11月~グレイのマフラー
残り二日間の文化祭休暇。
先生と私はメールのやりとりをしていた。
最初のメールは私が
「昨日はありがとうございました♪」
と送った。
それから先生から
「南条もお疲れ」
とか
「勉強頑張ってる?分からないとこないか?」
とか
「三日月綺麗。見てみ?」
とか、なんてことないメールが来た。
その度に私は
「大丈夫!がんばるね☆」
とか
「今日は数学が難し過ぎてやばい~!」
とか
「ホント綺麗!先生と見たいな」
とか返した。
それにまた先生は返信してくれて、それが嬉しくてまた私もメールを送る。
返信が待ち遠しくてそんなに思わなかったけれど、この二日で私たちの間を行き交ったメールの数を見ると、ちょっとびっくりするような数になっていた。
(先生、迷惑じゃなかったらいいんだけど…)
でも、先生からのメールはすごく嬉しくて楽しくて。
受験勉強とメールしてるだけの休日がこんなに楽しいと思ったことはなかったくらい。
そして休みが明け、ようやくまた先生に逢える日が来た。
メールが楽しくてもやっぱり逢える方が良い。
先生の美しい髪や肌、大きく優しい手、煌めく瞳、甘い声が閃いては私の胸をドキドキさせる。
「失礼しまーす」
いつものように英語準備室を訪ねる。
手にはスクバと、それから洋服屋さんの小さな紙袋ひとつ。
ドアを開けると今日もそこに先生がいた。
「よ」
先生が柔らかく微笑む。
「また分かんないとこあった?」
先生が手にしていた赤ペンのキャップを閉める。
「うんちょっとだけ。
あ、あとね、これ…」
持っていた紙袋を先生に差し出す。
「何?」
「この間マフラー借りっぱだったから」
「あぁ。サンキュ」
「私こそ。ありがとうございました」
ぺこっと頭を下げた私から先生がマフラーの入った袋を受け取って、自分のデスクに置いた。
机に私がテキストを広げると、先生が隣に座る。
「今日はここ。1個だけ」
「ん、見せて」
私の手元を先生が覗き込む。
長い睫毛が大人の色気を纏う横顔が近い。
(…好き)
でもその想いは胸にしまう。
今はこの『先生と生徒』として、『兄と妹』として幸せな時間を過ごせれば…
(それだけで良い、って決めたんだもん…)
「よぉし!頑張るぞっ!!」
自分を諫めるように気合いを入れると、隣で先生が
「なんだそれ?」
とくすっと笑った。
「えへへ」
私たちは顔を見合わせて笑い合う。
私は幸せだな、って思った。
思うことにした─
* * *
たった一問の今日の質問が終わってしまうと、途端に寂しくなる。
帰らなきゃいけないかな?
そんな雰囲気に包まれる。
「先生今日は忙しい?」
離れ難くて隣の先生に訊ねる。
「うん、まぁ今日はそんなに」
「…ね?今日はちょっとお喋りしてってもいい?」
「なんだ、唐突に」
「先生にね、聞いてみたいこといーっぱいあるの」
先生と一緒にいたいの。先生のこと、いーっぱい知りたいの。
「ふーん。どうぞ、何なりと」
先生は甘い笑顔で言う。
「んー、あのね…先生の誕生日、5月なのかなーって思って」
「そうそう。何で分かった?」
「メアドに数字入ってた」
「あはは。南条すげぇ!探偵じゃん!」
「ていうか先生。メアドに生年月日入れちゃダメだよ!アカウント乗っ取りとかして下さいって言ってるようなもんだよ?」
「あっはは。そうかー」
先生が天井を仰いで大笑いする。少年ぽい屈託ない笑顔が可愛い。
「じゃ、メアド変えよう」
一頻り笑った先生がバッグからスマホを取り出す。
「え?今?」
「うん。早い方がいいでしょ、そういうの」
先生が素早くスマホを操作し始める。
「南条は誕生日いつ?」
スマホを弄りながら先生が訊ねてくる。
「え、と…12月12日」
「もうすぐじゃん。何かお祝いしないとね。」
「えっ!いいよ、そんなの!みんなにお祝いしてたら先生大変なことになっちゃうよ」
「さて、出来た。今新しいアドレス送る」
先生は更にスマホを操作すると、
「スマホ見てみ?」
と言う。
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Date: 201x 11/xx 17:48
From: Subaru Hatsuhara
〈xxx_pleiadesxx1212@……〉
Sub: メアド変えました。
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-END-
――――――――――――
「!!」
先生に促されてスマホに届いたメールを見た私は言葉を失う。
なぜなら新しいメアドの数字は
私の誕生日だったから─
「先生、これ…」
「これなら乗っ取りに遭わないな」
「遭わないけどさ…」
ディスプレイを見つめたまま凍りついていると、先生が
「ふふっ」
と小さく笑った。
「南条はさ、メールの返信いつも早いのな」
「え?あ、そうかな?」
「スマホばっか見てんじゃないの?ちゃんと勉強してる?」
「し、してるよっ!」
そりゃ、先生のメール、待ち遠しくてスマホばっかり気にしてるけど。
「せっ、先生だって。メール、秒でレス来てたもん!」
「そりゃお前、待っ…」
言いかけて先生がフリーズする。
「ま?」
「…あぁ、なんだ?まぁ…休みだからな」
先生の頬が幽かに強ばった気がした。
「?…うん」
「次!後聞きたいことは何だ?」
先生が先を急かす。
無理矢理話を変えられた気もするけど…
「あ、後はね、一番悩んでることで…
今私数学が伸び悩んでて塾に行こうかと思ってるんだ」
「数学か…」
「うん。国大の入試に要るの。
でね。数学だけ受講するのがいいか、どうせならセットで3教科受けるのがいいか迷ってて…」
私は机に頬杖を突いて先生を見上げる。
「あぁ…塾は巧いこと入試に必要な知恵をピンポイントで授けてくれるからね。やれるならやっても良いとは思うけど…
でもどうしても今までの倍忙しくなるから。
帰りも遅くなるし、体力的にきつかったら俺ならやらないな」
「そっか…じゃあ数学だけにする」
私は先生ににっこり微笑む。
「いいのか?俺の意見で決めて」
「いいの。だって先生が一番信頼できるもん!」
「……」
先生は急に黙って私をじっと見る。
見つめる先生の鳶色の瞳は表情がなくて先生が何を思っているのか分からない。
ふと先生は頬を弛め、言う。
「お前が思ってるより俺は狡いぞ?」
「?また訳分かんないこと言うー。こないだだって…」
『俺はそんなの…嫌だから』
って、どういう意味?─
ふと過ったけれど、止めておく。
「何時になった?」
先生が少し左袖を捲る。
現れたシルバーの大きなフェイスのクロノグラフを私も覗く。青い針が6時を廻って久しい。
「南条帰るか?」
「う、ん…」
もっと先生といたいけど…
もう邪魔になるよね?
「ちょっと早いけど俺も帰ろうかな。中間試験から文化祭までずっと頑張ったから休み明け初日くらいサボっていいよな」
いたずらっ子みたいな笑顔で先生が笑う。
「…先生、一緒に帰れる?」
「あぁ、そうするか」
先生は手早くデスクの上を片付る。
「職員室寄ってくから先に門に行ってて」
そう言って先生はさっき私が渡した紙袋からマフラーを出して、自分の首にふわりと巻き付ける。
「うん。
……
…先生?」
ドアに手を掛けて先生を振り返ると、立ち竦む先生の姿が見えた。
「先生…?」
私はもう一度呼び掛ける。
先生は私の声が聞こえていないように、ただマフラーマフラーに顔を埋め、俯いたままいる。
その深い瞳は何か思うように物憂げな艶を帯びている。
それはまるでどこか他の世界にいるような佇まいで、同じ部屋にいるのに先生がとても遠いところにさえ思えた。
(先生…?)
その憂いを帯びた様子に私はなにか邪魔してはいけない気がして、黙って先生の横顔を見つめていた。
* * *




