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追憶〈Side Subaru〉~ 美徳の不幸


(俺ってこんなに独占欲強かったっけ…?)



 暮れ残った陽が僅かに射し込む教室にひとり佇む。


 南条の出ていったドアに眼を遣ると彼女の哀しげな瞳が脳裏に閃く。



『用事、あって』



 南条がこれから向かう先─


 それを思うと、まるで苦いものが込み上げてくるようなどうしようもない嫌悪感で目眩がしそうになった。


 大人げないのは分かっている。


 でも、堪えられなかった。



 本当は


『彼氏、格好いいね。高校生同士お似合いじゃない?』


なんて言えれば良かったんだろう。



 でも俺に言えた言葉は、


『羽目外すなよ』


『そういうのは今は…慎んで欲しいかな』


『勉強に集中して欲しい』



 格好つけたって結局はただの醜い嫉妬で。


 そんな言葉で彼女を引き留めることは出来ないわけで…



 気付いたら彼女に乱暴に想いをぶつけていた。



 俺から退いた彼女の表情は、柔らかで輝きに溢れたいつものような彼女ではなかった。


 その怯えたような瞳に取り返しのつかないことをしたと思うも、それはもう後の祭りで。



『ごめん…』


なんて言葉、なんの意味も持たず、君は俺を振り切って逃げた。



 どうか持て余すほどの俺の想いが君を傷つけませんように─


 そうずっと願っていた。



 なのに、結局俺は身勝手に想いを押し付けて、聖女のような彼女を傷付けたんだ。


 そして、そんな罪深い俺は純真な君にどんなにか似つかわしくないか思い知らされる。



 君に向けた『ごめん』という言葉を、その意味と共にもう一度呟く。



「好きになって…ごめん…」



 既に南条が居なくなった廊下に出る。


 少し開いた廊下の窓からはカシオペア座のW字が早々と小さな光を放つのが見えた。


 俺は窓を閉めて小さく息を吐き、そっと唇に触れる。


 唇に幽かに残る彼女の温もりが却って虚しさを誘う。




 階段を降りて職員室のある隣の棟に入ると直ぐ、


「初原せーんせ♪」


と声を掛けられた。



(こんな時にまた面倒臭い人が…)



 俺は額に手を当て、小さく溜め息を吐く。



「初原せんせー日曜日空いてる?空いてるよねっ♪」


 にっこり笑顔ですり寄ってくるこの男。


 体育の仁科先生だ。



 仁科先生─通称にっしゃん─は俺と同じくこの春からうちの学校に赴任してきた。

 と言っても俺みたいな新卒ではなく、歳は俺より5歳ほど上。


 本業はスポーツクラブに勤めているのだとかで、体育の豊島とよしま先生が産育休を取っている間の代理講師としてベテラン体育教師の山本先生が引っ張って来たらしい。

 今は中学生と高3の授業を受け持っている。



「空いてないよ。中間試験の問題作るんだから」


「そんなこと言わんで俺とデートしよ?」


「は!?何言ってんの」



 俺は冷ややかな眼でにっしゃんを見るけれど、にっしゃんは意に介せずぺらっと何かのチケット2枚を俺の前に見せた。



「音楽の岸先生のコンサート、付き合いでチケット買わされてさぁ。しかも2枚。だから付き合ってよ」


 チケットには『クリスマスオペラコンサート』とあり、出演者欄には『テノール 岸昌弘』と岸先生の名前が書かれている。



「そんなの宇都宮先生誘ってよ」


「ミヤさんも、それから職員室中みんな買わされてんだよ。ちなみにミヤさんは彼女と行くから」


「え、俺そんなん聞いてないよ?」


「新人は金ねぇから岸先生が遠慮してくれたんだよ。で、代わりに俺が誘ってやってるわけ」


「誘って貰わなくていいんだけど…」



 言いながらにっしゃんに押し付けられたチケットを、つい勢いで受け取ってしまう。


 と、にっしゃんが右手の掌を俺に差し出す。



「何?」


「4,000円」


「えっ!金取るの!?岸先生は遠慮してくれたのに!?」


「とーぜん」


「…財布、職員室だから」


「じゃあ付いてく♪」



 にっしゃんは踵を返して、さっさと職員室に向かっていく。それを仕方なく後を追う。


 俺は渋々ロッカーから財布を出し、4,000円をにっしゃんの掌に乗せた。



「コンサート帰りに奢るから~」


 とにっしゃんは言うけれど、俺としては奢って貰わなくていいから早く帰りたいというのが本音だ。正直、にっしゃんと飲むのは面倒臭い。


 そしてにっしゃんもそれを分かってて敢えて奢るなんて言ってみせてるのが見え見えだ。



「場所が芸術劇場で、初原いつも乗り換えに使ってる駅のとこだからさ、近いだろ?」


「確かに近いけど…」


「じゃ日曜。4時に駅で待ち合わせな」



 俺の返事も聞かず言うが早いかにっしゃんはバックパックを背負い直して


「じゃお先~」


と帰って行った。



 にっしゃんはいつも自分のペースだ。


 こんな風にただでさえ疲弊している時ににっしゃんに付き合うのは、考えただけで頭が痛い。


 俺はもう一度額を押さえて大きく溜め息を吐いた。


       *   *   *

 にっしゃんと関わるようになった契機きっかけは夏休みが終わり新学期初日の夜。



「おぅ、お疲れ!」


「おっ!来たなイケメン教師!」


「勘弁して下さい!そんなんじゃないから!!」


「止めとけ、にっしゃん。初原今日はかなり気が立ってるから冗談効かないぞ」



 宇都宮先生行きつけの店。


 その日は宇都宮先生と俺の他ににっしゃんが一緒で、俺は残務を終わらせて遅れて顔を出した。



 そう、あの日は夏休みに南条とグラウンド脇で逢っていたことで高3の学年主任の岩瀬先生と生徒指導主任の山本先生に追及された日だった。



「で、ぶっちゃけ南条とはどうなのよ?」


 にっしゃんが早速面白そうに身を乗り出す。



「だからそんなんじゃないって!」


「まぁ、仕事熱心過ぎるのも仇になるよな。お疲れお疲れ。まぁ飲め」


 にっしゃんを睨む俺を宇都宮先生が宥める。



 誰がどう垂れ込んだのか、くだんの件が上の先生方の知るところとなっていた。


 とは言え、事実として俺がやったことは進路指導と感極まった南条を落ち着かせたこと、それだけだ。



 俺の胸の内は誰の知るところでもない。


 何の問題もない。


 そう、何の問題もないんだ。



 だから俺がそう説明すれば解決するものと思ってた。



 が…


 事実確認が必要と、岩瀬先生と山本先生に南条の担任の村田先生を加え、南条と面談することになってしまった。


 結果山本先生の配慮もあり事無きを得たが、南条の進路指導は全面的に村田先生が担うことになり、俺はその一切を手を退くことになった。



(南条と俺の間を引き離さないで─)



 夏休みの合宿以降、既に俺にとって南条が全ての支えになっていた。


 南条がいることで俺はここで生きる意味を得始めていた。


 故に南条を失うことは、元の光のない日々に戻ってしまうことを意味していた。



 今日の顛末を思い起こして眼を伏せた時、俺の向かいでにっしゃんがデリカシーに欠けた発言をする。



「いや、うちのガッコ、マジで可愛い子結構いるよ?

 南条も良いよなぁ。髪綺麗だし、清楚な感じで、いかにもJKと付き合ってんなーて実感しそう」


「…そういう目で見んなって」



 南条をいかがわしい目で見られるのは甚だ忌々しい。


 何せ南条は俺にとって神聖なものであるのだから。



「にっしゃん。腰掛けのお前と違って俺らはそういうの死活問題だから」


 宇都宮先生がたしなめる。



「そう言うミヤさんは神川でしょ?可愛がってんのもろバレっすよ」


 にっしゃんが今度は宇都宮先生に絡む。


 神川とは映研の神川揺花。南条の友人だ。



「何言ってんの、お前。神川は─」



 『神川はただの生徒、そういう関係じゃない』


 俺もにっしゃんもそういう応えを予想していた。




「神川は別格だから」



「は…?」


「何、別格って!?」


 意外な回答に俺は唖然とし、にっしゃんは食い付く。



「神川は俺にとって『理想の娘』像なんだよ」



『理想の娘』?



「俺が神川に始めて逢ったのはアイツが中学に入った時、アイツがまだ12歳だった。

 俺は神川の担任だったんだ。あぁ、その時南条も一緒だったな」


 先生は遠い眼をして言った。



「うちの学校は良いトコのお嬢が多いけど、中でも神川は一目見た瞬間から群を抜いていると思った。

 成金ぽい派手な子たちとは全く一線を画してて、良い教育を受けて大切にされてきた育ちの良さが滲み出ていた」



 礼儀正しく、真面目で、穏やかで、何事にも熱心で。

 決して派手ではなく、かといって暗いわけではなく。

 級友にも優しく公平で、誰からも愛され一目置かれるような。


 容貌の可愛らしさ、根っからの明晰さもさることながら、精神的に美しく優秀で、いつもにこにこしている女の子。


 まるで、風にそよいで揺れる一輪の花のような─



 先生は神川をそう語った。



「出来ればいつまでも成長を見守りたい生徒なんだよ。でももう高3だろ?花嫁の父のような心境だよ、俺は」


「ミヤさん、花嫁の父なったことあるんすか?」


「にっしゃん、混ぜっ返すなよ」


「俺ね、いつか結婚して娘が生まれたら『ユリカ』って名付けたいんだ。『揺れる花』と書いて『揺花』」


「それ、嫁さん嫌がりますよね?」


「にっしゃん!」



 にっしゃんのツッコミもそれを止める俺も気に留めず、先生は幸せそうに微笑む。



 宇都宮先生にとって神川は『娘』。



 じゃあ、俺にとって南条は─?



 テーブルに頬杖を突いて口の中で枝豆を転がしながらぼんやり考えていると、


「なーに考えてんの?」


と向かいに座るにっしゃんが顔を覗き込む。



「別に何も」


 なるべく顔に出さないように無機質に応える。



 が、にっしゃんは


「ふーん…」


と言ってニヤニヤ俺を見ている。


「南条のこと?」



「!…なわけないだろ」


「いやいや。とか言って実際は『俺が恋の進路指導してやるよ!』とか言ってたりして?」


「は!?何そのセンスない台詞」



(全くコイツは…人の心に土足で踏み込むような真似をする…)



 大丈夫、南条とは何もない。


 進路指導して宥めただけ。


 コイツに俺の本音は見透かすことは出来ない。


 大丈夫…



「そう言うにっしゃんこそ『可愛い子結構いるよ?』とか言ってよっぽどロリコン趣味だよね?」


 つい嫌味がぽろっと零れる。



「俺?俺の好みは豊島先生だから。」


「産休中の?人妻だししかも妊婦じゃん!それはそれで問題でしょ」


「美しい人はいつ何時も美しいんだよ!」


「馬鹿じゃないの?その挙げ句豊島先生の妹とかに手ぇ出さないでよ?」


「え!?」


「あ、初原…」


 宇都宮先生が唇に人指し指を当てて見せる。



(あ、しまった…)



 豊島先生の妹はうちの高校の2年にいる。にっしゃんはその存在を知らなかったようだ。


 言わなきゃ良かったと思うも時既に遅しで…



「えっ!うちの生徒なの!?誰!?豊島先生に似てる!?」


 にっしゃんが眼をキラキラさせて阿呆みたいに食い付く。



「はいはい、もうそこまで」


 宇都宮先生が掴みかからんばかりのにっしゃんと俺の間に割って入る。



「宇都宮先生、止めるんだったらもうちょっと早く止めて下さいよ」


「ははは、悪ぃ。見てたら結構面白くって」


「面白いって…」


          *


 以来にっしゃんとは好むか好まざるかは別としてなんとなく親しくしている。



 腰掛け故に不真面目教師で、男のくせにいい歳して恋バナ好きで、何かと


「南条とはその後どう?」


なんて楽しそうに聞いてきたりして毎度うんざりさせられるけど…




(日曜…気が重いな…)



 にっしゃんなんかのことより今俺が逢いたいのは南条なのに。



(でも南条はもう…)



 もうその瞳に俺が映ることはないかもしれない。


 君の瞳に映るのは─



 どうして君に逢う度に切ないんだろう。


 どうしてこんなに切ないほど君を好きなのに、想いを伝えずにいられると思ったんだろう。


 どうしてこんなに狂おしいほど君を好きなのに、君が想うのは俺じゃないんだろう─


       *   *   *

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