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11月~生徒以上、恋人未満3

 先生の指導の甲斐あって、件の問題は無事解けた。

 その後も私は先生に教えてもらいながら着々と問題集を進めていく。



「んー…疲れたー!ちょっと休憩」


 私は椅子に座ったまま伸びをする。



「お疲れ」


 私の向かいで頬杖を突く先生がにっこり微笑む。



 気付くともう5時で、店内も学校帰りの高校生でいっぱいになっている。


 お喋り好きなのは女の子ばかりでなく、男子生徒も大勢いる。

 先生と私の隣のテーブルも近隣の高校の制服を着た男の子達に占拠されていた。



「あ!ねぇ先生、文化祭どうだった?」


 私はふと思い立って訊ねてみた。



「ん?」


「先生うちの文化祭初めて見たでしょ?どんな感じだった?」


 テーブルの上に腕組みしてずいと身を乗り出す。



「え…えっと、あ…あぁ…面白かった、よ?」


「何それ?全然面白くなさそう」


 私はちょっと首を傾げて、眼を逸らしている先生の顔を下から覗き込むように見る。



「あのね、文化祭の一番人気は毎年演劇部のミュージカルなんだよ。うちの演劇部はコンクールでも…」


「南条」



 先生が遮る。



「今日はマフラー、持ってないの?」


「マフラー?」


 私は首を振る。



「来る時あったかいから持ってこなかった。なんで?」


「……」


「?」


 先生が答えないのを不思議に思って更に身を乗り出す。



「あっ!…ちょ、ま…」



 先生が慌てたように椅子の背に掛けた自分のマフラーを取り上げ、ふわりと私の首元に巻いた。



「えっ?何!?」


「お前…ちょっと周りの目線とか考えろ…」



 先生が口元を手で覆ってあからさまに横を向いた。



「えっ!…あ!」


 私は姿勢を正してニットワンピのVネックの胸元に両手を重ねる。


(やだ!中見えちゃってた!?)



「違…っ!俺じゃないっ!

 だから!その…周り見ろって」


 先生が隣のテーブルをちらりと見る。


 それから深い溜め息をひとつ吐き、栗毛の髪をくしゃくしゃと掻いた。



「南条のこと…誰かにそういう目で見られたくないわけ。分かる?


 ったく。ついでに言うとお前、制服のスカートももっと長くした方がいいってずっと前から思ってるから。駅の階段とかあれで上り下りしてるの気が気じゃねぇんだけど」



 先生がお説教を始める。


 お説教なのに『南条のことそういう目で見られたくない』とか…

 何か大切にされてるのかな…なんて勝手に思ったりして。



「ふふっ」


「笑い事じゃねぇし!」


「ごめんなさーい」


 私がぺろっと舌を出すと、先生がもう一度溜め息を吐く。



「先生、マフラーあったかい…」


 マフラーに顔を埋める。



「…貸してやるから。巻いとけ」



 先生は空になっているカップの縁を忙しなくなぞりながら、素っ気ない感じに言った。


           *


 先生と歩く帰り道。



「ひとりで帰れるよ」


と言ったけれど、先生は家の傍まで送ってくれた。



 私の首には先生のマフラー。

 ふんわりしたカシミア製で、グレーの濃淡で英国風のクラシカルな柄が編み込んである。



 直ぐに自宅が見えてくる。



「先生。今日もありがとう」


 どちらからともなく立ち止まる。



「いや…

 あの、なんか…ごめんな。余計なこと言った」


「…うぅん」




『『妹』っての、やめてもいいか?』


 そんなこと言うのに、


『俺はそんなの…嫌だから』



 先生の言葉と瞳の中の真剣な光が脳裏にリプレイする。



(先生、何考えてるの…?)




『私のこと、好きですか?』



 私は先生のこと…好きです…


 溢れる想いが言葉になって唇から零れそうになる。




「南条?」


「!」


 先生に呼び掛けられて、いつの間にかぼんやり耽っていたことに気付く。



 見上げた先生の瞳に黄昏のほんのり朱鷺色掛かった光が映る。



「…先生、私…」



 私が口を開くと、朱鷺色が少し困ったように揺らいで翳る。



(あ…)



『私のこと、好きですか?』


 今は先生とこうして一緒にいたい─



 でも、もしも、もしも万一本当に先生が私を生徒以上に、妹以上に想ってくれてたとしたら…

 それを知ってしまったら今のままでいられなくなる。


 それは、こんな風にふたりで過ごす幸せな時間が失われてしまうだけじゃなくて、始業式の日に応接室に呼び出された時みたいに先生にもいっぱいいっぱい迷惑がかかってしまう。



 とは言えそれはもちろんもしもの話、万一の話で、実際のところは先生が私みたいな生徒にそれ以上の気持ちなんて持ってくれるわけなくて。

 だったら余計そんな気まずくなることわざわざ訊く必要もなくて…



 もう考えるのはやめよう。


 それよりも…



『南条のことそういう目で見られたくないわけ』



 生徒としてでも、妹としてでもいい。


 先生の傍にいられること。先生に大切にされていること。


 それが今の私の全て。



 私に未来をくれた人。

 ただ先生の傍にいたい、離したくない─




「先生」



 私は真っ直ぐ先生を見た。



「先生やっぱり私、妹でいたいな」


「え…?」


「だって先生と私が『先生』と『生徒』なだけだったら、私が卒業しちゃったら先生と私を繋ぐもの何にもなくなっちゃうもん」


「……」


「妹じゃなかったら一緒にいられる未来なんて…なくなっちゃうもん」



「……


 そっか、そうだな」



 栗色の前髪の影に先生の瞳が細められた。



 好きだから、だから…


 一番簡単に一緒にいられる未来を選ぶ。


 それはきっと、賢い方法だよね?─



「ここまで来たらひとりで帰れる?」


「うん。家、もう見えてるし」


「ん」



 先生の唇が小さく微笑む。



 晩秋の夕暮れは早く、辺りはすっかり仄暗い。

 暗さが別れの切なさを際立たせる。



「じゃ、また学校でね」


「あぁ」



 先生に小さく手を振り、背を向け歩き出す。




「南条!」



 半ばまで歩いたところで、私を見送っていた先生の声が追い掛けてくる。


 振り返ると先生が声を張って言った。



「また準備室で待ってるから!」



 私はできる限りの一番の笑顔で大きく頷く。



(当たり前じゃん。私、妹だもん…)



 失くしたくない。


 だから、これからも先生に逢いに行くよ?



 遠い未来も、ずっと─



       *   *   *

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