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12月~星降る夜はその腕の中で2


(何で追ってくるの─?)



 放っておいてくれればいいのに。


 そうやって私のことを気にしたりするから、無駄に私を期待させて、苦しめるのに…



 ブーツの靴音を響かせて通りを走る。

 居酒屋の前に大勢で集まっている大学生くらいの団体の中に飛び込んだ。

 人と人の間を潜り抜け、そのまま隣のドラッグストアに駆け込んで別のドアから外に抜ける。



 駅前の雑踏の中で振り返ると、もう先生の姿は見えなかった。



「はぁ…はぁ…」



 ゆっくりと足を緩め、上がった心拍と呼吸をクールダウンさせるように電飾に明るく浮き上がらされた街の中を一人とぼとぼと歩く。



(先生…)



 本当は先生に逢いたい。


 傍にいたい。


 でも逢えば逢うほど好きな気持ちがどんどん大きくなってしまうから…



 駅に続くペデストリアンデッキに上り、下を走る車のライトが光の川のように流れていくのをぼんやりと眺める。



(もう先生は…きっと来ない)



 こんな沢山の人で溢れた街の中で、一度見失った私を探し出してまで追う価値はない。



 でも。


 自分から逃げたはずなのにその事実を噛み締めると酷く胸が痛むのを感じた。



 デッキから見下ろす街は人、人、人。

 煌々と灯る店の灯りとネオン。

 車のヘッドライトとテールランプの波。


 こんな小さな街でもはぐれたら簡単には出逢えない。


 ましてや逃げてきてしまったのだから…



 バッグの中でスマホが短く振動するのを感じた。

 ラインの新着を知らせるバイブレーション。きっと清瀬くんだ。


 でも私はスマホを確認する気がなくて、地上に眼を落としたまま項垂れる。



 冷たい風が空に唸ってデッキの上を走り、私に吹き付けた。



「寒…」


 髪とマフラーが寒風に煽られた時、



「…条!南条!」



 風の音に紛れて私を呼ぶ声にはっとした。


 階段の下にこちらを見上げる先生の姿が見える。



「!!」



 先生が階段を駆け上ってくる。



(どうしよう…)



 先生が私を見つけてくれたことが嬉しいのに…


 それ以上に逃げてきた自分が恥ずかしくて、そんな私を探してくれたことが先生に申し訳なくて、居た堪れない。



 私は先生とは反対側のバスターミナルの方へ向かって走り出した。


 上り下りする人でごった返すバスターミナルに降りる階段を避けて通り過ぎると、途端に人気が少なくなった。



(こっちに走ってきたの、間違いだったな…)



 人混みを避けたことで身を隠す術もなくなってしまった。

 走りやすくもなったものの、それは追ってくる先生にとっても同じで。


 必死に駆けるけれども、空中庭園まで来たところで後ろから腕を掴まれてしまう。



「南条!」



 先生にぐいと右の手を引かれ、已む無く足を止める。



「はぁ…はぁ…」


 私は俯いたまま肩で息をする。


 息が上がって苦しいだけじゃなくて、込み上げてくるような胸苦しさ。



 手袋を外していてすっかりかじかんでしまった私の手を掴む先生の掌があったかくて。


 その温かさに溶かされて小さくなった氷をうっかり飲み込んでしまったみたいに、胸の奥で何かがきゅっと詰まったように苦しかった。



 それをゆっくり溶かすように時間をかけてようやく呼吸が整うと、待っていたように先生が静かに言った。




「南条…ごめん」


「……」



 上気した頬を冷たい空気が撫でる。



『ごめん』なんて、その言葉の意味は…?




「それは…『好きでもないのにキスしてごめん』、って意味?」



「…!違っ…」



「じゃなかったら、なかったことにしてくれって意味?」



「そうじゃない!」




 そんな言い方ではますます先生が遠ざかってしまうのに、一度溢れ出した言葉はまるで流水のように塞き止めることが出来なくなる。



「先生にはなかったことにしたいようなつまらないことでも…私にとっては…


 初めての…キスだったの…」



「……」



「私にとっては…


 大好きな人との…キスだったの…」



「え…?」



「……」



「南、条…?」



「ねぇ、先生…


 先生は私のこと、好きですか?



 私は…



 私は先生のこと…」



「南条!!」



 私は先生のこと…



 好きです─




 掴まれていた手を突然思い切り引かれ、私は倒れ込むように先生に抱き留められた。


 先生は温かい掌で私の頭を掻き撫でるように強く抱き寄せ、私は先生の腕の中に溺れるように抱きすくめられる。

 先生の胸に口を塞がれて、結局言いかけた言葉も否応なく止まる。



(先生…なんで…?)



 再びどんどんと早くなる鼓動。



 でも。


 私を抱き締める先生の胸から響くそれも同じビートで。



 その心音。

 そして、腕や胸から伝わる体温と愛おしいもののように私の頭を撫でる先生の掌の優しい感触。


 それらを感じていると、次第に心地好く落ち着いていく。



 そして落ち着いていくに従って、空に懸かる靄が晴れていくみたいにようやく気付く。



 どうして私にキスしたの?


 どうして私を探してまで追いかけたの?


 どうして『ごめん』なんて言うの?


 どうして私を抱き締めるの?



 その問いの応えに。


 先生の想いに─



 先生がゆっくりと腕の力を緩め、私の顔を覗き込む。

 私が先生を見上げると、先生は人差し指をそっと私の唇に寄せ、そして静かに口を開く。



「その先は今は言わないで。


 今は教師と生徒でいなきゃならないと思うんだ。


 俺の想いのせいで南条の夢が叶わなかったら、俺は何をしたって償えないから」



 そう言って先生は柔らかく微笑む。


 久しぶりに見た表情。私の好きな先生の顔。




「でもその夢が叶ったら、その時は俺から言うよ。


 南条への想い全部。


 生徒とか妹とか、そんなもので割り切れる想いじゃなくて、一人の男として、一人の女性としての南条への想いを言うよ。


 だから今は、一緒に待とう。春を」



「先生…」



 私も…


 私も先生が


 好き─




 溢れそうになる言葉を飲み込む。


 私のために、私の夢のために、それが叶うまでは想いをしまっておこうとしてくれる先生を困らせてしまわないように。



 だから今は夢を叶えることで私の想いを伝えよう。先生の想いに応えよう。



 先生が私を特別に思ってくれている。


 それだけで私は今充分過ぎるくらい幸福なんだから。



 そして春。


 ひとつ夢が叶ったら…


 その時は


 その時は─




 先生の肩越しに見上げた空には天頂のひとところに小さな星々が集まって、優しく瞬きながら私たちを見下ろしていた。


 それは、動き出したばかりの私たちの恋を未来へと導いているかのように、どこか温かく、愛おしい煌めきに思えた。



 温かくて、愛おしい…


(『誰か』に似てる…)


 私はこっそり微笑む。



 遥か宙から降り注ぐその星たちの名前が実は『プレアデス─昴』というのだということを、私は知らなかったのだけれど─




 私は瞳を閉じてもう一度その身を先生に預ける。


 プレアデスの煌めきに見守られながら─



       *   *   *

 翌日は月曜日で、中間試験初日だった。


 私は2教科の試験を終え、教室を出た。

 少し開いた三階の廊下の窓からは晴れてはいても凛とした冷たい空気が流れ込む。



「初原せんせーッ!」



(!!)



 不意に窓の外から聞こえた中学生の黄色い声に心臓が跳び上がる。



「せんせー!質問、質問!!」


「え、何?」



(うゎゎゎ…)


 今度は先生の声に心臓が早鐘を打つ。



「ねぇせんせー、彼女いるのー?」



(えぇっ!)



「またその質問かよ。ったく、早く帰って明日の試験の勉強でもしろ!」


「えー、だっていっつもはぐらかされて答えてもらってないもん」



(いっつも聞かれて、いっつもはぐらかしてるんだ…)



 いつしか窓際に足を止めて聞き耳を立ててしまっていた。



「あー…分かった」


 先生がそう言って、咳払いを一つするのが聞こえた。



(分かった、って…?)



 私が首を傾げるのと同時に、


「えーっ!!」


「キャー!!」


っと中学生達の悲鳴が上がった。


 思わず窓から階下を覗き込む。



「せんせー彼女いるんだぁ!」


「えー!やだーっ!」


 中学生が身悶えしている。



(えっと…その『彼女』って…それってもしかして…


 うゎゎゎ!!)



 かぁっと頬が熱くなるのを感じて、手袋の両手で頬を押さえる。

 胸がドキドキし過ぎて息も出来ない…



 すると、先生がふとこちらを仰ぎ見て、ばっちり眼が合った。



(!!)



 先生も一瞬驚いた表情をして、それからにっこりと、いつもの目映いばかりの微笑みを向けた。



(ひゃぁ…!)


 酸欠で目眩がする…



 くらくらする頭で先生を見つめていると、先生はもう一度中学生に向き直る。


「質問が済んだなら帰りなさい」


「言われなくても帰るもーん」


「あーもー超ショック!」


「バイバイせんせー」


 覇気のなくなった中学生達が正門にぞろぞろと向かって行った。



「気を付けて帰れよ」


 中学生を見送った後、先生は再びこちらを振り仰ぐ。



 先生の綺麗な顔に冬の陽射しがきらきらと零れ落ち、いつにも増して格好良く見える。


 その笑顔で先生はこちらに敬礼して見せた。



(!!)



 激しい鼓動と目眩を感じて、私は慌てて窓から顔を引っ込めた。



(先生…格好良過ぎだよ…)



 あんなにあんなに好きで、片想いしていた先生と今、心を通わせている。


 その事実に胸が痛いほどにきゅんとする。



(先生…好き…)



 恋ってこんなに幸せなものなんだ、ということを初めて知った。



 高校生最後の冬。


 貴方と過ごす日々が暖かで輝くものでありますように─



 そしていざ!入試まであと2ヶ月─



       *   *   *


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