1月~入試開始1
駆け抜けるように冬休みが終わり、3学期が始まった。
とは言え3年生は自由登校なので冬休みとあまり変わらないのだけれど、それでも確実に時は過ぎて刻々と入試が近付いていて、眼に見えるように緊張感は増している。
夜璃子さんは緊急手術が行われ、まだ眠り続けている。
始業式の翌日、私は先生に会いに学校に行った。
やっぱり先生は元気がなく、口数も少なかった。
放課後の英語準備室でふたり俯いて押し黙る。
「ごめんな、南条」
先生が言った。
「俺のこと心配して来てくれたんだろ?
俺は大丈夫だから、勉強に集中しな?」
その笑顔はやっぱり力なく、余計心配になる。
「私こそごめんね…何の役にも立てなくて」
「そんなことないよ」
先生は椅子から立ち上がって私の傍らに歩み寄ると、私の頭に掌を乗せた。
「あの時南条が居てくれて、『私がついてる』と言ってくれて、俺は本当に助かったんだ。じゃなかったらもっと取り乱してたと思う」
先生が腰を屈めて私を覗き込む。柔らかな眼差しは悲しげだったけれど、でもそこに嘘はなく見えた。
「今俺に出来ることは夜璃子の生きる力を信じて待つことしかないんだ。じたばたしてもしょうがない。
早くそれに気付けたのは南条が居てくれたからだと思ってるよ」
「先生…」
「だから南条はもう勉強に集中して。春から夜璃子と同じ学校に通うんだろ?」
「うん…」
「また何かあったら連絡するから」
先生に促されて準備室を出る。
私がいなくなった後、ひとりの部屋で先生はどうするんだろう。どんなにか不安で、なのに何も出来ない自分に苦しんでいるんじゃないかと気掛かりになる。
でも私に出来ることもただひとつで。
(夜璃子さんと一緒の学校に行きたい…!)
夜璃子さんの回復を祈って外大に合格すること、それしかないんだ…
*
それから私は学校には行かず、少しの間も惜しんで受験勉強に費やすようにした。
分からないところは先生にメールで訊くようにしたけれど、それもこれまで頑張ってきた甲斐あって極々少なくなっていた。
数日後の夕方。
私は自分の部屋のデスクに向かい、センター数学の追い込みをしていた。
(角の二等分線の定理はAB:AC=BD:CD
中線定理はa^2 + b^2 = 2(x^2 + f^2)
だけど、a^2 x + b^2 y = c(f^2 + xy)
こっちを覚えとけば中点じゃなくても最悪なんとかなるな。
余弦定理はa = b cosC + c cosB
からのa^2 = b^2 + c^2 - 2bc cosA
うん、図形は大体なんとかなるな。あ、裏技公式も見とこ)
参考書に手を伸ばした時、不意にベッドヘッドに置かれたスマホからお気に入りの曲が流れた。
立ち上がって画面を覗き込む。
「!!」
ディスプレイに映し出された文字に慌ててそれを手に取った。
「もしもし先生!?」
まだ学校にいる時間なのに先生が電話してくるなんて…
夜璃子さんの容態が変わったのかもしれない。
快報か、はたまた─
「南条、夜璃子が」
(やっぱり…)
嫌な心悸。ただでさえ冷たい指先が更に冷え、掌に冷たい汗が浮かぶ感触がする。
「目を覚ました」
「!!」
あぁ、あぁ…
力が抜けて、床にへたり込む。
眼の奥がふわっと熱くなり、眼の前で硝子が砕けたみたいに瞳に映る全てのものがキラキラと瞬きながら零れ落ちてゆく。
あぁ、夜璃子さんはやっぱり美しくて、強い。
良かった…
夜璃子さんは先生が信じた通り帰ってきてくれた…
「夜璃子な、目を覚まして開口一番お前のこと言ったらしいぞ」
「え…」
「「舞奈ちゃんが入試でうちに泊まりに来るから帰らなきゃ」って」
(夜璃子さん…!!)
既に涙に歪む景色が、遂にはホワイトアウトした。
こんな生死に関わる時に、私のことなんて気にかけてくれた─
『会える日を待ってます』
「よ…りこさ…」
夜璃子さんの温かさが遠い東京からでも伝わってくるみたいで、私はスマホを握り締めたまま泣き崩れた。
「泣くなよ、生き返ったんだからさ」
電話口で声を上げて泣く私に言った先生の声は優しくて、久しぶりにいつもの先生の穏やかな声だった。
* * *




