6月~可愛い系新任教師
映研に入ると、先生について色んなことが分かった。
放課後の大半を英語準備室でひとりで過ごしていること。
英語科で先生の次に若手で映研顧問の男性教師、宇都宮と親しくしていること。
映研で英語教室に出入りしている揺花としばしば話していること。
それから、揺花によると先生は子供の頃アメリカとイギリスに数年ずつ住んでいたこと。
東京の名門外国語大学を今年卒業したばかりなこと。
等々。
週二回の活動を一ヶ月ほど続け、中間試験が終わった梅雨の頃。
私は部活前に誰もいない英語準備室で洋画のDVDの棚を漁っていた。
何というわけでもない。
どんなものを所蔵しているのか興味があっただけ。
結構古いもの、一世を風靡したもの、定番もの…
漁りながらなんとなく年代順に並べる。
次々と棚にしまい、また次の一枚を手に取る。
(あ、これ上の方だ…)
背伸びして、満杯で入り切らなくなっている上の段から最後の一枚を取り出そうとすると、他のも一緒に引きずり出される。
バラバラバラ…
雪崩を起こし、辺りにケースが散乱した。
「あー…止めときゃ良かった…」
床にしゃがみこみケースを拾う。
二枚、三枚…
最後の一枚を拾って積み上げたその瞬間、がちゃりと音を立てて直ぐ側の英語教室との境のドアが開く。
そして、やにわに入ってきた人影がしゃがんだ私に躓いた。
「うわ…」
「キャッ!」
私に躓いた誰かは辛うじて持ちこたえるも、私の積み上げたケースをガシャンと蹴飛ばした。
「あ!ごめん!」
その人は
初原先生だった。
そして先生は私の脇に屈み、
「大丈夫だった?南条さん」
と言った。
「先生、私の名前…知ってるの?」
驚いた私に先生は
「映研の南条さん、でしょ?」
と言って微笑む。
春休み、初めて逢った時と同じ、とろけるような甘くキラキラの笑顔で─
途端に私の胸が早鐘を打つ。
先生は私に怪我がないことを確認すると、再びケースを拾うのを手伝ってくれた。
それから、
「一番上?」
と言って上の段に手を伸ばす。
「先生、届きます?」
「失礼だな。届くよ」
先生は苦笑いして棚にしまっていく。
小顔だから華奢で小柄に見えていたけれど、実際はそうでもなくて、その手は明らかに私より楽々上の棚に届いている。
私は先生の端正な横顔を黙って見上げていた。
先生は全てしまうと、机の上にまだ残っている片付けかけのDVD達をちらりと見た。
それから私の方に向き直って
「片付けてくれてるの?手伝うよ。」
と言った。
「…え」
私は唐突な申し出に戸惑う。
「…いいです」
「なんで?」
「だって先生…忙しいでしょ?」
「忙しいは忙しいけど、でもそれ、授業の備品でしょ?」
「けど先生新人だからやること多いんじゃない?」
私が言うと、先生が小さく溜め息を吐いた。
「君も俺を可愛い扱いか?」
形の良い眉を少し下げて、ちょっと不服げな先生。
そんなつもりで言ったわけではないのだけど…
そう。
そんなつもりで言ったわけではなかった。
でもその瞬間、なんとなく私の『反抗期』が頭をもたげた。
思いがけずドキドキさせられた仕返し?
『可愛い彼をちょっとからかってみたい』、なんて─
私はにやりとして呟く。
「だって先生実際可愛いもん…」
私の言葉に先生はもう一度溜め息を吐いて、
「可愛い扱いは止めなさい…」
と言った。
先生は案外怒っていたのかもしれないけれど、甘やかな声は怖さとは無縁だ。
むしろその少し眉を寄せて、唇を尖らせたような表情はなんだか拗ねた小さな子供みたいで可愛らしくて…
そりゃ中学生にもナメられるはずだ。
私は更に言いつのった。
「そういう顔するから中学生からまで「カワイー!」とか言われるんです。
正直、先生自分の見た目が可愛い系なの分かってて意識してやってんじゃないの?って見えますよ?
例えばそのワイシャツとネクタイの上からパーカー羽織っちゃうセンスとか、しかもパーカーの袖が長くて萌え袖になっちゃってるとことか、可愛い弟キャラ狙ってるようにしか見えない」
私は立ち上がって腕を組む。
先生はちょっとびっくりしたみたいな表情《顔》をして、それから溜め息を吐くとどこか残念そうな不愉快そうな眼で私を見た。
でもやっぱり、きゅっと結んだ唇のせいでちょっと左の頬を膨らませたような表情が女の子みたいで可愛く見えてしまう。
けれどその可愛過ぎる怒り方でむしろちょっと胸が痛む。
(言い過ぎたかな…?)
「でもホントは見た目と裏腹に頼れる男だったりするでしょ?」
その言葉に先生は心底驚いたようで、可愛い頬のまま、眼をぱっちり見開いて私を見た。
ただでさえ大きな瞳が更に大きくなる。
「外国人さんに声掛けられて困ってる女子高生を黙って見過ごせない、そんな人…じゃないですか?」
先生は大きな瞳でちょっと宙を仰ぐ。
そして、
「あー…はいはい…」
と頷いて、
「春休みのアレ…君か。南条さんだったのか!」
と可愛らしく両手をぽんと打った。
「外国人に話し掛けられて困ってる人、結構多いからね、俺よく声掛けるんだ。
お節介かもだけど、分かってるのに無視しても誰得って感じだしね」
先生はちょっと恥ずかしそうにサラサラした栗色の前髪を掻き上げる。
そのいちいち可愛い仕草があざとく見えると言ってるんだけど…
それから先生は綺麗な瞳で私を真正面から見つめ、真顔で言う。
「でも南条さんは『いいな』と思った」
不意に先生が言ったので、今度は私が眼を見開いた。
『いいな』って…何?
ふとあの日の
『君、いいね』
の言葉とキラキラの笑顔がリプレイして、思わず胸が高鳴る。
「相手の言うこと、理解してあげようとしてたでしょ?
分かんなくても一生懸命聞いてあげる、そういうのが俺、大事だと思ってるわけよ?」
(…ん?)
「英語で困ってる人いろいろ見てきたけど、そういう感覚は意外と誰でも持ってる訳じゃないから。
だから南条さんのことは『いいな』と思ったんだ」
その『いいな』…?
(やだ、私今何期待した…?)
一瞬の浅はかな妄想に恥ずかしくなる。
それとも敢えてのこういう言い方をしてるのか?
先生は私の動揺を知ってか知らずか続ける。
「逆に、聞くのとか喋るのとかは、後から全然勉強出来るからね。
だから今は答えてあげられなかったことは気にしなくていい。それはさ…」
先生は一度言葉を切り、私をもう一度その水晶が煌めく鳶色の瞳で覗き込んで言う。
「これから一緒に勉強しよ?」
少し首を傾げて上目使いな美少年の甘い笑顔が私に、私だけに向けられる。
あぁ、この人は…
狙ってる訳じゃなく天然で可愛い系だ。
(しかも、天然の人たらし…)
そう思うも、私も先生の手中に納められてしまっていると思った。何か眼が離せなくなるんだ、先生は。
可愛い笑顔で巧みに人の心に入り込んで。
そのくせ言ってることは熱くて、どこか頼もしくて。
そのギャップに惹き込まれてしまう、そんな不思議な魅力の人。
そのキラキラの笑顔に見惚れる。
なんだろう、このどうしようもなく先生と一緒にいたいって、ずっと見つめていたいって、そんな、今までに感じたことのない胸が震える気持ちは。
すると先生は最後に私に尋ねた。
「で、南条?『萌え袖』って何?」
*
その日から先生と私の距離が一気に近付いた。
部活に行くと準備室に顔を出し、
「先生こんにちは」
と声を掛けるのが常になった。
先生もまた、忙しそうにしていても必ずこちらを振り返り、
「おー南条、今日も元気そうだなー」
などと、にこにこして返してくれた。
揺花と英語教室で宿題をしていると、
「分からないとこないか?」
と聞いてくれるし、そんな時質問すると、熱心に教えてくれた。
とかく先生は新任教師らしく優しく真面目で、情熱に溢れていた。
キュートな見た目が裏切っているだけで…
* * *