2月~雪の降る夜に1
『前線を伴った低気圧が本州の南岸を発達しながら進む見込みで、関東甲信地方に寒気が流れ込むことから、多摩地方を中心に今夜から明日にかけて大雪となる予想です。また、予想よりも気温が下がった場合、東京23区でも大雪となる可能性があり…』
(うわぁ…雪だぁ…)
夕食の後、私はテレビに映る雲で真っ白な天気図を見ながら眉を下げる。
2月。いよいよ明後日が外大の入試。
明日の午後の電車で東京に向かう。
『南部の平野部でも路面の凍結や交通機関の障害が懸念されますので警戒が必要です』
私ははぁ、とひとつ溜め息を吐くとテレビを消してソファから立ち上がった。
*
『14番線東京行き、間もなく発車します』
昼過ぎ、私は特急に乗り込み、窓際の席に座った。
(意外と混んでる…指定席取ってて良かったぁ)
車内は満席。私の隣にもビジネスマンらしき人が座る。
今日はこの街も厚い灰色の雲に覆われて底冷えするほど冷え込み、時々山の方から風花が舞ってくる。
東京は昨晩から既に雪が降っていて、都心でも積雪しているという。
列車がゆっくりと動き出し、私を連れてこの街から離れていく。
窓の外は次第に街を抜け、畑になり、山になり、を幾度か繰り返し、やがて海が見えた。海も空に溶け込むように鉛色だ。
再び海が山に隠れると雪が降り出した。
(寒…)
膝に掛けたコートを肩まで引き上げる。
綿帽子のように雪を被った木々の間を抜けると、真っ白な畑地が広がり、合間にぽつぽつと人家が増えていく。やがて辺りはすっかり住宅街になるけれど、家々の屋根もみんな一様に白く、景色はモノクロ写真のように見えた。
モノクロの街に少しずつ大きな建物が増え、いつの間にか私の街よりも大きな街になっていく。
その街も今日は銀世界。巨大な高層ビル群もみんな無彩色で、電車から見下ろす広い道路に列をなす車のテールランプの赤と込み合った人々の傘の彩だけがやけに派手派手しかった。
『まもなく、終点、東京です。
お乗り換えは中央線、山手線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、総武線…』
私は窓におでこをくっ付けて食い入るように外を見る。
東京の街。
先生が生まれ育った街。
私の知らない先生を知っている街─
電車はビルに囲まれたホームに滑り込み停車する。
『東京、東京です』
ホームに降り立つと身震いするほど寒い。
大勢の行き交う人たちもみんなコートやダウンの首を竦めて、エスカレーターでいそいそと地下に潜っていく。
私は手袋をはめた指先にはぁ、と息を吹き掛けた。
ホームから見た東京は雪の中。降りしきる雪も重く大粒で眼に映るもの全てが白の中に埋もれていくみたいだ。
『雪の影響で各線に遅延、運休が出ております。中央線、京浜東北線、東海道線、横須賀線、総武線…』
(え…)
流れるアナウンスに足を止める。
(やだ…電車止まってたらどうしよう…)
知らない街のこんな混雑した駅に一人で、どうしていいか分からないよ…
エスカレーターで階下に降りて在来線改札を抜けると電光掲示板を確認する。
私の乗り換える電車に『遅延 delayed』の文字。
遅れてるだけならなんとか行き着けるかな…
不安で胸がいっぱいになり、立ち尽くす。
(先生なら東京で迷うことないんだろうな…)
「南条!」
あぁ、先生の声…
不安がいっぱい過ぎて幻聴まで聞こえてくる。
「南条!」
不意に誰かに肩を掴まれた。
「きゃ…!」
引っ張られた勢いで振り返る。
と、そこには…
「……
せんせ…?」
「よぉ」
鳶色の瞳を細めてにこっと微笑む先生がいた。
「…なん、で…?」
「祖父が危篤で」
「え…」
「って適当に言って午後の授業すっぽかして南条に逢いに来た」
「!?」
また夢を見てるのかな、私。
あぁきっと電車で寝過ごしちゃったんだ。早く起きなきゃ…
「……」
「何ぼーっとしてんの」
先生の指が私の頬に触れる。
優しく温かな感触はやけにリアルな夢なの?それとも…
「久しぶりだね」
「……」
「どうした?」
「…夢、じゃないの…?」
「……」
先生はふっと笑うと素早く私を抱き寄せて、おでこにひとつ、キスを落とした。
「!」
「夢だと思う?」
私は真っ赤になって、ふるふると首を振る。
そんな私を見て、先生は満足そうに微笑んだ。
「でっ、でもどうして今の電車だって分かったの?」
「夜璃子に聞いた。自由席しか取れなかったから中で会えなかったけど」
そっか、夜璃子さんには乗る電車教えてあったものね。
「さ、とりあえず行こうか。どれだけ電車動いてるか分からないけど」
先生は私の手からボストンバッグを取ると反対の手で私の手を握り、混み合うコンコースを歩き出した。
(まだ現実だと思えないよ。
だって春まで逢えないと思ってたのに、ましてこんな遠く離れた東京の真ん中で先生に逢えるなんて…)
『1番線に停車中の列車は遅れております快速…』
「とりあえず乗ろう。遠回りしてもどうせどっかで引っ掛かるだろうし」
混雑する列車に乗り込むと先生は網棚に二人分のバッグを置いた。
「ごめんな、南条。『別れよう』なんて言いながらこんな所まで逢いに来て」
私は小さく首を振る。
「東京で大雪って聞いてさ、これは山の方に行く電車は止まるな、と思って、南条が困ってる姿が過ったら学校飛び出してた」
先生は少し照れたように髪をくしゃくしゃと掻いて笑う。
仁科先生が言ってた。
『お前がホントにヤバい時はアイツが必ず守りに来るってことだから。安心しろ』
って。
「嬉しいよ、先生に逢えて」
見つめ合い、微笑み合うこの瞬間が懐かしい。
寒いし電車も止まって困るけれど、
(雪、ありがとう)
って今は思う。
『1番線、発車致しまーす!』
発車音が鳴ると、駆け込む人たちにぐいと押し込まれる。
「あ!」
先生は私を抱き留め、私を守るみたいに肩に腕を廻して抱き寄せた。
「東京なら撮られることもないし、どこでもこうしてられて良いな」
「え?」
「いや、何でもない」
大都会の真ん中を流れる川も今日は冷たく凍って、春には花を降り散らすだろう桜の木々も寒々しい樹氷になっている。
「先生の家は東京のどの辺り?」
「ここから近いよ。でも最寄りは地下鉄だから沿線が全然違って、大学までは乗り換えもあるし、少し遠回りだな」
「そうなんだ?東京って複雑だね。私大丈夫かな?」
「ははっ!初めはナビ見ながら、そのうち慣れるよ」
先生は優しく笑う。
「それに、」
「?」
「南条がこっちに住んだら俺もしょっちゅう来るつもりだし。案内するよ」
「ホント!?」
「あぁ。いっぱいデートしよ?今まで出来なかった分」
「うんっ!」
私は先生の肩に顔を押し当てる。
「あっ、おい!」
なんて言いながら、それでも先生は私の肩に廻した腕にぎゅっと力をこめて抱き締めてくれた。
混み合った車内ではその距離感も決して不自然ではなくて。
私たちは離れていた一月の時間を埋めるみたいに、寄り添いあってこのひとときを過ごした。
*




