれ、背中から力強く抱き締められた。
「せんせ…」
ぐいと肩を引き寄せられ、先生の方に向けられる。
暗がりの中、先生の瞳がドアの上の磨りガラスからうっすらと射し込む灯りを反射して瞬いているのだけが見えた。いつもの優しげで柔らかなものではなくて、どこか雄々しくぎらつく眼光にはっとする。
次の瞬間、荒々しく唇を奪われた。
「んっ…!」
唇が唇を求め、貪るようなキス。
先生の腕に力がこもり、苦しいほど強く抱き締められる。
「は、ぁ…」
吐息が漏れると、それさえも逃すまいとばかりに更に深く口付けられる。
舌先が私の唇に触れ、幽かに開いた隙間をなぞる。
「ぁ…や…」
思わず声を漏らすと先生は「はぁ…」と悩ましげな溜め息を吐きながら僅かに唇を離す。
「南条…その声駄目。抑えが効かなくなる」
眼の前の先生の熱っぽい瞳に私はわざと呟く。
「…や」
「!」
先生は堰が切れたように私の手首を掴むとぐいと引いて、私の身体を壁に押し付ける。そしてそのまま熱く激しい口付けを落とす。
「んっ…」
もう一度舌先が唇をなぞるとそのまま唇を割って私を奪う。絡み合って溶け合って、意識は雪に埋もれるように白んで遠退いていく。
ふらふらと先生に身体を預けると、先生は私を抱き留めて、それから、まるで溶けた私を絡め取って食べてしまうように口付けはいっそう深く甘く色っぽくなっていく。
熱く力強い先生の腕の中で、それに応える私の唇もいつしか自分のものとは思えないほどふしだらになる。
(先生、先生…
私を全部奪って。私も先生が全部欲しい…)
やがて先生は名残惜しそうに唇をついばみながらゆっくりと離れると、荒く息を吐きながら囁く。
「ずっと…こうしたかった」
「先生…」
「南条のこと想わなかった日なんてなかったよ。触れたくて、抱き締めたくて…苦しかった」
「先生…私もだよ」
熱を持った唇をもう一度重ねる。
─いや、重ねようとした時。
ピンポーン…
「!!」
「!!」
室内にチャイムが響いた。
「え…誰?」
「俺が出るから、南条は先に家上がってて」
先生に促され部屋に上がり、玄関に通じるドアを閉めた。
「あれ!?なんで昴さんがいるんすか!?」
玄関を開ける音に続いて、男の人の声が聞こえてくる。
「お前こそ何しに来たんだよ?」
「俺は夜璃子さんから受験生が泊まりに来るからガスとかエアコンとか見てやってくれって言われて。
昴さん仕事どうしたんです?英語の先生になったんじゃなかったでしたっけ?」
「……
…仕事の一貫だよ」
「あっ!もしかして受験生って昴さんの教え子っすか!?うゎー!じゃあ激励くらいしますから会わせて下さいよ!」
「いや、いいよ…」
「なんでっすか?応援させて下さいよ」
(あれ?これってお会いした方がいいのかな?)
私の為にわざわざ来て下さったんだものね。
私はそっとドアを開け、隙間から顔を出す。
先生の向こうに立つひょろっと背の高い茶髪の男の人がすかさず私を見つけ、「あれっ?」と声を上げた。
「女の子じゃないですかぁ!しかも可愛いっ!」
「あっ南条!出てくるな!」
(え…?出ちゃまずかった?)
「いやぁ!昴さんの教え子ちゃんですかぁ!
あ、俺この先の大学の工学部3年でここの1階に住んでる半田といいます!よろしくねっ」
「おい、勝手に自己紹介するな」
「あ、あの…南条舞奈です」
「南条もするなって!」
「舞奈ちゃん?可愛い名前だね!よろしくね舞奈ちゃん♪」
「馴れ馴れしく名前で呼ぶなよ!」
先生が私を後ろ手にぐいぐい押して部屋へと追いやる。
「なんすか昴さん!って、えっ?もしかしてまさかの付き合ってるとか!?」
「うるせぇな、用が済んだなら早く帰れって」
「ちょっ!昴せんせー、駄目っすよ!教え子に手ぇ出しちゃあ…あ、ちょっと!」
今度は半田さんを玄関から追い出しにかかる。
「昴さん!俺ガスとエアコン見に来たんだからー。ほら、工学部だし!」
「今時ガスもエアコンも工学部じゃなくても使えるっつーの!おら!帰った帰った!!」
「ちょ…舞奈ちゃーん!試験頑張ってねー!」
半田さんが寄り切られ、ドアがガチャンと閉まる。
「ったく、油断も隙もねー…
あ、南条晩飯食う?コーヒーでも淹れようか?」
「うふふ!仲良しなんですね」
「え…今の見て仲良しだと思うか…?」
だって友達といる時の先生の姿はいつも見ている先生と違ってまた新鮮で、私だけがそんな先生を見られる特別感が嬉しいんだもん。
夜璃子さんの家はソファとローテーブルの置かれたリビングダイニングの奥にベッドルームがある2Kで、私はそのベッドの脇で荷物を解き始めた。
「あ、南条。俺飯食ったら行くから」
服や参考書を取り出していると、ケトルに水を汲む先生の声がキッチンから飛んでくる。
「え?どこに?」
「今夜は実家泊まって、また明日の朝来るからさ」
「あ、うん…」
そっか…もっと一緒にいたかったな…
「あれ?」
しばらくしてまたシンクに弾ける水音と共に先生の声が聞こえた。
「どうしたの?」
「いや、なんかお湯が出ない…」
「え?」
「おかしいな。随分流してるんだけど」
小さなキッチンで先生が給湯器のリモコンパネルを覗き込んで難しい顔をしている。
しばらく先生はピッ、ピッとパネルをあちこち押していたけれど、やがて
「悪ぃ。ちょっと半田んとこ行ってくる」
と言って部屋を出ていった。
程なくして先生と半田さんが戻ってくる。
「あっ、舞奈ちゃん!また会ったねっ」
「無駄口いいから早くなんとかしろって」
今度は半田さんがパネルをいじって蛇口を捻る。でもやっぱりお湯は出ないみたいだ。
「外の給湯器が凍結してんじゃないすかね」
「直せる?」
「うーん、どうかなぁ…」
「工学部だろ」
「いや、工学部そういう学部じゃねぇすから…
とりあえず見てみましょ」
半田さんの後を先生がダウンを羽織りながら出て行った。
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